第二十六話 緩んだ空気
夜が過ぎ、朝になる。それを忘れてしまうほど、此処の時間の流れは不明確。
スマホのバッテリーを見ると、それはいよいよ底をつき、明日にでも俺達は時間が分からなくなってしまうだろう。
俺は、体を起こし、背中の痛みを我慢して青い扉の先へと向かう。うっすらと空が白んだ平原を進み、俺はそこに流れる川の水で顔を洗う。この川は、氷藤が俺達と魔法の練習をした後に発見した場所だ。喉の渇きを訴えていた俺達は、この川のおかげで生きながらえることが出来た。
すると、こんな朝早くに、この川に来る女の足音が聞こえてきた。
「あら、おはよう。早いわね」
「……ああ、おはよう。白川さん」
彼女も俺と同じように顔を洗い、水を口に含む。
制服の袖で顔を拭いた俺達は、今日の話を始める。
「それで? 覚悟はできたかしら? 高崎君」
「……ああ。今更、文句は言わない」
「そう、……私を、恨んでいるかしら?」
彼女は、手で川の水を掬いながら、俺に尋ねる。
「……いや、そんなことはない。だけど、少し疑っている。君が本当に俺の事を信頼しているのか」
「ふふ……。そうね。けど、大丈夫。ちゃんとあなたの事は信じているわ」
副リーダーだものね。そう付け加えて、彼女は手を川から引き上げる。飛び散った水が、水面にいくつもの波紋を形作った。
「ええ。ちゃんと信じてますとも。あなたも、皆の事もね」
「分かった。……だったら俺も、君を全力で信じるよ。だけど、昨日みたいに勝手に試練に挑もうなんて言うのは、もうやめてくれ」
「……それについては、ちゃんと反省しているわ。ごめんなさい」
昨日の態度が嘘のように、しおらしく彼女は俺に頭を下げた。
「頭を上げてくれ。……もう、怒っていないから」
「そう、ありがとう。そう言ってくれると思っていたわ」
白川さんは、学校では優等生で通っていた。何事にも動じず、おしとやかな少女といった感じだった。今目の前にいる彼女は、そんな姿とは似ても似つかない。とても身勝手で、横暴といった感じだ。けれど不思議と、こちらの方が俺は彼女とすんなりと話すことが出来ていた。
「じゃあ、戻りましょ。皆そろそろ起きて来るわ」
俺達は、一緒に部屋まで歩いた。道中、お互いに一言も喋らなかったが、歩幅だけは、なぜか一致していた。
「おいおい……」
「マジかよ……」
草原に寝そべり、俺達を見ていた二人に気付かないままに。
朝食を他の男子たちと一緒に食べている時、俺は食後に森の中で魔法を試そうと考えていた。しかし、さっきからちらちらと俺の事を見てくる三原と浅尾の事が気になって仕方が無かった。
「おい……なんだよ、お前ら」
「い……いや、その……」
「た……高崎は、さ……」
何か言いたげにもじもじとする二人。
だが、その直後二人の口から出てきた言葉に、俺は口の中のモノを思わず吹き出してしまうほどの衝撃に見舞われた。
「「白川さんと、付き合ってるのか!?」」
「ブフッ!?」
……こいつらは、何を言っている? なんで俺が彼女と付き合っている事になってるんだ? そういおうとするが、咳き込んでしまい、上手く話せない。さらに運の悪いことに、その場にいた他の男子にもそれが聞こえてしまったらしい。
「へえ……」
「正真……! ついに女が……!?」
「マジかよ! あの白川さんと!?」
「おいおい、いつからだよ!?」
その後、俺は野郎どもからの質問攻めに遭った。
しかし、当然そんな事実はない。だから、俺は素直に全てを話した。白川さんとは、今後の方針の事で話し合っていただけだ。他意は無い。
俺としては、これで皆納得してくれると思っていた。だが、返ってきた反応は、俺の予想とは全く違うものだった。
「全く……面白くない……」
「正真……。そこは、事実であってほしかったぜ……」
「しらけるよな」
「つーか、普通に話せているじゃねえか。死ねよ」
「待て皆! 俺は見たぞ! 高崎が森の中で白川さんと顔を近づけていたのを!」
「なんだと!? まさか、キスを……」
「おい、それ本当なのか!? 正真! お前、付き合ってもいない女と……!?」
なんなんだ!? こいつら!? なんでそういうことになる!?
「おい、全部違う!! お前ら、俺の話を聞け!」
結局、予定が大幅に遅れてしまった。
「それで、なんで私をそんな親の仇のように見ているの? 高崎君」
時刻は、もうすぐ正午。俺達は、赤い扉の前に集まっていた。だが、戦いの前に俺は既に手痛い精神ダメージを負っていた。……主に、あいつらのせいで。
その原因の一端はあなたの行動のせいですよとは、とても言えなかったが。
矢島さんが、視界の端で氷藤に何かあったのかを尋ねている。けれど、氷藤は涼しい顔で何もないとだけ答えて俺を見る。心なしか、男子全員が少し笑っているように見えた。
「……いや、何でもない」
「そう。なら、切り替えて。此処からは、本気の殺し合いよ」
白川さんのその一言で、緩んでいた空気が一気に張り詰める。そうだ。この先には、俺達を殺そうとする敵がいる。もう、遊びではいられない。
頬を叩き、気合を入れる。パチンという音が周囲に広がる。
〈第三の試練〉が今、始まった。