古傷
ペアを組んでの個別訓練が始まって、しばらく経つ。
しかし、トップ層の四人は未だ、沈んだ顔で立ち尽くしていた。
先の衝撃に、しばらく皆、落ち着かない様子だったが、他の訓練生はいつものタスクに意識が向き始めている。
「予想を的中させたのに、浮かない顔だね。腹でも空いてる?」
振り向くと、先ほどのあの馴れ馴れしい、イーサンが笑って立っていた。
「なんの用だよ?」
「ん? 余り物の君と組もうと思って、声をかけたのさ」
不躾な言動に腹が立ったが、事実なので口を噤む。
半数近くが、過去の乱闘で接近禁止命令を出されていたので、いつも誰かあぶれるまで隅で待機しているのだ。
あまり気は進まないが、他にはない。
組み手のできる余りのスペースへ歩くと、後ろから奴はついてきた。
「そういえば。君、名前なんて言うのさ?」
「お前……人のこと、地雷だのなんだの言っておきながら知らなかったのかよ。シンって呼ばれてるけど……勝手にすれば」
「ああ、なるほど。本名じゃないのか。それじゃあ、シン。君はアシスタントと知り合い?」
思わず足を止めてしまった。
振り返るとイーサンは、にやりとした笑みを浮かべている。
「なんでだよ」
「おや? 僕はまだ、どのアシスタントか聞いてないよ」
(こいつ、人をわざとイライラさせてるのか?)
思わず舌打ちが出たが、イーサンは気にする素振りもなく、ひらひらと手を振った。
「ごめんごめん。あの四人の鼻っ柱を折った、ルナのことだよ。なんとなく、君の態度見るにそんな気がしたんだけど……まあいいや、違うなら違うで」
「いったい、何が言いたい?」
「せっかく素晴らしいアシスタントがいるんだ。直接指導を受けに行かないか?」
「は?」
確かに、個別訓練中は教官の元へ自由に指導をお願いすることが可能だ。現に、〈オリジン〉として長く前線で活躍するロキの元に、数組集まっている。
しかし、先ほどの圧倒的強者ぶりを見せつけた彼女は、隅に座ってぼんやりと斜め上を眺めているだけだった。
「ほら、皆遠巻きに見ているだけで、恐れ慄いて指導を仰ぎに行かない。チャンスだろ?」
イーサンはくるりと背を向けると、彼女の元へ向かう。
「おい、待て、待てってば!」
慌てて追いかけるも、イーサンは既に彼女へ話し掛けてしまった。
「やあ、こんにちは。僕はイーサン・ラシッド。先ほどの素晴らしい実演、見れて良かった。大変感動したよ。ということで、せっかくだから、改善すべき点を教えてほしいんだ」
つらつら述べるイーサンに、彼女は静かにまばたきを繰り返すと、こちらに視線を向けてきた。
「あ、彼は僕のペア、シンだ。僕らに教えてほしい。いいかい?」
青灰色の目に捉えられると、息が詰まって仕方ない。
唾を飲む音がやけに大きく響いた気がしたが、彼女は静かに頷くとゆっくり立ち上がった。
「何を教えればいいですか?」
「敬語はいらないよ。僕より年下だろうけど、君は先生の立場だから。ちなみに、何歳?」
彼女はわずかに戸惑っているようだが、十四と答えた。
「へえ、僕の二つ下か。すごいなあ」
イーサンは軽く笑った。
「で、教えてほしいんだけど——何を教えてもらおうかな?」
(……別の奴を探すか)
呑気にお喋りに来ただけらしい彼に、落胆した。
奴にはさっさと見切りをつけたほうがいい。
元の定位置に戻ろうと背を向けた――
——次の瞬間。
背筋がぞわりとし、慌てて身体を躱す。
向けられた敵意を掴み、床に叩きつけた。
「いったあ……! そんな強く投げつけなくてもいいだろ?」
床に寝そべり、困ったような顔で笑うイーサンに、動悸が速くなった。
(こいつ……俺を油断させるためにか!)
へらへらしていたとは思えぬほど、蛇のような狡猾さに寒気が走った。
「いてて。ということで、今の不意打ち悪くなかったと思うんだけど、何がよくなかったと思う?」
彼女はしばらく、イーサンの顔を見つめていたが、やがて口を開いた。
「相手に反撃の余地がある状態の不意打ちは、望ましくない。首を狙うことは良いけれど、同時に身体のバランスを崩させる必要があった……例えば、足を払う、とか」
「足を払う、ね。君のお相手に立候補した彼相手にも同じようなことをやっていた。バランスを崩させるのは大事なんだね、よく分かった。じゃあ、シンの改善すべき点は?」
急にこちらへ話を移してきたイーサンを、思わず睨んだが、やはり奴は気にする様子なく微笑むだけだった。
「反応の速さは問題なかった。けれど、背負投げは、無駄」
彼女の声は、淡々としていた。
「それから、身体を反らして避けた時、重心が後ろに傾いている。前線なら、その瞬間を狙われる」
「は……?」
ルナはじっとこちらを見つめながら、続けた。
「私が敵なら、その瞬間に蹴り、を入れて、バランスを崩させる。避けるなら、重心を保ったまま。それか、避けずに相手の腕を制御しないと」
ルナは小さく息をつくと、静かに付け加えた。
「実際では、一対一なんてほぼない。一人に時間をかければ、その分、危険が増える」
本物の戦場を知る彼女との差を、言葉だけでまじまじと見せつけられ、何も言えなかった。
かつてあんなに近くにいたはずの彼女が、ひどく遠のいた感覚に襲われる。
(……別に。近いと思っていたのは俺だけか)
「分かった……」
訓練生のうちの一人を見るその目に、何も感じていないようなその顔に、黒い感情が胸を巣食い始めた気がした。
「とても参考になったよ。ありがとう。じゃあ、また聞きに来るよ」
ルナの手を取り、強引に握手をすると、イーサンは先のスペースへ勝手に戻っていく。
もう一度、無表情の彼女を一瞥し、イーサンの後を追うべく踵を返した。
「あなたは、ここにいるべきじゃない」
しかし、小さいが確かなその声に止められた。
振り向くと、青灰色の目が、真っすぐこちらを捉えていた。
「あなたは」
彼女は、まばたきもせずに続けた。
「ここにいるべきじゃなかった」
どくん、と。心臓が、一度だけ大きく震えた。
「どういう意味だ?」
自分の声も、握った拳も、震えているのを感じながらも、捕らわれたように青灰色の目を見つめることしか出来ない。
「そのままの意味」
こちらの動揺をよそに、彼女は表情一つ変えず、もう一度同じ言葉で刺した。
「あなたは、ここにいるべきじゃない」
胸の中を、冷たい金属で押しつけられたような感覚が広がった。
(俺は、役立たず、ってことか?そんな価値がなかった、ってことか?)
せっかく——せっかく向き直ることができたというのに、それを無残に砕かれたように感じた。
(結局、俺は——邪魔なだけなのか)
「そうかよ」
たった四文字を吐き出すだけで、精一杯だった。
イーサンの後を足早に追う。平静を装うことも出来ていないだろうが、繕うことしか頭に入らない。
*
薄暗い自室で、何度も反芻する。
抉られた心の傷は、未だに治らない。
あの時とは何もかもが変わった。
上の中に過ぎなかった訓練生から、精鋭と呼ばれるΣになり、彼女に次ぐと言われるほどの逸材に生まれ変わった。でも、あの言葉、彼女が放った言葉は未だに、胸に沈み続けていた。
——冷たく、確かな、あの声が。
―――
(機密百科事典より引用)
〈訓練生制度〉
武装レジスタンス組織〈アポクリファ〉準員になるための訓練制度。十歳から訓練プログラムに参加することが可能だが、原則、卒業資格は十五歳以上であること、月初めに行われる昇格試験を、三回合格することが条件として設けられている。ただし、問題行動による処分を受けた場合、昇格試験の合格を取り消されることもある。
異能力の強化に併せて、基礎対人体術、射撃、剣法などの非能力技術を習得することが可能。
準員に昇格後は、現場での援助活動などの参加が可能となるが、訓練とのギャップや、恐怖心から、前線部隊の配属を退く例が一定数ある。




