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第102話 開放

 無数に倒れ伏した人造クローン兵たちから吸い上げられた魔力の奔流。赤黒く濁ったそのエネルギーは、ノアという小さな少女の器を限界まで押し広げ、理不尽な暴力を具現化するためにその輪郭を急速に変貌させていった。


「――細胞活性、全開放」


 ノアの口から、少女の声と、幾重にも重なった重低音のノイズを伴う声が響き渡る。

 直後、彼女の背中の皮膚を引き破るようにして、どす黒い血液と共に蝙蝠を思わせる巨大な漆黒の翼が二対、一気に生え揃った。額から生えた赤い角は不気味な脈動を打ち始め、その全身の肌は、まるで火山の溶岩が冷えて固まったかのような、ひび割れた黒い炭の質感へと変色していく。

  ジュウジュウと嫌な音を立てて、彼女の足元の大理石が強烈な熱量によって溶け出していた。

 ただそこに立っているだけで、中央制御室の空気が高熱を帯びてグニャリと歪み、呼吸をするだけで肺を焼かれるような錯覚を覚える。


(なんだ……この、とんでもないプレッシャーは……!)


 アガートラームのヘルメットの奥で、俺は全身に脂汗が噴き出すのを感じていた。

 警告のエラーログがバイザーの視界を真っ赤に埋め尽くしていく。俺は恐怖を強引にねじ伏せ、右目の『真贋鑑定』を、変貌を終えたノアに向けて最大出力で叩きつけた。


 ――ブォン。


 歪む視界の奥に、血の滲むような赤一色で描かれたシステムウィンドウが展開される。


 ====================

【名称】ノア(魔物因子完全解放形態)

【ランク】鑑定不能(※創世級を上回る極限暴走状態)

【状態】生命維持リミッター完全崩壊。全身の細胞の融解が同時進行中。

【詳細】蓄積されたすべての魔物因子を強引に暴走・解放させた、エデンの禁忌。 神にも迫る圧倒的な戦闘能力を誇るが、ノア自身の肉体がその暴力に耐えきれないため、活動限界時間は残り『三分』。時間が経過すれば自滅する。

 ====================


(三分……! 長いのか短いのか……)


 だが、その三分という数字は、俺たちにとって希望などではなかった  創世級を上回る『鑑定不能』の暴力を前に、俺たちが三分間、生き残れる保証はどこにもないのだ。


「セイラ、気を付けろ! あいつは――」


 俺が叫び、その情報をセイラに伝えようとした、その瞬間だった。    時間の流れが、極限まで引き伸ばされたように遅くなる。  

 アガートラームの超高性能センサーが、激しくアラートを鳴らした。  だが、遅すぎた。  

 ドンッ。


「がはっ……!?」


 衝撃は、目の前から、そして同時に背後から襲いかかってきたかのような錯覚だった。

 アガートラームのバイザーに表示される空間レーダー。そこに、ノアが動き、俺の懐に潜り込み、その拳を俺の腹部に叩きつけるまでのプロセスは、何一つ投影されていなかった。

 ただ一瞬、視界の端で黒い翼が羽ばたいたと思った次の瞬間には、すべてが終わっていたのだ。


 ギギギ、メリメリメリッ!!!


 嫌な音を立てて、アガートラームの絶対装甲が、俺の腹部中央から陥没していく。

 何重もの衝撃吸収プレートが粉々に砕け散り、装甲内部の緩衝システムがその限界を超えて焼き切れた。


「あ……っ、が……」


 肺の中の空気がすべて強制的に絞り出され、目の前が真っ暗になる。

 殺すつもりはないのか、致命的な急所は巧妙に外されていた。だが、それでもアガートラームをつぶすのには十分な威力だった。


《警告。魔力炉心、物理的破損を検知。安全弁、強制作動。……アガートラーム、機能停止します》


 ヘルメットに走っていた青い光のラインが、スッと消失する。  

 同時に、完璧にフィットしていた流線型の装甲が、熱を失ってただの重い『鉄の檻』へと変貌した。

 俺の身体は、床を転がるゴミのように泥臭く地面へと叩きつけられ、ピクリとも動かせなくなった。


「透!」


 セイラが、剣を構え、咆哮と共にノアの前に立ち塞がった。  

 黄金に輝く『エクスカリバー・アヴァロン』を全力で振り抜き、絶対切断の光柱をノアの頭上へと叩きつける。

 だが――。


 フッ、と。 ノアは、ただ軽く首を傾げるだけの動作で、その神速の斬撃を紙一重で回避した。  


「今は……私のほうが……強い」


 ノアらしくない、どこか勝ち誇ったような声と共に、彼女は、再生したばかりの赤黒い剛腕を無造作に振り抜いた。

 ただそれだけの動作。しかし、放たれた一撃は、空気を圧縮して目に見えるほどの白い波動となり、セイラの『アイギスの盾』の防壁を真正面から叩き潰した。


 ドガァァァァンッ!!!


「きゃあああっ!?」


 盾を構えたまま、セイラの身体が何十メートルも後方へと吹き飛び、制御室のコンクリート壁に激突した。

 壁に背中を打ち付けたセイラが、苦悶の表情でその場に膝をつく。彼女の碧眼からは、いつもの余裕が完全に消え失せていた。


(クソッ……動け! 動いてくれ、アガートラーム!)


 俺は、重い金属の塊と化した装甲の内部で、必死に指先を動かそうとした。

 だが、システムは完全に沈黙し、魔力炉心からの供給も完全に途絶えている。俺の筋力では、この数百キロはある古代の鎧を、一ミリすら動かすことはできなかった。


「主様……! 主様、しっかりしてください!」


 ふと、視線を落とすと、俺の右手のすぐそば。  床に転がっていたカリバーンが、必死に青白い光を点滅させていた。

 こいつも、少なからずダメージを受けているようだ。


(……このままじゃ、セイラが殺される。ノアの活動限界まで、多分もたない)


 自分に対する圧倒的な無力感と、怒りが胸の奥から湧き上がってくる。  だが、俺に戦う力はない。  


 だったら――。


「カリバーン……お前だけでも」


 俺は、鉛のように重い右手を、数ミリだけ床に這わせた。 そして、人差し指の先を、カリバーンの冷たい柄へとそっと触れさせる。


「俺の残った魔力を、全部お前に注ぎ込む。……だから、人間の姿になって、セイラを助けてやってくれ……!」


 俺は、自身の命を削り取るような勢いで、体内から溢れ出るわずかな魔力を、指先からカリバーンへと送り込んだ。


 ――トクン、ドクン……!


 カリバーンの刀身が、俺の魔力に呼応して、かつてないほど激しく脈を打ち始めた。 漆黒の闇と、神聖な白銀の光。

 相反する二つの魔力が、彼女の傷ついた刀身から溢れ出し、彼女を『少女の姿』へと変化させようと、激しく膨張していく。


 だが。 その魔力の激しい明滅を、機能停止し、自動修復モードに入っていたアガートラームの安全システムが、正確に感知した。


《システムより通知。……自動修復プログラム、起動。……近接領域に、極めて親和性の高い『外部接続武具』を検知》


 ヘルメットの内部スピーカーから、不意にノイズ混じりの、けれど聞き覚えのある異質な音声が流れ始めた。


《対象:神魔剣カリバーン。……魔力回路の統合、および装甲の自己進化シーケンスを開始します。……所有者の魔力同調率、100%》


「え……? 融合、シーケンス……!?」


 俺が驚愕する暇もなく、指先に触れていたカリバーンの刀身が、眩い光の粒子となって分解され始めた。

 その光は、俺の手の甲を伝い、アガートラームのひしゃげた装甲の隙間へと、滑り込むようにして吸い込まれていく。


 俺の身体を包む鉄の檻が、内側からカッと熱を帯び始めた。


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