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第四部 105

 「蛍の光」の歌声に送られて教室に戻った。席についてから菱本先生より一枚ずつ卒業証書を受け取っていく。といっても先生自身がそれぞれの机の上に配っていくものなのでテストの答案返却の延長上としか思えないところもある。趣はいまひとつだ。その他卒業生に渡されるさまざまな記念品やお菓子、卒業証書入れなどを受け取り鞄にしまい、菱本先生の三年D組最後の演説を聴く。いや、厳密には最後ではないのだが。

「と、いうことでだ。三年間、みんな、ありがとう! 語りたいことはたくさんあるし、かといってしゃべっているとたぶん延々と続くだろうしなあ。ほんと、このクラス、いろいろあった。個性が強すぎる連中ばかりで、最初はどうなるかと思ったが、本当にみな、よくまとまってくれた。ありがとう、ありがとう」

 「ありがとう」を繰り返し、目を真っ赤にしたまま語り続ける菱本先生。卒業式の立村英語答辞で爆発してしまった後遺症だろうか。まだまだこれからだっていうのに暴発しちまっていいのかと貴史は思う。どうするんだ、これからすでに仕込み済みのネタがたんまりあるんだが。生徒は誰ひとり泣いていない。

「みんな、本当に、いろいろあっただろう? 勉強もそうだし、部活もそうだし、委員会もそうだしな。時には暴走しちまうこともあっただろう。俺も若かったから感情ぶちまけて怒鳴ることもあった。手を出してしまうこともあった。けど、一瞬たりとて俺はお前たちのことを忘れたことはなかった。これは本当だぞ。三年間、一瞬一秒たりとも、三年D組の連中の顔を忘れたことはなかった」

 ──このまま放置しといたら、いつまでもしゃべり続けるぞ菱本先生。

 そろそろ時が来た、ということで貴史は周囲をぐるりと見渡した。

 口笛が合図だ。打ち合わせ済み。「起立」の代わりだ。全員……一名除いて……立ち上がった。立村が少しタイミングずらして続いた。立村には伝えてなかったことを思い出した。とりあえず全員起立はいいことだ。

「菱本先生、てなわけで、お説教は次回に続くってことで」

 これも美里と打ち合わせ通り、目で合図をする。すでに美里は机の下に仕込み品を準備しているはずだ。聞かれたら獅子舞道具の一部とか言っとけと話しておいたが特につっこまれなかった様子だ。できればサプライズにしたかった。美里は抱き上げると教壇の前に立ち、菱本先生に差し出した。

「これ、おちびちゃんに、プレゼントです。三年D組一同から!」

 白い包装紙に真っ赤なリボンが貼り付けられている。経費削減対策で美里が思いついたもの。菱本先生は戸惑ったように一言尋ねた。

「なに?」

 ──そりゃ決まってるだろうよ。

 つっこみたいのだが、おそらく菱本先生の精神状態は舞い上がりまくりで「プレゼント」という認識すら難しいのかもしれないと思うと黙るしかない。こずえが助け舟を出した。

「先生、開けてみなよ」

 周囲でみな、うんうん頷いている。立村を覗くすべての生徒がこの企みに参加している。菱本先生に生徒から最初で最後のびっくりプレゼントを用意したい、その気持ちだけは本物だ。みな頭をひねった割にはありがちなものだが、まあいい。

 菱本先生が教壇から降りた。恐る恐る両手を伸ばしそおっと受け取った。

「ありがとうな、ありがとうな」

 奈良岡がハンカチを片手に立ち上がりそっと教卓の上においた。これも貴史の考えた仕込みのひとつ。

「じゃあ、開けるな」

 そのまま菱本先生はゆっくりと教卓にプレゼント包みを置き、丁寧にセロハンテープ部分を探りつつはがし始めた。決して破きたくないという意志がありありと伝わる。息を呑む。プレゼントそのものは女子に選択を任せたので実を言うと男子連中は具体的な内容を知らずにいる。

 ものが現れた。菱本先生よりも前に南雲がつぶやき、指を鳴らした。気持ちいい音が響いた。

「カンガルーか! ナイスアイデア! 一本取られた!」

 小声で立村に何か聞かれている。説明も南雲が請け負っている。

「ほら、カンガルーのポケット見てみろって」

「ポケット……?」

 まじまじと立村がぬいぐるみを覗き込む。他の連中もみな、ぬいぐるみの周りに集まり、「すげえこれ、俺がガキならサンドバックにしてるわな」

「センスいいよね。けど私たちの集めた分で間に合ったの?」

 買い物は美里とこずえ、および奈良岡に任せていた。たぶんこずえが値切ったか見切り品見つけて安く手に入れたのではないだろうか。あとで詳しく美里から聞いてみよう。なにせここ数日は別のことにかまけてしまいめでたい話は後回しだったのだ。

「物入れにも使えるよなあ」

 カンガルーの巨大なぬいぐるみには、大きなポケットが用意されている。その中に水口と金沢が代わる代わる手を入れている。

 菱本先生はじっと見つめ、そっと撫でた。涙をほとばしらせるようにして皆を見た。

「うちの子が喜ぶなあ。ありがとう、ありがとよ」

 ──やべえ、このままだとまた演説始まるぞ!

 時間は限られている。美里に目配せしてすぐに切り上げるよう指示した。美里もいったん様子見で席についていたがすぐ立ち上がり、

「じゃあさ、先生、みんなで記念撮影しましょ!」

 ぬいぐるみと菱本先生の間に割って入った。早い段階で卒業記念写真……極めてカジュアルタイプ……を撮ってしまい、あとは一気にお楽しみパーティーへとなだれ込む。そうすればはしゃぐ時間も増えるし、今日全時間参加できない奴も最初の五分か十分くらいはその場にいられるかもしれない。もうこの流れは立村を省いた全員に伝えてあるので誰も「なんでそんなことするの、もう写真取ったよね」と野暮なことを言う奴はいなかった。ちゃんと撮影時の順番も決めておいた。あっという間に菱本先生とカンガルーを囲む形で整列した。美里は前列の中央に、貴史はその隣りに、さらにこずえが背後霊のように覗き込んでいる。

「おいお前すげえ不気味」

「生霊だもんね」

 立村も入っているかを確認した。後ろに回って陰に隠れようとしている様子だった。

「で、誰かにシャッター切ってもらいましょうか。外のお父さんお母さんの誰か」

「さっさと廊下に出て誰か捕まえて来いよ」

 美里を促してすぐに行かせようとすると菱本先生が貴史の隣りで口をはさんだ。 

「そうだな、おい、立村、お前のご両親にお願いできないかな。さっきお会いしたぞ」

 ──おい先生、ちょっと待てよ!

 菱本先生はおそらく卒業式後の立村に対するクラスメートたち……主に女子たち……の冷ややかな視線に気がついていない。貴史もなんとなく妙だとは思ったが、あんな英語答辞やりたい放題やらかしてしまったのだから、多少の風当たりは仕方ないと思っている。あとで直接「お前、このボケナス!」くらいどやしたい気分だが今はまずい。父母のみなさまだって連なっているのだからここは無難に済ませなくてはなるまい。貴史もそれなりに計算は出来るのだ。

 ──いくらなんでもだ、立村をまた前に出して何かさせるってまずいだろ! それにあいつ、母ちゃんとバトル寸前じゃねえの。まああのべっぴんさんならたぶん撮ってくれるかもしれないけど、立村が切れるのは覚悟しろって。

 美里が貴史の顔をちらりと見た。すっと振り返り、

「立村くん」

 呼びかけた。仏頂面していた立村の表情がふっとほぐれた。

「悪いけど、シャッター押してくれないかな?」

 他の連中が戸惑った風に顔を見合わせ、立村の様子を伺う。

「二枚撮って、それで終わりにしようよ。ね」

 ──おい美里、立村入れねえぞ写真に。どうするんだおい。

 貴史も美里に問いただしたかった。公式な卒業記念写真ではないがそれでも中学最後の記念写真であることには変わりない。ため息やうんざりムードが立村のせいで若干漂っていることは確かだが、それでも三年D組のメンバーとして「はずし」に近いことは避けるべきじゃないのか。いやまさか、

 ──美里、まさかとは思うが立村にそこまで恨みあったりしたのか?

 さっきの英語答辞で立村が杉本梨南に対してやらかしたことを、ここで美里がやり返そうとしているのだろうか。気持ちはわからなくもないが今ここで美里がそういうことを考えるとは思えない。

 一瞬立村はひるんだように一歩足を引いた。そのあとすぐに美里へ手を伸ばしカメラを受け取った。

「そうする、貸して」

 段から下りた。思わず貴史も、

「おい立村、別の奴にも頼めよ。お前入らないと」

 奴を止めようとしたが全く持って無視。菱本先生も、

「清坂、やはりここは親御さんに頼んだほうがいいぞ」

 小声で制している。美里は引かなかった。

「いいんです。立村くん、写真嫌いだから」

 美里だけではない、貴史もそのことは知っていた。立村の感情を抜きにした呼びかけ、

「それでは、二枚、連続で撮ります、いいですか」

 素直に従った。シャッター音が二回響いた。

 最後の締めは貴史の役割だった。打ち合わせ通り進む。イレギュラーだったのは写真撮影で立村が入らなかったことくらい。スムーズに進んでいる。

「そいじゃ、みなさん、三年間、どうもありがとうございました! 菱本先生も、がんばって子育てアンド子作りパート2に励んでくださいってことで!」

 さあここで全員声を揃えるよう右手で合図。腹から叫んで一礼した。 

「どうもありがとうございました!」


 さてここからはてきぱき動かねばならない。ここの動線も美里や古川、奈良岡たちと打ち合わせておいた。食べ物飲み物はそれぞれのロッカーに隠してあるので出すこと自体はあっというまに完了する。ただ生徒が教室でうろうろしていたり、他クラスの生徒たちと合流した場合はその手はずが若干狂う。少しでも長い時間パーティーで盛り上がるためには準備に時間を割かないようにしたいというのが貴史の目的だ。

「そいじゃ、悪いが予定通り食物と紙皿出すぞ。それと飲み物はどこしまった」

「ああ、大丈夫、家庭室に預けてあるから取りに行くね!」

 玉城と杉浦他数人が駆け出していく。

「美里、お前席片付けて、それからB組の連中の様子見に行って来い」

「私も行こうと思ってたんだ、ちょっと待っててね」

 南雲が奈良岡と一緒にテーブルシートを準備している。なんだか気まずそうな雰囲気かと思ったがそうでもない。これもまた打ち合わせ通りなのだが貴史は南雲に近づいた。

「ああ、なんか用っすか」

「南雲、悪いんだがたのみたいことあるんだ。ちょいと来い」

「なんでやんしょう」

 機嫌はそう悪くなかった。奈良岡とも上手くやっているようであれば、貴史なりの頼みごとをひとつしようと思った。

「ねーさん、ちょいと南雲借りてくがいいか」

「どうぞどうぞ!」

 相変わらずのふっくらした笑顔で見送られ、貴史は南雲を教室の隅に呼び出した。


「これからの打ち上げなんだがな」

 貴史は切り出した。南雲も天敵・羽飛貴史の前ということもあって用心している感じはありありとする。コサージを胸につけたまま、片手をポケットに入れて、

「頼みごととは?」

 気障っぽく問いかけた。

「一応クラス全員に話した通りの流れでやるんだが、お前、どのくらいでパーティー抜ける予定だ?」

 家族のしちめんどうくさい事情があるとかで参加できないとかわけのわからないことを口走っていた。結局参加する方向になったと奈良岡からは聞いていたが本当なのかをまず確認したかった。

「ああ、大丈夫っすよ。今日は丸一日OK」

「それならひとつ、頼みがあるんだ」

 悔しいが、こいつでないと場を持たせられないのもまた事実。貴史は切り出した。

「今日、打ち上げやった後他の連中が二次会やりたがるかもしれねえ」

「ありえますがな」

「だが、俺は今日はたぶん無理だ」

「それまたなんで」

 迷ったが言うしかない。

「立村とさしで話すため、急いで連絡入れたいんだ」

「あれ、りっちゃんあそこでうろうろしてるけど」

 見ると立村は一生懸命何かを探している。後ろでコート掛けを触りながらあちらこちら右往左往している。だいたい理由はわかる。

「今は無理だがこれから俺なりにあいつを捕まえるつもりでいるんだ。んで、そうなるとたぶん俺が抜ける。そこで悪いが南雲、俺が抜けた後の打ち上げ盛り上げを担当してもらえねえか」

「はああ?」 

 立村の英語答辞が終わり、隣りで残りの時間を無言で潰していた時にひとりで決めた。

 ──あいつはたぶん、打ち上げパーティー来ないだろう。

 何度確認しても同じだったし、最初のうちは貴史もそれでいいと思っていた。後で片付けるべきことはなんとかすればいいとたかをくくっていた。しかし今は違う。

 ──一刻も早く、あいつと話し合うべきだ。

 手紙をコートに滑り込ませておいたけれど、そんな悠長なことなど言っていられない。

 なぜ、美里の前であえてあんなことをしたのか。

 自分が三年D組でど顰蹙買うことを覚悟でなぜ、やらかしたのか。

 卒業式後では遅い、一刻も早く確認しなくてはならない、そう思った。

 だから打ち上げパーティーが終わった段階ですぐに教室を飛び出し、立村の家に向かうなり電話かけるなりしてなんとしても顔を合わせたい、そう決めていた。

 たぶん二次会は非公式にせよ行われるだろうし、菱本先生もあの調子だと参加する可能性が高い。となると貴史の穴を埋めるには。

 ──認めたくねえが、南雲が一番だ。

 南雲はほんの少し考えこんでいたが、

「わかった、いいっす。やりますよ」

 あっさり答えた。同時にこちらを見ていた立村が申し訳なさそうに貴史へ声をかけてきた。タイミングが微妙に良すぎる。南雲が「そいじゃ」とすぐに離れた。


「あのさ、羽飛」

 だめもとで貴史も問いかけた。

「今日、これから来るだろ」

「いや。さっきの俺のコート、どこやった?」

「ああ、あれな」

 やはり探していたのは立村のコートだった。たぶんそうじゃないかと思っていたのだが。美里に難波から取り返してくるよう頼んでおいたのだが忘れていたんだろうか。もう一度美里を呼びつけた。

「おおい、美里、立村のコート返してやれよ」

 女子たちと何やら話していた美里がこちらを見た。やっぱり忘れていたようだ。これだから全く。美里はすぐに頷いて立村に呼びかけた。

「立村くん、ちょっと待ってて。今取ってくるから」

「今取ってくるって」

 不思議そうに立村が答える。

「難波くんに預けっぱなしなんだ。ごめんね」

 ──美里、わかったな。ちゃんと例のあれをポケット仕込むんだぞ! 忘れるなよ!

 このタイミングで美里に手紙をポケットに入れてもらい、そのまま立村にコートを渡してもらう。その場で気づいたらどうするかはその時考えるとして貴史は立村に告げた。

「じゃ、あとでな」

「うん、わかった」

 本当はもう少し何か言いたいのだが、仕切り担当としてはしょうがない、まだいろいろとやるべきことがあるわけだ。三年D組クラス臨時代表としては、まだまだパーティーの仕込みが必要なのだから。

 

 

「立村くん、はい、これ!」

 美里がすぐに戻ってきてコートを立村に手渡した。礼を言ってそのまま後ろ扉から去る立村を見送らず、美里はそのまま貴史の側に駆け寄り、

「やっといたからね」

 握りこぶし作り、任務完了を告げた。



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