剣と成る
「まだ、10分も経っていないのか……」
時間感覚が狂う攻防。自分の実力以上の手練れと戦う時は、常にそうさせられる。
そう、今目の前にしている敵、アウグスタ・マリー・フォン・ヴァルモーデン。狂人であり野獣であり、決して交わることのない敵。
しかし奴もまた手練れであることは間違いない。認めるのは些か癪ではあるが。
そんな奴とはたった一度だけ戦ったことがある。そして圧倒され、負けた。全力を尽くして、全く歯が立たなかった。
「エル、なぜ負けたか分かるか?」
戦いが終わった直後、剣の師である父にそう問いかけられた。その時、何と答えたか……。
「エルさん!」
「っ!」
福島さんの声で、意識が現実に引き戻される。するとすぐに、上空からの降り注ぐ火炎が視界に入る。
「Nefoedd Las Slais!」
蒼の斬撃は自分の思い描いたとおりに、それを悉く撃ち落としていく。
「まだまだぁ!!」
けれどもアウグスタはそんなことは大したことがないと、火炎弾を放ち続ける。威力による圧倒の次は、数による圧迫。ならばこちらも、数を頼りにする魔術で応戦するのみ。
「Cododd Dŵr Glas!」
散りゆく青薔薇の花弁の舞。しかし今度は花弁を迎撃には使わない。その花弁の花吹雪で、自身を包み込む。花弁による防御、一つとしてその攻撃を通すことはない。
「つーかまえたっ!」
「!?!?」
花吹雪の中に伸びてきたのは左手。それがアヴァンクの刃を掴む。
「なっ!?」
「言ったでしょ、私は焔に成ったって!」
だがその言葉が自分の中に消化される前に、右手に蓄えられた炎が、私の腹部を直撃した。
「カハッ!?」
「まだ行くよッ!」
今度は両手による乱打。幾度も幾度も、絶え間なく続く炎の拳打。そのたびに吐き出される苦痛の声。自身の者とは信じられない、信じたくもない。
「ガハッ……、ゲホッ……」
そうして最後の一撃で、壁際に吹き飛ばされた。
「あっはっはっは、自分の手で人を殴り飛ばすっていうのは心底楽しいものだねぇ」
「この……っ、狂人……め……」
「誉め言葉でしかないねそんな言葉は」
痛い。全身が痛かった。けれども、こんなところで、負けるわけにはいかない。自分には守るべき人が、大切な人がいるから。
だからまだ手を伸ばす。目の前ある、自分の半身ともいえる剣に。
「無様だねぇ、そんな状態でまだ抗おうだなんて」
「うる、さい……」
「しかし一度ならず二度までも、私の前で這いつくばる気分はどうだい?」
「ッ……」
同じ。数年前に戦ったあの日。あの時も同じように剣を手放して、地面に這いつくばる結果となってしまった。
その日誓ったのだ。もうこんなことは二度とないようにと。自身の全てを尽くして、お嬢様を守護ることのできる、誰にも負けないようにと。剣を、自身を磨いてきたはずだった。
けれども蓋を開けてみればどうか。
ここに来てから、洗馬颯という謎の人物にその座は奪われ、しかも彼に二度の敗北を喫し。そして今また再戦したアウグスタには敵わず。
あの日からの数年の結果が、今の状況。ならば、私は今まで何のために……。
「そんなボロボロになった姿を、今自分のお嬢様に晒してるってこと、分かってるの?」
「っ!」
言われて顔を上げる。ここから離れた場所に、自分が忠誠を誓った人の姿が見える。
「お嬢様にあんな顔をさせる従者なんて、失格でしょ」
そんなことは、分かってる。
「前にもそうやって無様に這いつくばったのを忘れて、また同じことを繰り返してる」
やめろ……。
「そんなあんたに、人を守れるわけないでしょ」
もう、それ以上は……。
「もう一度言うよ。あんたじゃ誰も守れやしない。それを認めて負けを受け入れな」
「……………………」
手にも足にも力が入らない。力なくして落とした剣を再び握ろうとしても、上手く握りしめることができない。目の前が滲んで、身体中の力が抜けていく。
「……折れたみたいだね。それじゃあ」
一歩、一歩と近づいてくる足音。
「消えな」
巨大な炎球が手の上に出来上がっていく。焼けるような熱さが、皮膚を焼いていくのが分かる。
「あぁ……」
結局私はあの時から、何一つ……。
「エルさん!!」
そんな叫び声と共に目の前に出てきたのは、パートナーの福島さん。
「福島さん……?」
「馬鹿にしないで!」
彼女の持つ魔力の全てを賭して生み出す魔術。福島さんが見つけ出して、身に付けた術。
「RockStone Ring Bit!!!」
岩石を重ね合わせて、五重の防御を作り上げる。
「Flammengefängnis Meteorit」
さっきも見た、赤黒い巨大な炎。それが放たれて、岩石の障壁にぶつかる。だがやはり魔術としての差がありすぎる、岩石の防御は少しずつ崩されていく。
「親しい人が大変な目に合ってたら、誰だって心配する!」
「福島さん……?」
「でもそれは当たり前! それを恥じる必要なんてない!!」
「…………」
「だからエルさんは、自分の信じることを、やりたいことにただただまっすぐ進んでいけば……」
「うるさいハエだねぇ、とっとと消え失せなよ!!」
けれども彼女の言葉は最後まで続かなかった。自身の攻撃が微妙に防がれているのを嫌ってか、わざと火炎を爆散させる。その衝撃によって、残っていたすべての防御は四散して、福島さんも同じように吹き飛ばされる。
「人の楽しみを邪魔するなんてねぇ。そんなに死にたかったら、先に焼き殺してあげるよ」
その歩みは向きを変えて、自分の身を賭して私を炎から防いでくれた人の元へ向かう。それに対してその彼女は、未だ衝撃の余波から動けずにいる。
―――私は何をやっているのか。
自分が守護るべき存在の前でこんな醜態を晒して、それに自分を信じてくれている人の危機を黙ってみている。ふと我に返って思い出せば、自分は何一つことを成していない。
「戦う時に必要なのは、自分の身を空にして剣になることだ」
そう、それは父に言われたあの言葉。あの日分からなかった言葉の意味が、今ようやく理解できた。
剣になるということは、自分の中にある怯えを捨てること。自分そのものを剣とするうえで、必要のないものをすべて削ぎ落とすこと。剣だって砥がなければヒビが入り錆びついて斬れなくなる。それと同じ、余計なものは刃を鈍らせる。
こいつに負けたこと、負けるかもしれないなんてこと。お嬢様を守る資格がないなんてこと。今お嬢様の隣に居る洗馬颯のことも。
全て這いつくばっていた時の、数秒前までの自分に置いていく。
「Nefoedd Las Slais!」
だから立つ。そして、奴が福島さんへ向けた殺意を絶った。
「へぇ、まだ立ち上がるとはね」
「……それが今の私にできることだ」
「できる? お前の力は何一つ届いてやしないのに? 笑わせるんじゃないよ、その程度の力で何が」
「それがどうした?」
「……は?」
「それがどうしたというのだ? 確かに私一人で出来ることなんてたかが知れている。だがそれでも、お前を倒すことくらいはできる」
「生意気ほざいてるんじゃないよッッッ!」
私の言葉に対する怒りを乗せた炎。視界の全てが緋色に染まる。
「焼け死になッ!!」
しかしたかが炎。アヴァンクの力ならば、一振りで薙ぎ払うことができる。
「んなっ!?」
「次はこちらだ!」
ただ駆ける。己が剣を信じて。
*
「すごい……」
隣でハルネが呟く。そしてそれは、俺が思っていたものと同じだった。
ただ駆けて剣をふるう。傍から見れば自分の身を顧みない戦いだ。なのにその姿を美しいと思うのはなぜなのだろうか。
「剣に成る……」
ふと頭に湧いて出てきた言葉。なぜだか分からないが、今の近衛騎士の姿はそう見えるのだ。
あるいはアウグスタが言った「焔になった」という言葉とかけているのだろうか?
しかし近衛騎士の戦いは、それまでとは全く異なっている。
ただただ吶喊して剣を振るう。一切魔術を使用しない。なのにさっきまでとは違い、まったく炎を受け付けない。
「やっばいな……」
さっきまでの様子とは180度違う。何かを乗り越えたのか、それとも吹っ切れたのか。ともかく、今の近衛騎士は本当にヤバい。
「なんなのさ!?」
その変容さは、相手にとっても意味不明なものであることは見て取れる。一直線に迫ってくるのに、自分の放つ炎はことごとく斬り捨てられる。だから剣に捕まらないように逃げまどう。今まで押していたのに、いきなり守勢に回ることになったら戸惑いもするだろう。
「このっ……調子に乗るな!!」
イラつきも限界に達したのか、三度目の巨大火炎弾を生み出し始める。
「Flammengefängnis Meteorit!!!」
その巨大さは、三度目であって一番の大きさ。ともすれば会場面積の半分にも到達するやもしれない。
「っ」
流石の近衛騎士も、その大きさに歩を止める。
「ふぅ……」
そして深く息を吐く。肩の力を抜いてから、再び剣を握り直す。
「今だけでいい。私に力を貸してくれ。あの火球を薙ぎ払い、奴を倒す力を!」
そうして叫ぶ声に―――剣が応えた。
近衛騎士が握りしめる剣の刃が光を放つ。そうして彼女の身体は蒼色の極光に包まれた。
*
気が付くと、水の中にいた。
けれども、何故か息ができる。まるで自分が水中生物になったかのように、身体を自由に動かすことができる。
「ここは……」
けれども、この場所に思い当たる節はない。むしろ何でこんな場所にいるのか、若干混乱さえある。
自分は今アウグスタと戦っている真っ最中で、奴最大の魔術を目の前にしていたはずで……。
(ようやく来れたんだ)
「!?」
突然脳に響き渡るのは聞いたことのない声。けれども左右を見渡しても、何もいない。
「誰だ?」
(誰だなんて酷いな。ずっと一緒にいるのに)
「一緒……?」
(そして求めたのは君だよ。この状況を打開する力を求めたのは)
「求めた……」
そうだ、確かに求めた。奴の魔術を撃ち破り、その懐に迫るための力を。
(その声は僕に届きうるだけの想いを持っていた。だから君に答えるよ)
「随分と上からの言い草だ」
(僕は君よりも年上だ。しかも何百年も)
「まぁいい。では、行こうか」
いつからだろうか。それが誰なのかをわかっていたのは。根拠など何一つないのに確信があった。
これが、自身の剣に宿りし精霊なのだと。
それがはっきりわかった瞬間に、自分の意識は水の中から浮き上がり始める。
還るのだ、今のあるべき場所へと。
「Mae'r anghenfil sydd wedi'i selio yn y cleddyf bellach yn cael ei ryddhau yma.(我が刃に宿りし水の精霊)」
だから唱える。その力を借るべく、その姿をここに現すために。
「Ei enw yw Afanc, cythraul y llifogydd!(その名は水の悪魔アヴァンク!)」
剣先に集まる水。それが少しずつ姿を作り上げていく。それはこの剣に宿り師精霊アヴァンク。
「Rhyddhewch y sêl a'i hamlygu yma!!(封印解放しここに顕現せよ!!)」
最後の一言によって、それは完成された。
水で出来た身体、奴が作り上げた火炎など赤子のように思えるであろう大きさを持った身体。
「Ewch, Afanc!(いけ、アヴァンク)」
細かい指示を出す必要はない。アヴァンクは自分の意図をすべて分かってくれている。
アヴァンクは大きく広げた口の前に、巨大な水球をため込む。水惑星、私が使う魔術の全てを、アヴァンクも使うことができる。
「なんっ……だと……」
絶句する奴目掛けて、再び吶喊する。
「チッ!!」
それを見て、無数の火球を用意するアウグスタ。私の動きを止めるべく、過たず私目掛けて打ち込んでくる。けれども避ける必要もないし、剣をふるう必要もない。なぜなら、
「アヴァンク!」
そう指示を出すまでもなく、アヴァンクは青薔薇を咲かせて、その花弁が私に歯向かう炎を打倒していく。私の思い描くことはすべて、アヴァンクが実現させてくれる。
「なんなんだ、なんなんだよ!!」
そんな声が聞こえてくる。けれども同情の余地などはない。
青薔薇と炎の向こう。ようやく奴の姿を捉える。
「終わりだ」
蒼い一閃。
一瞬の光が消え去ると、激しく音が鳴り続けていたフィールドに、静寂が戻ってくる。見上げれば、MRBフィールドに組み込まれた勝利判定が出ている。
「……終わったか」
ようやく終わった。ようやく……。
「エル!!」
あぁ、聞きたかった声が聞こえてくる。
「エルっ!!!」
けれどもその行動は予想外だった。
「お、お嬢様!?」
いきなり飛びついてきて、ギュっと抱きしめられる。
「よかった……エル……本当によかった……!」
その力は強く、けれども震えてる。
「申し訳ございません……」
これほどの心配をかけさせてしまった。それについては、謝るほかない。
「エルさん!」
クラスのみんなも集まってくる。そしてその最後には、ある意味では敵であり、しかし今は頼もしい見方でもある彼が歩いて近づいてくる。
「洗馬颯」
「……お疲れさん」
私の呼びかけに、たった一言の労いの言葉を言ってくる。もう少し気を使って色々と言えないのかとは思うが、彼にはそんなものは期待していない。彼はそういう奴だから。
それに、私が彼に期待するのはそんなことではない。
「……お嬢様を、頼んだ」
これから戦いに出向かれるお嬢様のことを。今隣に居ることができないから。だからそれができる彼に全てを託す。
「任された」
彼も私の真意は分かってくれている。だからその言葉を聞ければ、今は満足。
「……」
そうして私は、ゆっくりと意識を手放した。




