プロローグ~あの日の約束~
中学二年の秋、私は突然この町を離れることになった。
父の仕事の都合だった。昨日まで当たり前だった団地の景色も、夕焼けに染まる階段も、駄菓子屋の角も、全部あと少しで「思い出」になる。
荷造りに疲れて、私は団地の下のベンチに座っていた。風が少し冷たくて、泣きそうになる。
「愛香、そんな顔してっとブスになるぞ」
低くて少し笑った声。振り向くと、そこには兄の友人――刈谷先輩が立っていた。
金髪に、少し乱れた制服。いつも怖そうで、近所の子たちはみんな“ヤンキー”って噂していた。でも私は知っている。捨て猫にこっそりミルクをあげていたことも、小さい子に自転車を直してあげていたことも。
「……明日、引っ越すんです」
そう言うと、先輩は「ふーん」とだけ返して、隣に座った。
沈黙が落ちる。心臓だけがうるさい。
やがて先輩は、自分の右手首に巻いていた黒と赤のミサンガをほどいた。日に焼けた指が、不器用なくらい丁寧に私の左手首へそれを結ぶ。
「え……」
「願い事、叶うらしいぜ」
「でも、それ先輩の……」
「いいから持ってけ」
先輩の指先が、私の手首に少し触れた。
たったそれだけで、顔が熱くなる。
「何お願いすればいいんですか」
そう聞くと、刈谷先輩は少しだけ目を細めた。
「……また会いてぇ、でいいんじゃね」
胸が、ぎゅっと痛くなる。
「先輩、それ願い事じゃなくて……」
「俺のだから」
そう言って立ち上がると、先輩はポケットに手を突っ込んだまま歩き出した。数歩進んで、振り返らずに言う。
「愛香」
「……はい」
「都会行っても、変な男に引っかかんなよ」
「先輩こそ」
思わず言い返すと、先輩は肩を揺らして笑った。
次の日、引っ越しのトラックが団地を出るとき、私は窓から何度も外を見た。
階段の下に、金髪の姿が見えた気がした。
手首には、少し大きなミサンガ。
ぎゅっと握りしめて、私は小さく願った。
――また、会えますように。
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『あなたがお嫁さんだったら良かったのにと、今更言われましても。』から来てくださった皆さまも、本当にありがとうございます。
今回は異世界恋愛ではなく現代恋愛ですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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