理不尽を
次の瞬間、俺は訳が分からないまま宙を舞っていた。
そして地面をごろごろ転がる。かすり傷一つないが、一体何が起こったのだろうか。
衝撃が来た方向に顔を向ければ、そこにはオオカミの獣人がいた。ただし、大きさは天井に届きそうなほど。
「ふ、ふふ……! 誰がスラムのガキを何の目的もなく攫うと思う? この国には獣人は少なく子供でもステータスの高い者が多い……だがスラムのガキは、そこのガキはステータスも低く私でも押さえつけられたというわけだ」
なるほど。こいつも同じ穴のムジナか。
殺すべし。
殺すしかない。
だがオオカミの獣人が邪魔をするように俺と博士の間に立ちふさがる。
邪魔するなら押し通る。
一歩から一気に加速、三歩で距離を詰めて跳び上がる。
「良いのか!? その獣人は、そこの頭の子供だぞ?」
「――はぁ?」
博士のわけわからん世迷言のせいで力が抜け、獣人に腕を掴まれてぶん投げられた。
壁に激突。まったく痛くない。ノアもこれじゃあ生きているな。
しかしまぁ、ぼけ老人の戯言に引っ掛かってしまうとは。
テレーゼの幼い体からどうやったらこんなでかい獣人が生まれるというのか。
「くく……不思議そうな顔をしているな……どうやったらあんな小さい体からこんな大きな獣人が生まれるというのか……」
「戯言はいい」
「どうして首から下がないと思う?」
「――っ」
こいつ、本気か?
本気で、そういっているのか?
「生まれる時に破裂したからだよ! ただ、確かにこいつは生まれた時からここまで巨体ではなかった。いろいろ魔薬によるドーピングは行い、ここまで巨体になった」
「……お前、マジで言ってんの?」
「大真面目だ! オオカミの獣人を使ったのは良い判断だった、おかげで主人に忠実な化物になってくれたよ」
いや。
いやいやいや。
おかしいだろ。どうやったら母体よりもでかい子が生まれるんだよ。
「博士の話は本当さ」
そこにノアがようやく戻ってきた。
ああ、こいつが協力していたのか。だとしても、どういう原理ならできるっていうんだ。
「魔法だよ。僕の魔法。魔法はどんなことも叶える。説明通り言うなら、願いを、だけど」
「テメエの願いってのはそんなアブノーマルな趣味を実現することか」
「違うけど近い。僕の願いの延長線上さ」
「クソ野郎」
どうすればこの胸の塊を取り除くことができる。
こいつらを殺せばいいのか? どれほどむごたらしく殺せばいい?
それとも、飲みこんだまま撤退することを望むか? テレーゼは。テレーゼは、それで納得してくれるか?
死人に口はない。そんなことはわかっている。彼女のことだ、無理に敵討ちを望むこともないだろう。
だから。
だからこれは。
俺の個人的な、満足感だけだ。
俺は拳を握りこみ、一気に駆け出す。
博士は確かに俺とテレーゼの関係性をよくわかっている。俺が彼女と親しいことを知っていて、利用しようってのもわかる。
けどさぁ?
こんな化物、テレーゼから生まれたからって、攻撃できないわけがないだろうに。
もっとかわいげのある化物だったなら、まだ躊躇したかもしれないけど。
これは、違うだろ。
すでに人の範疇をはるかに超えている。
だから、何のためらいもない。
ためらいもなく、化物の顔面を殴りつける。
精一杯の力を込めて殴ったせいか、空気が破裂する音が聞こえた気がした。
おかげで化物の顔はもう原型をとどめていない。
博士は唖然としている。開いた口が塞がらないようだ。
俺は化物の近くに降り立つと、その頭を抱え込む。
体がこれだけでかいと頭部もそれだけでかい。抱えるようにして、思いっきり捩じ切った。
化物の頭部が回転しながら吹っ飛んで行った。
「さて」
「ひっ……!?」
博士はあの化物が頼りだったのか、完全に腰が抜けて座り込んでしまっている。
俺はゆっくりと歩を踏み締めて近づいていく。
そしてその頭を右手で掴む。
「ま、待て! やめろ!」
「それでやめるとでも」
「なら金なら――」
「金も名誉も女も地位も土地も酒も知恵も家も何も欲しくないんだ。ただ一つ挙げるとすれば――貴様の命」
「やめ――ッ!」
博士の首を回転させた。首が捩じ切れ、飛んでいく。化物と同じだ。
捩じ切れた断面からは噴水のように血が噴き出ていた。が、それもすぐに収まった。
ゆっくりと倒れた博士の身体を眺めていたが、ゆっくりと振り向いた。
「――あーあ、殺すのが早いよ」
「……ノア」
振り返ると、入り口にノアが立っていた。
「ま、いいや。博士なんてどうでもいいんだ、僕には」
「雇い主じゃないのか?」
「金も払えない奴が雇うも何もないだろ」
ノアは何がおかしいのか手を口に当てて低く笑う。
「僕が彼に雇われたのは、ただ君と戦うのにちょうどよかったからさ」
「戦う理由はないし、全力で逃げ帰れる」
「まぁそうなるよね。君には恥も外聞も何もあったもんじゃない。そんなもので引き留められるものでもない。でもさ――その子を攫った実行犯は、僕だよ?」
「そうか」
ノアの言葉を聞いて、ゆっくりと目を閉じた。
もう博士は死んだし、俺としてはここで終わっていい。テレーゼもどうせ初めからこんなことを望んじゃいないだろう。
だからこいつに構う必要なんて一切ないんだ。
構ったところで、無駄に体力使うだけだ。
「――でも、その笑みが気に食わねェ」
俺はノアの浮かべる笑みがどうしても腹立たしい。
訳も理由もわからない。でも、見ていると腹が立つ。
テレーゼを攫われたから? 違う。もっと根源的なものだ。
そう、たとえば。
たとえば、絶対的な立場を持っていると勘違いして見下してくるような。
ただただ、見ているだけで無性に腹が立つ。
博士を自己満足で殺した。
化物を自己満足で殺した。
だったら、ノアを自己満足で殺したところで何が違う?
「お望み通り相手してやる」
「ありがたいね」
俺は腰を少し下げると同時にノアへと突っ込んだ。




