トンナの世界が崩れて、トンナは白昼夢を見る
トンナの絶叫が途切れる。
血涙を流したままに両膝が床に折れる。
絶叫を上げた、そのままの形で口が開いている。
膝を折ったまま、座り込む。
常の綺麗な姿勢ではない。背中が曲がり、肩を落とした力ない座り方。
トガリの体を貫いた右腕は、トガリの体をトンナの体に引き寄せる。
折った膝の上にトガリの体が横たわる。
トンナが呆けた表情でトガリの顔を見下ろす。
突き刺さった右腕を持ち上げ、トガリの上体を起こす。
白く変色したトガリの顔は穏やかだった。
呆けたままにトガリを抱締める。
右手が更にトガリの体を貫いていく。
前腕は既にトガリの背中を突き抜け、肘までが露出し、肩までトガリの肉体へと埋没していく。その右腕でトガリの体を抱締める。
左腕はトガリの頭に回り込み、その顔を自分の顔に埋め込む。
トンナがトガリを抱締める。
一つになろうと願うように。
トガリを連れ去られぬように。
右腕にトガリの鼓動は聞こえない。
トガリの体温が奪われていく。
自分の腕の中からトガリが奪われていく。
徐々に。
しかし間違いなく奪われていく。
流れる血に、既に体温は無い。
流れてしまった血は只の液体だ。
そして、抱締める肉体もただの肉になり果てる。
トンナが幾ら抱締めようともその肉はトガリとはならない。
信じていた。
「死ぬことは俺が許さん。」
そう言われた時、トンナはトガリに何かの策があるのだと信じた。
自分は何も考えずにトガリの胸の中で‘遊べばいい’と思った。自分が死なないようにトガリを殺すつもりで戦えば、トガリが上手くじゃらしてくれる。そう思った。
六十四万人の魔道兵士を生み出し、三十万人以上の人を救った。ハルディレン王国どころかカルザン帝国さえもその傘下に治め、国体母艦を創りだし、死んでいたテルナドを蘇生させ、巨大な魔獣さえも屠る男だ。
神の如き力。
自分が全力で挑んだとしても歯牙にもかけない男だ。
だから全力で向かう。
初めて会った時、自分からトガリに挑んだ。
トガリは触れることさえ許さなかった。今も触れることができない。
なんと凄い男なのか。
比較対象が多くなって、自分でも、自分の強さを計れるようになった。自分はかなり強い。
自分でもわかる程にかなり強くなっている。
フェイントを交える技巧は速度を削ぐ。だから、全力の蹴りを放つ。予備動作を含まない予測不能の蹴りだ。
目の前の男は表情を崩すこともなく、余裕で避ける。
やっぱり凄い。
トガリは凄い。
そう思って、トガリの胸に飛び込むつもりで必殺の手刀を突き入れた。
これも躱される。次は左から蹴りを放とう。
そう思った。
トガリの胸に触れる。
あれ?
刹那のことだが、トンナは疑問に思った。
ここから避けるの?
凄い!
そう思ったが、トンナの指先がトガリの胸へと潜り込んでいく。
トガリの胸骨を割り、心臓へと到達する。
凄い…
心臓に到達してもまだ避けようとしない。どうするつもりなんだろう?
体を貫かれてトガリがトンナを抱締める。
「…つかまえたぞ…」
その言葉を聞いて、トンナは理解する。
自分を助けるためにトガリは死ぬのだと。
自分を救うために魔狩りになった男は死を選んだ。
アヌヤとヒャクヤを救うため、ヘルザースの反乱を止めた男は自分のために死ぬことを選んだ。
ハルディレン王国を救うために恐竜型魔獣と戦った男はたった一人の獣人を救うために死を選んだ。
コルナとカルザン帝国を救うために血を流した男はたった一人の女を救うために死ぬことを選んだ。
自分の命そのモノであり、自分を犠牲にしてでも守りたい。そう思っている男が自分を救うために死ぬことを選んだ。
失ってはいけない、世界を構成するピース。
トンナを構成する重要なピース。
そのピースが欠ける。
トンナは生き残ってもトンナは失われる。
世界が欠落する。
何もいらない。
食事も
飲み物も
子供さえも
喜びも
希望も
楽しさもいらない。
たった一人の男だけが欲しいのだ。
狂おしく。肉の内から焼かれるように欲しいのだ。
喉の奥から血を吐くほどに欲しいのだ。
その男に命じられれば、自分の子供さえも殺すだろう。
その男に命じられれば、自分の母親さえ殺すだろう。
その男に命じられれば、自分自身さえも殺すだろう。
自分を構成する男が、今、自分の腕の中で命を終わらせようとしている。
現実じゃない。
そうだ。夢よ。
これは夢なのよ。
トガリが死ぬはずがないじゃない。何を考えてるのよ。不敬だわ。そんな考えが過ること自体が不敬よ。
これはきっと分体だわ。
いつだったかトガリが作った豚の肉でできた分体なんだ。
トンナの腕から力が抜ける。
腕とは逆に、足に力が入る。
ゆるりと立ち上がる。
右腕が重い。
自分の右腕を見る。
トガリに似たナニカが右腕からぶら下がっている。
「…気持ち悪い…」
呟きと同時に右腕を振るう。
トガリの死体がトンナの右腕から抜けて、音を立てて転がっていく。
右腕が血に塗れている。
「いやだ…汚い…」
体に擦り付けて血を拭おうとするが、簡単に拭えるものではない。
癇性に何度も擦り付ける。
擦り付ければ付けるほど身に着けている獣人拘束用スーツがテラテラと光る。
擦り付けながら周りを見回す。
「トガリイイイイ!トガリイイイイ!!汚いの!右腕が汚いの!!何か!何か拭く物を頂戴イイ!!トガリイイイ!!」
周りを見回しながらトガリを呼ぶ。その間も必死になって右腕を体に擦り付け、付いた血を拭おうとする。
一人、見知らぬ土地に取り残された小さな子供のように。
トンナはトガリの名を叫び続ける。
「嫌だアアアアア!トガリイイ!意地悪しないで出て来てよオオオオ!トガリイイイイ!!」
ただの肉となり果てたトガリの傍で、トンナはトガリを呼び続ける。
トンナの叫び声に重なってクルタスの哄笑が広い空間に木霊していた。




