ep.690 現実派と……妄想派
2026年4月15日
●妄想と現実は……裏表
言い換えると、理想と現実。成りたい自分を想像するのだ、やはり……そこは妄想の世界でしかない。
物語とは、己が作話の中で跳んで跳ねる姿を思い浮かべて文字に列ねる。別な言い方だと……書き殴る。日記とは違う世界は己を勇気づけるものか、だからスイカズラは文字の世界だけは強くなれる。
日記……現実を捉えようと苦悶する姿は実に滑稽な姿だろう。これが現実なんだと……諦めるしかない。だが物語とは、そんな卑屈な現実とは大きくかけ離れた世界なのだから、恥ずかしいなんて言ってはおれない。スイカズラの頭脳は赤裸々の想い出を書き出してしまっている。
多くの生徒たちが集まる体育館の壇上から、スカート姿の女の子が飛び降りる。勿論、白いなにがしがハッキリと目撃されるわけだが、己はそれを「想像する」しか方法はない。見る事は出来ないのだから。いや実は、中学の一年生の時に見た……彼女も俺に見せたかったのだろう、居るにも拘わらず飛び降りるのだから。遠目に見ても感極まる年頃でもなかったみたいだ。
俺は……知っていた。クラスの中でスカートのホックを外した女の子が座っていた。それが……勢いよく立ち上がれば一人の男の子の目の前だった。俺は見ていないが、急に男の子が大声で笑うものだから、女の子は顔を赤くして机に蹲る。教えてやれない俺は……ウブなのか?
男の子が主人公ならば……なんら……絵にならない。だからスイカズラの主人公は女の子と決まっている。男が主人公となるモノを考えて書いたら、ダサいと言うしかない。……これが現実なんだと思い知らされた。
田舎育ちに「都会的な風景」は描けない、だってなにも知らないんだし。そこは他人に任せておけばいいのである。亜衣音……東京が舞台だよな、だから先が進まないのよね。
いい歳こいたおっさんが、中学生・高校生の女の子を描くなんて不可能に近いが、でも何でも在りの世界では、やはり可愛い女の子の姿を描くことが出来そうだ。
駄犬に飼い主が似るように……母娘は性格が似てしまうものか。母親と大きくなった娘の性格は見て解るように、似ても似つかないものだから、そこは面白いと思うが、文字にするのはとても難しい。
とある朝の風景……国道を横断したい母娘がいた。俺は車を止めて横断を促すも、娘は堂々と横断する? 母親は遠慮してモジモジ……横断するまでに少し時間がかかっていた。渡りきった娘が母に手を振りながら横断を促している。
「あれが親子の違いだね……。」
「なるほどね。」
横に乗る義兄が返事をする。
歳をとれば道路の横断も難しいこの頃は走って渡れないぞ。今度は俺が道ばたに立てば……横断を譲られるようになった。
昨日は九時から十九時まで、連続して動いて仕事をした。自分ながらに感心するも、日頃はなにもしない俺に……感心しない。それだけ雨降りの日が多かった訳である。福岡市の水瓶は雨水で満たされることはないはず、まだまだ雨量は足りていないだろう。
もうすぐ近所でも田植えが始まるな、水不足であっても田んぼの為にダムの水を放流せねばならないのが法律。
まだ七時……もう七時か。ささ、今日も今から動き出すとしようか。




