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第一部 18

霜柱立つ日まで 18


 美里は言う。

 ──勝ちたいんでしょ!だったらこれが一番いいのよ。

「勝ちたくねえわけねえだろが」

 貴史は両手を腰に当てたまま第二走者の立村が走りこんでくるのを待ち構えていた。

 足首をくるくる回しながら、隣のB組最終走者と話す。

「今、何位だ?」

「一位だな」

 思いっきり頭を叩いてやる。

「あのな、俺が聞いたのはうちのクラスの順位だっての」

「答えるわけねえだろが」

 ふたりで馬鹿っぽいやり取りを繰り返した。今のところ立村は第一走者と同じく三位につけている。いや、三位というのは四クラスしかない中でブービーと言ってもよい。これはかなり次の南雲、そして貴史が足で稼がねばならない。

 予想通りの展開だ。

「いくら立村ががんばっても二位に上がるのは難しいよな」

「人のこと言えるのかよ、お前だってなあ」

 ちなみにB組の第二走者は難波だった。第三走者が生徒会長の藤沖。あまり力の入った選出メンバーではないような気もする。もともとB組は選りすぐりの秀才クラスなので運動面については期待していないようだ。むしろやたらと応援団がうるさい……特に女子たち……C組メンバーズの方が危険なのではないかと貴史は考えていた。

 それなりに、予測は立てていた。

「あ、おい」

「どうした?」

 目で追っていたのに気付かなかった。バトンパスだ。

「立村とうちの難波と、同時じゃん」

「まじかよ?」

 自称・青大附中のシャーロック・ホームズこと難波がどのくらい走力を持っているのかはわからないが立村に追いつかれたというのは、かなり、珍しいことではないだろうか。決して立村の足が遅いとは思わないが、練習してきた連中と比較するとやはり落ちる。

「さて、次は南雲と藤沖との勝負だな」

 他人事のようにB組走者は呟いている。こいつら勝つ気ないんだろうか。隣のC組、およびA組走者ときたらライン付近でいらただしげになにやら叫んでいる。貴史としては気持ちがよくわかるのだが、ぴりぴり気分に乗せられてエネルギー消耗するのも避けたかった。ありとあらゆる策を講じ、貴史も精一杯気持ちを高めているというわけだ。

 つま先立ってライン側でもう一度眺める。脳天気なB組最終走者はおっぽといた。

「読み通りだ」

 口に出してみた。貴史なりに考えていたシナリオ通り進んでいる。

 南雲とはむかつくのをがまんしつつ、それなりに考えて打ち合わせたのが今朝のことだ。

 ──ま、あいつなりにD組を愛してるってことはよっくわかった。

 周囲の歓声と悲鳴のようなものがさらにヒートアップしているのがわかる。こめかみにきんと響く。時折吹く風にざらついたものが交じり、もう髪の毛は堅く強張っている。

 南雲が言い切った言葉。

 ──俺はりっちゃんの分を二倍取り返して走るよ。だからあとは羽飛、お前に任せるつもり。ま、俺はこの時だけは全力投球するんであとはよろしく!

 その言葉通り、団子状態で寄り集まり走っている連中の地響きが貴史の靴裏にも襲ってきた。一気に水分を吸い上げて貴史の体の中すべての先端に行き渡っていく。

「よっしゃあ、任せろ!」

 並んだ三人走者が振り返った。ぴきり、と切れたような音が響いたのは頭の中だけか。

 プレッシャーは奴らにかけたのではない、自分への挑戦状を叩きつけた音。

「南雲、来い!」

 へその周りにある筋肉をすべてひとつの場所に落とし込み、貴史は呼びかけた。

 四人の男子たちが運んでくる熱の塊を背中で、そして足で受け止めた。勝手に助走を始めていた。背中を軽々と押す風に交じり声が響いた。今まで聞こえなかった細い叫びが、耳に刺さった。

「貴史、ぶっちぎれ!」

 三学年の生徒たちが揃っているグラウンド内でその名をはっきり呼ぶのは一人しかいなかった。苗字ではなく、名前で呼ぶ女子は、ひとりだけだった。

「絶対いっちゃえいっちゃえいっちゃえ! 貴史、勝っちゃえ!」

 追い抜かれざまに渡された赤いバトン。落とさずにすんだ。隣でバトンミスがあったようだがそんなの見ちゃいられない。貴史は脇でぶっ倒れたらしい南雲の気配だけちらと感じ、あとは何も考えず疾走した。

 ──今回だけは、南雲も仕事をしたと、いうことだ。

 ならば貴史も完璧にやり遂げるほかない。それが答えだ。


 何が起こったのかをあえて考える間もなく、息が詰まりそうなことを感じるだけ。

 脇にも誰も走者がいなかった。ひとり旅、先頭を切って走るだけ。

 ──貴史、貴史、ぶっちぎれー!


 目の前に赤い紙テープが近づいてくる。

 空いっぱいの歓声が降って来るようだ。

 その中に細く、はっきり聞こえる声。

 ──美里、声でけえよ。


 紙テープはさっくり切れた。どうやら最初から切れるようにカッターで線を入れていたらしい。破れた後なく、すぱっと斜めに落ちた。

 D組連中が貴史の周りに駆け寄ってくる。それを押しのけるようにして菱本先生が貴史を助け起こしてくれた。。

「羽飛、羽飛、しっかりしろ。気がついたか」

「あ、俺また、寝てるわけ」

「ぶっちぎりだぞ。まあ、アクシデントも」

「アクシデント?」

 自分でもまた、練習の時と同じようにずぶっとゴール後即倒れこんだのが情けない。

 倒れた、ということすら認めたくない。起こされて初めて現実を受け入れた。

 膝を派手にすりむいていた。また保健室のお世話になるのか。今度は頭を打ったわけではないので騒ぎにはならないだろう。

 貴史が身を起こして立ち上がると同時に、遅れてB組、A組、そしてC組の最終走者が走りこんできた。

 まず、その遅すぎるゴール、ありえない。

 何かが起こったのは確かだろう。

「先生、てかおい、何かあったのかよ?」

「羽飛、気付いてねえのかよ?」

 ゴール板を余裕でまたいだB組最終走者はぼそっと呟いた。

「お前らがバトンパスするのと同時に南雲がぶっ倒れただろ。あん時に接触しそうになっちまってA組と、あとC組がバトン落っことしちまったんだ」

 それでもB組は予想以上の二位という着順ということもあり、かなりの盛り上がりで出迎えてもらえたようだった。ひとり、めがねを付け直した難波が万歳三唱しているのが笑えた。


 貴史は振り返った。他のリレーメンバーがわらわらと集まってきた。他クラスと違い肩を叩きあい労らう姿がないのは、ひとえに貴史と南雲との関係にあるだろう。女子連中が他クラスも含めぎゃあぎゃあ騒いでいるのは南雲関係からだろうし、その一方で貴史に対しての「よっくやったよ、偉い!」と背中をばしばしひっぱたく男子連中もいる。

「立村、お前も」

 ──ま、予想以上ではなかったにしても。

「よくやったよな」

 所在なさげに一歩退いたところで見つめている立村に貴史は声をかけた。

「羽飛、悪かった」

 目を伏せるようにして立村が呟いた。なんでだろう? そんなに卑屈にならなくてもいい。立村が男子内で六位の足しか持っていないことは誰もが知っていた。そんな中で、かつていじめられた奴に頭を下げ懸命に走る訓練をし、足を引っ張らないよう努力していたことを貴史だけは知っている。立村は堂々と胸を張ってもいいのだ。ピンチヒッターとしてやるべき仕事はしたのだ。

「なあにお前、びくびくしてるんだよ! お前がちゃんと持ち場の仕事をしたから勝てたんだろ? 近衛がいねえのに学年一位だぞ! 立村、お前クラスの代表として大仕事したんだ、自信持てっての!」

 膝の傷がひりひりするのをそのままに、貴史は立村の肩を叩こうとした。すぐに避けられた。立村は代わりに南雲の側に近づいた。

「なんだよおい」

「ちょっとちょっと羽飛」

 予想はしていたが勝利のキスを浴びせてきそうな女子ひとりがいる。美里はどこにいったのか、D組喜びの輪にはいなかった。

「古川、美里はどこだ?」

「それよかちょっと話あるんだけど」

「せめておめでとうとかなあ、よくやったとかなあ、労いの言葉ってもんを言えよ」

「あんたさ、あの状況を喜んでいいと思ってるの? 美里だってこれから大変だよ」

 一番ぎゃあぎゃあ貴史に「ったくもうかっこいいったらありゃしないよね!やっぱりあんたは私のナンバーワンだもんねえ、きゃっ!」くらい言いそうなこずえが、仏頂面で耳元に囁いてきた。そうやって密着したいのかとは問わない。どうだっていい。


「立村が結局二位に上がれないまま南雲にバトンタッチしたよね」

 こずえは早口で囁いた。

「南雲もがんばったけど、やっぱり一位のC組には勝てなかったまま飛び込んできたよね」

「ああ、けどな」

「あの後、めったにやらない全力疾走を南雲がしてたよねえ。渡した瞬間ぶっ倒れるなんてパフォーマンス」

 ──やってたのか?

 後ろを振り返る余裕なんてない。貴史はただ走っただけだ。脇にも後ろにも人気がなかったのだけは覚えているが。

「その勢いがあまって少し先頭走ってたC組がまずバトン落っことしてさらに走ってる途中でB組がA組にぶつかって、結局あんたを除いた全員がバトン落としてしまったってこと」

「玉突き事故みたいな奴か?」

 小声で問い返した。こずえは頷いた。

「そ。だから、立村の性格上、それは喜べないでしょ」

「南雲は舞い上がってるぞ」

 見ていると南雲は立村に笑顔で何か話し掛けている。立村が憔悴しきった顔で頭を何度も下げているのとは対照的だった。貴史に謝ったのと同じことを懸命に言い訳しているのだろうか。

「なんで立村が謝るんだ? あいつはそれなりに差を詰めたし」

「本当はあの段階で二位にこないと厳しいって話だったじゃん。美里が言ってたよ。羽飛が真面目な顔してレースシュミレーションしてたってこと、聞いてるよ」

 ──美里、何、古川にべらべらしゃべってやがるんだ。

 確かに貴史は学校の行き帰り、美里にそんなことを話した記憶がある。

 あまりにも多すぎていつだったかなんて覚えていない。

「立村はそれで自分を責めてるんだよ。結局南雲が普段の王子様キャラを捨てて意地の一位を守ったようなもんだけど」

「はあ、捨てた?」

 王子様キャラというのがどういうものだか貴史には理解しかねるが、かなり気取った軽い男を捨てて勝負したのなら、言うことないと思うのだが。

「南雲がさ、まさか走路妨害ぎりぎりのやばいやり方してるとは誰も思ってもみないじゃないのさ。他の子たちは誰も気付いてないからいいけど、私と、美里と、あと立村は気付いてるんだよ。だから、あえて何にも言えないってわけ」

「ちょっと待て!」

 

 こずえと話していても埒が明かない。

 貴史は側にくっつきたがるこずえを振り払った。まだしつこく言い訳がましいこと口にしている立村を押しのけた。ここは奴の出番じゃない。


 南雲が笑顔を残したまま貴史に向き直った。

「おまえさんの言う通り、勝利はもらったじゃん。めでたし、めでたし、な、りっちゃん」

「何がめでたしだ! おい、南雲聞きたいことがある」

 慌ててこずえが割り込もうとする。きっかけ作ったのはお前だろと言いたくなるが我慢する。

「なんでお前スライディングなんかした?」

「野球じゃあるまいしなんだそりゃ」

 立村が貴史に向かい無言で首を降る仕種をする。無視だ、冗談じゃない。一瞬でも南雲に対して感謝しようと思った自分がアホすぎる。

「お前も根性見せる奴だと思ってたがな、人の足を引っ張って勝つなんて思っちゃあいねえよ。いくらなんでもそのやり方ってのはねえだろ」

「何それ?」

 ぽかんとした顔で南雲が見返す。このちゃらちゃらした態度にはむかつくが、言わずにはいられない。

「羽飛、いいよ、もう」

「よくねえだろお前も! なんでそんなにへこへこしてるんだよ立村! お前が一通りやることやってあの結果だったらしょうがねえ! けどな、わざとこけて他のクラスの奴の」

 言いかけたところで隣のこずえが腕をひっぱった。

「やめなよ」

「お前が言ったんだろが! とにかくだ、こんなやり方をして優勝したって嬉しいか?」

「羽飛、ちょっと」

 立村も慌てて貴史に駆け寄る。どうやら立村も事情を薄々感じていたらしく、禁句として貴史の言葉を封じ込めたい様子だ。だが事実を知った以上はこちらだって黙ってられない。

「あれ、もしかしてさ」

 次に立村の肩へ手を置いたのは南雲だった。

 頬にかすかな擦り傷が残っている。指先には誰が巻いたか知らないがばんそうこう。

「俺がわざとこけたと思ってるわけ?」

 軽くおちゃらけた調子の言い方で流している風に見えるが、目は笑っていない。乗ってきたか。それならこちらも受けるのみ。貴史はこぶしを握り締めた。何度かぶつかってきたがいつも貴史側がつっかかるのみで流されてしまう。絶対たる善悪が見えない。むかつく、腹立つ、そんなレベルの低いけんかで終わってしまう。惨めさしか残らない。

「りっちゃん、心配してたんだ」

 立村にかける声がやたらと女子受けしやすい喋り方だった。

「そっか、りっちゃん、誤解するよなあ」

 語尾を延ばし、ちらと貴史に視線を向けたが戻し、立村ひとりに話し掛けた。こずえだけが貴史の腕をしっかりひっつかんでいる。

「けどさ、りっちゃんちゃんと二着と差なくバトン運んでくれたじゃん! 俺が普通に走っても取り返せる差だったけどさ、まあ世の中何が起こるかわからないってのはこの一年ほどよっくわかってるんで全力投球したまでよ。大丈夫大丈夫。どっかの誰かが変なこと吹き込んでるようだけど、俺にだってプライドってもんがあるしね。りっちゃん、そういうことで、じゃ、行こ」

 言葉の裏に潜む嫌味の数々に全身鳥肌が立ちそうだ。ぞっとする。もともと南雲は立村のことを気に入っていたし、修学旅行時のトラブル際も口をつぐんでくれたりした。ひっくり返せば弱みを握られているということだ。一発もこぶし振り上げる前に、ノックアウトとはこのことだ。どこにもつけいる隙間がない。プライド、と言われればその通り。軽薄男が全力で突っ走ってみっともないところを意識的に見せつける必要なんて、確かにない。

 黙るしかない貴史の前で、立村がまた南雲にふかぶかと頭を下げた。

「なぐちゃん」

「だからあ、謝らなくたっていいんだよってば」

「俺ひとりが勘違いしてた、ごめん」

 顔を挙げなかった。繰り返した。

「俺が、よけいなこと言ったから」

「りっちゃん、いいよいいよそんな気にするなよ。それよか学校ひけたらさ、どっか行こうよ。ひさびさに本条さんとこに遊びに行こうよ」

 ──本条さん、ときたかよ。

「りっちゃんもほら、評議のこととかでいろいろあるだろ? せっかくだからさ、本条さんにハンバーガーおごってもらおうよ」

 去年の評議委員長で立村の直属先輩、本条。その名を出されればもう貴史の入る隙間はない。南雲ともともと付き合いはあるらしい。その繋がりで立村と本条先輩の間に割り込む格好で仲良しチームをこしらえている。委員会がらみのコネもあるようだ。

 だから入れない。

 

 まとわりつく古川こずえを振り払い、貴史は背を向けた。立村の反応を確認するつもりもなかった。同時に戻ってきた美里が貴史に何か話し掛けようとし、すぐ立村へ駆け寄っていった。話の内容は丸きこえだった。

「立村くん、今ね、向こうに杉本さん来てるよ。なんか話あるみたいだよ」

「杉本が?」

 恋人同士らしい労いの言葉もなかった。立村は短く答えると貴史の側を足早にすり抜けていった。

「美里、おい!」

「なによ、そのおいってのやめなさいよ! 私有物じゃないんだから!」

 甲高い声で叫んだ美里を、貴史は呼び止めた。南雲がさっさと背を向けたのを見届け、美里を怒鳴りつけた。

「お前いったいどこ行ってたんだ!」

「二年のとこよ! それが悪い?」

「それと訳わからねえ妄想するんじゃねえ! お前らもだ!」

 これは美里、およびこずえも一緒だ。

「とんでもねえ恥かいちまったろうが!」

「貴史あんた何切れてるのよ」

 美里がこずえと目配せしながら、首をかしげた。ショートパンツから細い足が伸びていた。鉢巻をしている美里はどこか子どもっぽく見える。ちびなせいだろうか。

「優勝したんだから、もっと喜びなさいよ!」

「なあにが喜べだ!」

 本来なら嘘情報を報告した古川こずえを怒鳴りつけるべきところなのだろう。

 嘘か本当かそれはグレーゾーンにしても、どちらにしても貴史は確認せずにつっかかってしまいのせられてしまった。美里や立村が誤解しているという情報だけで本当のことだと思い込んでしまった。そう思わせた美里の馬鹿さ加減にどう鉄拳振るえばいいのかわからない。

「南雲がわざとこけたとかなんとか余計なこと吹き込みやがって!」

「あ、まさかこずえ、貴史にそんなこと言ったの?」

 口を押さえる仕種をし、こずえに詰め寄る美里。どうやらこれは古川こずえが一方的に美里の言葉を告げ口した形となったらしい。

「ごめん、ついさ、立村がぼろぼろに落ち込んでたから、口がすべっちゃって」

「そんなんじゃすまないでしょ! ばかっ!」

 また話が別方向に行きそうだ。ここで一番悪いのは誰か? やはり余計なことを考えた美里だろう。こずえも誤解を勝手に膨らませるようなことをしたのはむかつくが、それ以上貴史としてはからみたくない。ということでここは美里ひとりに文句を言うのみだ。

「人のせいにするんじゃねえよ! デマ流してどうするんだ?」

「だって、立村くんだって」

「立村にも吹き込んだのか?」

 美里ひとりの勘違いで話が広がっていき、取り返しのつかないことになったらどうするつもりなんだろうか。だから女子は訳がわからないのだ。一方的に怒鳴ってもこれは文句言われないはずだ。もっとも周囲に聞かれたらまた尾ひれ背びれつくのは目に見えているので、その辺は配慮している。女々しいかもしれないが、現実だ。

「違うってば! だって立村くん、心配そうな顔してたし、立村くんの性格だったら、きっとそう思うよねって、ねえ、貴史だってそう思うよね? 私だけじゃないよね?」

 何を必死に訴えているのだろう。耳にひとり響いた声援を甦らせてしまう。

「そんなのどうだっていいだろうが!俺が分かるわけねえだろ! 走ってるの俺なんだからな! それよか、それよか」

 ええと、なんと言えばいいのか。なんだか首が痒くなる。掻きながらわめく。

「それになんで立村に一言、がんばったなとかそういうこと言わねえんだよ! お前それでも」

 次の言葉が出てこなかった。美里が正面から貴史を見据えて首を振った。

「私に言われるよりも、もっと言ってほしい人がいるんだからしょうがないじゃない」

「美里、なんだそれ、今朝からお前何、馬鹿なこと言ってるんだ?」

 慌てているのかそれとも適切な日本語表現が見つからないだけなのか。

 いきなり杉本梨南を引っ張り出してきたりと、どう考えても立村の彼女とは思えない言動の繰り返し。しかも、また今もか。

「美里、お前」

「わかってよ、貴史くらい、分かってくれたって、いいじゃない!」

 泣きはしなかった。美里は貴史を食いつきそうなほど睨みつけ、背を向けて走り出した。なぜか南雲たちのたむろっている場に向かっていた。また、美里は何をしようというのだろう。また何を誤ろうとしているのだろう。


「羽飛、お疲れ。一番応援してたの私と美里なんだけどねえ、そっちも感謝してよ」

「悪い、お前の声、聞こえなかった。珍しく控えめなんだなと思った」


 残された貴史にこずえがいつものように、よいしょ言葉を差し出そうとする。

 申し訳ないが、聞こえなかった。それが事実だった。


 

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