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第98話 野望

 スイス、ジュネーブ近郊。レマン湖を静かに見下ろす超高層ビル――エデン・グループ本社。

 深夜の静寂に包まれた最上階の会長執務室で、アダムス・ヒューズはデスクの端末に映し出された欧州全土の魔力吸引グラフを眺めていた。


 これまでに吸い上げられた莫大な魔力は、地下のプラントを経由してスイスの実験施設、そして自らの悲願である『理想の新人類』を維持するためのエネルギー源として蓄積され続けている。

 すべては計算通り、滞りなく進んでいるはずだった。


 ――だが。


 ドクンッ、と。

 ビルの骨組みそのものが震えるような、不気味な地響きが走った。


「……何だ?」


 アダムスが眉をひそめて顔を上げた、その刹那。


 バリバリバリッ!!!


 デスクのホログラムモニターが激しく明滅し、耳障りなノイズを立てて一斉に破裂した。

 それだけではない。天井の美しいシャンデリアの光が瞬時に赤熱した黄金色へと変わり、ガラスを焼き切るような不快な駆動音とともに、ビルの全館が完全な闇と静寂に包まれた。


『メインフレームに深刻な魔力過サージを検知。非常用予備電力へと移行します――』


 暗闇の中で、非常用の赤い警告灯が明滅し、機械音声のアラートが室内に響き渡る。


「会長! ご無事ですか!」


 執務室の重厚な扉が勢いよく開かれ、アダムスの第一秘書である男が、携帯用の通信端末を握りしめて駆け込んできた。その顔は、普段の冷静さからは想像もつかないほど蒼白に染まっている。


「何が起こった。説明しろ」


 アダムスは割れたワイングラスを踏み越え、冷徹な声で問いかけた。


「フランス国境の『第一魔力吸引プラント』との接続が切断されました! いえ、それだけではありません……プラントからこちらのメインサーバーに向けて、測定不能な高密度魔力が強引に逆流させられたのです!」


「逆流?」


 アダムスの目が鋭く細められる。

 プラントが吸い上げていた膨大な魔力は、本来なら一方通行でスイスへ送られるシステムだ。それを逆流させるなど、システムの根幹を物理的に書き換えなければ不可能なはずだった。


「メインのハッキング防衛プログラムが過負荷により物理的にショートしました! 現在、第一プラントの自爆プログラムを遠隔起動しようとしていますが……遮断回路が固定されており、信号が届きません!」


「なるほど。バルブを閉められたか」


 アダムスは、第一プラントの制御室にある真鍮製セーフティバルブの存在を思い出した。

 あれは魔力圧が強すぎて、並の探索者や重機でも回せないほどの抵抗がかかるよう設計されていたはずだ。それを強引に閉め切った者がいる。


「……セイラだな。面倒なことを」


 アダムスは低く、平坦な声で呟いた。その声には焦りや恐怖といった人間らしい揺らぎは微塵もなく、ただ不快なゴミを目の前にした時のような、深い嫌悪だけが混じっていた。


「プラント内のドールたちを全て制御室に集めろ」


「しかし──」


「足止めが出来ればいい。ノアを向かわせる」


「しかし、会長。ノア様はまだ先日の実験で新たに組み込んだ魔物の遺伝子が馴染んでおらず、生体エネルギー循環に不安定な部分が残されております! 今、強制起動すれば耐用年数を縮めかねません!」


「構わん」


 アダムスは、秘書の言葉を冷酷に遮った。

 彼の視線は、執務室の壁一面に並ぶ、青白い培養液に満たされたカプセルの群れへと向けられる。その中で、無数の生命維持コードに繋がれた赤い髪の少女――ノアが、静かに眠り続けている。


「セイラの回収さえできれば、量産の目途は立っている」


 アダムスが非情な声で告げると、カプセルを覆っていた青白い光が消え、底の排水バルブが鈍い音を立てて開いた。

 ゴボゴボと、カプセルを満たしていた培養液が急速に抜けていく。

 無数の生命維持コードが自動的に切断され、赤い髪の少女が、濡れた身体をシーツのように真っ白な床へと滑り落ちさせた。


「――っ、はあ」


 ノアの口から、冷たい息が吐き出される。

 ゆっくりと、まるで錆びついたゼンマイ仕掛けの人形のように持ち上げられたその顔。

 セイラと瓜二つの、美しくも無機質な顔立ち。

 だが、その閉じられていた瞼が開き、現れた瞳は――血のように赤く、そして光を吸い込むように濁っていた。


「……お父様」


 ノアは立ち上がり、滴る培養液を気にする様子もなく、感情の一切こもらない虚ろな声でアダムスを呼んだ。


「会話は聞こえていたな?」


「はい。オリジナルと、侵入者の……確保に向かいます」


「ああ。いってらっしゃい」


 アダムスは笑みを浮かべ、ノアに指示を与える。

 指示を受け、漆黒の軍服を身にまとったノアは、音もなく執務室から消え去る。


 アダムスは再び窓の外を睨みつけた。

 プラントを奪われ、本社システムを一時的に麻痺させられたという屈辱。だが、同時に彼の胸中には、得体の知れない高揚感が湧き上がっていた。


「Master_Eye……。やはり素晴らしい。私の張り巡らせた障壁をこれほど鮮やかに突破し、魔力を逆送してくるとはな。……彼の力が手に入れば、私の新世界はさらに完璧なものへと近づく」


 アダムスは、欲に満ちた目を細め、暗闇の中で静かに笑うのだった。

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