叔父とアンジーの来襲②〜最初の抵抗〜
本日3話投稿しています。
こちらは3話目になりますので、ご注意ください。
勝手に居間の席に着いたアンジーが、室内を見回して言う。
「話には聞いていたけれど、庭師小屋は本当に狭いのね。いくら部屋の改装が終わるまでとはいえ、私なら耐えきれないわ」
「狭いって、どの立場で言えるの? ここは貴女の父親が私に用意した家だけれど」という文句を、シェリィはなんとか呑み込んだ。
居間の隅にあるソファーに向かったバードが、口を開く。
「ご主人様。こちらの方が座り心地がよろしいはずです。ソファーにお座りください」
ご主人様、とバードに呼ばれて反射的にシェリィが反応してしまい、ソファーに向かって歩き始め、一歩進んだところでハッと立ち止まった。バードはシェリィではなくアンジーを見つめて彼女に向かって手を伸ばしている。
無意識に長年の癖で自分が呼びかけられたのかと勘違いしてしまったが、バードははっきりと新しい主人に話しかけていた。
過ちに気づいて立ち止まったシェリィのすぐ脇を、アンジーが蜂蜜色の長い髪を靡かせて通り過ぎる。
軽い足取りのアンジーがソファーに腰掛け、間髪容れずにバードが絶妙なタイミングでクッションを彼女の背と背もたれの間に差し込む。クッションに寄りかかったアンジーは、花がほころぶような笑顔を見せた。
「バードったら、本当によくできた使い魔だわ。私には勿体無いくらい」
「またそのような、ご謙遜を」
アンジーがくすくすと笑い、緩いウェーブのかかった自分の蜂蜜色の長い髪に指を絡ませ、毛先をもてあそぶ。アンジーは同意を求めるようにシェリィに視線を寄越した。
「バードって、人を持ち上げるのがとっても上手いわよね。彼が貴女の使い魔だった時は、彼にこんな一面があるなんてちっとも知らなかったわ」
「そうみたいね。私の守護妖精だった頃は、全然そんな感じじゃなかったもの。主人が変わると、妖精の人格が変わるのかしら」
正直にシェリィが答えると、公爵がガハハと大笑いをした。それを諌めるようにアンジーが可愛らしい咳払いをして、「お父様!」と呼びかける。
公爵が笑いを収めて静けさが戻り、アンジーが自分の長い髪を手櫛でとかしながら、思いついたように言う。
「あっ、でもバードの忠誠心が強すぎるところは、長所でもあり短所でもあるわね。バードったら守護妖精は常に主人のそばにいるべきだと考えているのよ。夜も妖精界に帰らないものだから、話を聞いたマティアス殿下が嫉妬なさって困っちゃうの。私を独り占めなさりたい殿下の焼き餅には、時々とても困らせられるわ」
言い終えてから頬を薄紅色に染め、アンジーが照れたように自分の頬を両手で触る。
「もちろん、殿下の焼き餅はすごく光栄だけれも……。殿下ったら、独占欲のお強い方なのね?」
一見なんの悪気も感じさせない天真爛漫さで同意を求められ、シェリィは砂を吐く気分で答えた。
「さぁ、どうかしら。私にはそんな一面はお見せにならなかったから」
「あらっ、そんなはずはないと思うけれど。変なことを言っていたらごめんなさい」
決まりが悪くなったアンジーがもぞもぞと足を動かし、絹の靴についている飾りのリボンが緩く解ける。目敏く気づいたバードが流れるような動きでソファーの前に膝をつき、アンジーの足を自分の片膝に乗せて、靴紐を結び始めた。
柔らかな声で「ありがとう」と礼を言うアンジーと彼女の前で屈むバードを、シェリィはぼんやりと見つめた。
シェリィの守護妖精だった時も、バードは彼女のブーツの紐を度々結んでくれた。
頭の中で「走らないで! 靴ひもが解けていますよ」と言う声が聞こえた気がした。
子供の頃、バードと買い物に出かけた時は、玩具やお菓子を売る店に早く入りたくて、馬車を降りるなり道を駆け出したものだった。そんな時バードは素早くシェリィに追いつき、シェリィをヒョイと抱え上げて靴紐を結んでくれた。
バードは蝶々結びがなかなか覚えられないシェリィのために、歌を歌いながら結んで見せてくれた。
『お耳の長いウサギさん、一羽が穴の中にクルッと入って出来上がり』とバードが低い声で優しく歌ってくれたのだ。
シェリィはバードの創ったその歌が好きだった。蝶々結びの仕方がわからなくなると、彼の歌を口ずさんで、紐をどうやって動かすのか思い出しながら結ぶのが、子供の頃の日常だった。
一般的には蝶々結びはまず一本の紐で輪っかを作るが、バードが教えてくれた方法はまず二本で輪っかを作り、それを結んでしまうという方法だった。
大きくなった今も、シェリィの結び方はバードの教えを守っている。
だがアンジーの靴の飾りを結びなおすバードを見て、シェリィは少し驚いた。バードは彼特有の結び方をしていない。ごく一般的な蝶々結びをしている。
シェリィはその一点だけでも、バードが自分との大切な思い出を守ってくれた気がした。
長居をするつもりのない公爵は、座り心地の悪い木の椅子の上で、はみ出ている尻の位置を直してから本題に入った。
「さて。話をマティアス皇太子殿下に戻そう。今日はだな、書類を持ってきたのだ。王太子殿下は真実の愛を貫きたい、と御所望でな。シェリィ、殿下とお前の婚約は18年前に決まったが、殿下は婚約を解消なさりたいと仰っている」
「私との婚約をやめて、代わりに殿下はアンジーと婚約なさるのですか?」
シェリィがズバリ問いかけると、公爵は重々しく頷いた。
「殿下はアンジーを一目見て、運命をお感じになったそうだ。私も一応、慎重にご判断頂くよう説得したのだが……、ご意志が固くてな。いや、お前にはすまないと思っている」
「国王陛下もお認めくださったの。ごめんなさい、シェリィ。貴女を困らせたいわけじゃないの。でもこれは、私に相応しい夫は誰かとか、王太子妃にふさわしい女性が誰かとか、適格さを求めた結果なのよ」
小首を傾けて眦を下げ、なぜか悲しげな表情を浮かべるアンジーに対し、シェリィは怒りを覚えた。
被害者はシェリィであるはずなのに、アンジーが被害者のような発言をするのは、納得いくものではない。
アンジーを無視し、硬い声で公爵に問う。
「それで、叔父様は私にどうしろと?」
「うむ。今日は婚約破棄をお前が承諾する署名をもらいにきたんだ。文書は王室と話し合ってこの通り、もう作成してあるのでな。お前はただ、ここに氏名を書くだけでいい」
胸ポケットから取り出した書類を開き、公爵が机の上をズイッと滑らせ、向かいに座るシェリィに差し出す。
一枚に収まる文書の末尾には四人分の氏名欄があり、そこには既に国王と王太子、そして公爵の指名が記入済みだった。
つまり、あとはシェリィが一筆入れれば、婚約はなかったことになるのだ。
書類を読み終えたシェリィの目の前に、インク瓶と羽ペンが置かれた。勝手知ったる家の中、居間の棚の中から取ってきて無言で机上に置いたのは、バードだ。
少し前まで使い魔だったバードからの「早くサインをしろ」との無言の要求に、シェリィが歯を食いしばる。
シェリィは書面を見下ろしたまま、動けなかった。
(嫌よ。こんなの、絶対にサインしたくない。私はこの人達の思い通りに動く都合の良いコマなんかじゃない……)
うんともすんとも言わないシェリィに痺れを切らしたのか、公爵が口を開く。
「ほら、早くしないか。私達は忙しい中、ここまでわざわざ来てやっているんだからな」
その直後、ドン! と大きな音が響いた。誰もいないはずの浴室からの突然の物音に、居間にいる皆がビクリと全身を震わせる。
「なっ、なんだ今のは?」と首をキョロキョロさせる公爵に、シェリィが慌てて答える。
「イタチです。最近、屋根裏に住み着いてしまって」
「まったく、元は庭園管理人用の建物だからな。これだからは庶民の家は、不潔で敵わん」
公爵が納得をしてくれた様子なので、シェリィは密かに胸を撫でおろした。
何しろ浴室にはカイルがいるのだ。シェリィは公爵達が帰るまでそこから出てこないよう、カイルにお願いしていた。
(いまの音って……カイルがわざと大きな音を立てたのかしら? 私の注意を引くために……)
カイルはもしかしたら、居間の会話を全て聞いているのかもしれない。そうしてカイルはおそらく先ほど、シェリィにこのまま大人しく署名をいれるような愚かな真似はするなと警告をしてくれたのだ。
シェリィは叔父やアンジー、王太子の理不尽な仕打ちを、ずっと一人で抱え込んできた。だが今は一人ではない。カイルがいる。
怒りや悲しみ、失望で固くなっていた頭の中が、急にほぐれていく。
シェリィには分かっていた。そう、これは孤独な戦いではなかった。
シェリィは同じ屋根の下で、カイルが自分を支えてくれている気がした。
カイルが魔獣を討伐するところは見たことがない。けれどシェリィは目を閉じれば、広陵とした山肌を登りながら剣を構えるカイルの姿を思い浮かべることができた。
膝の上に置いていた手をギュッと握りしめる。
カイルは湧き上がる恐れを抑え込み、剣を片手に魔獣と対峙したのだ。おそらくは、シェリィの父も。
その勇気に比べれば、今の自分に必要な勇気なんて大したことはない。ここからは見えなくても、すぐそばにカイルがいる。
(カイルの強さを、分けてもらうのよ。それに勇猛な軍人公爵だった父の名に恥じないようにしないと。――何より、私は王太子妃になるべく、努力してきたのよ)
その努力をガリ勉などと言われる筋合いはなかった。
生真面目などと、貶められることも。
マティアスは離れ、王太子妃の地位は消えた。だがシェリィが自分で得た知識と努力をした事実だけは、消えない。誰にも奪われないし、永遠に彼女のものだ。
(だから、自信を持つのよ。顔を上げて、胸を張って。守護妖精が、私を誇りに思えるくらいに)
カイルを意識することで、シェリィは己を奮い立たせた。目の前の悪に立ち向かう勇気を持て、とカイルが背中を押してくれている気がするのだ。
シェリィは書類から視線を上げ、キッと公爵を睨み上げた。
「婚約破棄には慰謝料がつきものです。なのになぜ、この書類にはそのことが書かれていないのですか?」
「あたりまえだ。お前は皇室から金をふんだくろうとしているのか? 不敬すぎるぞ」
シェリィから家やそれまで持っていたほとんど全てのものを奪ったのは彼女の叔父だ。一体どんな立場から叔父は今、自分を責めることができるのか、とシェリィは腑が煮えくりかえる思いだった。
だがシェリィは今ここで感情的になってはいけないこともわかっていた。少なくとも、今はその時ではない。
シェリィはまっすぐに伯父の瞳を捉えた。
「ふんだくるだなんて、とんでもない。ですが王室は今回の不義理な理由による婚約破棄について、金銭的な償いをする必要があります。これは私が被った被害に対する、正当な権利です」
ソファーで胸元の大粒のダイヤモンドのネックレスをいじっていたアンジーが、シェリィを宥めるように口を挟む。
「なんてことを言うの、シェリィ。貴女はマティアス殿下を愛していたんじゃないの? 彼を困らせるようなことは、するべきじゃないわ。それとも、王室に嫁ぐ私に恥をかかせるつもりなの?」
シェリィは思わず自分のこめかみを押さえた。
なるべく落ち着いて話し合いをしたいと思っても、アンジーの極端に自己愛の強い思考のせいで、筋道が逸れて仕方がない。
シェリィはならば、と叔父に向かって口を開く。
「王室に支払わせたくないのなら、叔父様が肩代わりなさるべきです」
「なんだと⁉︎」
「イタチが出る家に姪を追い出したのは叔父様ですし、私から婚約者を奪った猫も叔父様のご令嬢ですから」
言い切ったシェリィの心臓はバクバクしていたし、大胆な発言のせいで手のひらは汗でビショビショだ。でもどうしても言ってやりたかったし、弱気なところを見せたくなくて、彼女は顔を上げ続けた。
これ以上、誰にも自分を舐められたくはなかった。




