第95話:盆栽配信を逆手に
翌日の午後二時。
寮の机に、田中とアリスが並んで座っていた。
セナはタブレットを構え、俺はソファの背にもたれている。
「単刀直入に言います。今夜の盆栽配信、餌として使わせてください」
田中の声に、いつもの事務的な抑揚はなかった。
「餌、というのは」
「アリスが特定したコメント欄の定期通信網を、こちらが逆に追跡します。配信が続いている間、向こうの観測拠点も連絡を続ける。連続するパケットを分析すれば、発信源を絞れる」
「俺の側で、何をする」
「いつも通り、剪定をしてください。それだけで結構です」
俺は鋏のケースに視線を落とした。
いつも通り、というのは、敵に見せている動作のことだ。
今夜は、その動作が罠の一部になる。
頭ではなく、手が、それを引き受ける形になる。
「条件がある」
「どうぞ」
「侵入者を、もう寮へ入れない」
「ええ。寮周辺は四重の警備網を組みました。今夜は、発信側ではなく受信側を追います」
アリスが、初めて口を開いた。
「配信中、もし『今日は』のコメントが流れても、無視して。視線も止めないで」
「お前から見て、止めない自信が、俺にあるか」
「ある。あなた、コメント欄を最初から読んでない」
「……それは、そう」
短い笑い声が、部屋の隅で起きた。
俺は鋏のケースを、膝に乗せ直した。
◇
午後七時。
ベランダの盆栽棚に、リングライトが灯った。
今日のメニューは、棚中央の真柏。
葉の先端を、内側から順番に整える。
配信のコメント欄は、いつも通り滝のように流れていた。
画面の隅に、セナが計測器を置いている。
普段なら配信に映らない位置。
今日は、表向きは温度計、実態は通信パケットの計測装置だった。
開始から七分。
『今日は左端から、ですね』が、流れた。
俺は鋏を止めなかった。
葉先の角度だけを確かめ、次の枝に進む。
計測器が、低く一度だけ唸った。通信が動いた合図だ。
開始から十四分。
『今日も同じ並び、安心しました』。
俺は土の表面に指を当て、湿り気を確かめた。
いつもの順番で、いつもの動作を。
二度目の唸り。
開始から二十一分。
『今日の樹形、昨日と変わらず』。
計測器の唸りが、三度目で止まった。
セナがタブレットの上で、微かに頷いた。
追跡完了の合図だ。
俺は、最後の一枝を整えてから、鋏のケースを閉じた。
配信終了の挨拶は、いつもより一拍だけ短かった。
◇
配信終了直後。
部屋に田中が戻ってきた。
「三拠点、特定しました」
「早いな」
「アリスの読みが正確でした。学園都市の北側に二拠点、市外に一拠点。いずれも空き物件を装ったセーフハウスです」
「動きは」
「明朝、合同で踏みます。今夜は通信を切らさず、向こうに『気づかれていない』を維持」
「俺は、何もしない方がいい、というわけだ」
「ええ。今夜だけは、何もしないでいてください」
田中の言葉に、初めて軽い疲労の色が混ざった。
アリスが、田中の後ろから軽く手を上げた。
「ナナセ、上手だった」
「お前の指示通り、コメント欄を見なかった」
「それが正解」
部屋の空気が、わずかに緩んだ。
ここしばらく、ずっと後手に回っていた。今夜は、たぶん、初めて違った。
◇
田中とアリスが帰る支度を始めた頃。
俺は窓辺の盆栽棚の前に戻り、棚の右端を見た。
病室から運ばれた、樹齢の若い真柏。
あの雨の日、土の中に異物が見つかった鉢だ。
葉の形は、いつも通りだった。
「セナ」
「うん」
「お願いがある」
「うん」
「俺の昔の戦闘配信、見せてくれないか」
セナの動きが止まった。
タブレットを抱えた手が、机の縁で半秒だけ留まった。
「……どこから」
「最初から。初配信から」
「全部?」
「全部」
セナが、田中の方を一度見た。
田中も、俺の方を一度見た。
二人とも、何も言わなかった。
ただ、互いに何かを確認するように、ゆっくり頷き合った。
「分かった。準備する」
セナが、タブレットを開き直した。
再生リストの作成画面が、画面の上に浮かび上がる。
タイトルの欄に、彼女が「初配信から」と打ち込んだ。
俺は、その画面を見ていた。
画面の中の俺は、まだ、見たことのない俺だった。




