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都落ちした黒髪メガネは今日も下町娘に振り回されています  作者: 曲尾 仁庵


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港町

 湿った海風が吹き、海面がキラキラと陽光を反射している。海鳥の鳴き声が騒がしい。強い日差しを避けるように、桟橋に降りた青年は手をかざして空を見上げた。雲一つない快晴――都で見上げる建物に切り取られた空ではない、どこまでも広がる空だ。


「ちょっとちょっと、突っ立ってないで早くどいとくれ。荷物を降ろさにゃならんのよ」


 後ろから声が掛かり、青年は「すみません」と言いながら小走りにその場を離れた。港には国内外を問わず様々な品が運び込まれ、あるいは運び出されている。働く人々の表情は明るく、威勢の良い掛け声があちこちに溢れていた。青年は人々の様子に目を細める。良い町だ。これからの発展を予感させる力強さに満ちている。

 王都から船で十日。これから暮らすことになる小さな港町に向かって、青年は足を向けた。




 オルディア、と呼ばれる王国がある。国の中央に肥沃な平野を持ち、霊峰ピサから注ぐ大河が地を潤す豊かな国。西には広大な森林地帯が広がり、その向こうの険峻な山々が異民族の侵攻を防ぐ。東と南は海に面し、他国との貿易が大きな富をもたらしている。『神に愛されし』オルディア。そう謳われる平和な国の東の端に、港町ヘレシアはある。




「待ったらんかいボケェーーーッ!!」


 影も短い真夏の昼間に、肌に絡む風を引き裂いて一人の少女が疾走している。赤に近い茶色の髪を風に躍らせ、怒りの形相で彼女がにらむその先には、荷物を小脇に抱えて逃げる中年男がいた。右手にナイフを持ったその男は、通りを行き交う人々をナイフで威嚇しながら港の方向に向かっていた。少女の後方には石畳に座り込んで不安そうに胸の前で手を握る老婆がいる。中年男が老婆から荷物をひったくり、それを見ていた少女が中年男を追っている、そういう構図らしい。

 人々は慌てて、あるいは面白そうに、中年男を避けて道の端に寄る。発展途上のこの港町は、ひったくりなど日常、というほどに治安が悪いわけではないが、めったにないほど大人しくもない。退屈な日常に刺激を与える見世物として、無責任に鑑賞するにはうってつけの事件だ。観客に徹する沿道の人々から少女に「頑張れ」と声援が飛ぶ。少女は「おおきに!」と手を振り、中年男を追う足を速めた。


「どけ、どけっ!」


 港の入り口に差し掛かり、おそらく港に着いた定期船の客だろう人々が続々と押し寄せてくる。ナイフに気付いた者が悲鳴を上げて左右に別れた。ただ、一人の青年――黒髪、黒目で黒縁の眼鏡を掛けた、二十歳前後の若者だけが、場違いに足を止めて中年男を見ていた。中年男はナイフを振りかざして怒鳴る。


「どけっ! 死にてぇかクソガキ!」

「何しとんねん! おにーさん、はよ逃げっ!」


 中年男のかすれた怒声と少女の警告が重なる。青年はそのどちらにも反応せず、ぼうっと中年男を見る。中年男は足を止めず、ナイフを振りかぶって青年に迫った。少女が目を見開く。


「ちょ、やめ!」


 ナイフが鈍く陽光を反射し、青年の左肩に振り下ろされる。青年は小さく息を吐くと、わずかに半身を退いてナイフを躱した。ナイフは空を切り、中年男が前につんのめる。それを後押しするかのように、青年は右足を出して中年男の足を引っ掛けた。手を突くこともできず、中年男は顔面から石畳に倒れる。手から離れたナイフが石畳を滑り、縁石に当たって止まった。


「つ・か・ま・え・たでぇ!」


 地獄の底から響くようなドスの利いた声を上げ、少女は倒れた中年男の背に馬乗りになり、腕をひねり上げる。中年男が痛みに呻き、「放せ!」「チクショウ!」などと叫んだ。少女はネコ科の猛獣を思わせる目で中年男をにらみつける。


「人様のもん盗っといて何言うてんねん! まずは『ごめんなさい』やろが!」


 中年男は少女の言葉に耳を貸さず、どうにか逃げようともがいている。しかし少女の拘束を解くことはできず、苛立たしげに暴言を吐くしかできないようだ。ナイフを拾い、青年は感心したように少女を見る。体格差のある成人男性を少女が抑え込むのはそう容易いことではない。


「こっちだ!」


 町の方向から複数人の足音が聞こえ、青年はそちらを振り返った。どうやら町の衛士がようやく到着したようだ。一般人の少女に後れを取る衛士に青年は顔をしかめる。衛士たちは中年男を取り囲み、縄を取りだして言った。


「大人しくしろ。抵抗するなら痛い目を見ることになる」


 衛士たちの冷酷な声音に、中年男は動きを止める。少女が中年男の背から退き、男は衛士によって引き起こされ、縄を打たれて連行されていった。老婆の荷物を拾い、少女は走って来た道を戻っていった。




「もう、また無茶して!」


 荷物を返しに来た少女に向かい、老婆は咎める様な視線を向けた。その目はわずかに潤み、老婆が少女を心から心配していたことを伝える。少女は口を尖らせて反論する。


「だって、盗られたら困るやろ? 大事なもんちゃうの?」

「あなたの命より大事なものなんてありません!」


 老婆はピシャリと少女の反論を否定した。少女はむぅ、と口を膨らませる。老婆は小さく息を吐き、懇願するような口調で言った。


「お願いよ。もう年頃なんだから、無茶は控えてちょうだい。私の寿命が持たないわ」


 あはは、と少女は乾いた笑い声を上げて老婆から目を逸らせた。老婆の肩越しに一人の青年の姿が見える。物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡しながらゆっくりと歩く青年に、おそらく話題を変えるためだろう、少女は声を掛けた。


「おにーさん!」


 突然呼び掛けられた青年は驚いた顔で足を止める。少女はここにいるぞと言わんばかりに大きく手を振った。


「きょろきょろして、何しとんの?」

「いや、港から通りを歩いていただけで」


 何を問われているのか、少女の意図を計りかねているのだろう、青年はぎこちなく答える。老婆が怪訝そうに「誰?」と少女に問うた。


「さっき、犯人捕まえるの手伝ってくれてん」


 老婆は「まあ」と言って青年に向き直ると、深く頭を下げる。


「それは、大変お世話になって」

「いえ、大したことでは」


 軽く手を振って頭を上げるよう促す青年をよそに、なぜか少女は自慢げな表情を浮かべた。


「すごいねんで。ナイフ振り回すおっさん相手に、シュッとよけてサッとやってバァンや!」


 どうだ、と胸を張る少女に、青年は戸惑いを浮かべた。


「それで何が起こったのかを伝えるのは無理なのでは?」

「ええねん。こういうんは勢いや」


 根拠の希薄な断言を受け、青年が戸惑いを深くする。老婆が頬に手を当てて深くため息を吐いた。


「ごめんなさいね。この子、いつもこうで」

「それは、ご苦労なさっておられるようで」


 初めて会ったばかりの老婆と青年に奇妙な共感が生まれる。蚊帳の外に置かれた少女が不満げに眉を寄せた。


「なんやなんや。急に二人で仲良しさんやな」


 自分もまぜろと言いたげな様子に苦笑し、青年は老婆に言った。


「お孫さんですか?」

「いいえ、ご近所さん」


 どうしてか、放っておけなくてねぇ、と老婆は再びため息を吐く。少女はにひひと笑った。


「まあ、もう半分家族みたいなもんやで。老後の面倒はうちが見たるさかい、安心し」

「あなたは私の心配より、自分の心配をなさい!」


 いい年をしてお相手の一人もいないなんて、と老婆がギロリと少女をにらむ。「ヤブヘビぃ」とつぶやき、少女はごまかすように笑うと、視線を青年に向けた。


「おにーさんは? みぃひん顔やけど、旅の人?」

「いえ」


 急に自分の話題を振られてわずかに言いよどみ、言葉を吟味するように青年はゆっくりとした口調で答える。


「今日、この町に着いたばかりで。仕事の都合で、しばらくここに滞在することになります」


 ほーか、とつぶやき、少女は思案気な顔を作ると、背を伸ばし、どこか芝居じみた仕草で青年を正面から見つめた。


「ようこそ、ヘレシアへ! 荒っぽいところもあるけど、いい町やで。きっと気に入る思うわ」


 太陽を思わせる屈託のない笑みを少女は浮かべる。不意打ちを受けたように青年は少女を見つめた。リアクションを返さない青年に、少女は「スベッた?」と動揺をつぶやく。青年は慌てて手を振った。


「い、いえ、そうではなく」

「おーい、アーシャ!」


 青年の弁明を遮り、通りの向こうから声が掛かる。アーシャと呼ばれた少女は、声の主を振り返った。声の主は彼女よりニ、三歳下の生意気そうな少年だった。


「三番通りでケンカだってよ!」

「なんやと!?」


 アーシャの表情が好戦的な猛獣のそれに変わる。嬉しそうに腕まくりをして、はたと気付いたようにアーシャは再び老婆と青年を振り返った。


「ほなな、婆ちゃん。おにーさんも。また会うたら仲よくしたってや」


 ニカッと笑って、アーシャは急かす少年を追って駆け出す。老婆が「言ってる傍から!」と非難の声を上げる。老婆の怒りを笑ってごまかし脚力で振り払って、


「このアーシャ姉さんを差し置いてケンカなんぞ、許さへんでぇーーーっ!」


雄叫びを上げながらアーシャは通りの向こうへと消えた。消えた彼女の背を見つめ、青年は呆然とつぶやく。


「元気な、方ですね」

「じゃじゃ馬と言ってもらって構わないわよ」


 老婆が呆れたように鼻を鳴らす。これから暮らす町の景色に、青年は小さく笑った。


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