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第12話 契約書

 俺は、タワマンの広大な自室のソファに深く腰を沈め、大きな溜息を吐き出していた。


「はぁ、疲れた。……ん? 仕事が早いな」


 手元のタブレット端末には、先ほど別れたばかりの酒井 凛(さかい りん)から『専属マネジメント契約書(ドラフト版)』のPDFデータが送られてきた。


「悪くない話……なんだよな?」 


 意外なほどに、お互いに利益のあるクリーンな契約内容だ。契約書を見る限りでは怪しいところは見受けられない。


 しかし、今日ダンジョンで剛田たちと会ったからか、かつての惨めな日々が、ふと頭をよぎる。

 散々こき使われ、最後はゴミのように捨てられた過去。


 居酒屋では、思いのほか好印象だった彼女の話に、ついつい流されるままだった。

 しかし、アイツだって俺にとっては加害者の一人なのだ。

 ずる賢いやつだし、俺の望むように振舞うことだってできるはずだ。

 簡単に手を組んでしまってもよかったのだろうか……?


 そんなことを考えていると、ふと閃いた。


「試しに《《視てみるか》》? こういうのに使ったらどうなるんだろう……まあ、物は試しだ。やってみよう」


 俺は右目に意識を集中させ、タブレットの画面に向けて『真贋鑑定(しんがんかんてい)』を発動してみた。


 ――ブォン。


 視界が歪み、電子データであるはずの契約書の文字が、グニャリと形を変える。

 無機質なシステムウィンドウが、画面の上に重なるように展開された。


「お、なんか見えた」


====================

【名称】専属マネジメント契約書(ドラフト版)

【制作者】酒井 凛

【状態】巧妙な偽装、不当条項あり

【真意】

 表面上はマージン15%だが、第8項(海外取引における為替差損益の帰属)および第12項(システム管理費の外部委託)に、法的な抜け穴が存在。

 これを利用し、透の利益の《《約70%》》を、凛が設立したダミー会社へ合法的に迂回させる意図がある。


【危険度】極めて高い(※サインした場合、数年で資産を吸い尽くされる恐れあり)



「あいつマジか!? 普通に見てもよく分からんけど……クソっ、少しでも信用した俺がバカだったな」


 俺は頭を抱えた。

 70%って、暴利もいいところだ。まんまと乗せられてサインしていたら、俺はあいつの金づるとして一生飼い殺しにされるところだった。

 さすがはあの剛田を躊躇なく見捨てて俺に乗り換えた女だ。金の匂いに対する執念と、それを毟り取るための法的な悪知恵はダンジョン級に恐ろしい。


「……どうする? 断るか?」


 だが、すぐにその選択肢の危険性に気づく。

 もし今、「罠に気づいた、この話はなかったことに」と突き返せばどうなるか。


 相手は交渉と嫌がらせのプロだ。俺の正体『Master_Eye』をネットにバラされたり、あることないこと吹き込んでアンチを扇動されたりすれば、俺のビジネスは終わる。剛田たちに居場所を教えられるだけでも厄介だ。

 何より、あいつを完全に敵に回したら、何を仕掛けてくるか分かったものじゃない。


「厄介だけど、味方に付ければあいつほど心強いのも事実なんだよな」


 海外のバイヤーとのやり取りや、アンチへの対応。俺が一番やりたくない面倒事を処理できる能力は間違いなく本物だ。

 必要なのは、あいつの悪知恵を俺の利益のためだけに働かせるための《《首輪》》だ。


 俺一人では、法的な知識でも口八丁でも彼女には勝てない。

 ならば、凛自身が提案していた策を逆手にとるしかない。


「金じゃ動かない、圧倒的な格上を味方につける……か」


 俺はスマホを取り出し、連絡先アプリ『D・チャット』を開いた。

 フレンドリストにある、燦然と輝く『VIP』の文字。

 日本最強のSランク探索者、神宮寺(じんぐうじ)セイラのアカウントだ。


 実は先ほどアイギスの盾を出品した直後から、彼女から個人チャットに何件かメッセージが届いていたのだ。


『透さん! あの盾見たよ!』

『あれも透さんが直したの!? ヤバすぎ!』

『魔法反射率100%って本当? 呪いは完全に消えてるの?』

『ねえねえ、どうやって浄化したの!?』


 スタンプを連打してくるその様は、完全にテンションの上がったオタクのそれだった。

 俺は大きく深呼吸をしてから、返信を打ち込んだ。


『お疲れ様です、セイラさん。実は、あの盾の件も含めて、少しご相談したいことがありまして。明日、直接お会いできませんか?』


 送信ボタンを押す。

 すると、数秒も経たないうちに既読がつき、即座に返信が来た。


『いいよ! 明日の午後ならダンジョン攻略お休みだから。うちに来る?』

『あ、でも透さんに来てもらうの悪いし、私がそっちに行こうか? 美味しいケーキ屋さんの新作、買ってくよ! 住所教えて!』


 ……Sランク、フットワーク軽すぎないか?

 いや、助かるけれど。


『ありがとうございます。では、グラン・アクシス新宿35階の角部屋にお越しください』


 時間と場所を手早く決めて、チャットを閉じる。

 よし、これで最強のカードの手配は済んだ。


 あとは、凛への工作だ。

 俺は凛とのチャット画面を開き、努めて軽い文面になるようにメッセージを作成した。


『凛、さっきはごちそうさま。

 セイラ様のアポの件だけど、ダメ元で俺から直接連絡してみたら、今は遠征やら取材やらで忙しいみたいでさ。会えるの《《来月》》になっちゃいそうなんだけど、どうしようか?』


 送信。

 こちらもすぐに既読がついた。


『えー、マジ? 来月かぁ……遅いけど、相手がSランク様なら仕方ないわね。

 じゃあ、それまでに海外展開の地盤とか契約書とか、こっちで完璧に準備進めとくわ♡

 透くんは引き続き、お宝の発掘がんばってね!』


「準備進めとくわ♡、じゃねえよ。どの口が言ってんだ!」


 画面越しのあざといウインクの絵文字に、思わず舌打ちが漏れる。

 だが、これでいい。

 これで凛は「契約は自分のペースで進んでいる」と油断するはずだ。まさか明日、俺が直接セイラに会うなんて思いもよらないだろう。


 凛には内緒でセイラと交渉し、俺にとって絶対に安全な《《後ろ盾》》を作ってもらう。

 そうすれば、凛がどんな罠を仕掛けてこようと、Sランクの威光で叩き潰せる。


「そのためには、明日……セイラを完全に納得させるだけの『交渉材料』が必要だな」


 俺の武器は『真贋鑑定』だけだ。

 しかし、その目で見つけ出したアイテムには、Sランクすら傅かせる価値がある。


 俺はブルーシートの上に置かれた『アイギスの盾』をちらりと見やった。


「明日の勝負、絶対に負けられない。俺の平穏な金持ちライフを守るためにもな」


 夜景の広がるタワマンの部屋で、俺は一人、静かに闘志を燃やしていた。

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