第93話:襲撃、身体だけ起きる
深夜二時過ぎ。
俺はベッドの中で、半分だけ寝ていた。
眠りは浅い。退院してから、毎晩そうだった。完全に意識を落とすと、朝までの間に必ず一度、夢の中で誰かに追いかけられて目が覚める。
今夜も、同じ時間に瞼が薄く開いた。
窓の外は静かだった。
雨は昨日のうちに止んでいて、風だけが弱く流れている。
ふと、廊下の音が、いつもと違うのに気づいた。
アーサーが立っている位置の床板の、軋み方が、違う。
その違いを、自分で判断する前に、身体が先に動いた。
◇
毛布の中で、右手が枕の下を探った。
昨日までは、枕の下に何も入れていなかったはずだ。
なのに、指先が冷たい金属の柄を、迷わず掴んだ。
ナイフ。
いつ、誰が枕の下に置いたのか、覚えていない。
ただ、身体は、そこにあると知っていた。
扉の方で、空気が一段だけ動いた。
俺の意識は、まだ半分しか起きていない。
だが、足の裏が、床の感触で目を覚ましかけていた。
次の瞬間――。
俺は、覚えていない。
◇
目が開いた。
部屋の中は、暗いままだった。
俺は、ベッドの脇に立っていた。両足が床にしっかり着いている。
右手にはナイフ。
左手は、何も持っていなかった。
足元に、人影が三つ、転がっていた。
全員、結束バンドで手足をきつく縛られている。
口にはタオル、目にはアイマスク。
全員、呼吸はある。
誰も、声は上げていない。
俺は、ナイフを枕の下に戻した。
毛布をめくり、もう一度ベッドに入った。
何が起きたのかは、明日の俺に頼む。
二度目の眠りは、最初より浅かった。
◇
午前七時。
扉のノックが二回。
「師匠、入っていい?」
「うん」
セナが、いつもの肩からバッグの格好で入ってきた。
タブレットを開きかけて、足元で固まった。
「……師匠」
「うん」
「誰これ、縛ってあるんだけど」
「だな」
セナがしばらく、俺の顔と床の上を、交互に見ていた。
「説明、してくれる?」
「できない」
「できないって」
「俺、寝てた」
「寝てた」
「うん」
「で、起きたら、こうなってた?」
「そういうことになる」
セナがタブレットを胸に抱え直し、深く息を吐いた。
「田中さんに、連絡する」
「頼む」
◇
田中が回収班を連れて到着したのは、午前八時前だった。
床の三人を確認し、装備を点検する。偽造の身分証、外国製の通信機、非殺傷の制圧道具。先日の鉢の触媒と同じ系統の連中だ、と田中が短く言った。
「七瀬さん、本当に、寝ながら制圧したんですか」
「寝ながら、と言われると違う気もする。寝ぼけていた、というのが近い」
「同じです」
田中はそれだけ言って、回収班に指示を出した。
部下たちが三人を運び出していく。
扉が閉まると、田中が机の脇に座った。
「アーサー氏は、昨夜だけ、別の任務に出ていました。今朝戻ります」
「別の任務、というのは」
「鉢の侵入経路を辿るための、病院側の追跡です。主君に関わる件は私が、と、ご本人の強い希望でした」
「……それで、ここを空けたのか」
「監視カメラと、外周の警備班には、目を光らせていました。それでも、入ってきた」
「向こうは、それを読んでいた、というわけか」
「ええ。今夜の侵入は、貴女が寝ている間に動けば撃退できない、という前提で組まれていました」
「動けたが」
「それが、想定外でした」
田中が立ち上がった。
「貴女の身体は、起こされる前に、もう仕事を済ませてしまうようです。今夜のことで、向こうもそれを認識した。次は、別の手を組んでくる」
「面倒な話だ」
「ええ。お茶を淹れ直しましょうか」
「……いや、いい」
田中が頭を下げ、扉を閉めて出ていった。
◇
俺は、もう一度ベッドに腰を下ろした。
枕の下に手を入れる。ナイフが、昨夜と同じ角度で、入っていた。
誰が置いたのかは、いまだ分からない。
ただ、置いた人物は、たぶん、俺の手が届く場所を、よく知っている。
「師匠」
「うん」
「ナイフ、いつから枕の下に?」
「分からん」
「……だよね」
セナがタブレットを閉じ、肩からバッグの紐を一度直した。
「次は、起きてからにしてね」
「努力する」
「それ、努力で何とかなる種類じゃないでしょ」
「だな」
俺は立ち上がり、ベランダの方へ向かった。
昨夜の手順は、覚えていない。
今日の水やりの順番は、覚えている。
今朝の俺の側にあるのは、その差だ。




