第四部 106
美里との打ち合わせ通りに三年D組およびB組合同の卒業おめでとうお楽しみ会が始まった。だいたい時間は一時間程度とし、その後はみな適度に二次会へ進むよう手はずを整えておいた。二次会以降の流れは南雲に話しておいたのでたぶん問題ないだろう。面白くない相手ではあるが、統一力のそれなりにある規律委員長なのだからそのへんの手腕は認めざるを得ない。
──あとは、美里を巻き込むか否か。
美里にも声をかけて立村に連絡を入れさせるべきか少し迷ったのだが、あえてしないことにした。何も美里だってすべてが立村につながっているわけでもないし、古川や奈良岡ともそれなりに話をしたいことだってあるだろう。特に奈良岡はこの卒業式が終わったら間を挟まずにすぐ高校の寮に引っ越すと聞いている。名残惜しいところもあるだろう。
「さすが羽飛、見事にまとめたなあ。驚いたぞ」
卒業生の父母たちに挨拶をして親向けの謝恩会会場へ誘導を終えた菱本先生が戻ってきた。今回はパーティーというよりも「お楽しみ会」要素が強いので教室内で行なうということ、またその場合は教室が手狭なのでご家族様にはご遠慮願いたいという形を取っている。ゆえに邪魔はされそうにない。何よりだ。
すでに教室内の机と椅子もちゃんとセッティングされている。ビニールクロスもかかっているので多少ジュースをこぼしても大丈夫そうだ。みな、胸のコサージは外していないので見た目やはり華やかだ。美里と奈良岡が紙皿に「奈良岡お手製手作りクッキー」を盛り付ければ準備完了だ。
「まあ、あんなとこかあな。先生、まだ食うなよ」
「失礼だなあ。お前のほうだろ。さっきからちろちろクッキー見てたぞ」
「奈良岡のねーさん作るクッキーまじうめえからなあ」
南雲がちらとこちらを見た。もちろん無視した。気づいたのか菱本先生が小声でささやきかけた。
「お前、南雲も説得してくれたんだってな」
「説得なんかしてねえけど。ねーさんじゃねえの」
「いや、どうもお前らしいぞ。いろいろと動いてくれて、ありがとな」
「けどなあ」
本当は一番、教室に残しておきたかった奴がいない、この現実。
「どうした」
「立村だけはやっぱだめだった」
菱本先生は目を伏せたがすぐに、
「どうせ高校でなんとかするつもりだろ」
にやりと笑った。まあそれは貴史なりに決めていたことでもある。
「そのつもりだけど、先、なげえよ」
D組の他にもB組の連中がちょろちょろしている。目立つのは女子評議で今回ワトスン君を演じた轟の姿だった。いつもの出目金出っ歯の顔でもって、
「悪いんだけどそこにあるダンボール教壇に持ってってもらえる? あれ、D組のものだから」
男子たちにてきぱき指示を出していた。貴史も正直驚いたのだが男子連中はみな嫌な顔ひとつせずに、
「ああ、トドさんあと持ってくもんねえか?」
などと楽しげに協力を申し出ている。あまりB組の状況は知らないのだがなんだかんだいってよくまとまっていたのだろう。男子評議が難波、生徒会長の藤沖を擁するだけではなく非公式の情報ながら、「中学入試結果が上位だった連中」の集まりでもある。D組とは少し異なる雰囲気が流れているようだ。
「羽飛くん、このダンボールなんだけど教卓の奥に隠しとく?」
轟に問われて貴史も箱を開いて確認した。そうだった。いろいろ取り沙汰されたクラス文集の到着が遅れて今日になってしまったという体たらく。今日参加できなかった奴にはあとで郵便送付しなくてはならない。
「いや、とりあえずうちのクラスの連中にのみ配るもんだから、すぐ片付ける」
「じゃあ置いとくね。あのそれで」
轟は声を潜めて貴史に尋ねた。
「立村くんは今日来るの」
「いや、来ない」
即答した。修学旅行でこっそり立村とのデート権限を勝ち取った轟にとって、やはり気になることではあったらしい。
「貴史、もうそろそろいい? はじめようよ」
美里が轟との間に割って入った。もちろん準備が整えば即、開始だ。
「じゃあ、みなのもの、定位置、定位置!」
呼びかけた。もう三年D組連中に貴史の指示は浸透していてそれぞれが決められたもち場所に立った。美里は貴史の隣りに寄り添う格好で、B組生徒たちにも、
「じゃあ始めますので、B組のみんなももっと前に来て!」
手を何度も振りながら、D組連中と混ぜ合わせていた。それぞれのクラス担任もみな前に来て、微笑みながら全生徒を見守っている。
「そいじゃ、飲み物注いだ注いだ! で、乾杯いくぜ!」
みな、きっちり声が揃った。
「かんぱーい!」
ひときわ高い声が響き渡った。誰だか一発でわかる。B組男子の中にいつのまにか混じっている古川こずえだった。
本来はクラス担任たちに一席ぶってもらうのが約束だが、冗談じゃない時間が無駄だし菱本先生にしゃべらせたら一時間があっという間に経ってしまうに決まっている。そういうこともあって最初、B組在籍の一芸持ちにそれぞれ間を持たせてもらうことにした。難波に協力をしてもらいリコーダー、ハーモニカなどの荷物になりにくい楽器でそれなりの演奏を頼んだ。音楽の授業では今ひとつぴんとこない楽器だが、アンサンブルでまとめたりすると結構行ける。みな、拍手喝采沸き起こった。
「食いながら勧めてくぞ。次はヨーヨー遣い、いでよ!」
今度はD組のヨーヨーマニア野郎にご協力いただくことにした。手が器用な奴というのはどこもいるものでそいつには両手でそれぞれ操ってもらい、「よくわからないがすごくうまい」と思わせるところまで技を見せてもらった。だが貴史からするとどうもいまひとつピンと来ない。たぶんヨーヨーは好きなんだろうが、見ていて退屈だった。早めに切り上げさせたほうがよしと判断し、技が一段落するところで終了させた。
「さってと、次はB組、誰か一芸いないか!」
「ほいさ!」
次から次へと逸材を提供してくれるB組。難波ともう少し相談しておけばよかったとも思うのだが相棒の轟がすぐさまそれなりに、
「それじゃ、次! 今度はブレイクダンス!」
「では次! 難波くんプロデュースのあれ行くよ!」
なぜか日本少女宮の男子版振り付け踊りつきなんてものも出てきてしまい、今回のかくし芸勝負に関してはB組の圧勝に終わってしまった。
──が、しかしだ。
確かにD組には音楽の素養に乏しい奴ばかりかもしれない。しかし、我がクラスには隠し兵器があり。
──さてと、あいつどこにいる?
仕込み道具たる一名を探す。いたいた、ちゃんといた。目立たないところできっちり仕事をしてくれている。B組が音楽班とするならD組は……。
宴たけなわ、盛り上がり最高潮に達したところで貴史は指令を出した。
「んてとこで次、金沢、前に出ろ!」
「はーい!」
この辺の打ち合わせは美里と金沢としか行っていない。理解してくれている美里は金沢の側に駆け寄り、ぽんと背中をたたいて送り出した。
「ではでは、まずみなさん、突然ですがD組よりみなさまにプレゼントでございます!」
みながざわめく。クッキーにかぶりついている担任たちも同様に、スケッチブックを抱えて現れた金沢に視線を集中させた。
くるっと教壇の前でスケッチブックを開き、ぴろりと頭の上で吊り下げた金沢は満面の笑みを浮かべた。そのままぐるりと教室いっぱい見渡して、
「ご紹介いただきました、金沢です。どうもです」
まずは堂々と挨拶をした。一部より「知ってるよ」のやじが飛ぶ。
「本日は、ご卒業おめでとうございます」
「だからお前もだろ!」
またつっこまれるが金沢は動じない。小柄な身体ですっくと立ち、
「実は只今、このスケッチブックに、今やってたこと全部、ラフでスケッチしちゃいました」
堂々と言い放った。みな、何を意味しているのかよくわからないように顔を見合わせている。貴史もこれは手伝う必要がありそうだ。金沢の隣りに立ちスケッチブックをひったくった。
「つまりなんだけどな、金沢に今回最初からスケッチブックと2Bの鉛筆支給して、お楽しみ会真っ只中の光景を全部メモってもらおうってことにしてたんだ」
「えー? ちょい待ち羽飛! 金沢にってあんたたちだけの秘密? 超やらしいじゃん!」
内緒にした格好となるこずえがすっとんきょうな声を挙げてなじった。もちろん冗談めかしているので賑やかしでしかない。険悪な雰囲気にもならずに笑い声が沸く。
「そう怒るなよ。とにかくだ、さっきのヨーヨーショーとかいろんなことやってたのは全部このスケッチブックの中に収まってると、そういうわけだな、金沢?」
確認すると金沢は自信たっぷりに頷いた。菱本先生も近づいてきて興味深そうにスケッチブックを覗き込んだ。
「そういえばまだ文集、配ってなかったな。画伯の傑作集どうする、羽飛?」
「そうだなあ、じゃ先生、今配っちまうか」
実はタイミングを測っていたところだった。すぐに声かけて配ってもよかったのだが、D組連中だけのものなのでB組生徒たちが少し手持ち無沙汰になりそうな気がしたからだ。しかし、すでに仕込み済みのことを金沢にやらせれば丸く収まりそうな気もする。
「じゃあ金沢、予定通り、行くぞ!」
親指を立てて金沢は貴史に合図をした後、改めて予定通りの提案を行った。
「で、残りの時間で俺、B組のここにいる人たちの似顔絵スケッチをサービスします。D組分は今ここに積んである文集に全部ぶち込んでるんですが、せっかくなんで今日は他クラスの希望者も、鉛筆描きでよければ似顔絵サービスします。希望者いますかあ?」
後ろから突如拍手が起こった。生徒会長の藤沖がまず先に、続いて難波が、さらに他の連中も男女問わずB組連中から歓声が沸き起こった。
「こうきたかD組! 余興全部B組に振りやがってと思っていたが最後に持ってくってことか!」
「羽飛も金沢もナイス!」
「けどさ、時間ある? あと二十分くらいしかなさそうだよ」
不安げな声も金沢は自信満々に打ち消した。
「お楽しみ会が終わっても希望者がいる限り、どっか別の教室借りるか場所変えて描くよ。どうせ今日は授業もないし、とことん付き合うよ!」
再び、今度はD組連中のあっぱれたる声も混じり金沢をねぎらうコールが起こった。
──よし、これで金沢も安泰だ。
貴史は後ろでにこにこしながらこずえたちと語らっている美里に目を向けた。すぐに貴史の視線に気づいたのか、親指で「GOOD!」の合図を送ってきた。
前から考えてきたことではあった。
──金沢の奴、単なる天才画伯で終わっちまいそうだよなあ。
入学当初から金沢は「絵が上手な男子生徒」としか認識されず、同じくらいの背丈という理由で水口とつるんで遊ぶ、そんな目立たない生徒だった。貴史も金沢を嫌ってこそいなかったものの、それほど親しくしゃべる仲ではなかった。しかし、たまたま貴史の中で目覚めた美術への興味が少しずつ金沢へとつながっていき、今では美術の師匠として……もちろんネタだが……教えを乞うようにもなった。同時に、ただの天才少年画家扱いされるだけで他クラスの奴との交流なく終わってしまうのがもったいないような気もしていた。
──ここは俺が一肌脱いだっていいだろ。そんくらいは。
きゃあきゃあ取り囲まれている金沢を見つめていると、後ろから菱本先生が笑顔で語りかけてきた。
「よくやったな、羽飛」
貴史は頷くだけだった。
しばらく金沢画伯の記念似顔絵タイムが続いている間に三年D組連中にはクラス文集が手渡された。作文などほとんどなく、ある意味金沢画伯作品集とも言えなくもない。みな自分の描かれたイラストや顔などを眺めながら、
「畜生俺、似てねえー!」
「どこがよ。何言ってるの。あんたリアルじゃん。それとも何? あんたもっと男前だと思ってたわけ?」
「ここまで俺鼻の穴でかくねえー!」
画伯の腕前に疑問符を付けるような恐ろしい発言をする奴もいないわけではなかったが、おおよそは「似ている」と納得して口々に、
「金沢くん、ありがとう、一生の記念になるね!」
「きっとこれ五十年後、高く売れるだろうなあ」
金沢への感謝をみな示した。その画伯は聞いているのかいないのか、一心不乱で2Bの鉛筆を握り締めスケッチを続けていた。
まだ若干時間もある。ずっとしきり続けていて貴史もほとんど何も食べていなかった。たぶん中学時代最後の奈良岡印ホームメイドクッキーとなるであろう。噛み締めるとさっくりというよりもケーキに近い歯ごたえの卵色クッキー。まだ皿に残っているテーブルはどこか。美里が食いまくっている皿にはまだたっぷり積んである。
「美里、全部食うなよ! 俺にもよこせ」
「ちょっとちょっと、私だってまだ食べてないんだから!」
「嘘つけ、お前ずっとこっちにいただろが!」
「おしゃべりしてたから食べる暇なかったの。金沢くんがスケッチしている間にやっと食べれると思ってたのになんであんたが!」
食べ物のことについては男女関係なく争うこととなる。貴史と美里、ともに舌戦している間にも手を皿の上に差し出し、急いで口に押し込んでいる。あっという間にクッキーの山は崩れていく。やはりうまい。奈良岡にはやはり言いたい。医者目指すより菓子職人選んだ方が絶対幸せになれると思う。
めいっぱい口に含み、烏龍茶で喉に流し込んだ時だった。
「立村くん!」
奈良岡の声が奥から教室内に響き渡った。
静まり返った中、開いたままの後ろ扉に振り返った。
立村がコートを来たまま伏せ目がちに立ち尽くしていた。