第三十九話 冷たさと温かさと
「よう、氷藤。ここにいたか」
白い扉の先、森の中。昨日俺達が焚火を囲んだ場所に氷藤は佇んでいた。
話は、少し前に終わった。その内容をこいつに伝えるために、俺と東悟は森の中を探し回っていた。
「……何の用かな? 二人とも」
「さっき皆で話し合った事を伝えに来たんだ。……明日、試練に挑むぞ」
それに対する氷藤の反応は薄い。
「そうか」とだけ呟いて、また目を伏せる。
背中を丸めて、黙って弱々しく座っている姿は『孤独』の二文字を想起させた。
「おい、氷藤。てめえ……何を黙ってやがる?」
「個人的な事だ。君には関係ない」
苛ついた東悟が迫るが、やはり氷藤は何も言うつもりはないようだ。
氷のような冷たい目で、俺達を一瞥して、また自分の世界へと閉じこもった。
以前から、感じていたことがある。俺達は試練を進むにつれ、その絆を深め合ってきた。
矢島さん、東悟、白川さん、野田。そいつらとはこの場所で心の距離を近しいものにしてきた。
だが、この男……氷藤はその逆。試練が進むにつれ、徐々に俺達から離れていく感覚がある。
「氷藤……お前は……」
「君の話は、聞かないよ。……ああ、悪かった」
氷藤がこちらを向き、そう言って立ち上がり、俺達の横をすり抜けていく。その時の氷藤の横顔を隠すかのように葉がひらり、俺の目の前を落ちていった。
「試練の話だったね。皆の所へ行こう」
突然の変化。先程までは俺達を拒絶するように接していた氷藤が、態度を変えて協力的になった。
その変化の理由を、俺も東悟も掴み損ねていた。
「高崎君、氷藤君は……っと、見つかったんだね」
矢島さんが、扉の前で氷藤を連れた俺達の姿を確認して笑みを浮かべる。
道中、氷藤は俺と東悟に話し合いで決まった事は何かと積極的に尋ねてきた。俺達はやはりその変化に戸惑ったが、なんとか全て答え終えて扉の前まで辿り着いた。
決まった事、とは言っても、野田が東悟と白川さんと共に前衛を務める、ということくらいだった。後は、細かい意思確認や、どんな魔法が使えるか、お互いに確認し合った。
「そうか……野田君が」
氷藤も、数時間前まで沈んでいた野田が強く意思表示をした事に驚いていた。
今も、扉の隙間から見えた野田は以前ほどではないにせよ、明るい顔をして白川さんと話をしていた。
「……」
だから、なおさらこいつの事が心配になる。
野田は、堀口の死から立ち直りつつある。でも、こいつはその内に抱えている何かを明かそうとしない。
なぜ、話してくれないのか。どうして、話そうとしないのか。こいつは俺達を信頼していないんじゃないかと疑ってしまう。
「いや、駄目だ……」
そう考えたが、すぐに否定する。
信頼が無い。そんなことはあり得ない。俺達は多くの時間を共に過ごし、死線を乗り越えた。こいつも、きっと俺達を信じてくれている筈だ。
いつもなら、その考えに絶対の自信が持てた。
けれど、氷藤に対してはそれが揺らいでいた。
「高崎君?」
「正真。白川が呼んでるぞ」
「……え? あ、ああ」
氷藤の事に集中していて、東悟が言うまで白川さんが俺を手招きしていたことに気が付かなかった。
「どうしたのかしら? ボーッとして」
「いや、ちょっと考え事をしていて……」
「あら、私を無視して考え事? ……まあ、いいわ。それでね。今、野田君と話していたことなんだけれど……」
彼女の仕草に、俺がすぐに反応しなかった事に不満げな顔をしながら、白川さんは話を切り出した。
「もし二つのグループに分かれる必要がある時、片方は白川、もう片方はお前に指示を出してもらいたいって思ってな」
「……俺が? 何で?」
「理由が必要? あなた副リーダーでしょ?」
「いや……それだけじゃなくってさ。お前なら、任せられると思ってさ。ほら、結構お前、周り見えてんじゃん」
以前東悟に言われた事とは逆の評価だった。
……周りが見えている? いや、俺はまだ……
「何か言いたげだけど、皆賛成しているからそのつもりで」
「は!? そうなのか!?」
「まあ、俺は勿論、浅尾や矢島さん、江藤さんもそうだぞ」
「私もね。久木原君と氷藤君はどうかしら?」
「俺は構わねえよ。正真だったら動きやすいしな」
「そうだね。特に問題ないんじゃないかな」
俺が知らない場所で、勝手に重大な事が決められていた。
いやいや、待て待て。俺はそんな指示なんか出せないぞ。戦闘時なんて持っての他だ。そう抗議しようとした俺に、白川さんが耳元でこう囁いた。
「あら? あなた……私に一人で悩むなとか、信頼がどうとか言ってたのに、またそこから逃げるのかしら? ……とんだ甘ちゃんね」
言葉も出なかった。いや、というより、封殺された。
あの一件を、どうやらまだ根に持っているらしい。
つくづく、責任から逃れたがる自分に嫌気がさす。人に散々言っておいて、自分は何の責任も負わないなどあり得ない。あの時、そう考えた筈だったのに、いつの間にか忘れてしまっていた。
俺は全員の顔を見る。ああ。そうだ皆俺を信じてくれている。俺に期待してくれている。こんな何もない、形だけの俺を。ああ、それだけで十分じゃないか。
命を背負う……いや、もうそう考えるのは無しだ。
こいつらと、生き抜く。外に出る。そのための役割が、俺に回ってきた。
単純に考えよう。シンプルが、一番いい。
「……分かった。任せてくれ」
皆、その言葉に満足してくれていた。




