俺は、君の守護妖精じゃない
たっぷり飲んで食べた、食堂からの帰り道。
カイルとシェリィは星空を見上げながら歩いていた。
夜でも人通りが多い賑やかな通りを抜け、脇を小川が流れる石畳の道を進む。ポツンポツンと立つ石造りの家々の窓からは、柔らかなオレンジ色の明かりが外にもれている。
小川を背にして置かれた木のベンチには蔦が絡みつき、公爵邸に向かうにつれて、緑が多くなっていく。
雑草に押し上げられた石畳は、踏むと時折グラリと揺れた。
シェリィは石畳の整備具合に注意を払いながら歩いた。
「妖精界でも同じ星座が見える?」
「い、いや。どうかな。――まあ、同じではないな……」
シェリィの学院の先生は、彼女の父は星になったのだと言ってくれた。星になり、今では夜空の上からシェリィのことを毎晩、見下ろしてくれていると。
そうであったらいいと思いつつも、認めたくない自分もいる。父親の遺体がない現状では、シェリィはまだ彼の生存に一縷の望みを抱いていた。
「お父様の北部山脈での魔獣討伐も、星を使って位置を確認しながら移動していたらしいわ。……私ね、お父様はどこかの小さな村で保護されていて、今も絶対に生きていると信じているの。もしかしたら頭に怪我をされて記憶を失っていて、帰る場所が分からないだけで。だから、きっと……いつか帰ってくるんじゃないかしら」
「そうだな、あり得ない話ではない」
カイルの声色はいつもよりもずっと優しい。なるべくシェリィを傷つけぬよう、気をつけて相槌を打ってくれたのだ。
「俺も騎士として、13歳から魔獣討伐に参加している。だからこそ、魔獣の恐ろしさはよく分かっているつもりだ。だが、シェリィの言うとおり、奇跡が起こる可能性は常にゼロではない」
シェリィはしばらくの間、黙って歩いた後でほつりとつぶやいた。
「父の部隊の生存者は、父の側近ただ一人だったの。でも部隊が全滅したことがよほどショックだったみたいで、気が触れてしまったのよ。リンツ王国に戻ってきた時には、既に正常な会話はできなくなっていたのですって。でもね、それでも。側近ではなくて、父が無事だったならどんなに良かっただろう、って思ってしまうの」
シェリィの父の側近は心を病み、今では行方しれずとなってしまった。
小川にかかるアーチ型の橋を渡りながら、カイルは言った。
「こんなことを言うのはなんだが……、客観的に見れば婚約破棄まで、随分マティアス王太子とその恋人には、都合のいい展開が続いたものだな」
言い方は悪いが、アンジーと愛し合うマティアスにとって、前公爵はまるで障害物のような存在だった。シェリィと婚約を解消するだけでは、アンジーを王太子の婚約者に相応しい公爵令嬢にのしあげることはできなかったのだから。
「まるで意図したかのように、ムシの良い話じゃないか」
「そうね、言われてみれば……痛っ!」
歩きながら空を見上げていたシェリィは、橋を渡り切ったところで、つま先を足元の割れた石畳に引っ掛けてしまい、短く叫んで前方に転倒した。
すぐ後ろを歩いていたカイルは咄嗟に手を出しのべ「危ない!」と彼女を支えようとした。だが彼の手はシェリィに触れることがなく通り抜け、シェリィは地面に膝を打ち付けた。
「こんな時ですら、そなたに触れない!」とカイルが恨めしそうに舌打ちをする。
カイルは抱き起こしてやることもできず、そばに膝をついてシェリィが立ち上がるのを見守った。
「俺が触れなくて――、何もできず申し訳ない」
「何言ってるの。謝るようなことじゃないわ」
少し汚れた裾を両手で払いながら、シェリィがカイルを見上げる。
ふと二人はそのまま向かい合って見つめ合った。
今更のように気がついたが、辺りには既に誰もおらず、静まり返っている。
夜道は暗いが、カイルが薄く発光しているため、怖くはない。
シェリィはふと尋ねた。
「まだ私は光っているように見える?」
カイルはためらいながらもゆっくり足を前に踏み出し、シェリィのすぐ目の前に立った。目を細めて彼女を見下ろす。
「実を言うと、まだ見える。もしかして俺が発光している照り返しかもしれない。――いや、よくわからんな」
カイルが手をそっと上げ、シェリィの顔の近くに手のひらを寄せる。
シェリィも釣られるように片手を上げ、彼の掌に向かい合わせた。もちろん、互いの手が触れることはない。温もりも感じられない。
それでもカイルはうっすらと微笑んだ。
「普段は女性の手に触れたい、と思うことなんてないんだが。でも、今……シェリィの手をものすごく、握りたくて仕方がない」
普段のシェリィがこんな台詞を異性に言われたら、困惑してしまっただろう。だが今、彼女の胸中を満たしているのは喜びだけだった。
きっと酔っているせいだ、と自分を納得させてシェリィは自分の気持ちを素直に笑顔で表現した。
少し照れながら、シェリィが「私も貴方の手に触りたい」とはにかんだ声で答える。これもシェリィは、酔って正常な判断ができないせいにした。
今日は五杯も飲んでしまったから仕方がない、と。
「心の中では、シェリィと触れ合っているつもりだ」
「ええ。でも、触ることができないのって、とてももどかしいのね」
カイルは何かを言おうとして口を開きかけ、再び口を閉じた。
そうして今まで浮かべていた微笑みを消し、一転して真剣な目でシェリィを見つめた。
大きく深呼吸をして、少し抑えた声でけれどはっきりと話しだす。
「シェリィ。真剣な話があるんだ。――そろそろ言わなければならない、と思っていたんだが」
「かしこまって何かしら?」
「シェリィは……たとえば自分の守護妖精がまた急に自分のそばからいなくなってしまったら、悲しむだろう?」
シェリィはカイルがバードのことを言っているのだ、と分かった。
カイルがバードと同じように自分の守護妖精をやめてしまおうとしているのだろうか、とシェリィはギクリとした。
先ほどまで感じていた心地良い酔いが、急速に冷めていく。
「もちろん、そうなったら悲しいわ……」
正直に答えるシェリィに対し、カイルは合っていた目を逃げるようにスッと逸らした。だが心の準備が整ったのか、小さく深呼吸をしてから、彼は再びひたとシェリィを見つめた。
再び向けられた目は、これから話すことを真剣に聞いてほしい、と訴えるような熱心さを感じさせるもので、シェリィも全意識を彼に向ける。
「ここのところ、ずっとそなたのことを考えていた。俺もシェリィに誠実でいなければならない、と思っている」
カイルが言わんとすることがよくわからず、シェリィがあやふやに頷く。
「どうやらシェリィは……本気で守護妖精を召喚したつもりだったらしいな」
「えっ、もちろんそうだけど」とシェリィが狼狽えて激しく瞬きをする。召喚術が今さらなぜ話題に上がるのかが、シェリィには分からない。
「そなたは俺を、妖精だと完全に信じているようだ」
「あ、当たり前でしょう。何でそんなことを言うの?」
カイルはゆっくりと一歩後ずさり、シェリィと距離を作って彼女から自分の全身が見える位置に立った。
カイルの方がずっと背が高いので、近過ぎるとシェリィがひたすら彼を見上げる格好になってしまうのだ。
十分な間を取ってから、カイルが右手を腰に当てる。
「ハッキリ言おう。――俺は妖精ではない」
シェリィはカイルの発言の意図が読めず、目をパチパチと瞬くだけで返事をしない。




