腕の行方→希望
「や、やぁ起きてくれたようでよかった……よ」
しばらくして口を開いた霧原は、そう言って話題を逸らそうとしてきた。
確実に。
話し方からして明らかに焦りが見えていたし。
最初からつまずいているし震えている。
そして何よりも、顔が真っ赤だ。
普段の霧原なら「起きたのね、じゃ私はこの辺でさよならするね」とか言ってどっかに行ってしまうんだろうが、そんな様子もない。
きっと今、人生最高レベルに焦っているな。
──もちろん俺だって相当焦ってるし、なによりトイレに行きたい。
しかし、霧原を弄れる機会なんてそう多くない、一回一回が大事なのだ。
というわけで早速、弄り倒していこうと思う。
「まぁな。で、それはさておきなんで霧原は俺の上で寝ていたんだ?」
「さておくの!? ええとーそそそれはですね、なんというか、うーん疲労になるのかな?」
「疲労? なんだそれ。疲れたら自分の布団の上で寝ればいいんじゃないのか」
「うーんと、いい言葉がでてこないなぁ……あ、看病だ!」
「看病?」
「そう、看病!」
と、声高に言う彼女の瞳は晴れやかだ。
つまり本当に、看病をしていたということになる。
「あー」
──まったく、俺はなんて愚かな奴なんだろうか。
あんなに助けてもらった挙げ句、疲れて寝てしまうまで看病してくれた相手をいじってしまうなんて。
そう考えると、感謝の言葉は意外とするっと出てきた。
「ありがと」
「いえいえ、当然のことをやったまでだよ。ほら、そこの包帯とか私が巻いたの」
「へーなかなかうまいも……」
あの時同様の冷や汗がだらりと垂れた。
心臓が跳ね上がる。
すーっと、全身の血液が冷たく凍る。
霧原が指さしたのは、俺の左腕。
俺は『それ』に言葉を失った。
「どうしたの? そんな怖い顔して」
「どうしたのじゃねぇよ! だって、だって俺の左腕が──」
──俺の左腕の下半分がすっぱり綺麗になくなっているのだから。
「もーそんなに暴れないでよ、ほらちゃんと包帯巻いてるし血だって出てないでしょ?」
霧原は、至って冷静にそう言って俺の左腕に触れてくるが、俺はなぜそんな冷静でいられるのかが理解できなかった。
包帯を巻いている? だからなんだ。
それがあるからなんだというのか、無くなった腕が戻るとでも思っているのか。
体のどこからか、矛先のわからない怒りが湧き上がる。
「そう言うことじゃねぇよ、腕が、腕がっ、なくなってるんだぞ!」
「だから! 私がいるから大丈夫なんだってば!」
「大丈夫とか、大丈夫じゃないとかの話じゃねぇだろ! 事はもう起きてんだから!」
「──」
俺はまるで子供の様に泣き叫ぶだけ叫んで、霧原を黙らせた。
──最低だ。
少しの間の静寂が終わると、きっとすごい顔だったのだろう、霧原は制服スカートのポケットからハンカチを出し、俺に渡してきた。
「涙ぐらい拭いたら?」
黙って受け取り、ハンカチを顔に擦り付ける。
ふわりと甘い洗剤の香りが俺の鼻孔を優しくつつき、今まで荒れていた心を落ち着かせた。
それから少し間を開け、俺はそっぽを向いていた霧原に話しかける。
「なぁ霧原、俺の左腕ってどうなったんだ」
「マリスに溶かされて、消えたわ」
それはあっけなく、簡単に俺の心に突き刺された。
「……そうか」
別に腕が戻ってくるなんて思ってなかったし、今ここに千切られた方の腕が出てきてもらっても困るが、正直悲しい。
幸い(?)俺の利き手は右手だったから文字を書いたり、ご飯を食べたりするときにはそこまで支障は来さないと思うが、しかし普通に不便だろう。
キーボードを打つ時だって片手だとスピードが落ちるし、走る時だって体のバランスがとりずらくなるだろうし、今まであったものがなくなるのはどうにも分が悪い。
そんなこんなで俺が黙っていると、
──真っ黒な青年が扉をスライドさせて部屋に入ってきた。
「話は聞かせてもらった。さあそこの少年! 君の左腕を元通りにしてやろうじゃないか!」
とても、変な事を言いながら。