カイルとお茶会
ミラベル侯爵邸はシェリィの予想に反し、全く賑わっていなかった。
通常、パーティーが開かれる時は花々で豪華に飾り付けられた前庭に多くの人が配置され、ひっきりなしに馬車がつくものだ。
だが今日の侯爵邸は閑散としており、シェリィはカイルがもしや日程を間違えたのでは、と心配になった。
客を迎えるために煌々と灯りがついているはずの正門も、ひっそりとした灯りしかついておらず、心もとない。
二人を玄関で出迎えてくれたのは、ミラベル侯爵夫人で、どうやらカイルは彼女と親戚らしい。だが不思議なことに他の招待客などは、全く見当たらない。
親戚の割に侯爵夫人は少々カイルに対してよそよそしく――というより随分カイルに対して腰が低い態度で、二人はどういう関係なのだろう、とシェリィは首を捻らざるを得なかった。
夫人は意味ありげな視線を時折シェリィに送りつつ、静かに案内をしてくれた。
石造りの堅牢で静かな侯爵邸の建物を通り、その裏に広がる庭園へ。
庭園の芝は綺麗に整備され、蔦の絡まる東家の一画だけ、四季折おりの花々が咲いている。春のチューリップに夏のマリーゴールド、秋のコスモスに冬のクリスマスローズ。魔術で四つの季節の人気の花を、一度に咲かせているのだろう。
周囲は暗かったが、東家の周辺にはランプがたくさん設置され、明るい。
その上、日中晴れていたからか空にはたくさんの星が瞬いていて、美しい。
東家の中に用意されているのは二人がけのテーブルで、二脚の大きな白い椅子にはふかふかのクッションも置かれていて、座り心地が良さそうだ。
困惑してカイルの顔を見上げるシェリィに、彼が打ち明ける。
「もしかして、侯爵家が主催するガーデンパーティーを想像していたか?」
「実はそうなの。でもこれはもしや、私達だけのために侯爵夫人がご準備してくださったのかしら?」
「そうなんだ。あまり人が集まるパーティーだと、目立つしゆっくりできないからな」
席についたシェリィとカイルの前に、前菜のフォアグラを載せたムースが運ばれてくる。
カイルは滑らかな動きでナプキンを自分の膝にかけ、カトラリーを手に取った。
思わずシェリィが噴き出す。
「カイルったら、食堂でアヒージョを食べていた時とは別人みたいだわ」
「たしかに。シェリィも家でジャガイモの皮を出来るだけ薄く切っている姿とは、別人のようだ」
二人は声を立てて笑った。
目を見つめあって笑うと、美しい庭園の芝がより活き活きとした緑色に映え、花壇の花々は一層鮮やかに見える。
シェリィは意気揚々と、公爵邸で青のティアラを取り返したエピソードを話したが、カイルは彼女を褒めたりはせず、心配そうに顔を曇らせた。
「公爵邸の執事の言う通り、もう危ないことはしないでくれ。何かあってからでは、遅い」
カイルが心から自分の身を案じてくれているのが伝わり、シェリィは素直に頷いた。
カイルがパリパリに揚げたエビにナイフを入れながら、シェリィに問いかける。
「今度、ゴダイバ帝国の俺の家に遊びに来ないか? 割と大人数で暮らしてるんだが、賑やかでいいぞ」
「帝国に? 私、来月ガレル州の荘園にある家に引っ越そうかと思っているのだけれど。でも、楽しそうね。それにカイルは大家族なのね。意外だわ」
「ガレル州は帝国とは反対方向にあるから、行く前に帝国にぜひ来るが良い」
帝国に遊びに行くのは、とても楽しそうに思える。
シェリィはナイフとフォークを手にしたまま、しばし考え込んだ。
ガレル州に引っ込んでしまえば、帝国に行く機会など二度と来ないだろう。
王都を離れる前に、シェリィにはどうしても心残りがある。
北部で魔獣討伐中にユトレヒトを救助した、帝国軍の兵士から話を聞いてみたい。野営地が壊滅した時に、ユトレヒトに――いや、父や隊員達に実際は何があったのかを、知りたいのだ。
「もし……。もしも可能なら、帝国でカイルの同僚の軍人さん達に会うことはできるかしら? 父の魔獣討伐隊には、生き残りがいたのだけれど、彼を帝国軍が救助してくれた時の様子を聞いてみたいの」
カイルは一度口を開き、何かを言おうとした。だが再び唇を結び、真剣な顔でジッとシェリィを見つめた。
青い瞳はシェリィの思考の奥を覗こうとするように、しばらくの間彼女にひたすら向けられた。
カイルの瞳の穏やかな海の青色は時折り、山々を隠す謎めいた深い霧の青であり、また凍てつく氷河の鋭い青でもあった。
シェリィが図々しいことを聞いただろうかと胸をざわつかせていた矢先、カイルがゆっくり口角を上げ、どこか不敵に微笑みながら言う。
「つまり、シェリィは前公爵率いる討伐隊の救援に向かった帝国の兵士の誰かに、会いたいんだな?」
テーブル上に置かれたシェリィの手に、グッと力が入る。
「その通りよ。父の率いる魔獣討伐隊の唯一の生き残りは、側近だったユトレヒトなの。でも帝国軍に保護された時には既に人が変わってしまっていたらしいの。――彼が正気を失ってしまったわけを、知りたくて。それにユトレヒトは帰国した後に叔父が一時保護していたみたいで。この指輪はユトレヒトが残した私へのメッセージのように感じられて……」
シェリィはポケットから黄金の指輪を出して、目の前にかざした。
懺悔の間で拾ったこの指輪が、ユトレヒトのものだという確信はない。
だが、指輪に絡みついた組み紐は間違いなく世界で一本しかないし、ユトレヒトのものだ。
自分がこれを見つけ出したのは単なる偶然だが、ユトレヒトは行方不明になる前に、シェリィに伝えたいことがあったような気がするのだ。
カイルが急に手を伸ばし、グッとシェリィの手首を掴む。彼は青い目を見開いて、食い入るように指輪を見ていた。
「これを、どこで⁉︎」
驚きに掠れた声は動揺しているのか揺れていて、シェリィの手首が痛むほど強く握っている。
急変したカイルの様子に驚き、シェリィがたじろぐ。
「ええと? こ、公爵邸の懺悔の間の、暖炉の中よ。さっき話した通り、青のティアラを取り返した後で、叔父に閉じ込められたの。まさか貴方、この指輪を知っているの?」
「これは……王冠を被った鷹は、ゴダイバ帝国の皇子が持っている指輪だ。父親が皇帝である間だけ保有が許されていて、厳重に管理されている」
「あ、帝国の皇子印ね! そうだったわ。私ったらうっかりしてた。この模様を教科書で見たんだったわ」
どうして忘れていたのか、とシェリィが自分の額を手のひらで叩く。
「さすがにこれは贋作よね。確か今、帝国の皇子印を持っているのは、皇太子殿下と、弟殿下の第四皇子と……」
第二皇子は幼い頃に病死している。
「――第一皇子のステンだ」
「ああ、そうなのね。流石にこれは指輪のレプリカでしょうけれど」
「これはレプリカなんかじゃない。本物の皇子印だ」
カイルは断言した。
鋭い視線で指輪を確認し、目力で刻印ができそうなほど、表面の模様を凝視している。
「レプリカなど、作るだけで犯罪になるから存在しない。それに俺は細かい部分までこの指輪の意匠を知っているんだ。皇太子は指輪を紛失していない。第四皇子も然りだ。ごく最近も、二人は公の場でお持ちだった。畢竟、これはステンのものだ」
一旦言葉を区切ってから、カイルは「まさか奴がこんなに大事なものを、なくしていたとは……!」と吐き捨てた。
冷たく侮蔑を含んだ声色に、シェリィは意外に思った。どうやらカイルの中で第一皇子のステンは好感度が低いらしい。
ステン皇子贔屓の人が多いリンツ王国人との違いを感じる。
「そんな大変な指輪なら、ゴダイバ帝国の大使館にでも届け出るべきかしら? そうしたらきっと、今キャドベリー公爵邸に捜査が入るわよね」
「今俺が持って帰ってもいいが、そうすると公爵邸で見つかったという説得力が失われるしな」
「――もし本物の皇子印なら、これは切り札になるかもしれないわ」
「間違いない。だから、存在を公にするならば、最大の効力が発揮できるタイミングを考えるべきだ」
「でもおかしいわね。そんな大層な指輪が、なぜ我が家の懺悔の間に。そもそもユトレヒトと第一皇子は、どこで知り合ったのかしら? 俄然調査する必要がありそうね」
自分の足で調べ、納得できる結果を得られたならば。少なくとも王都には心残りなく、ガレル州に行くことができるだろう。
シェリィの固い決意を込めた目を見つめた後で、カイルは一度ゆっくりと目を瞬いた。
「――マティアスは実に愚かだな。そなたのしなやかな強さに、魅力を感じなかったのだとしたら」
「そ、そうかしら。そんな風に言ってもらえると、お世辞でも嬉しいわ」
「俺は世辞など言わん。ユトレヒトとやらの件は、こちらでも調べてみる。だから今度、帝国に遊びに来るが良い。俺は見ての通り多忙だから、今月中に家まで迎えに使いの者を出そう」
「分かったわ。ありがとう。カイルがいてくれて、本当に良かった」
シェリィが気持ちを込めてゆっくりと礼を言うと、カイルは照れ隠しなのか肩をすくめて小さく笑った。
「迎えに行かせるのは急になるかもしれないから、なるべく庭師小屋にいて、準備をして待っていてくれ」
「楽しみに待っているわね」
デザートとして運ばれてきたのは、アイスクリームの載ったパイだった。パイの甘さが抑えられており、甘くとろけるアイスクリームとの相性がバッチリで、あっという間に平らげてしまう。
皿の上のパイのカケラまで綺麗に食べ終えてしまうと、シェリィは急に焦りを感じ始めた。
シェリィが早く食べ過ぎたのか、カイルはまだ実に上品にパイを食べている。
(でももうすぐカイルも食べ終わってしまうわ。食事が終わったら――またカイルとお別れしなくちゃいけない。せっかく久しぶりに会えたのに……)
楽しく魅力的な時間は、あっという間に過ぎてしまう。
二人で過ごせたこの時間と場所の両方を、いつでもクッキリと思い出せるように、シェリィは庭の様子を目に焼き付けておこうと、周囲に視線をめぐらせた。
ミラベル侯爵夫人が用意してくれた庭園だけでなく、幻想的な夜空も。
「おっと」
その時、カイルが手を滑らせて、紅茶の砂糖入れの蓋を取り落とした。蓋はテーブルを転がり、シェリィの膝に落ち、慌てて手で受け止めようとするも失敗し、芝の上に落ちた。
銀製ではなく磁器製の蓋だったため、割れてしまうかとヒヤヒヤしたシェリィだったが、幸いフカフカの芝のおかげで華奢な蓋は無傷た。
「ありがとう、シェリィ」
「大丈夫よ。下が芝生で良かった!」
ホッと胸を撫で下ろしつつ、膝上のナプキンで丁寧に拭いてから砂糖入れに戻す。こんな素敵な場所を提供してくれたミラベル侯爵夫人のティーセットを、汚して返すわけにはいかない。
「シェリィ、少し散歩をしよう」
シェリィが顔を上げると、カイルは席を立って彼女の隣まで歩いてきていた。
見ればカイルもパイを食べ終えており、紅茶のカップもカラだ。
紅茶をもう飲み干しているのに、なぜ砂糖入れの蓋をいじっていたのだろう、と違和感を覚えるシェリィの手を取り、カイルが彼女を立たせる。




