理を崩す者
「……やったか?」
地上に降り立って、視界不良の改善を待つ。大分魔力を消費したが、けれどもあれだけの魔法を浴びせれば、流石の奴でも……。
「調子に乗るなよ」
「!?」
「庶民風情!」
薄れていく煙の向こう、見えてくるのは立方体。
ガロスヴォルドを中心にして、おそらくは2の階乗立方メートルの空間を作り上げている。
「まさか……!」
「低俗な連中が作り上げた魔術だが、使い勝手は悪くないらしい」
Box of Sanctuary(聖域の箱)。それは父さんと母さんが生み出して、俺がこの間使った……。
「……それを」
「?」
「それをお前が!!」
父さんと母さんが残した、二人が生きた証を。純粋な願いを叶えるための、人の善意を信じた魔術を。
「使うんじゃねぇ、ッ!?」
地を蹴り駆ける。……はずなのに身体が動かない。
そう、まるで下半身の周囲の空間が、そのまま固化しているかのように。
「ハルネはいいことを教えてくれた。防御魔術の、有効な使い方だ」
見上げれば、奴のゴーレムの腕から膜のようなものが作り出されているのが見える。
「だがハルネと違って、僕ならこんな芸当もできる。彼女と違って僕は選ばれた天才だ、一緒にしないでもらおうか」
「っ……」
盾の形状を俺の下半身に合わせて作り出すことによって動きを封じ込む。そんあもの、ハルネどころじゃなく、最早盾の性能を凌駕している。
「さて、これでお前はもう逃げることもできない。それじゃあ苦痛を味わってもらおうか。死にたいと懇願するまで」
そこから始まったのは、ゴーレムによる痛ぶるように続く打撃。HPを削りきらないように微調整しながらも、ただただ戦意を削ぎ苦痛を与え、それを楽しむだけのもの。
下半身を固定された状態での抵抗は、ほぼほぼ効果をもたらさなかった。全ての重統魔法が防御され、次を生み出す前に攻撃が加えられる。だんだんと意識が薄れていき、思考は止まりかける。
「もうやめて!!」
「颯!!!」
そんな声が遠くから聞こえてくる。
あんな声を彼女たちに出させたくはなかったのに。
そのために全てを費やしてきたはずなのに。
なんで、どうして……。
何を間違えた?
どこから間違えた?
もう何も分からない。
もう何も聞こえない。
もう何も考えられない。
ただ一つ、最後に望むことは一つ。
奴を倒したい。
いや。
奴を殺したい。
どんな手段でもいい。
奴の息の根を止められさえすれば。
ならば、妾の力を使え。
声が脳に響く。
それが何か、どこから発せられた声なのか。
もうそんなことはどうでもいい。
ただその言葉に耳を貸すのみ。ただその言葉に身体を預けるのみ。
そうしたら、すべては闇のうちに消えていく。
消えていった……。
*
「なに……?」
突然の出来事に、彼でも驚きを隠すことはできなかった。
颯の身体から、黒い何かが吹き出して、その身体を包み込んでしまった。
その黒いオーラは、それまで颯を痛ぶっていたゴーレムのパーツをすべて吹き飛ばす。
まだうまく動かない身体をなんとか起こして、颯がいた場所を見る。
少しずつ収まっていく黒いオーラ。それが颯の中に収束していく。
「ふむ……」
再び地面に降り立った颯が、そう口にしながらあたりを見回す。
「はや、て……?」
そう声を上げると、颯は私の方を向く。
「っ!?!?」
瞬間、全身に鳥肌が走った。その表情はひどく冷たく、左眼は紅く染まっている。
そんな颯は、まるで関心などないように私から視線を外して、今度は自分の身体を見つめる。
「……おかしい」
そんな第一声とともに首を傾げ出す颯。
「予想ではもっと早く目醒めるはずであったが……。しかも力そのものも、まだほとんど使える段階にない。何故なのだ?」
特に左手を気にしながらそんな独り言を呟き続ける颯。
「魔術契約……?」
そうして気づいた左手の甲の紋章。
「バカバカしい」
さっき颯を包み込んだ黒いオーラ。それが左手から噴出されたと思えば、その甲にあった紋章が綺麗に砕け散った。
「さて……」
再び辺りを見回して見回す颯。いや、あれは本当に颯なのだろうか……?
「貴様、なにを言ってやがる……?」
その分からない状況のために、戸惑いながらガロスヴォルドさんが声を出す。
「なんだ小童。黙っていろ」
「っっ!?」
その冷たく暗い声に、彼ですら一歩後ずさる。
「それにその大きいだけの木偶人形を今すぐに消せ。目障りだ」
「……」
けれども彼は動けない。なにもされていないのに、金縛りにあったように動くことができない。
「しかしなんだこの空間は? 通常の魔術に対しては、こちらからの防御はほぼ完璧とは。根幹は師匠の作りのようだが、色々と手が加わっている……」
三度辺りを見回して、この場所について考察を重ねている様子だ。MRBフィールドのことを知らないようだ。
間違いない。あれは颯じゃない。
「あなた……、誰……?」
震えながらも、ようやく立ち上がって問いかける。颯の身体を乗っ取った、あなたは一体何者なのかと。
その声にゆっくりとこちらに振り返る何者か。
「っ!」
その目の冷たさに背筋がゾッとする。けれども、それで怯えていては、颯を取り戻すことはできない。奥歯を噛み締めて、手を握り締めて相対する。
「妾のことか? ふむ、その勇気に免じて答えてやろうか。妾の名は……」
「このっ!!!」
けれどもその名を口にする前に、ガロスヴォルドさんが動き出す。自身のゴーレムに命じて、颯を乗っ取った何者かに向かっていく。
「人が名乗ろうとしているのに、無礼な奴だ」
浮き上がる。ゴーレムの攻撃を躱すために。けれども瞬発風力でも弾地でもない。魔力を使った感じもなく、どうして浮き上がっているのか、全く分からない。なにをしたのかさえ理解できない。
「まだこの程度か……。一つしか維持することができないとは、実に嘆かわしい」
自身の身体を見つめて、溜息をつく。
「ならば仕方ない。性に合わぬが地に足をつけて戦うとしよう」
と、今度は降下してきて、ゆっくりと足を地につける。
「……崩理魔法、魔を狩る鎌」
二言、そう唱える。
そうして出来上がるのは、鎌。まるで物語から出てきたような、死神が持つような大鎌。
「そんな虚仮威し!」
けれども彼は怯むことなく、ゴーレムでの攻撃を止めない。
ゴーレムの拳から出される物理的な攻撃をその大鎌で器用に捌いていく。
「舐めるなよ!」
物理攻撃が効かないなら魔術による攻撃。その多彩さはやはり技量の高さ故だろう。
「馬鹿め」
けれどもやはり、大鎌の一振りは魔術であろうと消し去ってしまう。
そして、さらに一振り。
今度はこちらからと言わんばかりに、その一振りによって出来上がる斬撃がゴーレムへと。エルが使う蒼の斬撃、それと同じように黒い波動が飛んでいく。
「っ!」
普通なら、どんな属性の魔術であるか。一見すればわかることがこの攻撃では分からない。だから彼のゴーレムは、五属性全ての防壁を展開することをためらわなかった。
「愚かな」
だが、黒い斬撃はすべての防壁を紙のように簡単に引きちぎる。そしてその斬撃はそのまま、ゴーレムの右腕へと直撃する。
四散。ゴーレムの腕は吹き飛んでピクリとも動かない。
「一度壊したくらいで、本当に倒したとでも……!?」
「どうした小童、なぜそんなに驚いた顔をする?」
「なんでだ……、なんで復活しない!?」
彼が初めて見せる焦りの表情と声。あれほど取り乱すガロスヴォルドさんは初めて見る。
「理解もできんとは、この時代の小童は脳まで退化したと見えるな。実に嘆かわしい」
「答えろ! 貴様一体、何をした!!」
その焦りと苛立ちからくる質問に対して、心底つまらなそうに一言。
「魔術の理を崩壊させた。ただそれだけだ」
「魔術の理を、崩壊させた……?」
「崩理魔法、すべての理は妾の力の前に崩れ去る」
「崩理、魔法……?」
颯が扱う重統魔法とは違う。今まで見てきた全ての魔法・魔術とも違う、訳の分からない力。
やはり今の颯は、颯じゃない。
そう思いいたった時、気が付けば私は走り出していた。
「颯!!」
叫ぶ。今はそうでない人に向かって、彼の名前を。
「なんだ、お前は?」
颯とはやはり違う、霊気と瘴気を孕んだオッドアイが私の方を向く。でも、もう怯んだりはしない。
そのために、力を使う。
そう決心したとき、胸にかかる青のラピスが光を灯す。まるで、今この時のためにこれがあるかのように。
ならば、私は信じる。ラピスの青い煌めきの力を。もう一度、私の想いに答えてくれると信じて。
「Dyma warcheidiaeth lwyr y rhai sy'n credu yn eu pŵer. Mae'r rhai sy'n gwybod ystyr pŵer, yn dinistrio eu gelynion gyda'u gwarcheidwaid.(己が力を過信する者よ、これは下される絶対の守護。力の意味を知る者、その守護りによって敵を打ち砕かん)」
私の家に伝わる究極の守護りの魔術。けれどもこれは、ただ単に魔術から身を守る者ではない。
この力は、人の想いを守護るために紡がれる魔術。
「Gwarchodwr yn y pen draw(世を包む青)」
だから、今私の想いを彼に伝えるために。彼のことを守護るために。
「その程度の……なに?」
「颯は、返してもらう!」
世界は青白く包まれていく。




