終焉の始まり
これで何体目だよ。
生きるのも大変だよなぁ……。
俺は転がる化け物の死体を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「ふー……」
白い煙が、崩れた街の空へ溶けていく。
静寂は、長く続かなかった。
「ア゛ア゛ア゛……」
「ガルルゥ……」
暗闇の向こうから、複数の唸り声が響く。
「……はぁ。一息つく暇も与えてくれないのかよ」
吸いかけのタバコを地面に落とし、靴で踏み消す。
そして化け物に突き刺していた黒い刀を手に取った。
冷たい感触が掌に伝わる。
「さてと……経験値稼ぎ、しますか」
俺は迫り来る影へと歩き出した。
――数ヶ月前に遡る。
俺の名前は北条海斗。
24歳、どこにでもいる会社員だ。
特別な才能もなければ、特別な夢もない。ただ毎日を消費するだけの、ありふれた人生。
大学を卒業して入社した会社は、いわゆるブラック企業だった。
朝は早く、夜は遅い。上司の機嫌に振り回され、終わりの見えない業務に追われる。
気づけば、会社と自宅を往復するだけの毎日になっていた。
そんな灰色の生活の中で、唯一の楽しみがある。
スマホで読む小説――『ある日の異世界転生で』だ。
王道の異世界転生もの。
冴えない主人公が事故をきっかけに異世界へ転生し、圧倒的な力を手に入れる。
仲間と出会い、強敵を倒し、そして最後にはヒロインと結ばれる。
ありきたりな物語。
けれど、だからこそ羨ましかった。
「あー……俺も異世界転生とかしてぇなぁ」
仕事帰りの夜道を歩きながら、思わず空を見上げる。
「んで、可愛いヒロインと恋をしたぃぃぃ!!」
もちろん、そんなことが起きるはずもない。
わかっている。わかってはいるけれど――夢くらい見てもいいだろう。
「……まぁ、無理か」
小さくため息を吐き、肩を落とす。
「とりあえずコンビニで弁当でも買って帰るか」
俺はいつも通り、明かりの灯るコンビニへと足を向けた。
コンビニの自動ドアを抜けると、夜の空気がひんやりと肌を撫でた。
背後で店員の声がする。
「ありがとうございましたー」
俺は軽く会釈だけして、袋を片手に歩き出す。
中身はいつもと同じ弁当と、タバコ。代わり映えのしない、毎日お馴染みの組み合わせだ。
家へ向かう途中、赤信号に捕まる。
ぼんやりと点滅する歩行者用信号を眺めながら、ため息をついた。
やがて信号が青に変わる。
俺はゆっくりと歩き出した。
「はぁ……こんな毎日がずっと続くのかなぁ」
何気なく呟いた、その瞬間だった。
視界の端から、強烈なライトが迫ってくる。
反射的に顔を上げると――トラックが凄まじい勢いでこちらへ突っ込んできていた。
「え、これ……異世界転生あるあるのやつじゃん!?」
頭の中に、さっき読んでいた小説の展開がよぎる。
咄嗟に目を閉じた。
「うっ……!」
衝撃を覚悟して、体に力を入れる。
けれど――
……何も起こらない。
「ブーーーッ!!」
大きなクラクションの音に、思わず目を開けた。
トラックは目の前で止まっていた。運転手が窓から顔を出し、怒鳴っていて、信号は赤に変わっていた。
「あ、普通に止まったのか……」
気まずさを感じながら、俺は小走りで横断歩道を渡った。
それから数分後、自宅に到着。
靴を脱ぎ、部屋の明かりをつけ、弁当を開ける。
特に味わうこともなく食べ終え、タバコに火をつけた。
煙をゆっくりと吐き出す。
「ふー……」
静かな部屋に、煙だけが漂う。
「あーあ、あの状況普通、俺引かれて異世界転生するよね……」
苦笑いしながら呟く。
「まぁ、んな事現実だとあるわけないか。人はきっと、死んだらただ無になるだけだよな……」
自分で言っていて、少し虚しくなる。
「……こんな事考えず、さっさと寝るか」
タバコを灰皿に押し付け、ベッドに倒れ込む。
疲れた体はすぐに眠りへと落ちていった。
――どれくらい経っただろうか。
ドカン!!
凄まじい爆音が、部屋中に響いた。
「ん……なに!? 地震!?」
飛び起きる。
窓の外が赤く染まっているのが見えた。
慌ててカーテンを開ける。
そして、俺は言葉を失った。
目の前に広がっていたのは――燃え盛る家々。
夜空を焦がす炎。立ち上る黒煙。
そして、その周りを徘徊しているのは――
人ではない、何か。
異形の化け物たちだった。
そのとき、玄関の方から物音がした。
――ガン、ガン、ガン。
扉を叩く重い音。
規則的で、明らかに人間のものではない。
「なんだ……まさか、あの化け物達が上がってきたのか……?」
心臓が一気に早鐘を打つ。
だが、いざ現実でこんな状況に置かれると、小説や漫画の主人公みたいに扉へ近づくなんて、とてもじゃないができない。
俺は後ずさりし、キッチンにあったナイフを掴んだ。
震える手でそれを構え、扉から距離を取る。
――ガン、ガン。
そして、音が止まった。
「……どっか行った?」
小さく呟く。
肩の力が少し抜けた、その瞬間だった。
バキ……バキ……バキバキバキバキッ――!!
ドカン!!
扉が内側へ吹き飛んだ。
「くそ、マジかよ……!」
壊れた扉の向こうから、異形の化け物が姿を現す。
狼に似た体躯。だが毛並みは不自然なオレンジ色に染まり、全長は二メートル近くはある。
鋭い牙がむき出しになり、低い唸り声を上げていた。
「は、はは……これ、死ぬな」
足が動かない。
声も出ない。
ただ、震える腕でナイフを前に突き出すことしかできなかった。
「ガルルゥ……」
オレンジ色の狼は唸りながらも、すぐには襲ってこない。
こちらの様子を観察しているようだった。
(なんだ……襲ってこない?)
そう思った瞬間。
「ガァァァ!!」
咆哮と同時に、狼が突進してきた。
「くそっ!」
咄嗟にナイフを投げる。
刃は確かに狼の体に当たった。だが――傷ひとつつかない。
突進を間一髪で避けると、狼はそのまま部屋の壁に激突した。
衝撃で壁がひび割れる。
(逃げないと……!)
そう思った瞬間、
「ガルゥゥ!!」
再び突進。
今度は避けきれなかった。
体が宙に浮き、そのままクローゼットへ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
痛い。
痛い痛い痛い痛い。
呼吸が乱れる。
視界が揺れる。
もう嫌だ。
嫌だ……嫌だ……。
そのとき――
カタッ。
手に何かが触れた。
視線を落とす。
それは黒い刀だった。
以前、衝動買いした模造刀。
小説『ある日の異世界転生で』の主人公が使っていた――黒刀《淵》。
買ったまま、クローゼットにしまいっぱなしだった物だ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ずっと願っていたこと。
異世界転生して、化け物を倒して、最強になって、可愛いヒロインと結ばれる。
でもここは異世界なんかじゃない。
現実だ。
……いや、そんなこと今はどうだっていい。
生きる。
ただ生きる。
目の前のコイツを殺して――俺が生きるんだ。
模造刀を強く握る。
狼が低く唸る。
「……来いよ、化け物が」
「ガァァァ!!」
狼が飛びかかる。
俺はクローゼットの中の服を掴み、狼へ投げつけた。
視界が遮られる一瞬。
「うぉぁぁぁ!!」
そのまま前へ踏み込み、模造刀を狼の顔面へ突き刺す。
手応え。
狼が倒れ込む。
だが、俺は止まらなかった。
何度も。
何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も。
何度も――!!
刀を突き立てる。
やがて狼は動かなくなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
手には、狼の黒い血と、俺自身の赤い血が混じっていた。
俺は今、生きるために――殺した。
散らばった部屋の中からタバコを見つける。
壊れた椅子に腰を下ろし、火をつけた。
煙を吸い込み、ゆっくり吐き出す。
「……俺はこれから、この世界で生きていくんだ」
ふぅ、と白い煙が漂う。
燃える街の赤い光が、部屋を染めていた。
そう思いながら、俺は静かに目を閉じた。
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