修行再開
「ここじゃよ」
ゴン爺が疾斗を連れて来たのは小屋から5分の林だった。
「ここで何を…?」
「負けぬためには戦わぬこと、とワシは言ったのう?」
この問いに、「はい」と頷く疾斗。
「ではこれからそれを見せるとしよう」
言うが早いか2人の目の前に赤い熊のような体長6メートルほどの生き物が現れた。
そしてそれはのっそのっそと近付いてくる。
はたしてゴン爺はどうするのかとそちらを見てみると、彼は直立不動で構えている。
「あの、ゴン爺さん…?」
全く動かないゴン爺を心配して疾斗がゴン爺の背中の向こう側を覗いたその時だった。
「グゥオォォォォァ!」
もの凄い雄叫びと共に襲いかかってくる熊。
「うわッ!?」と慌てて飛び退いた疾斗がゴン爺の無事を確認しようと顔を上げると、彼は相変わらず同じ場所で、同じ格好で立っていた。
そうして大熊はというと、ゴン爺には目もくれず疾斗しか眼中にないようだ。ギラギラと牙が覗く口からは唾液が滴っている。
「ははっ、そうゆうことか…」
疾斗は察した。
ゴン爺が言っていた『絶対に負けない方法は戦わないこと』という言葉の意味を。
具体的な方法はさっぱりだが、ゴン爺は不動でいることによって大熊と戦わないで済んでいるようなのだ。
「でも、」と疾斗。
「俺はどうするんだよーッ!」
追いかけてくる大熊を間一髪でかわすも、またしばらくすると突進攻撃が来る。
体力が尽きかけたその時。
「おぬしには札があるじゃろう!」という喝が響いた。
そしてこれを聞いた瞬間、なぜ自分は今まで使わなかったのだろうと疑問に思いながら札を掲げる疾斗。
まっすぐ上に伸びた右手には疾走符が握られていた。
たちまち周囲が瑠璃色の光に包まれる。
「よし、ここからが本番だ!」
そう叫ぶなり疾斗は大熊の背後に回り込み、蹴りを膝裏に叩き込もうとした。
が、しかし。
疾斗の攻撃が当たるよりも早く上空に飛び上がる大熊。
「そんなんアリかよ!?」
驚いている間にも大熊は落下し続け、疾斗が気付いた時には彼の頭めがけて両の拳を振り下ろしていた。
「が、頑強符ッ!」
ドゴォォォォッ
まさに間一髪。疾斗の身体は大熊の攻撃によって地面にクレーターを作りながら沈んでいった。
「あっぶねぇぇぇ」と穴から顔を出す疾斗。しかし眼前にはすでに大熊の平手が迫っていた。
バチィィィン
10メートルは飛んだであろう疾斗の身体は土煙を巻き上げながら地面に崩れた。
あまりの痛みに、「ゴン爺さん、ヤバいです…」と漏らしてしまう疾斗。
そんな彼にゴン爺は、「治療ならあとでいくらでもしてやろう。じゃが今は己が力でそやつを倒すのじゃ!」と激を飛ばす。
これを聞いて、自分は今試されているのだという自覚が芽生えた途端、疾斗の中にあった負の感情が消え、代わりに勇気や高揚感といったものが膨らみ始めた。
「おい、クマ!」
疾斗が大熊に呼びかける。
「悪いが修行に付き合ってもらうぞ!」
意味を分かっているのかいないのか、低い声で唸る大熊に向けて疾斗が走り出し、疾走符を掲げた。
そうしてたちまち凄まじい速度で大熊の懐に潜り込んだ疾斗は疾走符を解除して結束符に切り替え、目の前の土手っ腹に右手を突き立てる。
「これで準備はオーケーだ」
そう言うと彼は再び疾走符を掲げて後方20メートルまでひとっ飛びに飛び退いた。
さて、ここでひとつ確認したいのは結束符の効果である。覚えているだろうか。
まず結束符が宿った右手で物体に触り、さらに別の物体に触ると2つの物体間に結束が生まれて引き合う、というものだった。
そして今疾斗は大熊に触れた。次は別の何かに触れれば大熊は身動きが取れなくなるはずだ。
そう、そのはずだった。
しかし疾斗が何かに触れる前に彼の体は宙を舞った。大熊が20メートルの距離を一瞬で詰め、彼を平手打ちにしたのだ。
おまけに今の疾斗は頑強符を使っていない。説明するに、生身で車に弾かれた感覚。ともかく骨は確実に折れている。
「死ぬな、これ…」
言いながらも立ち上がった疾斗は、「試してみるか」と懐から『風斬』の札を取り出した。
「前にフィーナが、俺が闇の方になってる時に何百っていう剣を降らしてたって言ったんだよな」
そこから風斬はただ剣に変わるだけの札ではないかもしれないという考えに至ったという疾斗。
では、いったいどんな効果なのか。
「物は試し…。『風斬・輪』ッ!」
天に向かって伸ばした人差し指には純白の戦輪が回っていた。




