第十九話 老練なる商会会頭、ヘイルーツ三世
翌朝。
私はガラム、ゼンダンと連れ立ち、再びヘイルーツ商会の門をくぐった。
昨日と同じく、立派な石造りの建物の正面ホールで足を止める。
だが今日は、受付に座っていたのは前日の受付嬢とは別の、細身の男性だった。
茶色の髪をきっちり撫でつけ、眼鏡を掛けている。小さく咳払いをしながら、私たちに視線を向けた。
受付係「ご用件は?」
私は一歩前に出て口を開いた。
藤野「昨日も参りましたが、電気という新しい仕組みについて商会の方に――」
受付係「……またですか。申し訳ありませんが、そのような話はお取り次ぎできません」
あしらうような態度。
昨日と同じ結果に終わるかと思ったその時、ゼンダンが落ち着いた声で口を挟んだ。
ゼンダン「私は王都魔術研究院所属のゼンダン。これは新たな魔法の発見に関わる件だ。
商会の責任ある立場の方に、直接お伝えする必要がある。
会頭のヘイルーツ氏であれば、我々の話を理解していただけるだろう」
その一言で空気が変わった。
受付係の目が明らかに揺れ、背筋を伸ばす。
受付係「……か、かしこまりました。少々お待ちください」
受付係は慌ただしく一礼すると、足早に奥へと消えていった。
正面ホールでしばらく待つと、先ほどの受付係が戻り、『こちらへ』と短く告げた。
彼は緊張を含んだ面持ちのまま、私たちを建物の奥へと導き、重厚な扉の前で足を止めた。
受付係「こちらの応接室にて、しばらくお待ちくださいませ」
藤野「承知しました。ありがとうございます」
応接室には落ち着いた色合いの木製家具が整然と並び、壁には絵画が飾られている。
程なくして、秘書らしき黒衣の女性が入ってきて、湯気を立てる琥珀色の飲み物を差し出した。
香りは紅茶に近い。
やがて、応接室の扉が静かに開かれる。
姿を現したのは、髪に白いものを交えた中年の男――ヘイルーツ三世。
体格はがっしりとしており、仕立ての良い外套をまとっている。
私は立ち上がり、深々と頭を下げた。
藤野「お初にお目にかかります。異郷より参りました、藤野と申します」
続けてガラムが名乗り、さらにゼンダンも魔術研究院所属であることを告げる。
それを受けて、ヘイルーツ三世も落ち着いた声で挨拶を返した。
ヘイルーツ三世「私がこの商会の会頭、ヘイルーツ三世だ。よく来てくれた」
自己紹介を終え、着席を促されると、
彼もゆったりと椅子に腰を下ろし、両手の指先を合わせて尖塔のような形を作った。
ヘイルーツ三世「さて……新しい魔法があるとのことですが、詳しく話を聞かせていただけますかな?」
彼の鋭い目線が私に刺さる。
私は深呼吸し、サンチキに教わった説明の順序を頭に浮かべた。
私は、電気がどのように生み出されるか、発電の原理を簡潔に説明した。
続いて、電気を光に変える仕組みとして電灯を、力に変える仕組みとしてモーターを、説明のために用意した資料を使いながら示す。
さらに、夜間の照明や井戸からの水汲み、洗濯、村の警備など、実際の利用例を挙げながら、電気技術の必要性を語った。
藤野「――――結論として、電気は社会全体に利益をもたらす技術です。
村ではすでに導入され、夜間の作業や警備、水汲みや洗濯の効率化ができています。
この技術を広めれば、王都でも人々の暮らしが良くなるでしょう」
自分でも驚くほど、言葉がすらすらと出てきた。
ヘイルーツ三世は顎に手をやり、しばし考え込む。そして、静かに口を開いた。
ヘイルーツ三世「……魔導具の一種に聞こえるが?」
ゼンダンが補足するように口を開いた。
ゼンダン「魔導具は魔石または使用者の魔力に依存し、魔力が尽きれば終わりだ。
だがこの仕組みは燃料さえあれば長時間稼働できる。そして何より、魔法を扱えぬ者でも操作が可能だ」
ヘイルーツ三世「……ふむ。危険性は無いのか?」
私は小さく息を整えて答えた。
藤野「導線や器具に直接触れれば、強い痺れに襲われ、最悪の場合は命に関わることもあるでしょう。
ですが、絶縁や遮断といった仕組みを整えれば防げます。
扱い方を誤らなければ、刃物や火と同じように有用な道具となるはずです」
彼の目が細められた。だが、次の言葉は容赦なかった。
ヘイルーツ三世「理屈は理解した。だが理屈だけでは信用できん」
その言葉を待っていた。
私は鞄に手を入れ、小さな模型を取り出した。
藤野「ならば、ご覧ください。実際に作ってきました」
百聞は一見にしかず。
机の上に置いたのは、手回し式の小さな発電機と、電球代わりのゴロッタ石を繋げた簡素な仕組みの模型。
ガラム「……いつの間にそんな物を」
藤野「王都に来る前に、実演用にとキースと一緒に作っておいたんです」
私はハンドルをゆっくり回す。
カラカラと音を立てて軸が回り、次第にゴロッタ石の先に火花が走る。
やがて、小さな光が机の上を照らした。
その瞬間、空気が一変した。
ヘイルーツ三世は思わず身を乗り出し、秘書の女性も息をのむ。
ヘイルーツ三世「……確かに、これは……。
便利だが、熱や火花が飛べば、簡単に火災を引き起こしかねん」
すぐに危険性を見抜く。だがその目は、同時に強い関心を帯びていた。
ヘイルーツ三世「だが原理を理解し、使い方を誤らなければ、都市の夜間管理に役立つだろうな」
彼は椅子にもたれ、指を組み直した。
ヘイルーツ三世「ただし、今すぐに王都全体へ広げるのは困難だ。費用も人員もかかる。
だが――王都には《技術登記帳》という制度がある」
藤野「技術……登記帳?」
ヘイルーツ三世「新しい技術を登録すれば、その権利は登記者に帰属する。
真似されたとしても、登記を盾に訴えればいい。逆に、登録者に危害を加えれば、加害者が立場を失う」
藤野(まるで特許だ。この世界にも、似たような仕組みがあるのか)
ヘイルーツ三世「この技術を守りたいのなら、まずは登記を済ませるべきだ。
それが最も早く、最も確実な道だろう」
ゼンダンが頷き、ガラムは「なるほどな」と唸る。
私は大きく息を吐いた。アンドリューが独占しようと企む中、この制度は大きな盾となる。
藤野「ありがとうございます。その方向で、ぜひお願いします」
ヘイルーツ三世「よろしい。さて、もう昼時となる。
具体的な手続きと費用については午後に話し合おう」
ガラムが小さく笑った。
ガラム「助かったな。腹を満たしてからの方が、いい話ができそうだ」
ゼンダン「異議はない。こういう話は焦っても仕方ない」
場に柔らかな雰囲気が広がったところで一時解散となった。
そして、秘書に促され、応接室を後にし、昼食を摂るべく商会を離れた。
昼食後。
再び商会へ赴き、応接室にてヘイルーツ三世と面会した。
私は机の上の書類に目を落とす。
そこには《技術登記帳》の申請に必要な書類と、費用の見積もりが記されている。
ゼンダンが法律的な文言を読み上げ、ガラムも「商会が間に入るなら手数料は妥当だな」と頷く。
私は頭の中で計算を繰り返し、商会側の取り分と私たちの利益のバランスを整えた。
やがて、電気技術の登記について話がまとまった。
その時、私はふと顔を上げ、ヘイルーツ三世に申し出た。
藤野「……恐れ入ります。ひとつ、人払いをお願いできますか。
ガラムさんとゼンダンさんには後で合流していただければ」
ヘイルーツ三世の眉がわずかに動いた。
何を言い出すつもりなのか、と一瞬だけ探るような眼差しを向けられる。
だが、私の態度に打算や悪意が感じられないと見て取ったのか、やがて短く息を吐き、静かに頷いた。
そして秘書へ視線を向けると、低い声で指示を飛ばした。
ヘイルーツ三世「二人を外へ案内してくれ」
応接室の空気は一気に静まり返った。
ガラムとゼンダンが一度視線を交わし、秘書とともに応接室から退室し、私とヘイルーツ三世だけが残った。
私は声を落とし、真剣な口調で語り出した。
藤野「実は……電気の研究の過程で、私は魔力を生み出す方法を見つけました」
ヘイルーツ三世の目が見開かれる。
その視線を受け止めつつ、私は続けた。
藤野「電気の発生方法と、魔力の発生方法が酷似しているのです。
だからこそ、電気の発生原理が知られてしまえば、魔力を生み出す手法を応用する者が現れるかもしれません。それを避けたいんです」
ヘイルーツ三世はしばし沈黙した。やがて低い声で答える。
ヘイルーツ三世「……確かに、それは国家の根幹に関わる発見だ。公開すれば混乱は避けられまい。
だが――秘密裏に登記しておくことで、その懸念は解消できる。
もちろん、登記人としては君の名を立て、私が代理を務めよう」
藤野「ありがとうございます……」
ヘイルーツ三世「ただし、商会としては手数料率を少し上げさせてもらう。
それが我らの利益に繋がるし、君の技術を守るための盾にもなる」
私は一瞬迷ったが、やがて深く頷いた。
この人になら任せられる――そう思えたからだ。
藤野「分かりました。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
ヘイルーツ三世は口元に微笑を浮かべ、私に右手を差し出した。
私はその手を力強く握り返す。
こうして、電気と魔力、二つの技術の未来を守る契約が結ばれたのだ。
商会を後にすると、正面玄関の前でガラムとゼンダンが待っていた。
彼らの姿を見て、私はようやく緊張から解放され、深く息を吐いた。
藤野「……終わりました。どうにか、一歩前進できました」
ガラムは満足げに頷き、ゼンダンも穏やかに微笑む。
商会との契約は、ただの取引ではない。
それは村を覆う不安を払拭し、王都に電気の文明を築くための扉を開いた。
安堵と共に、抗えぬ大きな流れに自らが乗ったのだという実感が胸を打つ。
新たな時代の始まりを予感しつつ、私は石畳を踏みしめた。




