Ⅱ
SALVADOR外伝Ⅰの続きです。
ランバートとガルナは、都から来る師範の指導の元、剣の稽古をするようになった。剣の稽古とは言っても、それは貴族教育の中に含まれている程度の技術であり、護身用のものである。ひたすら木刀を振って、師範から教わった指導通りにこなし、地味な模擬試合をする。ランバートは今までその単調な稽古を熟練の師範としかやってこなかったがために、自分よりも木刀を握った時間の短いガルナと打ち合うのが楽しみで仕方なかった。
熟練の師範は当然強く、毎日熱心に練習をしているわけでもないランバートでは到底敵う相手ではない。
しかし自分より経験の浅いガルナであれば勝機がある。いつも師範に負けた時のようなあの惨めな気持ちにはならずに、優越感に浸れるのではないか、そう信じて疑わなかった。
ランバートとガルナが、師範の合図の後、さっと構える。ガルナは基礎は一通り教わったが、模擬試合は初めてだった。木刀を構えるのがランバートよりも一拍遅い。それだけでも、ランバートは心の中で余裕の笑みを浮かべた。
いつまでもガルナは攻撃してこようとしないので、ランバートは先にガルナに攻撃を仕掛けようとする。ガルナはすぐにそれを受け止める。軸にちゃんと力を入れてあるのか、押しても後ろに下がらず、とても安定感がある受け止めだった。ランバートは、一度下がり、相手との間合いを取る。
集中しようとしていたが、一回の攻撃を受け止められた時、びくともしなかったことが意外で、ランバートは少し油断をする。その隙をガルナは逃さず、ランバートに向かって勢いよく木刀を振り上げる。
間一髪でその攻撃を受け止めたが、重さに耐えきれず、ランバートは後ろへと押されてしまう。彼の小さな見た目からは考えられないほど力強く、緩まる気配が無い。
ランバートがいよいよその力強い押しを抑えることだけしか考えられなくなった頃、そのことにガルナも気付いたようで、押し続けた力を突然緩ませた。バランスを崩したランバートは、転びそうになったが、何とか立ち続ける。――しかし、それによりガルナへの意識が途切れる。
ガルナは、油断をしたランバートの首元に木刀をあてがう。たかが木刀であるが、彼の容赦のない太刀筋に、背筋が凍る思いがした。ただ首を斬られそうになっているからの恐怖だけではない、こいつを絶対に殺してやる、というような――たとえそうは思っていないとしても、木刀の持ち主の圧力までが感じられてくる。
「そこまで。ガルナの勝ちだな」
師範の合図でガルナはランバートの首にあてていた木刀をおさめる。ランバートはガルナに一本取られた悔しさや、恐怖で、腰が抜けてしまい、力なく地面に座り込む。
「そ、そんな」
この結果にはガルナも少し驚いているようで、呆気にとられた様子でこちらを見つめていた。その目からは、こんなに弱いとは思わなかった、とも言いたげに感じられた。
「この屋敷を守るのはガルナだな」
師範はガルナの頭を撫でながら、豪快に笑う。
ランバートは少し悔しい気持ちになったが、同時にガルナが初めて頼もしく感じられる出来事であった。
このように、ランバートとガルナは同じ教育を家庭教師から受けるようになった。
ガルナは記憶することは得意だが、理論的なことへの理解度はあまり良くない。常にランバートは勉強の面ではガルナの上を保っていたが、それによって優越感を抱くことはなかった。具体的な理由はわからなかったが、とにかく勉強なんかで勝てても何も楽しいわけでもない。
本を読めるようになったガルナは地下の書庫にこもることが多かった。そこまで難しい本は好んで読まないが、多くの本を読んでいる。地下の書庫は処分しようとしている本や、もう読まれなくなった古本ばかりが置いてある場所なので、管理があまい。埃やカビ臭さが酷いのでランバートは長時間そこにいないようによく注意をするが、ガルナは、あと少し、と言うだけですぐに出てこようとはしなかった。
最初は楽しく共に勉強をしていたが、ランバートはさすが家の後継者であるために、念入りな教育を施された。やがてガルナの勉強に付き合う暇が無くなり、自身の勉強への負担が増えてきた頃、ランバートはいつもより焦っているようすになっていた。そしてアルヴァとの関係もどんどん悪くなっていった。
小さい頃は、アルヴァがランバートに小言をしても、説教だけですぐに終わったが、ランバートがそれに反抗をするようになって、より一層、彼らの間のみぞが深まっていく。
当主としての自覚を持てと、アルヴァに言われる度に、ランバートは大きな声を出して反抗し、激しい口論が始まる。その時は、ガルナは何もできることがないので、使用人たちと共にその親子喧嘩が終わるのを待つ。
喧嘩が終わった後、ガルナはランバートのそばに寄る。いらいらしているランバートに近付くのは少し勇気がいるが、寄ればランバートはすぐに機嫌を取り戻してくれる。ガルナには何かかけてあげられる言葉は見つからなかったが、それだけでいつものランバートに戻ってくれるならそれでいいと思った。
それでも前よりもランバートが父親のことでいらいらすることが多くなったのは事実である。使用人たちの話ではオルストロ家の今後の存続についても話し合われることがあった。それはランバートのいる前では話されない秘密の話だったが、そのように思われていることは本人も気付いているようで、それがより一層彼の焦りを走らせただろう。
ガルナはランバートが、最初に出会った時よりも変わってきたことに違和感を抱いた。なぜこんなにももやもやとするのかよくわからなかったが、ガルナにとってランバートは非常に大きな存在であったがために、段々と小さな存在に――いや、自分が彼に追いついているのだろうか。ともかく、ランバートが「特別」であるという意識が薄れていくのが、とても寂しかった。
それでもガルナはランバートのことが大好きであったし、使用人たちも変わらずランバートのことが大好きであった。
どうして、アルヴァとランバートは、仲が悪いままなのだろう。これから先、ランバートが大人になっても、この険悪な関係が続いてしまうのだろうか。
(ほんとうの親子なのに……)
子どもが親に愛されているようすはおとぎ話でよく描かれるのに、現実の親子の関係ではどうしてもうまくいかないことがあるのだ。
自分には親がいない。物心ついた時からひとりだったからだ。
人の子であれば、必ず親というものが存在すると聞く。では、自分はどんな親から生まれたのであろうか。それはきっと、この大陸をどれだけ歩いたとしても、わかることはないだろう。
** ** **
もうランバートと遊ぶことも少なくなったために、暇なガルナはよく使用人の仕事を手伝うようになった。炊事や洗濯、庭の手入れや屋敷内の掃除は、いつも使用人の仕事すがたを見ているために、見よう見まねでも何となくやり方がわかる。
また、家事以外の時間は剣の稽古をした。都から来る師範は決まった日にしか来ないからこそ、ガルナは毎日木刀を握った。師範には内緒だったが、重さに慣れるために本物の剣も振った。
知りたいことを知るのが楽しいだけであって勉強はそんなに得意ではないことを自覚していたから、貴族の教育を得ようと思えるほど、家庭教師の授業を熱心に受けることはできなかった。だからこそ、自分は剣の道を行こう――この屋敷を自分一人でも守れるような剣士になろうと決めたのである。
あいにく屋敷には剣の師範のように大柄な体格の男がおらず、剣術に達者な者もいない。確かにこの地域はとても平和で、都でよくいるようなあらくれはいないのだが、いつここが盗人共の標的になるかわからない。
恥ずかしいから、この漠然とした決意を誰かに話そうという気にはならなかったが、この温かい場所を守れる存在になってみたいという、淡いけれど確かな気持ちがその胸にあった。
いつものように庭で剣の稽古をしていると、やや疲れた目をしたランバートがこちらに来た。脇には分厚い本を抱えている。先程まで勉強、そして少しばかりの休憩の後も勉強が待っているのだろう。
「毎日熱心だねえ」
その言葉には、どちらかというと皮肉の色が強かったかもしれない。やや冷たい声で言い放たれた言葉だった。とにかく日々の勉強で疲れ果てているランバートは、最近では、ガルナにかける言葉も辛辣だった。
ガルナは皮肉を言われたことに気付かなかったが、何と返せば良いかわからなかったので、とりあえず剣を腰にある鞘に収め、黙ってランバートの方を向くだけにした。
ランバートは小さな木の下で、つまんなそうな表情のまま座り込んだ。ガルナも後に続いて、彼の隣に座る。
ランバートはこちらが質問をすると、どんな内容でもとても誇らしげに、楽しそうに語ってくれる。ガルナは彼のつまんなそうな雰囲気を消してやりたくて、今日はどんな勉強をしたのかを尋ねるかのように、彼の抱えている本をじっと見つめた。
ランバートはそれを察したのか、本を開いてガルナに見せた。
「今日は魔術の勉強をしたよ」
「魔術?」
聞き慣れぬ言葉に、ガルナはすぐに聞き返した。
「精神世界の具現化、と先生は言っていた。要は心の中で描いた想像を現実の世界でもできるようにする、みたいな感じなのかな?」
あまりにもその内容が突飛なものに感じて、ガルナは半信半疑のままに頷いて、話を聞き続ける。
「僕たちの周りにある様々な知識は天界が与えてくれた、って授業で習ったよね。魔術もその一つで、天界が与えてくれた知識の中で一番難しい学問とされているんだ。だから、少しの人間しか扱うことができない」
「例えば、どんなことができるんだ」
だがランバートは言葉を途切りながら、難しそうな顔で言った。
「うーん、ものを空に浮かべたり、傷を治したり……ちょっと魔術をかじる人にはそれで充分なぐらい」
「……そんなのが貴族の勉強に役に立つのか」
「魔術の知識というのは、財産になるんだよ。その魔術の腕前によって、位も変わるし、名誉も得られる」
ランバートが言い終えると、少しの沈黙が二人の間に過ぎった。ガルナにとっては、いつもと変わらない、"ただ"の沈黙であったが、ランバートの方はそわそわとした様子でガルナの顔色を伺っていた。そして、控えめな声で提案をする。
「……少しやってみる? 物体浮遊ぐらいなら、きっと教えられるかも」
ガルナはどちらでも良かったが、ランバートの退屈さが紛れるのであれば良いと思い、彼の抱えている分厚い魔術書を開いた。
本に描かれてある絵の羅列が文章であることに気が付いたのは、ランバートにそのことを教えられた後だった。とにかく知らない文字がたくさん並べられてあって、いつも慣れ親しんでいる文字は一つも見つからない。しかし、文字には区切りがされており、ランバートによるとそこが単語になるのだという。
それは天界の言語であり、その言語を読めることが、魔法を唱えることへの大前提となる。
一つ一つ丁寧に教えられながら、魔術の詠唱とその理論を手短に、だけれども丁寧に教えてくれた。
しかし結局理論ばかりは理解することができずに、ランバートが言った詠唱文をただ唱えるだけの魔法になった。
目的は、庭に置かれてあった水を入れる桶を、宙に浮かべること。もし魔法が成功すれば、地面に在る鳥の羽がつむじ風によってふわりと跳ねるかのように浮かび上がるのだという。
ガルナは半信半疑であったが、まず瞳を閉じて、5歩程先にある桶に意識を集中させた。周囲にある花壇や噴水は、その意識の世界には描かない。ただ魔法を唱える対象だけに意識を研ぎ澄ませる。そしてその意識の世界に対象を描き終えた時に、命令の詞を述べる。
こんな塩梅でいいのだろうか、とガルナは心の片隅で思ったが、なぜかその瞼の裏に桶を象る作業工程が初めてながらすんなりと出来た。これ以上に鮮明に描くことはできないと自負できる程、何の問題なく実行出来た。
あとは詠唱を唱えるだけだ。
ガルナはつい先程ランバートに教えられた詠唱をゆっくりと口にし始める。大判の書物の1ページ分の詠唱は、魔術の中では最も短い詠唱だと言うが、ガルナにとっては何日もかけなければ覚えきれない量であり、まさか短時間で諳んじることなどできるわけがない。だから言葉を途切らせながら、ランバートに詠唱を教えてもらい、言葉を紡いでいく。
――そして詠唱を唱え終わった時、ガルナはそっと瞳を閉じた。
ふと見ると、花壇の前に置いてあった桶は忽然と無くなっていた。瞳を閉じて、詠唱に集中している間に、ランバートがどこかに移してしまったのかと思い、ガルナはランバートの方を向いた。
ランバートは眼を丸くしながら、空を見上げていた。
何を見ているのだと思い、ガルナも同様に空を見上げた時、心臓が冷たくなるような感覚を覚える。
花壇に置いてあった小さな桶は、屋敷の屋根程の高さまで飛び上がり、そのまま宙に浮き続けていた。
「な、何だよあれ……!」
今唱えた魔法とは、ふわりと浮かぶ程度のものだと信じていたガルナは驚き、叫んだ。その途端、宙に浮かんでいた桶は急に地に落ちて、中に入っていた水が二人に降りかかる。
ランバートの持っていた本が、水に濡れてしまった。ガルナは申し訳ない気持ちになり、真剣な眼差しを向けるランバートに謝ろうとした時だった。
ランバートはガルナの手首を引っ張り、庭の隅の茂みへと入り込んだ。そしてガルナを地面に伏せさせ、先程まで二人がいた花壇のそばを、真剣な目つきで見ていた。まるで、何かから隠れるかのように、戸惑いと焦燥の様子が、ランバートの必死さから見られた。
何かまずいことでもしてしまっただろうか、怒らせてしまったのだろうか。ガルナはランバートに頭を地面に押さえつけられながら、混乱する頭の中で一生懸命考えた。それでも、ランバートが何かを言ってくれない限り、わかるわけが無かった。
「……今日、魔術の講師が一人だけでよかった」
「え?」
ランバートは、未だ花壇の方を見つめながら、落ち着いた声で呟く。そして、地面に押さえつける手を緩めてくれて、ガルナは慎重に、頭を上げる。
ランバートの見つめる先の、桶から水がひっくり返った場所に、一人の法衣を来た男が辺りを見回しながら立っている。ガルナは何が起きているのかよくわからなかったが、ランバートの真剣な眼差しが、より緊張感を増させた。
「ねぇ、ガルナ。今度、僕の授業が休みの日、一緒に都へ出掛けようか」
「都に?」
その後、ランバートはようやくガルナの方を向いた。
「あの講師に問いかけられても、何も答えてはいけないよ。今、唱えた魔法のことも、絶対に誰にも言ってはいけない。約束してくれるかい、ガルナ……」
彼の表情が、今まで見たことがない程に真剣な顔だったから、ガルナはやや狼狽えながら、何度も頷いた。ランバートはまたしばらく必死な眼差しをガルナに向けたが、その後は柔らかい表情になり、優しく微笑んだ。
おそらくランバートがうまいことをしてくれたのだろう。その日以降、ガルナは屋敷内で魔術の講師にばったりと会うこともなく、平凡とした日々が流れた。
何故あの時、ランバートに手を引かれ、隠れたのか未だにわからないままだったが、ランバートが休暇の時には、都へ連れてってくれるという。そこで何か話してくれるのだろうか。屋敷から離れてまで、話さなければならないことなのか。とにかくその日にならないとわからない、焦れったくてもやもやとした気分が毎日続いた。
そしてランバートが一日休暇の日が訪れた。使用人たちに都へ行ってくるという旨を伝えると、小袋に入るだけの銭貨と、外出の装いを準備してから、共に馬車へと乗り込んだ。
まだ都へ行く意味を教えてくれないまま、ランバートはガルナとは会話をせず、御者と他愛ない世間話をするばかりであった。
ランバートは以前よりも、大人との会話が弾むようになって、途切らせることなく次々と返事を投げ続ける。まだガルナは人と会話をすることが得意ではなく、ランバートのように、大人も楽しませるような会話をすることなどできやしない。ただひたすら、外の景色を見ながら、彼らの陽気な言葉の受け返しを流し聞くだけであった。
しばらく馬車を走らせると、段々と屋敷の周辺で見るような、どこまでも続く草原から、多くの建物が連なる路へと入っていく。ガルナは都へ来るのは初めてであり、わくわくとした好奇心と、どんな世界なのかわからない恐怖があった。
ランバートが御者に、この辺りから歩きますと言い、運賃を手渡して、馬車を降りる。ガルナもそれに着いて、石畳の地面へと降り立つ。
数多くの石造りの家々が並んでいる。側には市場があり、朝から活発に、客引きをする声が聞こえている。同い年ぐらいの子どもたちが、かけっこをしながら遊んでいる。建物を着飾るいろんな色の模様が描かれた布、たくさんの花かご。住宅から垂れ下がっている洗濯物、井戸の前で世間話をしている主婦たち。
視界には、たくさんの景色が重なり合って動いていた。
少し馬車で移動しただけで、こんなにも違う世界が広がっている。
ガルナは感動を覚えると同時に、その多様な世界の空気を持て余しているような気分がした。とにかく、周囲にある様々な情報を、頭で処理しきれない。こんなにも新しく、興味深いものがたくさん身の回りにあって、触れることができるのに、現実味が感じられなくて、触れることのできるものではないのかもしれないというような感覚ばかりが生まれてしまう。とにかく夢のようだった。その夢を表現する語彙すら無かった。世界から突き刺してくる衝撃は強く、そして絶え間なさすぎて、ガルナはいよいよどうしようもなく、ランバートの方を向いた。
ランバートは、きらきらと輝く笑顔で、その世界を見つめていた。その顔を見て、ガルナは何か心の中のわだかまりが、すっと、消えていくような気分になった。
二人は静かに街路を歩いた。旅芸人の芸や、楽団の美しい音色、市場の美味しくて甘いお菓子、何でも経験した。いろいろなものを一度に体験しすぎて、二人とも疲れ果ててしまった。
二人は広場のベンチで、一休みをした。
ガルナは、広場にいる一人の老人の奏でる笛の音色を、ふと聞き入る。楽団の楽士ではなく、一般人の演奏だろう。素朴で、柔らかく優しい旋律は、遊び疲れた身に沁みるような、どことない味わいがある。
しばらくその演奏を遠目で見て、聞いていると、街路の方から、黒い法衣の背の高い男たちが、列をなして歩いてくるのが見えた。その列は、広場を突き抜けた向こうにある、王宮の路へと向かっている。それがあまりにも目立ったために、ガルナは笛を演奏している老人から、黒い法衣の列に眼を向けた。
最初は、この街では当たり前の光景なのだろうと思ったが、彼らの怪しげな雰囲気が、周りにいる人々とかなり異質で、不安な気持ちになった。そしてガルナは思わず、ランバートの方を振り向く。ランバートは曇った表情をしていた。
「あれは、国家魔術師。国のために働いている魔術師だよ」
「ふ、ふうん……」
一言、そう説明されただけだと思い、ガルナは適当に返事をしたが、ランバートはまた、説明を付け加えてきた。
「彼らは、類い稀なる魔術の才能を持った、優秀な魔術師集団なんだ。学問所で一日中勉強して、国に忠誠を誓う魔術師となる。学問の発展への研究のため、国王を守るため、その豊富な知識と力をふるう」
聞いていると、ランバートの声がどんどん寂しげな色に変わっていく。ガルナは少し違和感を覚えつつも、未だ止まない彼の話に耳を傾け続ける。
「……魔術の才能を持った者は、誰であろうと国のために尽くさなければならない。天使がこの世界を攻撃するようになってから、いろんな国が危機感を覚えだして、有能な魔術師を集めるようになった。その叡智で、最期の時まで国を守らせるために、ね」
黒い法衣姿の魔術師たちが、王宮へと入っていく。まるでその姿が、巣へと戻っていく小さな虫たちの行列にも見える。
「前にも教えたかもしれないけれど……魔術の知識は、財産と名誉の象徴と同じなんだ。だから、魔術の腕に自信のある者は、自分の家のために、国にその身を売る。でもね、確かに、家の安泰は望めるだろうけれど、一度国家に身をゆだねてしまった魔術師は、家族の元へ帰ることはできない。魔力に染まった体は、そのまま次の魔術師の研究材料になるからだ」
すると、ランバートはうつむき、肩を震わせながら、悔しそうに呟いた。
「……おじいさまは戻ってくることはなかった。亡くなった報せなどあるわけがない、その身が滅んだ後でも、国のためにそれを捧げる必要があったからだ」
「ランバート……」
ランバートは拳を強く握りしめ、しばらくの間黙った。そして、悔しさを一時融いた後、顔を上げてガルナを見つめた。
「ガルナ。この前の君の魔法を見た時に、僕は確信したんだ。君なら、偉大な魔術師になるだろう。ここで魔術を覚えて、国家魔術師となれば、莫大な財産と名誉を与えられ、オルストロ家なんて底辺の貴族を遙かに凌ぐ権力者になれるだろう。そして君の存在と、家と、魔力は、永遠にこの世界で語り継がれるだろう……」
ガルナは、率直に、彼の言葉がとても恐ろしく思えた。言っていることは何となくわかったが、どうしてそんなにも続けて投げかけられなければならないのか不思議であった。
「君は選ぶといい。選ぶ自由を僕が与えてあげる。君の才能を無駄にしたくないから」
「え、選ぶって、何を……?」
ガルナがそう問いかけると、ランバートは口を小刻みにふるわせて、ガルナを見つめた。そしてひとつ、深呼吸をしてから、はっきりと答えた。
「――その才能を誰にも明かさないで、今まで通り、僕の側に在り続けるか。魔術師となり、君の人生を君の脚で歩き始めるか、だ」
ガルナは今聞いたその言葉を頭の中で繰り返した。
ランバートの側に在り続けるか、魔術師となるか。
どうしてそんな質問をするんだ、とガルナは疑問でいっぱいになった。今更、別の場所で人生をあゆむことなどできるわけがない。――あゆみたいとも思わない、興味も無い。
だが、自分が魔術師の道へ行けば、オルストロ家はさらなる発展が望めるかもしれない。
ランバートはそれを望んでいるのだろうか?
だけど、ランバートは自分がいなくなっても良いと思っているのだろうか?
――選ぶことなどできない。
「……僕には、選べない。ランバートが、僕にしてほしい方を選ぶ」
幼いがために、その選択の放棄の罪深さを知らない。知らないからこそ、ランバートにとって、ガルナがより哀れに思えてくるのであった。そして、才能の芽を潰すことしかできない自分すらも哀れに思った。
「ガルナ……僕は、君を失いたくない」
ランバートは、すり切れそうな声で、そう呟いた。しかし、次はもっとはっきりとした声で言葉を続けた。
「君が魔法を唱えたあの時、僕は君が連れて行かれてしまうと思ったんだ。だから君を、隠してしまった」
「うん……」
懺悔のような悲しげな言葉に、ガルナは頷くことしかできなかった。
ランバートは、ガルナの手を握った。
「君は、僕のそばにずっといてくれるか」
今まで見たこともないぐらいの真剣で、涙に揺れている眼差しが、直に向けられる。それだけでガルナは緊張して、胸の高鳴る思いをした。それでもガルナはしっかりとランバートと向き合った。そして、いつも強く大きく在り続ける彼にしては、弱々しく揺れるその双眸を見つめた。
「うん……ずっと、ランバートのそばにいるよ」
頭の悪い自分でも、生き方を選択することのできない自分でも、その質問の答えは決まりきっている。その答えを、彼に求められている気がした。ランバートの求める道こそ、ガルナの求める道だった。
「ありがとう」
控えめであったが、ランバートは優しく微笑んだ。
二人が都から屋敷へ帰ったのは、辺りが夕焼け色に染まる刻だった。帰りの馬車に揺らされている時は疲れて眠ってしまったけれど、一日楽しんだ満足感は二人の胸の中を満たした。
帰ってくる頃は夕食の時間になった。その日は街で見たものや経験したものを使用人たちに語る暇もなく、ランバートは食事のために食堂へと入る。そこにはガルナはもちろん、使用人すらも入ることは無い、オルストロ家の血縁者だけが食事を共にするのだ。とはいうものの、ランバートには父親しか肉親がいないために、彼の心境を察するのは容易である。
ガルナは別室で使用人たちと共に夕食を食べながら、ランバートが食事を終えるのを待った。きっとランバートはアルヴァときまずい空気の中で夕食を食べている。その様子を想像するだけで、気の毒な気持ちになった。
少し前まで、アルヴァもランバートも夕食を共にすることは無かったが、ランバートが帝王学を本格的に学び始めてからはアルヴァは帰宅することが多くなり、ランバートへの小言が増えて、二人きりになってよく話し合う機会が増えている。ガルナがランバートが可哀想だと使用人に言ってみると、使用人たちは「旦那様は、近い将来当主を引き継がれるランバート様を心配していらっしゃるのよ」と言うが、いずれも皆苦い顔をしていた。
先に食事を終わらせて、食堂の前で座り込んで彼らの食事が終わるのを待っていた。しばらくして、ランバートは不機嫌な顔をして扉を少し乱暴に開けて出てきた。なるたけ気付いてもらえるように扉の前にいたつもりだったが、ランバートはガルナの存在に気が付かないまま、苛々しながら自室へと向かっていってしまった。
それを追いかけようと、ガルナは立ち上がる。
しかし、食堂の扉がもう一度開かれ、そこから出てきた人に行く手を阻まれる。ガルナはその身長の高い人を見上げると、少し心臓が跳ね返りそうな気持ちになった。
目の前に立つアルヴァは、ガルナの存在に気が付くと、静かな声で
「少し話をしないか」
と尋ねてきた。少なくとも、ガルナが初めてこの家に来た時よりもずっと優しげな声ではあったが、素の冷淡さは隠れきれていない。その恐ろしい人からすぐにでも逃げたい気持ちがあったが、ここで彼の言うことを聞かない方が気掛かりであったため、おそるおそる彼と一緒に食堂へと入った。
扉が閉じて、広い食堂の中でアルヴァとガルナ二人きりになる。ガルナは何を言われるのかわからず恐ろしく思って、構える。しばらく沈黙が続いたが、アルヴァはようやく口を開いた。
「お前は、ランバートのことが好きか?」
アルヴァは言葉を振り絞るかのように、ガルナに問いかけた。どうしてそんな質問をしてくるのかよくわからなかったが、「うん」となるたけ、はっきりと答えた。
「……彼もそうだ。彼もお前のことをいつも気にかけている。彼はお前が在ることを前提として、オルストロ家の当主として在ろうとしている」
次に途端にアルヴァは雰囲気が変わる。冷たい感じのない、もっと穏やかで柔らかい雰囲気になった。
「どうか、ランバートのそばにいてやってくれ。彼のために――彼の、心のために。私では、彼を当主として導くことはできても、彼の心を支えることはできない」
どんどんアルヴァの声色が寂しげになっていく。ガルナは少しだけ、違和感を覚えたが、黙って彼の話を聞き続けた。
「お前がこの家に来てから、私はランバートにとって必要なものが何なのかを、真にわかったのだ。私ではもうその代わりになることはできない。今まで彼の孤独を埋められるものを与えられなかったことをどれだけ謝ろうと、彼に私の言葉は届かない」
アルヴァは掠れそうな、それでもはっきりとした声で言葉を続ける。
「ランバートに、独りになってほしくない。独りが嫌いなあの子が、独りで当主の道を歩むのはあまりにも哀れでならない。――ガルナ、お前があの子を支えてやってほしい」
今まで畏怖ばかりを感じていたのに、その時の瞳は日頃の彼にしてはとても弱々しく、それでいてまっすぐであった。不器用であるがそれが彼の"父親"のすがたなのだと、強くこちらを見つめる眼差しから感じられた。
「……おまかせください」
言い慣れぬ片言な敬語であったが、アルヴァの強い眼差しに答えるように、強い語気でこたえた。
アルヴァは親として、ランバートのことをしっかりと愛してくれている。いつも冷たくはあるが、彼が息子を心配する気持ちが欠いているわけではない。ただ愛情を表現することが下手なだけなのだ。
寝る前にランバートの部屋を覗こうとしたが、まだ機嫌が直っていないのか入室禁止となっており、その日はランバートに会うことなく、寝床へと着いた。
今度、ランバートに、アルヴァともっと和解できるように声をかけてみようかと思った。少しずつだけでいい、けして好きにならなくてもいい。ただ今までのようなきまずい空気がなくなって、もっと自然な関係になることができるように努めることをすすめてみよう。
ガルナはその日、彼ら親子が少しでも距離を狭められるよう祈りながら眠った。
** ** **
やけに胸の奥がざわめく。目を閉じて、寝転んでいるはずなのに、頭の中がぐるぐると回っているような気味の悪い感覚に突然襲われる。
ガルナは静かに目を覚ますと、目の前にはアルヴァが立ちすくんでいた。ランバートと同じいろの長い髪がふわふわと揺れているのを見て、異質な空間にいることに気が付く。辺りはとても薄暗く、何も見えない。ただ自分と彼しかいない、謎の空間がそこにはあった。
先程まで眠っていたはずなのに、どうして目の前に彼が立っているのだろう、そもそもここはどこなのだろうというような疑問が湧いて出てきたが、次にアルヴァは何を見つめているのかという疑問が頭の中を過ぎると、そのことしか考えられなくなった。
岩のように堅く、何も無い表情で、どこか遠くを見つめている。そこにはいつも見せるような冷たい色は無かった。ただ人形のように、虚無の顔が、その薄暗さに溶け込むかのように浮かんでいた。
ガルナがおそるおそる手を伸ばそうとすると、アルヴァのすがたは遠のいていく。その遠ざかるアルヴァの影をいくら追っても、辿り着ける気がしない。
やがてアルヴァの後ろに、大きな闇が現れる。額の辺りにぴりぴりとする感覚が走った。非常に嫌な感じのする闇が目の前に広がっていく。そしてアルヴァはその闇に吸い込まれていく。
もうこれ以上近付いたら戻れない気がするギリギリのところで、ガルナはアルヴァを追う脚を止めた。アルヴァにその闇に近付いて欲しくない、何か不吉なことが起こりそうで恐ろしい。けれどそれと同時に、彼はその闇に飲み込まれなければならないという気持ちが芽生えた。このままでは彼が消えてしまうことは確実だが、そうならなければならなかった。
どうしてそうならなければならないのか、わけがわからなかった。何を根拠として彼が消えなければならないのか考えようとしても、それは必然であり、また世の理なのだと自分の中で勝手に解釈されていた。
その時の自分の心は、本当に自分のものであるのかよくわからなかった。まるで自分では無い誰かが、この心を支配している。それに支配されているからこそ、こういった勝手な解釈ばかりが心の中を覆っているのだ。本当はアルヴァには死んで欲しくない、もっとランバートと肉親らしい関係を取り戻して欲しい。そういった感情を心の中に満たそうとしてもすぐに、どこかから湧いた感情が邪魔をしてきて、それに浸食される。
アルヴァが完全に闇に消えていくと、何やらホッとした気持ちになった。そんな自分が嫌になって、非常に不快な気持ちになったが、体中の力が抜けるほどの安心感に襲われた。
『この結末こそが、世の秩序が保たれる。それはこの世界の掟であり、理なのである』
** ** **
「ッ――!!」
ガルナは勢いよく起きて、布団を放り投げた。寝疲れたような体の重さがあったが、それにも関わらず、素早く部屋を飛び出てランバートの元へと駆けていった。
「ランバート!」
まだ屋敷の皆が起き上がってくることのない早朝、明け方の白んだ空気が窓から吹き込んでいて、それがランバートの部屋の中に寂しげに漂う。その寂寞とした空気を引き裂くかのようにガルナは扉を思い切り開けた。ランバートもまだ寝台の上でぐっすりと眠っていたようだったが、ガルナは遠慮無しに布団を引き剥がして彼を叩き起こした。ランバートは突然起こされて、眠い目をこすりながら文句をぶつぶつとこぼしていたが、ガルナは口調を強めて、頭に思い浮かんでくる言葉から発していった。
「早く、アルヴァさまと、ちゃんと話してくれ。手遅れになる前に……!!」
「な、何を言っているんだよ、ガルナ?」
アルヴァの名が出ると、ランバートはすぐに不機嫌そうな顔になる。ランバートが機嫌を損ねることなどわかりきっていることだったが、ガルナはそれにもかまわず訴え続けた。
「ランバートだって、アルヴァさまとどうしてこんな関係になってしまったかって、悩んでいるだろ。もう伝えることができなくなる前に、早く言うんだ。そうじゃないと、一生後悔する」
「何でそんなこといきなり言われなきゃならないんだよ……!? ガルナには関係ないだろ!」
「関係なくない!!」
一際大きな声をあげると、ランバートは驚いたように唖然としてしまっていた。
二人の間に沈黙が過ぎる。ガルナは感極まって涙が溢れてきそうなのを、喉の奥に押しとどめながら、次に震えた声で静かに呟いた。
「……ランバートが、つらい思いをするのは、いやだ」
ガルナは視線を落として、ランバートが何か言ってくれることを待った。
あぁ、どうして今自分は、アルヴァが死ぬことを前提として、ランバートにこんなことを言っているのだろうか。本当はアルヴァが死なない道になるよう行動をするべきであるのに、彼が死ぬことがこの世にとって得なことであるふうに、心の中で完結しきっている。
ランバートの方をちらと見ると、とても寂しげな表情をしていて、胸が痛くなった。ガルナは心の何処かで、彼もアルヴァの死を悟っているのかと思っていたが、そういうわけでもなさそうだった。どうしてこんなことを言われているのか本当にわからないような顔をしていた。わからないけれど、図星をつかれて複雑な気持ちになっているはずだ。次にガルナは、自分が傍から見れば突拍子もないことを訴え続けていたということに気が付いて、己を恥じた。
けれど、今伝えなければならないことだった。アルヴァが死ぬことは確信しているが、その根拠がわからなかったし、どうすればよく伝わる説明になるのかもわからなかったし、理由を伝える語彙もない。
それでも、ランバートに一生後悔を背負って生きて欲しくなかったから、その一心で出来得る限り思いを伝えた。どうにかして伝わって欲しかった。
ランバートが次に口を開いてくれた時の声色は、とても穏やかなものだった。
「……まだ、日がのぼるまで時間がある。もう一回寝よう、ガルナ。僕の部屋で寝ていいから」
そう誘われるまま、ガルナはランバートの寝台にねそべった。ガルナがオルストロ家の屋敷に来て間もない頃のように、二人して同じ布団の中に包まる。
ランバートが今の訴えをすべて納得してくれたとは思えない。寝ようと誘ったのは先程の会話も空気もすべて水に流しただけだ、ランバートが特に得意とする技だ。
寝台で包まってからは、二人は何も話さなかった。不安と焦燥ばかりに駆られるガルナは心の中で、本当にそれでいいのかと問いかけ続けた。
そのままガルナは昼近くまで眠り続けた。起きた時にはもうランバートはいなかった、おそらくもう勉強を始めている頃だろう。
ガルナは部屋を出て、アルヴァを探しに屋敷内を回った。
玄関の方では、何やら使用人たちが多くいる。見に行ってみるとどうやらまた出張へ行くアルヴァを見送っているようであった。
使用人たちの間からは、馬車に乗り込んでいるアルヴァのすがたが確認できる。彼のすがたを見ることができるのはこれで最後になると、ガルナは強く確信した。すぐにでもランバートを呼びに行こうとしたが、アルヴァに気が付かれ声をかけられた。使用人たちもガルナの存在に気が付いて、道を開ける。
「また長く屋敷をあけてしまう。遠くの街で、しばらく仕事をしなければならくてね。君にも異国からの土産を買ってきてやろう」
その優しげな顔が、やけに寂しく、悲しく思えた。使用人たちは、彼がもう生きて帰ってくれないことをわかっていないようだった。どこか自分一人だけが別の世界で生きているように感じて、恐ろしく思えた。
「……あの、ランバートを呼びに行きます」
ガルナは引き攣りそうな声のまま、静かに言った。しかしアルヴァはやや苦笑を交えて、首を横に振った。
「いや、いいさ……先程呼びに行ってもらったが、来なかったよ。彼の勉強を邪魔しては悪い。このまま出掛ける」
馬車が動き始めて屋敷から離れていく。使用人たちもガルナも、彼が見えなくなるまで見送った。いつも彼が仕事へ出掛ける朝と同じ風景なのに、その日は一段と別の風景に見えた。
その数日後、アルヴァが仕事場のある都市で馬車に轢かれて亡くなったという報せが屋敷に届いた。
すぐに遺体が屋敷に帰ってきて、和やかな領地を一望できる丘の上に埋葬することになった。葬式には、屋敷にいる人間全員が参列し、訣れを偲んだ。アルヴァとの付き合いが長い使用人などは泣いている者が多かった。
棺が埋められていく様を、何もない表情で見つめているランバートが目に入る。こんなにも空虚な顔を見るのは初めてだった。いっそのこと、少しでも悲しみの表情を浮かべてくれたのなら、こんなにも彼の表情を見て胸が痛むことなどなかったかもしれない。
ガルナは彼の虚無の表情を心の奥に刻み付けた。
その表情は、彼のそばに一生在り続ける者として、けして忘れてはならないものであると、固く信じた。




