第四部 103
卒業生入場の際は名前順に並んで席に着くが、校長、教育委員長、その他来賓のみなさまの長たらしい挨拶の後、一旦休憩に入る。第一部完了、では第二部突入といった流れが組まれており、各クラス代表が男女それぞれ入場してきてそれぞれに卒業証書を受け取り、その後在校生送辞、卒業生答辞、英語答辞と進む。あっという間に終わりそうな気もするのだが、昨年本条先輩が卒業生答辞でやりたい放題のことをやらかしてしまい体育館内のムードはロックコンサートの乗りと変わってしまったという前歴がある。恐らく立村の英語答辞締めはその空気を凍らせるためのものなのではと、巷では噂だった。
「あーあ、長い、長すぎるぞ」
勢いよく体育館脇の体育準備室に駆け込んできた天羽があたふたしながら制服を脱ぎだした。空いた棚に押し込んでいた大きなトランクを開き、若草色の和服らしきものを引っ張り出した。まだ先客は貴史しかいなかったし女子は女子更衣室で着替えているようなので安心して素っ裸になれるというわけだ。
「着物着れるのかよ」
「大丈夫だ。学校祭の茶会手伝いで慣れてる」
ああそうだった。評議委員会はどういうつながりなのかわからないがなぜか和風のイベントにしょっちゅう駆り出されていた。立村もそういえば袴姿で走り回っていたのを見かけたことがある。
天羽は手馴れた風にランニング一枚の上から二枚仕立てになった和服を素早く羽織った。紐で縛るのかと思いきや、すでに腰あたりに紐がくっついているようで脇に通してさっさと縛った。その上に帯を巻きつけるのだが、縛っていない。マジックテープ風にぺたっと止めるのみだった。簡単だ。その上から同色の羽織をすっぽり羽織り、紐を帯前で結び準備完了。その間五分もない。
「すげえなあ」
「なあに、本式じゃあない。規律委員のみなさまが工夫凝らしてこしらえてくれたってのがこれってことよ。さすが隠れ手芸部、半端じゃあねえ」
貴史は自分の分の風呂敷包みを開いた。獅子頭の真っ赤な顔が貴史を睨みつけてくる。一抱えもある獅子の面に、天羽が襟を直しながら覗き込んだ。
「なんだこりゃあ」
「見りゃわかるだろ。獅子頭だっての」
首からは地が濃い緑、直接白いうずまきをあしらったどでかい布が広がっている。美里が貴史に肩車してかぶるわけだから中途半端な長さではない。
「ははん、D組コンビいろいろ何か隠してやがると思っていたが、そういうことですかい」
「まあな。一応俺も正月は町内会のイベント手伝ってりしてるし、そのあたりの知識は多少はあるんだ」
「季節感がどうよってのは正直あるけどなあ。結構受けるぞ」
面白そうに天羽が頷く。貴史としては、「受ける」ための仕込みをいくつか用意しているのだが、こればかりはやってみないとわからない。本来正月の風物詩を卒業時期の三月にやらかすのだから返って白ける可能性だってないわけじゃない。貴史はカセットテープがきちんと巻き戻されているかを確認しつつ、ミニカセットデッキをジャケットのポケットに仕込んだ。
「他の奴らはまだかよ」
「難波と更科は自分らのクラスで着替えるんだと」
「んで、なんだこれ、天羽は何やるんだ?」
「そうさな、別に芸をやるわけじゃあねえ。見て楽しんでもらっていかがっすかってとこすな」
──しかしど派手な着物だよなあ。
お堅いイメージの規律委員会がなぜこんな受け狙いの企画に協力するのか理解しかねるところもあるが、まあ南雲が委員長だったのだしそのくらいは考えられなくもない。
「で、あとのふたりもそれなりに考えてるんだろ」
「お互いシークレットだよん。もっとも難波が何をやるかについては誰も疑いないと思うんだがなあ」
──その通り。
愚問だった。貴史は獅子頭の色がはげてないかを確認した。とりあえずはそろそろ美里たち女子チームが揃う頃だ。待つことにする。
予定では十分間の休憩となっているが実際は準備のことも考えて二十分くらいの余裕がある。天羽はすでにその前に何か理由をつけて抜け出してきたようだし他の準備が必要な評議委員もそうしてきたようだった。貴史と美里はとりあえず制服のまま獅子をかぶればいいだけなので休憩時間のタイミングで出てきたのだが。
「お待たせ!」
さりげなくノックの後、美里が体育準備室から顔をのぞかせた。幸い天羽は身支度整えた後なので女子が乱入しても問題ない。貴史は美里を呼んだ。
「ほらこれかぶれ。最後の練習だ」
「はーい」
美里はしゃがみこんだ貴史の肩にしっかり乗っかり、獅子頭をゆっくりかぶった。隣りの数人女子が息を呑んでいる。そんなけったいなことをしたわけでもないのだが。そんなに獅子頭の迫力がすごいものか。
「清坂さん、本当にこんなことするの」
C組の阿木がぽかんとしてつぶやいている。どふりふりの白っぽいワンピースに日傘を持ち、極めつけが競馬場でしかかぶりそうにない羽根だらけの防止をかぶっている。この格好で言われても説得力がない。
「羽飛くん、獅子頭?」
「見りゃわかるだろ」
もう布をかぶると前が見えない。腰に力を入れて一気に立ち上がる。たぶん今聞いて来たのはB組の轟だろう。美里がちゃんとダイエットしてくれたかどうかはわからないにしても、なんとか背負えるししゃがみこんだりもできる。バランス崩さないように気をつければたぶんなんとかなりそうだ。
「美里、動く時は俺がいったん止まった時だけにしろよ。でねえとおっことすかもしれねえし」
「わかった。あんたが息止めてる時に思い切り首振るから。動く前に声かけて。そうしたらあんたの肩押さえてふらつかないようにするから。歩いている時は動かないが原則だよね」
「それだけわかってりゃいい。まあこの格好だと、普通に歩いてたって十分だろが」
練習でだいたいのタイミングは確認している。予想以上に美里が重かった場合はそのまま背負って首を振ってもらうだけでいいやとは思っていたが、もう少し遊べそうな気がする。貴史はしゃがみこみ美里を下ろした。布を剥ぎ取りひょいと周囲を見やると、目の前には青大附中の各クラス代表たちの気合入った姿が一同に会していた。
天羽の隣りで近江が洗面器ほどある大きな太鼓を首からぶら下げている。叩く棒を握り締め美里のほうに近寄り、
「清坂さんは制服が一番よ」
とわけのわからないことを囁いている。
一方やたらと派手派手しい格好で済ましていた阿木の相手はと探すと、いかにも作り物っぽいシルクハットに自前のタキシードを身にまとっていた。なんの格好なのかよくわからないが、一瞬「チャップリンのモダンタイムズ」という言葉が頭の中をよぎった。
「なんだありゃ」
「『マイフェアレディ』を知らんのか」
呆れたようにいつの間にか隣りにいる難波がつぶやく。正直こいつには何も言われたくない。体育準備室に入る前に渡した立村のシャーロック・ホームズコートをしかりまとい、いかにも作り物のパイプと帽子をかぶり気取っているこいつには。
「でもさ、こういうのっていいね。カメラで撮る?」
「いいねえトドさん」
「私、持ってきてるからさ早く」
そういう轟は、だぼだぼの男性用スーツにベレー帽をかぶっている。相手がホームズ難波とするならば、行きつく先は当然。
「時間がないぞ、早く撮っちまえ、ワトスンくん」
──ああ、そういうことな。
準備が整い、様子を伺いに来た実行委員にOKを出し、A・B・C・D組それぞれ体育館入口前で整列した。一瞬ぎょっとした顔をした実行委員男子にはご愁傷様としか言えないが。
「それでは、A組から入っていってください。ある程度進んだらどんどん先に行きます。ポーズや見得を切ったあとで、ということでいいですか」
「よろしく!」
轟がすぐに答えた。
「卒業証書、授与、三年A組」
同時にアナウンスが流れ実行委員が勢いよく扉を開いた。天羽たちが入場した瞬間館内大爆笑が沸き起こったことだけは扉の影からうかがい知れた。
「たぶん受けたね」
「だって天羽くん派手過ぎるもん」
美里が女子たちに話しかけいるのが聞こえる。貴史もしゃがみこみいつでも美里がのっかれる準備を整えている。B組が出て行ったところで背負うつもりだった。
「規律委員会の最後の大仕事ってとこよね」
「阿木さんも、すごいね。『マイフェアレディ』」
改めて美里が見とれているうちにB組の出番となった。難波と轟、ベーカー街からいきなり飛ばされてきた感のあるふたりは、戸惑い気味の実行委員に見送られまた仲良く体育館へと入っていった。
「『マイフェアレディ』いいよね。俺もこんなことなかったらきちんとしたフォーマル着ることなかったし。阿木さんには協力ありがとうだよ」
「でも、本当はこれ」
C組の順番となる直前に、阿木が言い残した。
「ゆいちゃんが着ればずっと引き立ったよね」
残るはD組のみ。実行委員の男子も送り出した三組の突拍子ない仮装姿に複雑なものを感じていたようだが、唯一ふたりとも制服姿のD組コンビを眺めやりしみじみと、
「卒業の時、評議は必ずこれやるんですか」
問いかけてきた。
「いや、俺評議じゃねえし」
「え、そうでしたか」
「いろいろあるの。でもやりたい人がやればいいことであって、やりたくなければ普通に制服でいいと思うな」
美里が優しく語りかけていた。去年は本条先輩ひとりがスターだっただけであって、しょせん一発芸を制服姿でやらかしたのみ。今回のような仮装入場で受けをとらなくてはならない義務などない。
「あ、すいません、次です」
慌てて実行委員が貴史に囁いた。すでに美里は貴史の肩に座り込んで獅子頭をかぶっている。
「よっしゃ、行くぞ!」
「任せとき」
美里の気合入った声を耳に、貴史は一気に立ち上がった。頬のところに美里の両足が当たる格好になるがそんなの今更慣れている。妙な想像してびびりまくる連中なんか勝手にしろ。これが羽飛貴史の、正真正銘卒業式演戯だ。しかと、見るがよい!
三歩歩いて膝ついてしゃがみ、合図してはまた歩いてしゃがみ、それだけをひたすら繰り返す。周囲の喝采が最高潮に達しているのは先に出て行ったA・B・C組の連中が盛り立ててくれたおかげ。トリを担う我が身としては前がほとんど見えない状態でも絶対こけるわけにはいかない。
もともと獅子頭には紐をつけてあり。顎のところえ結ぶことに寄って頭をゆらすだけでいいようにしてある。美里には絶対動いている間貴史の肩から手を動かすなと伝えてあるう。実は結構注意深く貴史も歩いているつもりではいる。
──しっかしやっぱ重たいぞ。どこがダイエットだっての。
あとで一言嫌味言ってやろう。かなり肩が重たくなる。視界が勘でしか把握できていないからなおさらなのかもしれない。だいたい歩数計算で、ここで曲がれば前に進むとかそのあたりは見当つけていたのだが、用心しつつ先に進む。
「美里、いったん回れ右するからな。落ちるなよ」
「大丈夫。落ちるわけない!」
ただ歩いているだけでは芸がないので注意深く反対側を向き、もう一度片膝つきしゃがみこんだ。そこで美里も身体を派手に揺らして頭を動かす。
「美里、そろそろだ、ここで一旦走るぞ。絶対、手話すな」
「了解」
足元が赤絨毯だということは確認した。ここで一気に壇上前まで突っ走ろう。予定通り貴史は腹に力を込め、美里を背負ったまま走り抜けた。いったん止まったところで、
「美里、ここで挨拶かなんかしろ」
「上に父さん母さんいるもんね。じゃあちょっとぺこっとするね」
挨拶をさせた後、貴史はしゃがみこんだ。さすがにこれ以上は息が切れる。限界だ。貴史はゆっくりしゃがみこみ、両膝をついた。さすがに堪える。歳だろうか。天井から激しい拍手の嵐が響き渡っているところみると、すべりはしなかったようだ。
「受けたみたいね」
「当たり前だろが。美里降りろ、俺に獅子頭渡せ」
「待ってよ。紐解くから」
すっと肩から美里が降り立った。そのまま獅子頭を布ごと抱えて手渡してくる。貴史はすぐに受け取り、肩を軽くもんだ。さすがに重かった。大爆笑吹き荒れた。
場が落ち着くと同時に卒業証書授与のアナウンスが流れた。
きちんと三年D組全員の卒業証書を受け取り、A組からD組までそれぞれ壇上に整列した。ここから先は後期評議委員長の天羽の役割だが、すでに貴史は協力を頼まれている。こればかりは美里にも話していない。男子評議のみ知っている。
──なんせあの天羽だから、一発芸だと思ってるだろ? 違うんだよなあこれが。
一番端にいる若草色の羽織姿野郎が貴史に首で合図してきた。今だ。真ん中に進み出た。
「では、みなの衆」
天羽が呼びかけた。ふっと空気が静まった。
「まずは卒業を記念して、三本締めと参りますか。ではみな起立!」
先生方も苦笑しつつ、特に注意もなく素直に立ち上がっている。文句言うならきっと仮装の段階でダメ出しされているはずだから気にはしない。天羽が煽るのを横目に貴史も呼びかけた。主に二階席に向かい、
「先生たちも、お父さん、お母さんも、どうぞご一緒に!」
まだ座ったままの奴らがあちらこちらに点在している。これはまずい。声音切り分けて呼びかけなおした。
「ほらほらほらほら、みんな立てよな!」
三年D組の奴らがまだ座っていたのが目についたから、とは言わない。とりあえず全員立ち上がったところまでは確認した後、天羽の音頭取りを待った。
「では、お手を拝借、いよーおっ! ちゃちゃちゃんちゃちゃちゃんちゃちゃちゃんちゃん!」
合いの手を一緒にかける。
「いよっ! ちゃちゃちゃんちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃんんちゃん!」
「いよっ! ちゃちゃちゃんちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃんちゃん!」
他のクラス代表連中が取り囲み、手拍子を打っているのが聞こえる。目の前にシルクハットが飛んでいったのを見たのは幻だろうか。ひょいと見やるとすでに更科の頭には帽子がなかった。今年の本条先輩リスペクトは更科だったのかと思いつつ、天羽と目で合図し、一気にふたりで締めた。。
「ありがとうございましたっ!」