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叔父とアンジーの来襲③〜はじめの一歩〜

 公爵は「なんだと?」と恐ろしく低い声で呟き、怒りに満ちた目でシェリィを睨んだ。それでも彼女は今だけは決して背を見せてはならない、と感じて叔父と目を合わせ続けた。

 シェリィは公爵邸に置いてきたもののうち、どうしても諦められないものを、叔父に返してもらおうと思い切って要求を口にする。


「それと叔父様。『青のティアラ』をお返しください。あれは私の母の形見ですから」


 すると公爵は大仰に眉を下げ、やれやれと言った雰囲気で口を突き出した。


「何を言うのかと思えば。あのティアラは庭師小屋に引っ越す時に、お前が自分の手で持っていったではないか。渡したものを寄越せと言われても困るぞ」

「そんなはずはありません。まだ公爵邸にあるはずです!」


 公爵の明らかな嘘に、シェリィの頭に血が上りそうになる。二人のやりとりを優雅な姿勢でソファから聞いていたアンジーが、蜂蜜色の自分の髪に触れながら語り出す。


「ねぇ、シェリィ。それより考えてみて。青のティアラは持ち主を辿れば、王族にたどり着く由緒正しい逸品よ。価値は無限大だわ。お前ったら、そんな家宝とも言えるティアラをなくしてしまっただなんて」


 流石に厚かましい非難に、シェリィは声を荒げた。


「ティアラは母から娘に受け継がれるものよ。私がなくすはずないし、それ以前に貴方達から返されていないわ!」


 公爵ははっきりと舌打ちをし、はき捨てるように言った。


「ないものはない。ガメつい主張でこちらを困らせるな。みっともない。そもそも賠償金だなどお前はどうしても、金が欲しいんだな?」

「私が欲しかったのはお金じゃありません。でも大切に思っていた全てを奪われたので、叔父様が対価を支払うべきたと思います。婚約破棄の際の違約金の相場は、三千万ドランだと聞いています。一ドランたりとも、引き下がるつもりはありません」


「三千万だと⁉︎ 厚かましいにもほどがある!」と公爵が立ち上がり、彼が座っていた椅子がガターン、と後ろに倒れる。

 公爵は空気の入った風船のようなパンパンの体を憤怒でゆらし、怒鳴った。


「お前には兄のラズロに代わって、私が保護者として責任を持って嫁ぎ先を探してやるつもりだ。だいたい、学院を卒業したら女はなるべくすぐに嫁ぐべきだ」

「私はまだそんなに早く別の方との結婚など、考えられません」


 シェリィは間髪容れずに意見したが、それが公爵の癇に障ったらしい。彼は脂肪で厚みのある手で、バン!と勢いよくテーブルを叩いた。

 シェリィばかりかアンジーまで、驚いてビクリと肩を震わせる。


「居候のくせにわがままを申すな! いつまで公爵令嬢の気でいる? 公爵令嬢は、今は私のアンジーだけだ! 現実を見るんだな。お前には、なるべく早いうちに出ていってもらうぞ。そもそも、王太子殿下から小娘が金銭をせびろうなど、見苦しい真似をするんじゃない!」


 意外にもここで公爵を(なだ)めたのは、アンジーだった。

 アンジーはソファーから立ち上がると、優雅にドレスの裾を揺すって公爵の肩に手を乗せた。


「お父様、お気持ちはわかるけれど、ここは冷静になって。私達の思いやりも、世間に分かってもらわなければ。将来、従姉妹のシェリィのみすぼらしい生活で、王族になった私の評判が下がるのは良くないわ」

「アンジー、そんな心配までする必要はない」

「私は完璧な王太子妃になりたいの。シェリィが私の人生の汚点になるのは、困るわ。三千万ドランくらいは、シェリィに必要よ」


 あまりな言い草だったが、シェリィは成り行きを見ることにした。アンジーが公爵を宥めてこのまま話が進めば、三千万は確保できるからだ。

 公爵はこの世の誰より愛する愛娘のために、怒りをなんとか鎮めた。富をこよなく追求する彼にとって、一万ドランだって好きでもない姪のシェリィに渡したくはない。だがアンジーが一切の支障なく、王太子の妃となることは、彼にとって何よりの優先事項だ。

 このままアンジーが王太子と結婚し、彼との間に子を産めば。そうなれば、公爵は将来の国王の祖父となる。

 自分の孫が、血を引く存在がこの国の主人となり、自分の子孫がこの先もずっと代々、国民から跪かれ続けるのだ。

 貴族の男なら誰もが夢見て、あるいは胸に抱く野望が、ついに現実のものになる。

「もうすぐ、私の天下が来るぞ! 公爵家のスペアでしかなかった私が、ついに!」と公爵は興奮のあまり鼻の穴をスピスピと膨らませた。

 公爵はジャケットの襟を整え、かしこまった声でシェリィを見下ろした。


「お前の身まで案じてくれるアンジーの慈悲深さに、感謝するんだな。王太子殿下は、アンジーの心の美しさに惹かれたんだろう。わかった、三千万ドランを私が支払う内容に変更させる。近いうちに改訂版の書類をまた持ってくるから、その時は今度こそサインをしろ。いいいな?」


 だがシェリィはすぐには首を縦に振らない。


「サインをするのは、三千万ドラン全額をいただいてからです。マティアス殿下がこのまま私と結婚をしないのは簡単ですが、逆に私が何かをさせるには王室と叔父様相手では、力の差があり過ぎますので。サインに条件をつけないと、私が圧倒的に不利な立場に置かれます」

「先払いすれば婚約破棄を承諾するんだな⁉︎ 仕方あるまい。まったく、そこまで性格が悪いとは知らなかったぞ! 手を焼かせおって。帰るぞ!」


 シェリィが返事をするや否や、公爵はこれ以上一秒もここにいたくない、といった雰囲気で書類を鷲掴みにし、ドスドスと足音を立てて、玄関に向かった。


「バード、行きましょう」


 アンジーがバードの手を握り、公爵に続いて小さな居間を出ていく。

 シェリィは勇気を出して「バード」と小さな声で呼びかけてみたが、彼は彼女を一切振り向くことなく、アンジーと共に離れていった。

 守護妖精と人間の関係は、あくまでも魔術による契約でしかない。情や心を期待してはいけなかったのだ。妖精族とはそういうものだと知識としては知っていても、その冷たい反応に、ズキンとシェリィの胸が痛む。


 シェリィが大人しく書類にサインをして引き下がると踏んでいた公爵は、思い通りに行かなかったために馬車に乗り込む寸前までプリプリしていた。

 怒りに任せて乱暴に馬車の扉を閉め、アンジー達と帰っていく。

 シェリィは馬車が道の角を曲がって見えなくなるまで、黙ってその後ろ姿を見つめていた。


「いやはや、想像以上に下衆な公爵だったな。ご令嬢のアンジー嬢も大したものだ」


 不意に背後から声がして、シェリィが慌てて振りかえる。彼女の後ろには、腕組みをして胸を逸らし、呆れ返った顔で馬車がいなくなった方向を見るカイルがいた。

 カイルは不快そうな表情から一点して、ニッと笑ってシェリィを見た。


「でもシェリィもなかなか、粘ったな。相手が王太子なら、三千万ドランと言わず八千万ドランを吹っかけてもよかった気はするが」


 苦笑するシェリィを見て目を細め、カイルが少し心配そうに尋ねる。


「公爵はシェリィの結婚相手を探すと言っていたが、大丈夫なのか? ロクでもない男を紹介してくる気配しかしないが」


 カイルの毒舌に、シェリィが思わず声を立てて笑ってしまう。


「安心して。私の母は荘園を一つ持っていたの。それは叔父が受け継げないもので、二十歳を過ぎたら正式に私が所有できることになっているから。長閑なガレル州にある、落ち着いたすごくいいところなの。私はもう、結婚なんてしないでお婆ちゃんになっても、そこに住むつもりよ」


 小さいけれど、荘園には屋敷もある。婚約破棄をされたシェリィは、二十歳になる前に引っ越すつもりなので、財産管財人は現在、屋敷の掃除をさせているところだという。


「そうか。一応将来設計があるようで、安心したよ。守護妖精としては、主人であるそなたの今後が心配になってな。余計なお世話かもしれないが」

「カイルってば、普段はちっとも私の使い魔らしくないのに」

「言われてみれば、そうだな」


 カイルがひょうきんにも目をぐるりと回し、つられてシェリィが笑いながら手で軽く彼を小突こうとして、スカッと手が彼の体を通り抜け、二人は一瞬の沈黙の後にほぼ同時に笑い出した。

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