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第一部 17

霜柱立つ日まで


 家族ぐるみで三年D組男子リレー優勝のためサポートさせたこの一週間。

 両親はもとより姉までもが、貴史のために一週間肉料理でがまんしてくれた。

「ったく! ダイエット失敗したらあんたのせいだからね!」

「ほんとは姉ちゃんが食いたくてなんねえくせに!」

 軽口を叩きつつもみな、「D組優勝」の四文字にエネルギーを注入してくれたのはありがたかった。羽飛家はいつもそうだった。家族の誰かに一世一代の大勝負がかかった時には、一丸となって全力応援するのが常だった。姉の公立高校入試の時も、父の昇格試験の時も、母の……思い当たる節ないが……時もいつだってそうだった。大抵の場合それで成功を収めるケースが殆どだった。

 勝利に勝つべくとんかつをほおばりながら、貴史は家族を前に、熱弁を振るった。

「ってことで、いろいろごたごたしてるけど、結局は勝てば官軍だろ? どんなにむかつく奴らだって、勝ちたいって気持ちだけは一緒だろ? だったら俺は南雲みてえなむかつくミーハー男の態度も我慢して、しっかりバトンを握り締め、つっぱしるだけだっての。な、そこんとこ、女子とは違うんだぞ、姉ちゃん」

「なんで私に話が飛ぶのよ。それとね貴史、あんたすっごく勘違いしてるんだけど」

 髪の毛の先をいじりながら姉がつっこんでくる。

「悪いけど、女子がみんな、いやな奴を無視するなんてことするわけないじゃんねえ。ほんっと、その男尊女卑的発想ってなんなのよ。むかつくよね」

「何言ってるんだよ、ばーか。女子なんかみんなああだこうだって悪口陰口言いまくって足ひっぱりあってるだろが。あんなの見てたら誰が近づきたくなるかって」

「あのねえ、貴史」

 ダイエットダイエットとか文句つけながら、結局とんかつを平らげた姉は、皿の端を箸で叩きながら言い返してきた。

「あんたが見ている女子ってのは、美里ちゃんがらみの子ばっかりでしょ。言っちゃなんだけど身びいき光線びしばしじゃん」

「なんでそういう話になるんだよ、つまらねえ!」

 姉の文句はいつも美里に絡めてくることが多い。いったいどこから美里の話題をひっぱり出してくるのか理解し難い。こういうところが女子のわけわからないところだとつくづく思う。貴史は残りのご飯をかきこんで立ち上がった。

「うるせえなあ。明日本番だってのにどうしてこうやる気萎えること言い出すんだ? 姉ちゃんは男の意地ってもんわかってねえだろ?」

「どこが男の意地なのよ。ほんとわけわかんない!」

 この間、両親は全く口を挟まなかった。単に食うことへ熱中していただけとみた。貴史たちが席を立つのを待っていたかのように、母はすぐ皿を盆に載せ洗い場へ運んでいった。

 本番に向けて、さっさとベットにもぐりこんだ。練習が続くとただひたすら眠いだけなのだ。


 寝てから九時間弱経っているはずなのに、目覚めると一瞬だ。記憶のないくらい眠り続けた後爽やかな朝を迎えた。まずはポロシャツと短パン、そして重ねてジャージの長ズボンをはく。腹のあたりがもしゃもしゃして暑苦しいがしかたない。忘れてはならないものといえば赤と白の鉢巻。以上準備OK。朝飯をしっかり平らげた後自転車にて学校へと向かった。

 美里の部屋窓ガラスに向かい、小石を投げる。気付くはずだ。

「ちょっと待ってよ!」

 窓は開かず声だけ聞こえた。余裕がないのだろう。

「あんた珍しく早いね」

「あたりめえだろ。さ、行くぞ」

「ちょっと待って」

 美里はいつもの制服姿で現れた。男子連中の殆どはもう体育着に着替えるのも面倒なのでそのままポロシャツで向かうのだが、女子は違う。めんどくさいだろうにちゃんと着替えの体育着を抱えて学校へ行く。しかも手提げはふたつばかりと重たそうだ。

「大荷物だな。何使うんだこりゃ」

「あんたたちのためなんだから、感謝、しなさいよ」

 美里が小さめの手提げから取り出したものは、肌色のL文字のような巨大なマスコットだった。巨大といっても実際親指と人差し指をピストル型に切り抜いたような形なのでたかがしれているが、やはり目立ちそうなものだ。

「なんだこりゃ?」

「女子たちが男子たちにがんばってもらおうってことで、こしらえたんだから!」

 投げるように押し付けた。目を逸らしたまま、美里は自転車の後ろに鞄をくくりつけ、ハンドル前の籠にもうひとふくろを押し込んだ。

「美里、ひとつ聴きたいことがある」

「なによ」

 目をそらしっぱなしで出発準備に勤しむ美里に貴史は尋ねた。

「この怪しいマークはなんか意味があるのかよ?」

「ないよ、こずえが決めたの」

「古川が?」

 それは十分怪しいマークの証拠ではないだろうか。美里のハンドルを片手で抑えたまま貴史は尋問した。

「勝利のマークってのがLなのか? 普通なあ、ビクトリーのVとか、ファイトのFとか、それなら分かるけどなあ、LったらLOVEかよ」

「ああ、そうね、貴史に対してこずえはそうかもね」

 女子としては言ってはいけない言葉を美里は呟いた。貴史のつまんでいたフェルトの巨大マスコット「L」を手のひらに載せ、短い棒線を上に、長い棒線を横になるように立てた。

「ほら、こうなるとどう見える?」

「……L、だな」

「そうじゃなくって! Lっていうよりも、これに見えない?」

 美里はこぶしを作って親指を立てた。

「がんばれって応援メッセージに見えない? ほら、GOOD!っていう感じに」

「そうか、そうきたか!」

 改めて美里から「GOOD!」……今この瞬間からマスコットの名をそう決めた……を受け取り指先でなぞってみる。見た感じかがり方も綺麗だし、一歩間違うと別の卑猥なものを連想させそうになることもない。いや、貴史が一瞬それを連想したのは事実だが、美里の指先でさっぱりかがったというのなら嫌らしさも感じない。そのまま細長い「L」の文字と、赤い紐で吊るされたそれを眺めながら貴史は指先でつついた。

「サンキュ、こりゃあ受けるぞ」

「受ける……?」

「あったりまえじゃねえか。美里がこんなの作ったなんて立村も気付いてねえだろ? こりゃああいつ、気合入るだろ? 燃えるだろ? な、立村の分もあるんだろ?」

 慌てて美里は貴史の自転車を振り切るようにペダルを踏み始めた。なぜ逃げるのかわからない。恥らっているのならまだわかるが、どうもそんな可愛げのある態度じゃない。露骨に振り切る、崖があればためらうことなく突き落とす、そんな感じだ。

「おいおい、逃げるなよ」

「逃げてなんかないってば!」

 何もまあ、彼氏のことを突っ込まれたからといって慌てて逃げ出すこともないだろうにと思う。付き合いたてほやほやならばまだしも、もう二年近くの古女房とくれば隠し事なんてないも同然だろう。まあ立村の性格上、露骨にどうのこうのというのは難しそうだが。それでもマスコット「GOOD!」のプレゼントくらいはそりゃ、やるだろう。

「悪いけど、私はあんたに今回渡すことになってるの!」

「じゃあ立村にはやんねえの?」

 後ろの荷台を押さえ、逃げられないようにし尋ねると、

「立村くんには、こずえが渡すの。そう決まってるの!」

 こりゃ驚いた。彼氏持ちの奴なら大抵その相手に渡すものと思っていたんだが、違うらしい。女子というのはだから理解不可能だ。分かりにくい。それともこずえが何か企んだのだろうか。美里も無理やりそう指示されたのだろうか。

「古川がまた企んだのかよ」

「人聞き悪いこと言わないでよ! こずえの方が何かといいのよ、立村くんには!」

 ますます分からない。貴史は腕時計を覗き込んだ。まだ余裕ありだ。

「またお前ら立村とやりあったのかよ」

「そんなことしてないわよ。ただ、こずえと相談してそれの方がいいかなって思っただけなの!」

 いろいろ事情があるのかもしれない。と言うよりも、

 ──女子同士のややこしい関係には近づかない方がいい。

 という保身の意識もあって、貴史はこれ以上突っ込まなかった。

 まあいいだろう。古川こずえが立村の面倒を見るというからには、それなりに意味もあるのだろう。美里が余計な妬きもちを妬くことなく、周囲からもやっかまれることなく、リレーに集中してもらえるのならばそれはそれでいいだろうと思う。

「じゃあ、俺は貰っとくからな。尻からぶらさげとっか?」

「邪魔にならないとこの方がいいよね。落としてこけたなんてなったらしゃれになんないもんね」

 ──こうだよ、また。

 相手が立村だったらもう少しいじらしく、「私だと思って肌身離さず持ってて」くらい言うかもしれないが、しょせんこれが貴史に対する美里の態度だ。軽く頭を小突くと背中を叩き返された。美里は振り返るとさっぱりした顔で頷いた。

「ってことで、貴史、あんた絶対、一位でぶっとばしてよ! あんた、アンカーなんだからね!」

 あたりきだ。美里に言われなくてもやるべき仕事はしっかりやってみせる。


 ふざけあいながら学校に到着し、教室で挨拶を交わした。三十九人のクラスメンバー。ひとり足りないのは例によって中体連の大会で勝負をかけるはずの近衛のみ。みな体調も整っているように見受けられた。

 あの、女ったらしの軽薄男・南雲も足首や手首をくるくる回しつつ準備に勤しんでいる。

 もうひとり、立村を探すと奴も静かに席についている。

 さすがに制服ではこなかったようで、ポロシャツ一枚で足をジャージの上からもむような仕種をしている。やはりこいつも、気合は十分と見た。

「立村、いよいよだな」

 背中から近づき、肩に手をかける。

 こうやっているのをよく、評議委員の先輩だった本条先輩がしているのを見かけた。

 びくりとして振り払おうとする立村。

「なんだよ、その態度ったらねえだろが」

「悪い、羽飛か」

 立村はすぐに決まり悪そうに笑った。少し前かがみになり、膝上を叩いた。

「結果、出すぞ、絶対な」

「わかってる」

 穏やかな返事だが、貴史の目を見ようとしなかった。

「お前、お守り、貰ったか?」

「お守りって、何?」

 顔を上げ、初めて貴史の顔を見た。

「これだよ」

 ちらっと「GOOD!」を取り出し立村の頭に乗せている。当然、振り払われる。

「やめろよ」

「女子連中が本日の勝負において、気合入れるためにプレゼントしてくれるんだとよ」

「そうなんだ……」

 戸惑った風に立村はそれを手にし、長い縦棒を上、短い縦棒を下に置く形で眺めた。

「L、ってどういう意味なんだろう?」

「違うっての、こうだよ」

 暫く吊るした紐を回しながら貴史は、横棒を底辺にしてひっくり返した。

「つまり、GOOD!ってことだろ。親指立ててみろよ。よっく考えるよなあ。お前も気合入れねばなんねえだろ」

「そういうものなのかな」

 よく理解をしていないような顔で立村は肌色のフエルトを指先で撫でまわした。

 あまり好みのデザインではないのだろうと予想はつく。


「立村くん、ちょっといい?」

 不意に声をかけてきたのは美里だった。貴史と立村の間に割って入り、持っていたマスコットをひったくった。強引なやり方だった。少しむっとするかと思いきや立村は特に怒るでもなく黙って突っ立っていた。ただ一言。

「何?」

 ──お前の彼女に「何?」はねえだろ。

 美里はまだ制服姿だった。着替えていない。抑揚なくあっさりと答えた。

「廊下に杉本さんがいるよ。立村くんに用事があるみたい」

「杉本が?」

 かすかに首を傾げ、すすと立村が扉を開けて出て行った。用事があるとなればもちろん行くのだろうが、どことなく腕とか腹とかがぴくぴくする。まだ古川こずえは来ていないようだ。よりによって球技大会にまで委員会のお仕事が絡んでくるのだろうか。ご苦労なこった。

「評議委員ってのも面倒だよなあ。こんな時まで」

「違うよ、貴史」

 ついさっき、立村を相手に冷たい口調で話をしていたのとは打って変わり、美里の目はかすかにうつろに揺らめいた。俯いたのでその色は貴史しか見分けられない。

「あんた、立村くんにやる気出してほしいんでしょう」

「当たり前じゃねえか。やる気、あるに」

「もっと、出してほしいんだよね。三年D組がリレーで勝つためにね」

 なんで美里は当たり前すぎる言葉を口にするのだろう。しかもそんな、思いつめた目でだ。

「なんだよ、じゃあなんか、お前らしたのかよ?」

「やらしいこと言わないでよ!」

 きっと見返す美里の鋭い瞳。これをやられると貴史もすぐには噛み付けない。

「冗談だってわかってるだろが」

「私も、勝ちたい、勝ってほしいよ。だから、したの」

「何をだよ」

 ──まさか、ちゅーとか?

 これ以上口にすると美里に殴られるのは目に見えている。言わない。

 美里は一瞬顔を伏せたが、すぐに貴史の肘をつつき、扉向こうにひっぱっていった。まだクラスの連中は男子ばかりでうるさ方の女子は殆ど来ていない様子だ。

「ほら」

 扉を細く開け、美里は覗き込んだ。廊下で何が行われているかを貴史も見た。

 朝の光、窓辺にて。

 立村と、杉本梨南……いわくありの後輩女子……が向かい合い、何かを語らっていた。

 なんと手作りマスコット「GOOD!」のL文字を片手に、なにやら赤いリボンでぐるぐる巻こうとしている。俯いているせいかやたらとブラウスの中ででかいものが揺らいでいるように見える。煩悩が爆発しそうなのかわからないが立村が不思議そうにその姿を見つめている。

「おい、あいつら何やってるんだよ、で、ありゃ」

「見ればわかるでしょ。杉本さんからあれをプレゼントさせることにしたの」

「古川が渡すんじゃねかったのかよ」

 一度口を噤み、美里は首を振った。

「こずえに押し付けられるだけだったらやる気出るわけないじゃない! 立村くんの性格、私が一番よく知ってるんだから!」

「じゃあお前が渡せばよかったろうが」

 さすがに声は潜めて言い返した。美里は扉を閉め、背を向けた。

「貴史、今のこと、絶対黙ってて。見てない振りしてよ」

「はあ?」

「リレーに、勝ちたいんだったら絶対に」

 またきりりとした瞳で美里は唇を結び、言い切った。それ以上何も言わずに、体育着の入った手提げをぶら下げ、教室から出て行った。


 開いた拍子に立村が微笑みを浮かべながら入ってきた。美里とはすれ違いだがちらとも目線を交わさなかった。片手には太めの赤いリボンでぐるぐる巻きにされたL字の「GOOD!」マスコットが握り締められていた。思わず貴史も自分の何もついていない肌色フェルトのままのものを握り直した。

「ずいぶん派手だなあ」

「古川さんから頼まれたらしいんだ、俺に渡してほしいって」

 ずいぶんにこやかに語る。つい五分前の不機嫌そうな表情はどこへやらだ。艶のある赤いリボンでL文字のフェルトは見事に覆い隠されている。赤いL文字。

「なんでそんなことする必要あるんだ?」

「それのほうがいいかなと思ったみたいなんだ。リボンを巻きつけた方が上品に見えるとあいつが感じたらしいな。そういう趣味だしさ」

 優しい眼差しで立村は片手の赤いL文字……いや、赤くまがったソーセージ……のようなものを見下ろした。

「で、がんばってください立村先輩!とか言われたのか?」

「まさか」

 立村はかすかに首を振った。L文字をそのまま鞄の奥ポケットにしまいこんだ。指先で丁寧に奥まで押し込んでいた。


 美里が着替えて戻ってきた。立村の顔を一瞥もせず自分の席に戻っていった。

 ──絶対に言わないでよ。リレーに勝ちたいんだったら絶対に!

 赤いリボンでぐるぐる巻きのL文字マスコットを差し出す手の持ち主、その違いに意味があるのか、今の貴史にはわからなかった。

 ──なんで美里、お前が渡そうとしなかったんだ?

 ──なんで俺には平気な顔して投げてよこせるのに、立村にだけはわけわからねえ態度取るんだ?

 答えはまだ、見出せなかった。




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