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Bullet In Crowd  作者: 【es】
10/11

Mission 10: World Egg

 北海道のとある海際に、ヒーリング効果が高いことで静かに人気の病院があった。そこは少し人里から離れた丘の上。レンガ造りの洋館のようなデザインも相まって、患者に限らず観光客含め、訪れる人は皆癒されたと満足して帰っていくのだった。

 その日、正午にさしかかろうとした頃、そんな癒しの空間は見る影もなく、今や戦場と化していた。

 その一角の赤茶けたレンガの塀。

 破壊音と共に崩れ、土埃の影から巨体が飛び出してきた。

 それを追う様に小さな体が煙ごと空気を吹き飛ばし、飛び出す。

 彼女が振るう大剣は周りの埃を巻き込みながら大きな弧を描いた。

 ビーストは空中で身をひるがえし、刃の軌道から逃れ猫のようにして地面に着地する。

 あの剣は危険だー彼は自らの肉体をみつめ、改めて思う。

 今まで他の武器では傷一つつかなかったこの身体、その表面には致命傷こそないが切り傷がいくつもついていた。ただの剣ではない、見たこともないような強度で、かつ刃の周りからはレーザーのようなものが照射されており、チェーンソーのようにそれが回転しているのだ。どこまでも切れ味を追い求めたその構造は、ビーストの自慢の肉体ですら切断を許してしまう。避けたと思っても長い刀身が伸び少しずつ傷を作る。油断をすればいずれその刃は深く体内へと届くだろう。

 彼は初めて死を身近に感じた。

 武器の性能は勿論だが、よほど彼女になじんでいるのだろう。水を得た魚という表現が驚くほどにハマる。彼女の運動神経や筋力は常人のそれを超えていると言っていい。どのような訓練を受けたのか、それとも生まれ持ってのものなのか、獣人の自分と互角かそれ以上の攻防を繰り広げていた。

 止まない連撃。防戦一方になるまいとビーストは空間に低い唸りを響かせてその豪腕を振るう。だが、まるで踊る様に彼女は避ける。

 か弱い少女のような体。攻撃を受ければ致命傷。彼女もそれは同じのはずだった。なのに、このヒリついた瞬間瞬間を臆することなく、獣人の動きのその上を行く。

 今まで戦ってきた魔術師たちとは格が違う。

 彼女に似つかわしい言葉を選ぶとしたら…

 <鬼神>だ。

 <鬼>と<獣>ではもうその勝負は決まっている。

 

 気づけば、獣人は膝をついていた。


 ビースト。

 剛腕。鋭利な爪。強靭な肉体。獣の反射神経と動体視力。隠密能力。どれを取っても普通の人間では敵わない。魔術師の攻撃魔術ですら無効化する。楓もまた、現存する重火器では体に傷付けることができなかった。協会にとって、このニューフェイスはかなりの脅威と言えるだろう。

 だがそんなアンノウンを、彼女はしとめたのだ。


 身体の至る処から血が流れている。

 血で濡れたたてがみで覆われたその首元には、巨剣バルムンクが今にも首を落とさんと添えられていた。

「僕の…負けだよ。」

 その口から洩れた青年の声。いのりは確かに聞いた。およそその体に似合わない声に驚きつつも、彼女は切断することを止める。

「その声…どこかで…。」

 その時目線の端にこちらへ歩いてくる人影が映った。

 白衣の女性だった。

「レオ!」

 彼の事だろうか、この獣にも名前があったのか、といのりはビーストをチラリみる。

 まもなく、次に姿を見せたのはその背に銃を突きつけ彼女を連行する黒いスーツの男だった。その胸元に揺れるのは楓のドッグタグ。

「勝負はついた、動くな。」

「く…、なぜ?どういうことなの?」

 相棒の敗北を目の当たりにし、突然裏切った兵士に疑問をぶつける。

 兵士は、空いた手でゴーグルを外し、ヘルメットを投げ捨てた。

 彼は汗で額にはりついた黒髪を邪魔そうに避ける。整った顔立ちが見えた。

 その顔を天音は覚えている。小樽でビーストが襲った男だ。

「貴方は…!?」

 いのりはそれを確認して溜息を一つ。

「やはり…。」

 解っていたとはいえ、彼の顔を確認してようやくほっと胸を撫でおろした。

 その後ろから、もう一人女性が自分の背中をさすりながら歩いて出て来る。

「大成功ですね。いたた…。」

 と、その兵士と目線を合わせてウィンクする。

 勿論その兵士はウィンクを返すような気の利いた性格ではない。

「楓さん、ノリ悪いですよ。さっきは敵さんとハイタッチしてたくせに。」

「あれは敵を欺くためだ。味方は欺けなかったようだが。」

 と、少し笑う。

「私は千里眼の魔術師ですよ。その銃が普通の銃じゃないことに気付かないとでも思いましたか?…なんて、私に銃を押し付けてきたときに初めて<アーセナルコール(武器召喚)>で作られたものだってわかったんですけどね。」

 そのやりとりに天音は割って入る。

「何だかわからないけど、貴女なんで撃たれたのに生きてるの?」

「それは…」

 全てを告げず、千里はいのりの方を見て笑った。

 突然の目線に一瞬キョトンとするが、いのりはすぐに理解した。

 恐らくさっき言っていた強化の魔術だろう。加えて楓が撃つ前にゴム弾に変えていたのだ。それはきっと直前のアイコンタクトで思いついた二人の作戦。人質というアドバンテージを奪うには、千里を殺したように見せるのが一番の近道だった。

 見事すぎる二人のコンビネーションに、いのりは悔しいが拍手を送りたい気分だった。

 無意識に笑顔を千里に返すが、すぐにその行為に気づき少々顔を赤らめて目線を外す。

 実は自分が気づいたのはもっと後、ビーストが現れる直前、最後の兵士が絶好のタイミングで自分を撃ってこなかったときだった。

「じゃあ、いつ兵士と入れ替わったの?」

 しつこく質問をしてくる天音凛花。研究者の癖だ。答えを求めたがる。

「いつも何も、初めからだ。

 洗濯物を干しに行ったら、崖の下に気配を感じたから捕まえて即座に制圧。尋問したら別部隊が後に控えているというから、彼らが持っていたガス弾を使って欺こうと考えたんだ。で、防具一式を拝借してからわざと屋内で爆発させた。」

「院内の民間人を犠牲にして?酷い男ね。」

「馬鹿か、ここは病院だぞ。」

 と、後ろの建物から面体をつけた医師と看護師が二人出てきた。

「緊急用の防護マスクがあったからな、二人に装着を指示してからやったに決まっているだろう。」

 天音はそれをみて、少しほっとした様子だった。

 それをみて黙る楓。

「…なに?意外?

 言っておくけど私は見境なしに人殺しをするような人種じゃないわよ。

 あの兵士たちなんてどうでもいいけど、民間人は別よ。」

「…そうか、まあいい。」

「もういいでしょう。勝負はついたわ。彼をどうするつもり?」

「それはわからない、上が決めることだ。何せ俺もまだ新人なんでな、あの獣人だけではない、お前の素性から何からこれから調べないといけないし、何をどうするのかは全部これからだ。」

「何それ…。」

 女は黙って何かを考えているようだ。

 そして、意を決したように彼女は白衣の内側から小箱を取り出し、口を開いた。

「貴方たちにお願いがある。

 この小箱は貴方達に預ける。その代わり、魔導生物の書を彼に渡してあげて、そして彼だけでも解放してあげられないかしら。」

 予想外の提案だった。

「彼は何も悪くないのよ、私の指示でやっただけ。

 私たちはただ、あの本が欲しかっただけ、それさえあれば彼は誰も襲わないし、害はないわ。」

 それを鵜呑みにするほど楓も馬鹿ではないが、念のため聞いておく。

「…それを信じたとして、お前はどうなる。」

「私のことは…もういいわ。好きにして。前の組織にいるときから罪を犯してきたし。罰せられても当然よ。」

 天音は、ビーストと目を合わせた。

「話せば長くなるけど、彼は…レオは、元々は人間だったのよ。」

「レオ…。」

 黙って聞いていた千里はその名を繰り返す。<ビースト>と攻撃的な響きとは全く異なる。これだけで急に親近感がわいてしまう千里は、楓から言わせれば「ぬるい」の一言だった。

「私は前の組織で魔導生物の生態を研究していたのよ。けど、その研究施設がある日襲われた。それで、そのとき彼は巻き込まれたのよ。ただの兵隊だった彼は偶然私の実験生物の組織を体内に取り込んだみたいで、この肉体になった。

 施設が襲われたとき、私の命を助けてくれたのは獣人となった彼。

 だから、私は彼にその仮を返したくて、彼をもとの姿に戻してあげたくて、その書物を欲しがってたわけ。ね、いい話でしょ?」

「だから見逃せというのか?」

「私は貴方達…いえ…監視協会を信じてない。監視協会は目的のためなら平気で騙し、殺す。私はそれを知ってる。」

 その目は憎悪に満ちていた。彼女と監視協会の間に何があったのか。

「彼が捕まったらきっと無事ではいられない。だから死んでもあんたたちには捕まりたくはなかった。だからそうなる前に、私の手で元の身体に戻してあげたかった。

 でも…上手くいかないものね…。」

 天音は疲れた顔をして、そう言う。

「けど、そのためにあいつの口車に乗って魔術師を何人も殺めたのは事実よ、だから私が裁かれる。私は研究のために彼を利用した。それでいいでしょう。別に同情を誘っているわけじゃない。そうしたいだけなの。」

「あいつ…?」

 その言葉を、千里は繰り返す。

「あいつとは…?」

 千里がそう口を開いた瞬間、妙なことが起こる。


 世界に、ヒビが入った。

「え?」

 その目がおかしくなったのかと思った直後、ヒビは連鎖的に広がり、ガラガラと景色が崩れ去っていく。

 まるで透明の殻がパラパラと剝がれていくかのように、空も、遠くの森も、建物もすべて、その色を無くしていった。

「楓さん…!これは…!」

 振り返ると、そこに彼はいなかった。いや、誰も居ない。

 言い知れぬ恐怖。まるで夢の中にでも入ったかのよう。そのとき、目の前の地面がぼこぼこと揺れ動いていた。


 同時刻。

 いのりも同じ体験をしていた。

 千里と全く同じ風景。色のない世界。目眩がしそうなほどに静かな空間。

 目の前に居たはずのビーストは居ない。それだけではない。先ほどまでそこにいた千里たちもいない。

 唯一、楓が一人だけそこに佇んでいた。

「先輩…。」

 ホッとしたのも束の間、様子が変だ。ブラックスーツは先ほど以上にボロボロで、よく見れば、片腕と片足が、交互にちぎれかけていた。

「先輩!?」

 顔を上げると、長い前髪の下の顔は落ちくぼみ、口の肉はそげ中の歯茎が見えていた。眼球は飛び出し、両目からは黒い液体がこぼれている。見るも悍ましい姿にいのりは声にならない声を上げる。

「い…のり。お前が弱いから…。俺はこうなる。お前のせいでは、俺は…俺は…。」

 歩きながら、崩れ落ちながら、いのりの方へと近づいてくる。恐れながらも手を伸ばしたとき、どこからか狙撃を受け、さらに朽ちかけの楓の頭部が吹き飛んだ。その先はもうまるで雨のような銃弾が彼を襲った。

「や…やめっ…!」

 伸ばしたその手に流れ弾が当たり、吹き飛ぶ。

「い…いやぁ!」


 同時刻。

 色を無くした世界で一人佇む楓。

 何だ…?ここは?病院…なのか?誰も居ない。

 いや、ちょうどビーストがいたところに1人の男がしゃがんでいた。だが彼はその化け物とは似ても似つかない体格で、性格も勿論獣とは正反対、おとなしく優しい青年だ。そう、楓は彼を知っていた。

 ゆっくりと起き上がりこちらを向く。

「楓。」

 短い前髪が懐かしい。

「…めぐる…。」

 Tシャツにジーンズ。休日彼が好んで着ていた、飾りっ気のない恰好。懐かしいその姿に、言葉が詰まる。ふと楓は気づいた。

 彼の右手には拳銃があった。あの時彼を撃ったあの銃だ。

 めぐるはゆっくりとそれを自らのこめかみに当てた。

「…おい、何をしてる?やめろ。」

 楓は手を伸ばし言う。そんな楓をみて、彼は微笑んだ。

「お前のせいだよ?」

 銃声が、世界に響いた。


 外の世界。

 正確にはこれが現実の世界。

 天音凛花は、まるでキツネにつままれたかのようだった。

 突然そこから、自分以外全員の姿が消えた。

「え…?」

 この空気…。波の音も風も、確かにあるが、あのとき感じた悪寒そっくりだった。

 天音には何の能力もない。だが確かに嫌な空気を肌で感じていた。

「やあ、お疲れ様。」

 その声に振り向く。

 キラだ。

 片手をポケットに入れて、立っていた。

 そしてその後方に、見たこともないような女が立っている。

 烏色のドレスに、同じような漆黒の黒髪。そしてまるで生きているとは思えないような白い肌。

「最後のカードを残しておいて正解だったな。」

 そう言いながら彼は天音に近づく

 その手には書物を持っていた。

「本当は協会の連中に世界卵を披露したくは無かったんだが。

 まさか錦木いのりがここまでとは、いや、紫雲楓の洞察力と判断力、戦闘力、これも見事だった。それから…名は知らんが千里眼の女。

 そもそも彼女のせいでカラスの投入が遅れたのだからな。勘のいい女はやはり嫌いだ。」

 天音の前まで来ると、本を前に差し出した。

「見ての通り、魔導生物の書は回収しておいた。

 お前達が遊んでいる間にな。

 キャリーケースはフェイクだったようだな。建物内の陳腐な金庫の中にあったよ。

 と、いうことで…改めて取引再開だ。」

 この状況で彼は平然としている。

「そういえば成功報酬とか偉そうな事を言っていたな。

 だが私の精鋭たちは全滅したようだし、これでは報酬はもらえないのかな?」

 人が消えたのに。それもただの人ではない、一人一人が天音とは違い何らかの異能を持ち戦う術を持っている。そんな彼らが、抗う暇すら与えられず一瞬のうちに消滅した。

「だが魔導書はここにある、つまり、当初の取引は再開できるということだ。」

 最早、自分の命は彼の手の中にあるのだ。死神の鎌が首にかけられている、そんな感覚に天音は体の震えが止まらなかった。

「…なのに…。」

 それに追い打ちをかけるようにキラは口を開く。

「聞き間違いだったか…その小箱を監視協会に渡すと、言っていなかったか?」

 キラはそういいながら、天音に顔を近づけた。

「その発想は、危険だな。」

 その見開いた切れ長の目の奥に、おびえる天音の顔が映っている。

 天音は左手に小箱を持ったまま、彼女は体の動かし方を忘れたかのように固まっていた。

「冗談だ。」

 真っ青になっている天音の顔に満足したのか、キラはその表情を緩めた。

 そして、彼女が手に持つ小箱を掴み、ゆっくりと奪う。

 天音は、もはや立っていられず、その場にしゃがみこんだ。

 彼はそれを追う様に少し屈み、座り込む天音の膝の上にそっと魔導生物の書を置いた。

「これを使って厄介なあの獣をさっさと人間にしてやってくれ。今後敵にでもなったら私にとっても色々と迷惑なのでな。」

「え…。」

 それはどういう意味なのか。

 キラはそれだけ言って姿勢を正す。

「では、これで取引は成立だ。」

 そして、踵を返し反対の方向へと歩いていく。

 カラスと呼ばれた黒いドレスの女の前を通り過ぎたとき。

「これ以上は駄目だ。奴らに尻尾を掴ませる気か?」

「もう少しでしたのに…。

 …残念ですが…閉幕致します。」

 その言葉通り、心底残念そうに彼女はそう呟いた直後、天音の周りに消えていた四人が現れる。

 その全員は意識を失い倒れていたが、それぞれ息はあるようだった。

 ただ、全員がまるで血を抜かれたように白い肌をしていた。

 まるであの女のように。

 見上げると、すでにそこには彼女は居なかった。キラもまた、忽然と姿を消していた。

 天音はよろよろと立ち上がり、よろよろと倒れているレオの方へと向かった。

 やはり獣人だからか、他の三人よりはダメージが浅いのか、わずかに意識がある。

「レオ…大丈夫?」

「テンファ…一体何が…?」

 声をかけられ、体を起こす。レオは彼女をテンファと呼ぶ。劉天花リュウ・テンファそれが彼女の本名だった。

「あまり覚えていないけど、悪夢を見た気がする。」

「悪夢…。じゃあ彼らも?」

「それは分からない、けどもう少し遅かったら戻ってこれなかったかもしれない。」

 そう言ってテンファの顔を改めてみる。

「君こそ、真っ青じゃないか。」

「私は、違うのよ。…違うけど…。」

 そう言ってテンファはレオの大きな胸に額を預けた。

「ごめんなさい、少しの間だけこうしてていいかしら。

 落ち着いたら…話すから…。」

 いつも強気に振る舞っている彼女が、このように弱気を見せるのは出会った時以来だった。

 その頃、全てに裏切られた彼女は行き場がなくただ怯える小動物の様だった。そんな彼女を放っておくことが出来なかった。この体になって、そんな彼女の心を救うことだけが自分を肯定する小さな光だと思っている。

 レオは優しくテンファの背中に手をまわす。

「ああ、いいよ。」

 少しずつ、自分の体温が暖かくなるのをテンファは感じた。


 目を開くと、また病室だった。

 古びた蛍光灯と、カーテン。

「先輩!」

 横のソファをみたが、今度は誰も居なかった。

 いのりが体を起こすと一瞬めまいを感じ、ベッドの柵を慌てて掴む。

 そのとき、自分の手に管がつながれていることに気付いた。

 点滴スタンドを転がしながら、病室を出た。握力が少し戻り切らない感じはするが、歩くのは問題なさそうだ。

 みると、廊下の窓がすべてなくなっていた。爆発ですべて吹き飛んだのだろう。

 だがガラスの破片は綺麗に掃除してある。外はオレンジ色だった。一体どれくらい経ったのだろうか。これは夕日なのか、朝日なのか。

 酷い悪夢をみた気がするが、覚えていない。そうだ、先輩は無事なのか。それと、千里もついでに無事なのか。

 いのりは可能な限り急ぎ足で歩いた。すると、病院奥のミーティングルームに明かりが灯っていた。

「あ、いのりさん!」

 ヒビの入ったガラスの向こうに、自分と同じく点滴スタンドをもって座る千里が居た。

 ホッとした。

 引き戸を開けて部屋に入ると、そこには楓も居た。

「先輩…。」

 今すぐダッシュで抱きつきたかったが、流石にその体力は今無い。

 それを察してか、楓は丸椅子から立ち上がり、いのりの方へと来てくれた。

「いのり、大丈夫か?」

 その言葉が嬉しかったが、ふと横の鏡をみて顔が赤くなった。

 こんな情けない姿を見せたのは初めてだ。病院服に点滴。

「お疲れ、いのりん。」

 突然の声に振り向くと、クローネがそこに居た。彼女はそっとハグをしてきた。

「とにかく、よく頑張ったわ。」

 こうして、四人が揃った所でそれぞれは椅子に腰をかけた。

 クローネの説明によれば、既にあれから丸二日経っていた。病院の院長から連絡を受けて飛んできたらしい。

 あの戦いの後、院長が駆けつけた時にはビースト達の姿はなく、瀕死の三人だけが倒れていた。看護師と二人で急いで病院へと搬入したらしい。その時は三人とも見た目の損傷は無いが仮死状態に近かったという。その後、すぐに協会に連絡を入れた。

「ビーストも取り逃がし、魔術書も奪われた…か。

 初任務は見事に失敗に終わったと…。」

 楓は背もたれにもたれ、手で顔を覆う。

「そう悲観することもないわ。寧ろあのビースト相手によくやった方よ。特にいのりん?」

 と、彼女の方へと向く。

「貴女がいなければ全滅してたかもしれないわ。想像以上だった。」

 確かに、兵士を次から次へと倒し、ビーストまで圧倒していた。楓は白衣の女を人質にするつもりだったが、その前に事は終わっていたのだ。

「いや、しかし私がトドメを刺さなかったために逃してしまった…」

「いいえ、どちらにせよ、そういう話じゃ無いのよ。」

「え、それはどういう…。」

 声のトーンが少し変わる。千里はそんなクローネに気づき返答を待つ。

「…私がきた理由はね、勿論貴方達が心配ってのもあるけど、貴方達のやられ方がどうしても気になったからよ。」

 そうだ、結局あれはなんだったのか。完全に勝利を掴んだと思った、その時だった。まるで世界から見放されたような感覚。遠い夢の世界に追いやられた様な。そして気付けばベッドの上だった。

「俺達は一体どうなったんだ?」

 あれほど一方的な敗北。この世界にはこんな理不尽なことがあるのか。戦術もクソも無い。異能を得てそれなりに自信を付けてきた所だったというのに。

「私の推測が正しければ…あれは規格外の大魔術よ。多くの魔術師でもその生涯で見る事は稀。貴方達の運の悪さには驚きね。

 …いえ、運じゃなくて私と関わってるからかもね。」

 少し寂しそうに小声で最後にそう付け加えた。

「大魔術…、それは何という魔術なんでしょうか?」

 やはり千里はそこを聞かない訳にはいかない。同じ魔術師として。だがその問いに対してクローネは厳しい目線を千里に向けた。

「ごめんなさい、まだ確証を持てないうちは口には出来ないわ。

 まあ…さっき残滓をみてきたけど、殆ど分からなかった。

 恐らく貴方達が今こうして助かったのは術が最後まで完成しなかったからよ。いや、させなかった。」

 クローネは立ち上がり窓の外へと視線を移す。既に空は青く影を落とし始めていた。

「あれが完成していたら、確実に私達に自分の存在を知られる。それを恐れたのね。」

「世界卵…ですか?」

 その言葉にクローネは目を開いた。そして小さく笑う。

「千里ちゃん…流石、知ってたのね。けどそれは口にしちゃ駄目よ。その名前を知ってるならわかるでしょう?世界をひっくり返すほどの大魔術。使っちゃ行けないのよ、あんなもの。」

 これ以上は聞かない方がいい、そんな重たい空気を魔術に疎いいのりですら感じた。

「…分かった。

 だが、俺たちも命を張っている。これから一緒にやっていく以上、必要とあらば情報をよこすようにしてくれ。」

 そんな配慮も無く気持ちいいまでの発言に、クローネは吹き出した。

「楓らしいわね。了解した。」

 と、笑って敬礼してみせる。

「それじゃあ、これからのことだけど…、あ、これ一番大事ね。」

 クローネは三人の真ん中へと移動する。

「暫く貴方達は逃亡したビーストを追って貰うわ。

 拠点はこの病院。貴方達の好きに使っていいからね。ビーストは協会も危険分子だと認定してる。だからある程度我儘は通るはずよ?」

 それを聞いて楓は千里を見た。

「暫くヨーロッパはお預けだな。」

「分かってますよ!良いんです私は、ここで精一杯頑張ります。」

「それを聞いて安心した。」

 そんな二人のやり取りをみて、いのりは驚いていた。楓がそんな軽いジョークを口にするとは。ピース時代のピリピリした雰囲気とは違う。少し柔らかくなった楓に寂しくもあるが、本当の彼を見た気もして、新鮮で嬉しかった。

「私も…ここで…?」

 いのりはクローネに確認する。

「あ、ごめんなさい。そう、貴女も正式に協会に入って貰うことになったわ。

 前後しちゃったけど、宜しくね。」

「改めて宜しくです、いのりちゃん!」

「ちゃん…。」

 距離詰めるの早…、とたじろぐいのり。すると、楓は彼女の肩に手を置いた。

「頼りにしている。」

「一生捧げます。」

 その手に頬擦りをした。

「ちょっ、ちょっと離れてください〜。」

 慌ててその手を掴む千里。

「気安く先輩に触るな。」

 と、その手を跳ね除ける。

 クローネは思う、遠距離射撃もできて総合的な戦闘力を持つ楓、探索能力は抜群でエイミング補助までできる千里、それに加えてタンクもこなす近接戦闘の鬼いのり。これ以上ない布陣だと自信を持って言える。少々人間関係が不安だが…。

 窓の外を見ると日は完全に沈み、深い闇が広がっていた。

 だが必ずまた日は登る。

 彼らがいればいつか世界を脅かす様々な驚異を消し去れる、そんな気がした。

「本当…期待してるわよ。」

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