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第一部 20

霜柱立つ日まで 20


 気にならないこともなかったが、美里のことは放っておいた。

 そりゃあもちろん、女子同士でしかも三年間同じ評議委員だった霧島ゆいがもろもろの事情で別の高校に進学させられるというのは辛いだろう。淋しいだろう。

 しかも、それが実質的には「退学勧告」みたいなものだと聞かされたら、何を言っていいかわからないだろう。それが人間というものだ。貴史もその点においてはうんうん頷く。

 ──けどなあ、どうしようもねえよな。

 さすがに貴史も、この件をひっくり返すことができるとは思っていなかった。

「なあ立村」

 十月末、ひさびさの放課後。ブレザーを羽織ったままで教壇に腰掛け、今にも倒れこみそうな顔して背中を壁に貼り付けている奴に声かけた。奴にとっては不幸かもしれないが貴史にとってはラッキーだ。教卓に腰掛けて見下ろしてやった。

「何」

「評議委員会、なんか企んでるんだろ」

「それなりに」

 美里が立村と評議委員会でくっついていることは周知の事実……のはずだが、美里から聞く内容だとそういうわけでもなさそうだ。教室でもそうだが立村は事務的な会話しか美里にはしないようだ。もちろん彼氏彼女なのだからそれなりに二人きりの時は甘くときめいたりもするんだろうと思うのだが、どうやらそれもなさそうだ。冷やかしがいがない。

「でも、なんとか決着つきそうかな」

 顔を挙げ、立村はかすかに笑った。

「やることはやったし、あとはこのままうまくいけばいいし」

 ──例の「大政奉還」のことか?

 貴史が思い当たったのは立村の言葉が終わった後だった。すっからかんに忘れていた。

「生徒会と手を握るっていうあれかよ」

「うん、前期のうちには」

 ──前期っていうと、十一月半ばまでってことかよ。

 前期という設定が長すぎる気もするが、青潟大学附属中学では毎年のことだった。

 四月から十一月まで、区切りとしては生徒会役員改選が終わった後に改めて各クラスの委員を選び直すのが常だった。もっともよっぽどのことがなければ担当委員が変わることもあまりないわけで、単なる形式としてみなされることが多かった。例外は今年の四月、三年A組で女子評議委員が西月から近江にバトンタッチしたことくらいだろうか。後輩連中は騒がしくなにやらやらかしているらしいがそれは貴史の知ったことではない。基準は三年D組菱本クラスにすべて置いている。

「何度考えてもわからねえけどなあ。なんでせっかく評議委員会がいろいろ遊べる場所こしらえたってのに、それを生徒会に返すってのは、もったいねくねえか?」

「本条先輩に言ったら怒られると思う」

「話してねえの?」

 貴史は教卓から下りた。立村の隣に腰掛けた。同じ格好で足を伸ばし、壁に寄りかかった。

「当たり前だよ。もっともあまり顔合わせることないけどさ」

「まあ、高校違うとそうだよなあ」

 あまり深いことを考えず貴史は答えた。そんなことよりもっと大切なことがたくさん待っているのだ。例えば菱本先生の婚約祝いとか。美里とも相談していたが、なかなかきっかけがつかめなかった。

「けどまだまだいろいろあるよ。本当に」

 いきなりトーンが低くなる。立村が膝を抱えて一気に縮んだ。

「物事が片付いたとしても余計なことする人たちもいるしさ」

「例えば誰だよ、美里か? 天羽か? それとも俺か?」

「羽飛じゃないよ」

 なんとなく思いついた名前を挙げてみただけだった。もちろん自分の名を出したのはしゃれのつもり。本気ではない。

「もっとやらなければならないことがあるのに、かえって傷を広げたらまずいだろうって思うよ」

「おいおい、立村、話が見えねえぞ」

「ごめん、独り言」

 察することが貴史は苦手だ。言いたいことがあるのなら、はっきりこれはこうだと言ってもらわないと困るのだ。

「言いかけたことを引っ込めるってのは男の風上にも置けねえなあ」

「別に隠すことじゃないよ。そうだな、霧島さんのこと、聞いてるだろ」

 貴史に向けたまっすぐな眼差しは、すでに仲間同士のおちゃらけ合いとは違う、意思のようなものが見え隠れしていた。どうもこういう顔をして語りだされると貴史は正直、逃げたくなる。真剣に語るのも悪くはないが、全身だらんとして転がっている状態の中で、背筋を伸ばして聞かねばならないというのはなかなかきついものがある。

「うちの学校も罪なことするねえ」

「その件についてはもう俺たち生徒のできることはないんだよな」

「もう、霧島が別の学校に行くってのは決まったんだろ?」

「そう。噂は早い段階で聞いてた」

 溜息を吐いて立村はまた膝を抱え直した。そろそろ夕暮れが迫っているけれども、窓から見える雲はまだ白い艶を帯びていた。もう少し語っていてもよさそうだ。

「けどさ、清坂氏もな、今あんなことしたって、かえってまずいだろって、羽飛、そう思うよな?」

 ──やっぱり美里がらみかよ。

 背中を伸ばし、貴史は向き直った。なにせ霧島の件では現場近くにいたわけだし、情報提供くらいならいくらでもできるというわけだ。


 霧島ゆいがいわゆる「縁故枠入学者」であり、実際の成績に対して竹馬クラスの高下駄を履かせて入学させられたことは、周知の事実だった。もともと縁故入学者中心のクラスA組に置かれるべきところ、あえてC組に回された理由は不明だが。しかも、クラスで極めて目立つ地位「評議委員」を三年近くもの間保ってきたこの事実。さらに言うならアマゾネス美少女霧島ゆいは、クラスの女子たちをやっかみなくひきつけ、いつしか誰よりもパワフルな存在としてC組を統括していた。

 しかし誇り高い霧島が、あの場ではただひたすら、担任の殿池先生にひざまずいて、青大附高への進学を許してくれるよう泣いて頼んだという。響き渡る声で、恥も外聞もなくしがみついたという。

 理由は決して品行不方正だからではない。単純に、成績が足りないだけ。

 努力をしていないわけではない。だからこそ、みな納得いかずにいる。

 真面目でひたむきで、ただ成績がちょっと悪いだけ。それだけの理由でなぜ追い出されねばならないのかと。女子たちの多くが納得いかず、特に近い存在だった評議委員女子たちが署名運動まで始めたのも自然の成り行きかもしれない。

 だが、付き合いで署名する生徒がいる一方で、冷めた目で見下ろす男子たちもいる。

 貴史も半分はそうだが、立村も同じ価値観なのだろうか。少し意外だ。立村だったらもっと感情移入して手伝いそうな気もするが。そこのところは聞いてみたい。


「……って、俺は思うんだが、立村、どういうことなんだろうなあ」

「霧島さんのことを思えばこそ、あんな署名運動とかそういう行動は控えねばならないんじゃないかって俺は考えてる。だから清坂氏に話をした」

 ──へえ、それなりに話はしてるんだな。

 美里は相変わらず「立村くんなんてずっと委員会のことばっか! 話す暇なんてあるわけないじゃない!」とふくれていたが、立村なりに接する努力はしていたというわけだ。

「でも通じなかった。想像はしていたし、俺も繰り返さなかった」

 ──まあ、一回で通じる美里じゃねえよな。頭に火がついてる時は特にだ。

 大切な友だちのためにひたすらつっぱしる美里の性格を知るからこそ思う言葉。

 立村も貴史と同じくらい美里を近く感じているはずだ。

 照れがあるのか冷ややかな口調に聞こえる。

「人前で隠しておきたいことが知れ渡ってしまい、誰とも話をしなくなってしまった状態の相手に傷へ塩をもみこむようなことをどうしてしたがるんだろうな。今はとにかく知らない顔してそっとしてもらえたほうがありがたいのに」

「……と、お前、霧島に聞いたのか?」

 ずいぶん女心に詳しい発言ではないか。つい突っ込んでしまった。にこりともせず立村は首を振った。

「もし俺が霧島さんだとしたら、と想像してみれば答えは簡単だよ」

 ──いやあ、それって想像してるだけじゃねえのか?

 全く貴史にはありえない発想だけに、言葉がそうそう簡単に出てこない。

「ただ、放っておいてほしいだけなのにな。清坂氏はそういうと俺が冷たいとか悪魔だとかそういうこと言って責めるけど、本当にしてほしいことをしてくれてる人がいるんだからその人に任せればいいと思うんだ」

「なんだそりゃ」

「霧島さんには今、毎日、A組の西月さんがくっついているんだ」

「それが?」

「西月さんは霧島さんの友だちだから、それなりに何をすればいいかもわかっているような感じなんだ。それに、口をきかないから余計なこと言わないで傷つけないですむ」

「なんだそれ、よくわからねえ」

 立村なりに何かを考えているのだろうとは思う。貴史も理解できないわけではない。ただどうしてもそこに、美里の言動に関する冷たい批判が加わってしまうと頷けなくなってしまう。美里の行動に問題があることは認める。しかし、それを責める立場に立ってはいけないんじゃないのか、立村?

「お前の言ってること半分以上アイドントノーなんだが、まあ霧島については騒ぎが収まるまでそっとしたほうがいいってのは納得だな」

 そこまで伝え、貴史は話を切り替えることにした。立村の得意分野である、人間観察に関する話題に付き合うのはちょっとしんどい。まだ明るいんだからもっと楽しい話をしたいものだ。


 無理やり話を鈴蘭優の新作ドラマについて持っていったが当然立村は載ってこなかった。しかたない、タイプではないんだろう。

 ──立村の好みは巨乳だって噂聞いたことあるしな。 

 どこからそんなアホな噂が流れてきたのかわからないが、それでも納得できないことではない。おそらく、二年でいろいろ取り沙汰される杉本梨南とのからみもあるのだろう。

「ところで立村、ひとつ相談なんだがな」

「なんだよ、いきなり」

 話をぶったぎり持ちかけた。

「そろそろ俺たちも卒業まであと半年ってとこなんだけどなあ、それ考えてるか」

「そういえばそうだよな」

 はっと目覚めた風に立村は瞬きを繰り返した。

「でだ、クラスとしてもやっぱり何かそろそろやらねばまずいだろ?」

「そうだな。でも悪いけど俺は今、評議委員会の方で手一杯だから」

 またも逃げようとする。美里と話したのとやっぱり同じだ。肘で小突いた。

「あのなあ、そうやって逃げを打つのやめろって前から言ってるだろ? 一応菱本先生からは、クラスの卒業文集を作ろうかって話が出てるけどなあ。お前と美里には話、行ってねえか?」

 かなりのスクープネタなのだが、やはり立村は知らない様子だった。首を振り目を背けた。

「何考えてるんだろうな。この忙しい時に。誰がそんな話持ち出した?」

「俺も裏、取ってねえけど天才画家の金沢に、クラス文集用のイラストを描くようお達しがきたという情報は耳にしてるぜ」

 これは本当だった。立村が委員会活動であたふたしている間、貴史は暇をみつけては金沢から美術に関する熱い語りを聞かせてもらっていた。絵を描くというよりも、芸術にからんだ話をしたとたん別人格のような振る舞いを観察するのが面白いからだった。

「なんだよ、本当にあれだけみんながいやだって言っているってのに、まだ執念深くやる気かよ」

 立村側には一年秋から冬にかけて起こったトラブルの傷がもろに残っているようだった。もっともこの前の男子クラス対抗リレーではきちんと、その当時問題になった男子に話をつけにいき頭を下げたらしいので、それなりにわかってはいるのだろう。

「一年の時は結局班ノートを文集化できなかったから、なおさら根に持ってるんだよ。菱本先生はきっとな。だから最後の最後くらい男としていいとこみせてえってのはあるよなあきっと」

 ──嫁さんに早い段階でかっこつけておきたいんだろうなあ。

 これはまだ言わずに置く。

「冗談じゃない。言われたらやるけど、そんなの喜ぶ人がいるなんて思えないよ」

 ──いやがってるのは立村、悪いがお前だけだ。


 菱本先生の結婚話についてもこの場で伝えた方がいいと貴史なりに判断した。

 ──下手に情報が早くまわっちまうとまたこいつ拗ねるからな。

 美里がいない場で話すのはフライングだと思うが、しかたない。

「あのな、立村、もうひとつ菱本先生がらみで話したいことがあるんだよな」

「あんな奴の話なんか、知ったことかよ」

 やはり唇を噛み吐き捨てるように呟いた。

「俺はそんなことよりもいっぱいやることあるのに」

 立ち上がり、脇の鞄を拾い上げた。指先でネクタイの結び目をいじった。

「まだやることあったの忘れてた」

 なにかやることを無理やり探し出したかのようだった。

「羽飛、悪いけどまたあとでいいか」

「いきなりまた逃げるのかよ。ったくお前って奴は」

「違う、さっき、天羽を探してる途中だったんだ。ごめん、これ本当だから」

 声の慌てぶりからするとどうやら本当らしい。額に手を当てて「まずい、どうしよう」とかなんとか呟いているのだから。

「じゃあお前なんでここにいた?」

「天羽いるかな、と思ってきたら、羽飛がいたから忘れた」

 一気に爆笑。貴史が手を打って「でかした!」そう叫ぶと、

「見事に、すっからかんに、忘れてたんだ。なんでだろう」

 これぞさっぱりした夕焼けの話題にふさわしい。

 じゃあ、送り出さねば、意味がない。

「わかった立村、またあとでな」

 手を振って見送った。あとで気付いた。立村のこの逃げのパターンに何度嵌っているのかと。


 貴史はふと、窓を見下ろした。

 三階校舎から見えるグラウンド。職員室脇の廊下向こうに自転車置き場。

 ──あれ、あいつら何やってるんだ?

 幻を見たかと思った。目をこするなんてわざとらしいことはしないが、かっぴらいては見た。視線の先はグラウンド側の鉄棒の上。肩くらいの鉄棒に男女がふたり座って語らっているように見えたのだ。しかも、その組み合わせが妙に似合わない。

「天羽?」

 男子が天羽なのは遠目でも分かる。大柄ながらも短髪を無理やり伸ばしているといった中途半端な髪型が目立っている。ブレザーなんか脱いで鞄の上にひっかけている。

 しかしその隣には、深海魚……のような飛び出た目をした女子がひとり。

 小柄、顔かたちが三階の教室から見えるわけがない。ないのだがなぜか、猫背で肩を強張らせている様子にはひとりしか名前が思い浮かばない。

「轟か?」

 B組女子評議委員の轟琴音といえば、確か立村に修学旅行告白するため、男子評議委員たちの力を借り、四日目の自由時間をせしめたというツワモノだ。

 ──天羽と轟、なんでふたり仲良く、鉄棒の上で語り合ってるんだ? 

 ──こういっちゃなんだが、天羽、お前の彼女は近江とかいう女子だろ? 美里とやたらと仲いい、お笑いマニアの。

 声出して笑っている二人の様子は、勝手に決め付けてよければ「カップル」以外の何ものでもない。そこへ駆け寄ってきた人物がひとりいる。立村であることは明白だった。

「あれ?」

 思わず声が出た。なぜか自分でもわからなかった。

 ただ、変だと感じた。

 ひょいと飛び降りた轟が立村に寄り添う姿と同時に、天羽が鉄棒にまだひっかかったまま見下ろしている様子が、貴史の頭の中に掛かっている網に何かを残して過ぎていった。


 ──天羽、轟、あのふたり、なんなんだ?

 すぐに忘れた。覚えておく必要なんてない。なんでそんなこと気にしたのか貴史にもわけがわからなかった。むしろ、美里がヒステリー起こす前に立村に、轟の件について釘を指すことを考えた方がよさそうだ。まったく立村ときたら、二年の杉本に拘るかと思えば、深海魚女子・轟琴音にまでも愛想を振り撒いているときた。そんな暇があればもう少し美里の子守をすべきだと思うのだが、どうだろうか?

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