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全て奪われるということ

 リンツ王国では、高位貴族ほど強い魔力を持っている。

 そして魔術が得意な者は、自分の魔力に応じた守護妖精ーー「使い魔」を手元に置いておくのだ。

 通常は召喚術で妖精界から呼び出すか、もしくは既に人間界にいる妖精を「他人から奪う」ことで手に入れる。

 守護妖精は異性にしか仕えないし、少々気難しい。

 だが守護妖精を持つことは貴族としてのステイタスと自分の実力を誇示する手段であり、彼らは主人にだけは忠実で従順な使い魔だった。

 もっとも、シェリィの使い魔のバードは昔から口うるさかった。彼を召喚したのはシェリィ自身ではなく、今は亡き彼女の母だったからかもしれない。

 それでもバードはシェリィには代え難い、大事な守護妖精だった。


 王太子マティアスから婚約破棄を宣言された後。

 シェリィは庭師小屋で、夜になっても泣いていた。

 バードがシェリィを落ち着かせるために、小さな台所でシェリィが好きな甘いミルクティーを淹れて、彼女に説く。


「ご主人様。いつまでも泣いているだけでは、いけません。ご自分に泥をかけて蹴飛ばした者に対して、背を向けて逃げるようなものです。一方的な婚約の解消をこのままにせず、反論すべきです」


 シェリィだって、パーティーで身勝手な発言をしたマティアスに対して反論しようと思えばできたのだ。だがその反論に意味がない上に、観衆達の興味を長引かせれば、更に自分を惨めにさせるだけだった。

 シェリィが大粒の涙を流しながらなんとか口を開く。


「でもね、バード。マティアス殿下はもう、私を見てくれないの」

「また振り向かせればいいではありませんか。殿下とは赤ん坊の頃からの仲なのですから」


 甘いミルクティーの温かさが、シェリィの胸に沁みる。

 いつもほどの劇的な効果はないが。


「いくら長い付き合いがあっても、一番大切な人として見てもらうのは簡単じゃないわ。殿下の心にはもう私じゃなくて、アンジーがいるの。説明が難しいけれど……」


 一般的に妖精は人間に比べて、淡白だ。妖精界と人間界を自由に行き来し魔法を使え、どの個体も美しい。だが人間と違い、深い情とは無縁の存在でもある。

 妖精に人の心の機微や恋愛の複雑さを説明するのは、簡単ではない。

 シェリィは苦しさのあまり乱れていく呼吸をどうにか落ち着かせようと、自分の胸に手を押し当てた。


「殿下とアンジーのあの親密さを考えると、二人はもう長いこと相思相愛だったのかもしれないわ」


 そう言って黙り込んでしまったシェリィに手を伸ばし、バードが彼女の頬から涙を拭う。


「泣かないでください、ご主人様」

「私って、ガリ勉で生真面目……かしら?」

「勉強熱心で真面目なことは否定しません。でもその何が問題なのです?」


 歯を食いしばって新たな涙をこらえるシェリィの頭を、バードが撫でる。顔は相変わらず妖精らしく無表情だが、仕草は優しい。


「貴女を泣かせたいわけじゃないんです。ただおかしなことを、おかしいとお伝えしたいのです」

「――ええ、おかしいわよね。でも結局のところ、この世は不公平にできているんだと思うわ」

(お父様とお母様がご健在だったなら。私に魔力がもっとあれば。この容姿が、もっと優れていれば)


 鼻を盛大にすすって大きくため息をつく。肺から吐き出した呼気は大きく震えたが、深呼吸すると少しだけ気持ちを落ち着けることができた。

 使い魔にしては主人に対して厳しいバードだったが、シェリィが物心ついた頃から、いつも辛い時はそばにいてくれた。

 どんな言葉よりもただ近くにいてくれることが、慰めになることもある。


「バード、お前はずっとそばにいてくれるでしょう? 私が五歳の時から一緒に育ってきたもの」


 バードが片眉を上げた後、アメジストのように美しい目で、シェリィを見下ろす。


「一緒に育った、というのは語弊がありますね。育ったのはご主人様であって、私は先代の公爵夫人に召喚された時から既に大人ですよ。今年で五十歳ですから」

「ああ、そうね。そうだったわね」


 妖精はプライドが高い。

 半世紀近く生きてきたバードを子ども扱いしてしまい、彼の矜持を傷つけたらしい。

 バードは人間に例えるなら、二十代半ばにしか見えない。だが妖精の寿命は二百年なのだ。

 シェリィは正面に立つ長身のパートをじっと見上げた。

 艶のある長い黒髪と、神秘的な紫色の瞳を持つバードは美形で、シェリィの自慢の守護妖精だ。

 守護妖精は大きさも人間と変わらないが、男女問わず長いローブを着ているので、わかりやすい。何より全身が薄っすらと発光しているので、妖精と人間は見分けが容易だ。

 今やシェリィのそばにいるのは、バードだけだ。


(私の今までの努力は、なんだったのかしら……)


 謙虚を愛する父のもとで育ったシェリィは、その恵まれた環境に奢ったことはない。民に愛される王太子妃になろうと、控えめに生きてきたつもりだ。

 王太子妃になるべく、幼少の頃からダンスに刺繍、楽器の練習を怠らなかった。全てプロ並みの腕前になっているし、王立グランデ学院でも勉強を怠らず、魔術の講義の実技試験以外は、常に学年トップだった。――マティアスは魔術の講義では首席だったものの、他の授業の試験ではビリだったが。


 そして、人生で一番惨めだったその夜。

 シェリィがようやく悲しみからどうにか浮上し、居間でパンと牛乳だけの質素な食事を取っていたその時。

 突然全身がビリビリするような強力な魔術の力を感じた直後、バードが緊迫した声を上げた。


「誰かが、守護妖精の召喚術を発動させています! それもかなり強い……」


 小さな庭師小屋の狭い居間の床に、幾多の文字と円形模様を描き金色に輝いて回転する魔法陣が現れ、まるで網のごとく大きく広がっていく。

 魔法陣は庭師小屋全体を飲み込む勢いで膨張し、バードとシェリィに向かってくる。

 シェリィに食べさせようと、差し出したままだった干し葡萄の紙袋をギュッと握り締め、バードがよろめくようにテーブルから離れる。

 魔法陣はバードを吸い込もうとしているのか、彼のローブや長い髪が、強風に煽られるかのように魔法陣に引かれ、激しく靡く。


「どうしてここに魔法陣が? 一体、誰が発動させている召喚術なの⁉︎」

「この魔力はおそらく……お屋敷にいるアンジー様です」

「なぜアンジーが、庭師小屋に焦点を合わせて召喚術を?」


 混乱しながらもシェリィは魔法陣から距離を取るために、居間の隅まで後ずさる。


「なんて強い召喚術だ……。ご主人様、これは貴女のお母様の魔力よりも、遥かに強力です!」


 妖精はより強い魔力を持つ人間に惹かれる。――自分の意思とは関係なく。


「じ、冗談はやめて……。バードったら、まさかアンジーの守護妖精の召喚術に引っ張られそうになっているの? だめよ、お前は私の守護妖精でしょう⁉︎」


 必死の訴え虚しく、シェリィの守護妖精は、召喚術の網に包み込まれるようにして消えた。


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