シェリィとカイルの酒盛り
リンツ王国の大衆向け食堂は、カイルにとって実に興味深い場所だった。
街中にある庶民向けの食堂で、カイルは飽きもせず内部を観察した。
食堂内は広いがたくさんの客のせいでガヤガヤとうるさく、落ち着かない。
テーブルは木製で、テーブルクロスなどはなく、剥き出しだ。
石組みの建物の壁には、剥製にした鹿の頭やら、魚の形の彫り物やら、雑多なものが飾られていて、ごちゃついている。
だがカイルは生まれて初めての「庶民の食堂での飲み会」が楽しくて、仕方がない。
行儀悪くテーブルに肘をついても眉を顰めるものはいない。
隣の席の客があぶり焼きチキンを手で持って食べても、誰も文句を言わない。
斜め前の席の中年男性は、ビールが並々と入ったジョッキを鷲掴みにしてガブガブと豪快に飲んでいる。飲み終えて「プハー」と息を吐き出すその姿は、目を疑うほど品性がないが、口の中の泡さえ見せつけながら浮かべる笑顔は、とてつもなく満足そうだ。
もしかしてその飲み方は、世界で一番酒を美味しくする飲み方なのかもしれない、とカイルは考えた。
「どうしたのカイル? もしかして、こういう食堂に来るのは初めて?」
向かいに座るシェリィは、席についたばかりのカイルが周囲の様子をあまりに興味津々といった様子で窺っているので、不思議に思って尋ねた。
シェリィも王立グランデ学院に入学するまでは、庶民の食堂に来たことはなかった。だが貴族の令息や令嬢とはいえ、節約をする学生達は少なくなく、この手の大衆向け食堂は王立グランデ学院の学生にも人気だった。
何より、雑然としているので誰が誰と来ても、人目を気にする必要がない。
シェリィもクラスメイト達と何度か遊びにきたことがあり、またコレッタはこの店の常連だったので、二人で外食をするときはたいていこの食堂だった。
自分の使い魔を連れてくるもの達も多く、実際バードも慣れた風で飲み食いをしていたため、妖精界の食堂も似たりよったりなのだろう、とカイルをここへ連れてきたのだ。
気軽に連れて来てしまったが、店選びに失敗しただろうか、とシェリィが焦り出す。
だがカイルはそつなく首を左右に振って否定した。
「いや……。妖精界にある食堂より大きいから、驚いているだけだ。……ええと、何を注文しよう。まずはビールを頼むべきか?」
「いいわね。私はウィスキーにするわ」
「食べ物は、八品目のサラダと……あぶり焼きチキンもいいか?」
「ええ。ヘルシーでいいわね。ニンニク増し増しアヒージョも注文しましょう」
「意外と攻めた注文をするな」
「日中、嫌な来客があったから。今夜は叔父とアンジーを忘れて、パーっと飲みたいの!」
「ああ、いいな。何時まででも、付き合おう」
シェリィは簡素なワンピースを着ているし、カイルはワイシャツにズボンといったラフな格好だ。
王都の食堂で飲む二人は、どこから見ても王侯貴族には見えない。
「はいよ、ビールとウィスキー!」とウェイターがジョッキとグラスをいくらか雑にテーブルに置き、目を丸くするカイルの前でジョッキがスーッと滑って彼の目の前で止まる。
ビールは多少こぼれているが、誰もそれを気にする様子もない。
その上向かいにいるシェリィがこぼれた自分のウィスキーを見て、嬉しそうに言う。
「わぁ、今日のウィスキーはグラスいっぱいまで入れてもらえてる! 溢れちゃったくらい! やったぁ」
予想を超えるシェリィの反応に、カイルがしばし絶句する。
シェリィは両手でグラスをもち、黄金色のウィスキーを見てごくりと喉を鳴らしてから、カイルを見つめた。
「それではカイル、乾杯しましょうか!」
「お、おう。そうだな」
カイルは右手でぐっとジョッキの取手を掴み、目をキランと輝かせた。
「――よし。今夜はマティアスのことなんて忘れて、パーっと行こうぜ」
「そうね、いい考えだわ。乾杯っ!」
カチン、と互いのグラスを当て合い、カイルはゴクゴクとビールを飲んだ。そしてグラスを口から離すと、プハーッと息を吐く。息を吐き終えた彼は、目を爛々とさせ、感慨深げにいった。
「うまい! ここで飲む酒はなんて美味いんだ!」
「でしょう? 飲み物は美味しいし、食べ物もおすすめなのよ」
酒を飲み始めると、カイルはシェリィに王立グランデ学院での話を振った。
カイル自身は学問は宮殿で家庭教師から学んだため、学舎の話が珍しく、興味深かったのだ。シェリィは面白いクラスメイトの話をし、次にカイルから彼の好きな食べ物や本の話を聞き出し、二本目に注文したワインを半分飲み出す頃に、酔いも手伝って彼にとんでもないことを聞いていた。
「ええと、じゃぁカイルはどんな女性が好き? 妖精界ではどんな感じの女性が人気なのかしら」
「俺はそうだな、多少気が強い女性が好きだ」
「騎士さんってモテるでしょう? リンツ王国ではね、魔獣討伐隊に参加する騎士は腕前が確かだと言うから、出世間違いなしなの」
「どこも似たようなものだな。我が帝こ……、いや妖精界では、どちらかといえば、身長が高い女性がモテるな。そのほうが身長差がなくて、顔を見て話せるからかもしれん」
「人間界も背が高い女性が人気なのよ。アンジーも背が高いもの……」
そこまで言いかけて急にマティアスとのことを思い出したのか、シェリィが悲しげに目尻を垂らした。だが気分を変えたいと思ったのか、視界に入ったオリーブオイル漬けのニンニクを丸ごと頬張る。
宙を睨んでもぐもぐとニンニクを咀嚼するシェリィを、カイルは面白がるように見ていた。
「身長だけでなく、男女問わず妖精界でも金色の髪と青か緑の目は人気だな。残念ながら俺の髪色は微妙に外しているが」
「あら、でも目の色は外していないじゃない。髪の色も金色と貴方の銀色なんて、似たようなものだし」
「だが俺は、落ち着いた髪色が好きだな。例えばシェリィの髪色も素敵だぞ」
「社交辞令はお断りです!」とツーンと顎を逸らしてから、シェリィが今度はアヒージョの砂肝を口に入れる。もぐもぐと咀嚼を始め、実に満足そうに口角を上げて食べ進めている。
カイルは思わずその唇に目を釘付けにしてしまった。オリーブ油で艶々になったシェリィの薄紅色の唇が、可愛らしいだけでなく、酔いのせいなのか酷くセクシーに見えたのだ。初っ端からウィスキーのようなアルコール度数の高いものを飲んでいるせいか、シェリィの目は酔いでトロンとしている。
カイルは不覚にも彼女の唇と目に色気を感じてしまい、無意識に生唾を嚥下してしまう。
「あっ、独り占めしてごめんなさい。カイルも食べてみて。ニンニクの味が染みこんでいで、すごく美味しいのよ!」
視線に気がついたシェリィがパッと顔を上げて、皿を突き出す。シェリィは無邪気な笑顔で言った。
「私ね、マティアス王太子の婚約者として、ニンニクはずっと我慢してきたの。口臭の原因になるから、ニンニクは王族とその婚約者には厳禁なの。でも、もう解禁しても良いわよね。だって私、本当はニンニクが大好きなのよ!」
そう言うなり、シェリィはカリッと焼かれたフランスパンのスライスをカイルに手渡した。
「アヒージョのオイルにつけて食べると、最高なのよ。ニンニクを取るのは、この細めのフォークを使って。ホクホクでジャガイモみたいなんだから!」
フォークやスプーンが収められたカゴから、小さなフォークを選んでシェリィがカイルに差し出す。
カイルはパンとフォークをおずおずと受け取った。
「これは実に、不思議な感覚だ……」
カイルはしみじみと呟いてから、酒で高揚する意識を周りに向けた。
カイルの今までの人生で、同じ皿の食べ物をフォークで突いて食べることは一度もなかった。だが不思議なことに、今はそれが愉快で甘美な風習に思えて仕方がない。
改めて見ても、石造りの床は油が染みていて、汚い。
食器は縁が欠けている。
料理に緻密さはなく、高級な食材も使われていない。
だが、ここで食べるアヒージョは極上の料理に思える。
カイルは「おかしいな、俺の宮殿じゃあるまいし」と首を左右に振って三杯目の酒をジョッキでゴクゴクと飲んだ。
どん、とジョッキをテーブルに戻して視線を上げれば、向かいに座るシェリィがニコニコと笑っている。
「良い飲みっぷりね!」
カイルは自分の目を何度も瞬かせて、手の甲で擦った。
「妙だな。シェリィがなんだが光って見える。後光が差して見えるというか、顔が輝いて見えるというか。まるでお前が守護妖精のようだ」
「本当に? 私、キラキラしてる?」
おかしな例えをしているつもりは毛頭ない。
カイルに目には、実際にシェリィが神々しく映っていた。彼女の目などは、どんな宝石より美しく輝いている気がする。
フワフワと揺れるシェリィの髪が、カイルの目にはとてつもなく魅力的に見えた。
思わず手を伸ばして、触れてみたいほどに。
カイルは大真面目に頷いた。
「ああ、キラキラ女子だ」
「じゃあ私達、おそろいじゃない。カイルも妖精みたいに光ってるもの。カイルったら、酔いが視覚にまで回ってしまったのね!」
鈴が鳴るように笑うシェリィの笑い声は、まるで美しい鳥の鳴き声にも似ている。
カイルは耳までおかしくなったのかな、と耳に片手を当てた。
単に酔っているだけかもしれない。だがそうだとしても、これほど気持ち良い酔いは始めてだ。
キラキラと愛らしいシェリィを正面に、彼女の楽しげな笑い声を聞く。
この時間ができるだけ長く続けばいい、とカイルは心の底から思った。




