プロローグ
約5年ぶりの投稿で緊張します。
すでに投稿済の同作品と内容は変えていません。
あくまで文章調整をしてあるだけなので、ご了承ください。
楽しんでいただければ幸いです。
深夜。
とある王国の王城。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った石造りの通路を、二人の女性が歩いていた。壁に掛けられた魔法灯の淡い光が、その姿をぼんやりと照らしている。
一人は二十代半ばほどに見える女性だった。短く切りそろえた茶色の髪に、少し鋭さを感じさせる目。足元まである地味な色のスカートと清潔に整えられたエプロンから、王城に仕えるメイドだと分かる。
もう一人は、見た目だけなら少女と言った方が近い。身長は百四十センチほどで、ゆるく波打つ長い銀髪に大きな瞳。髪の間からは、先端の尖った長い耳がのぞいている。
肩には身体に不釣り合いなほど大きな鞄を掛け、身にまとっているのは裾の大きく広がった純白のドレスだった。
二人はしばらく無言で歩いていたが、やがてメイドの女性が意を決したように口を開く。
「姫様……やっぱり、おやめになりませんか?」
少女が足を止め、少し不満そうにメイドへ振り返った。
「ターニャ。何度も話したでしょう? もう今夜しかないのよ」
「ですが姫様、明日は婚約のお披露目がありますのに……」
その言葉を聞いた瞬間、少女の頬がぷくっと膨らんだ。
「もー! 二人きりの時は名前で呼んでって、いつも言ってるじゃない!」
「……」
「幼馴染なんだから、敬語も禁止!」
ターニャと呼ばれたメイドは、大きなため息をついた。
「はぁ……。エミリー、私を困らせないで」
途端に口調から遠慮が消える。
「何度も言ったでしょう? 明日はもう婚約のお披露目なのよ。今さらじたばたしても仕方ないでしょう?」
「うっ……」
エミリーは言葉に詰まったが、それで引き下がるような性格ではない。
「だいたい、私はハーフエルフなのよ?」
「知ってるわよ」
「人族と同じくらいの成人女性の姿になるまで、あと二十年くらいかかるのよ?」
「それも知ってる」
「だったら分かるでしょ!」
エミリーは自分の身体を指差した。
「今の私を見て求婚してくる成人男性なんて、どう考えてもおかしいわよ! 顔合わせの時のあいつがどうだったか、ターニャだって見たでしょう!」
「……ああ」
ターニャの脳裏に、数日前の顔合わせがよみがえった。
侯爵家の長男はエミリーの姿を見るなり頬を赤らめ、必要以上に身体を近づけてきた。
『エミリー様……本当に可愛らしい。まるで人形のようだ……』
その視線がエミリーの顔だけを見ていなかったことに、ターニャも気づいていた。
エミリーはハーフエルフで成長が遅く、実年齢こそ成人しているが、外見はどう見ても十代前半の少女だ。そんな彼女へ向けられた男の視線に、ターニャ自身も強い嫌悪感を覚えていた。
「……まあ、あれはね」
「でしょう!?」
「でも、王家の婚姻は『相手が気持ち悪いから嫌です』で取り消せるものじゃないの」
「分かってるわよ!」
エミリーが叫ぶ。
分かっているからこそ、腹が立つのだ。
エミリーは、人族である国王とエルフの里から嫁いできた王妃との間に生まれた一人娘だった。ハーフエルフであるため成長が遅く、成人して久しい今でも見た目は少女のままだ。
問題は、国王夫妻の間にエミリー以外の子供が生まれなかったことだった。
この国では王位を継ぐのは男子と決められており、王に男子がいない場合は、王女の夫やその血を継ぐ男子が王位を継ぐ。そのため、エミリーの結婚は王国の将来に直結する問題となっていた。
娘であるエミリー自身も、国王へ側室を迎えるよう進言したことがある。だが、国王は頑として首を縦に振らなかった。
『私の妻は、お前一人だけだ』
『まぁ、あなたったら』
そんなやり取りを娘の目の前で始める両親に、エミリーはげんなりした。
しかも国王は、さらに追い打ちをかけてきた。
『エミリー、お前の子に後を継がせよう! 頼んだぞ!』
満面の笑みを浮かべ、親指を立てる国王。
その瞬間、エミリーは反射的に全力魔法を撃ち込みかけ、ターニャに羽交い締めにされて自室へ連れ戻された。
「何が『頼んだぞ!』よ! 国王の一番大事な仕事の一つは跡取りを作ることでしょうがっ!」
その日のエミリーは荒れ、ベッドの上で枕をぽすぽす殴りながら叫んでいた。
「側室を一ダースくらい迎えて、毎日種馬みたいに働けー!」
「姫様……それはさすがに……」
言い方はともかく、王家の事情として完全に間違っているとも言い切れないのが困るところだった。
しかし現在の国王はすでに五十歳で、何より王妃を心底愛している。新たに側室を迎える気など欠片もないことは、誰の目にも明らかだった。
そうしてエミリー本人の意思とは無関係に結婚相手選びが進み、突然婚約相手として告げられたのが、例の侯爵家長男だったのである。
「それにターニャは、私の理想を知ってるでしょう?」
「嫌というほどね」
「丸太みたいな太い腕!」
エミリーが拳を握る。
「分厚い胸板!」
力強く胸を張る。
「そして鋼のように硬い腹筋!」
「……」
「私が男性に求めるものは筋肉なのよ!」
「はいはい」
「決して、あんな男じゃないの!」
熱く語るエミリーを、ターニャは半眼で見つめた。
「昔から聞かされてるわよ。騎士団の訓練場まで『筋肉見学』に付き合わされたんだから」
「あの頃は楽しかったわねぇ……」
「私は怖かったわよ」
ターニャは小さく息を吐くと、今度こそ真剣な表情でエミリーを見た。
「エミリー」
「なに?」
「あなたがあの婚約者を心底嫌っていることは分かってる。でも、どうにもならないことだって分かっているんでしょう?」
「……」
エミリーはしばらく黙っていたが、やがて小さく自嘲するように笑った。
「そんなこと……分かってるよ」
「エミリー……」
「王女として受け入れなきゃいけないことも分かってる」
エミリーは一度俯いたが、それもほんの一瞬だった。すぐに顔を上げる。
「だからこそ!」
「……嫌な予感がするわね」
「私が自由でいられる最後の日に、ずっと研究してきた魔法の成果を見たいの!」
エミリーの瞳には、強い意志が宿っていた。
そもそも二人がこんな深夜に城内を歩いている理由は、それだった。
エミリーは幼い頃から極めて高い魔法適性を持ち、成人する頃には既存魔法の大半を習得して、やがて王宮魔法研究所の所長にまで就任した。その後は、失われた古代魔法の研究に没頭していた。
そしてある日、王族しか入ることのできない禁書庫で、一冊の焼け焦げた魔法書を見つけた。
――勇者召喚魔法。
今からおよそ三百年前、王国と隣国である魔王国が長い戦争を続けていた時代。偉大な魔法使いガレアは戦争を終わらせるため、異世界から圧倒的な力を持つ勇者を召喚する魔法を研究していた。
長い年月を費やし、老境に入った頃、ついに魔法は理論上完成した。だが、召喚には膨大な魔力が必要だった。
さらに数年をかけて必要な魔力を蓄え、いよいよ実行というその時、戦争終結の報が届く。後に英雄王と呼ばれるアーサー王が、十年をかけて魔王国との和平を成立させたのだ。
半生を捧げた魔法が、使う前に不要になった。
ガレアは王に、一度だけでも使わせてほしいと懇願したという。だが、返ってきた答えは至極当然のものだった。
『召喚しても帰せないのなら、呼ばれた勇者が迷惑するだけだ。駄目だ』
ほどなくしてガレアは亡くなった。
公式記録上の死因は老衰だったが、彼の最期を看取った者は、こんな言葉を記録に残している。
『儂の人生はなんだったんじゃー!』
完成した勇者召喚魔法は禁術となり、魔法書は禁書庫へ封印された。さらに約百五十年前の火災でその一部が焼失し、以来、失われた魔法の一つとされていた。
その術式を、エミリーは数年かけて再現したのだ。
「もし、この数年の研究が無駄になったら……私もガレア師みたいに、生きる気力を失ってしまうかもしれないわ……」
頬に手を添え、いかにも悲しそうに俯く。
そして――ちらり。
ターニャの様子を確認する。
「ガ、ガレア師は老衰だったと記録には……」
効いている。
エミリーは確信した。
「しかも明日から私はあの男の婚約者よ!」
「そこまで嫌なのね……」
「きっと、あんなことや、こんなことを要求されるに違いないわ!」
両手で顔を覆い、小刻みに震える。
そして指の隙間から――ちらり。
「……」
ターニャは動揺していた。
もし自分があの男から同じことを要求されたなら、迷わず逃げる。そう考えると、明日からのエミリーの未来はあまりにも暗い。
ならばせめて一つくらい、最後のわがままを叶えてやってもいいのではないか。
「……分かったわ」
ターニャはエミリーの肩に手を置いた。
「それで明日からも強く生きていけるなら、もう反対しない」
「ありがとう、ターニャ!」
「え?」
がばっと顔を上げたエミリーは、満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱり持つべきものは、話の分かる親友よね!」
「……さっきまで泣いてなかった?」
「さあ、行きましょう!」
「ちょっと待ちなさい」
エミリーはターニャの手をつかむと、上機嫌で歩き始めた。
「なんか釈然としない……」
その時、ターニャの目にエミリーが肩から下げている大きな鞄が入った。
「ねえ、エミリー」
「なに?」
「その鞄、何が入ってるの?」
ぴたり。
エミリーの足が止まった。
「……」
ゆっくりと首だけを動かすが、目は合わない。
「召喚に必要な物が入っているんダヨ」
「なんで片言なの?」
「気のせいダヨ」
「……」
ものすごく怪しい。
だが、追及する前に目的地へ着いてしまった。
ターニャが鍵を開けると、両開きの扉の先には魔法研究所にある実験室の一つがあった。
床の大部分を占めるように巨大な魔法陣が描かれ、その横にはもう一つ小さな魔法陣。そして、その上には大量の魔石が積み上げられていた。
「……ねえ、エミリー」
「なに?」
「この魔石、どうしたの?」
ぴたり。
また止まった。
「召喚実験には大量の魔力が必要だから、研究所で準備したんダヨ」
「また片言になった」
「気のせいダヨ」
魔石は、魔力を蓄えることのできる特殊な石だ。魔道具の燃料として使われるほか、緊急時には魔法使いの魔力補給にも使われるため、当然ながら非常に高価だ。
それが、ターニャの身長ほどの高さまで積み上がっている。
「ずいぶんお金のかかる実験なのね……」
「そ、そうね!」
幸か不幸か、魔石を使う機会のないターニャは、その具体的な金額までは知らなかった。
「それじゃあ、始めるね」
「待って」
ターニャがエミリーを止める。
「約束をもう一度確認するわよ」
「はいはい」
「人間や生き物を召喚しないこと」
「うん」
「異世界から召喚した物は国へ献上すること」
「うん」
「成功したら成果を魔法書へ記録し、禁書庫へ収めること」
「うん」
「そして、実験が終わったら魔法陣を破棄して、二度と使わないこと」
「ちゃんと覚えてるよ」
エミリーはにっこり笑った。
「約束は守るから安心して」
「……その笑顔がちょっと不安なのよね」
エミリーが巨大な魔法陣へ両手をかざし、詠唱を開始する。呼応するように魔法陣の光が強くなった。
そこでターニャは、ふと疑問を覚える。エミリーが、例の大きな鞄を肩に掛けたままなのだ。
『実験に必要な物が入ってるって言ってたわよね……?』
だが、詠唱中の魔法使いへ声をかけるわけにはいかない。
数分後、エミリーの額に汗が浮かぶ。
その時――。
青かった魔法陣が、突然赤く輝いた。
「っ!」
積み上げられていた魔石から次々と光が失われ、蓄えられた魔力が猛烈な勢いで魔法陣へ吸い上げられていく。
そして。
魔法陣の中心だけが、真っ白に輝いた。
「……成功だ」
エミリーが小さく呟く。
「え?」
召喚された物は見当たらない。
それどころか――エミリー自身が魔法陣の中心へ歩いていく。
「ちょっと、エミリー?」
白い光の中に立ったエミリーが、ターニャへ振り返った。
「ごめんね、ターニャ」
「……何の謝罪?」
心当たりが多すぎて分からない。
だが、エミリーの表情を見た瞬間、ターニャの背筋に冷たいものが走った。
「実はね」
エミリーが笑う。
「召喚実験自体は、一年前に成功してたんだ」
「……は?」
「それから一年かけて、逆にこっちから物を送る方法を研究してたの。物を送る実験は三か月前に成功したから、あとは人間を送るための魔力計算と魔法陣の改造をして――」
「ちょっと待って」
ターニャの顔から血の気が引いていく。
ようやく気づいた。
「エミリー……あなた、まさか……」
「私、やっぱり夢と理想を捨てられないの」
エミリーは満面の笑みを浮かべた。
「というわけで――異世界に行って、理想の旦那様を見つけてくるね!」
「は?」
今度こそ、ターニャは倒れそうになった。
「隣の部屋に、私が戻ってくるための魔法陣と研究資料を置いてあるから、管理をお願いね」
「待って! 待ちなさい!」
「あと、ちょっとだけ迷惑かけちゃうかもしれないから、先に謝っておくね」
「ちょっとだけ!?」
「詳しくは机の上の手紙に書いてあるから!」
ターニャが部屋の隅を見ると、確かに机の上には一通の手紙が置かれていた。
「時間みたい」
白い光が強くなる。
「エミリー!」
ターニャが叫んだ。
「帰ってくるんだよね!? このままお別れじゃないんだよね!?」
最後は涙声になっていた。
そんなターニャを見て、エミリーの表情からふざけた色が消える。
「当たり前じゃない」
エミリーも少しだけ涙を滲ませた。
「ターニャのいるここが、私の居場所だよ」
「……」
「絶対に帰ってくるから」
魔法陣の光がさらに強くなる。
「またね、ターニャ」
最後は笑顔だった。
次の瞬間、エミリーの姿が白い光に包まれ――消えた。
同時に、魔法陣の光も失われる。
「……エミリー」
ターニャはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてエミリーの言葉を思い出し、机の上の手紙を手に取った。
『ターニャへ。
あなたがこの手紙を読んでいる頃、私はもうこの世界にはいないと思います。
お願いしたいことがいくつかあるので、一つずつ書くね。
・侯爵家の婚約者には、適当にお断りしておいてね。
・今回の実験に使った魔石なんだけど、研究所にある分だけじゃ全然足りなかったので、城の備蓄庫からも持ってきちゃいました。
あ、全部じゃないよ!
二割くらいは残してあるから、当分は大丈夫!
適当に謝っておいてね!
・向こうでこっちのお金が使えるか分からないので、城の宝物庫から換金用に宝石をいくつかもらってきちゃいました!
こっちも適当に謝っておいてね!
・隣の部屋の魔法陣は、向こうへ行った私が戻るための目印になります。
大切に管理しておいてね!
これで全部です。
大丈夫!
ターニャは強い子だもん!
できる! できる!
じゃあ、よろしくね!
あなたの親友 エミリーより』
「……」
ターニャは無言で手紙を下ろした。
最初の婚約の件は、もちろん大問題ではある。だが、その後の二つを読んだ今となっては、些細なことにさえ思えてくる。
「城の備蓄魔石の……八割?」
いったい何年分なのだろう。
少なくとも、数年分はあるはずだ。
そして宝物庫。
そこに収められている品々は、そのほとんどが国宝級で、二度と手に入らない物さえある。
それを――異世界での生活費にするため売る?
「……」
ターニャの頬が引きつった。
大体、国王になんと報告すればいいのだ。
『娘さんが城の備蓄魔石を大量に使い込み、ついでに国宝を持ち逃げして、異世界へ婚活に行きました』
「……無理」
ただのメイドに背負わせていい問題ではない。いや、王国の誰であろうと背負いたくない。
そしてターニャの視線が、手紙の最後の部分へ戻った。
『大丈夫!
ターニャは強い子だもん!
できる! できる!』
ぷつん。
何かが切れた。
「全っ然、大丈夫じゃねぇぇぇぇぇぇっ!!」
ターニャの絶叫が研究室を震わせた。
「ふざけるなぁぁぁぁぁっ! エミリィィィィィィィィィィィィ!!」
その夜、ターニャの怒声は深夜の王城中に響き渡った。
いかがでしたでしょうか?
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