第四部 102
卒業式当日は雪もなんとか降リ止んだ。真夜中にどか雪が降り積もりどうなることかと思っていたのだがなんとか歩くには問題なさそうだ。貴史は少し早めに学校へ向かうことにした。父に頼んで車に獅子頭セットを積んでもらい、早めに仕込んでおくことにする。体育館用具室に隠しておいてそこで変装することにしている。他の評議連中も同じようなものだが、どういうことをするかまでは美里しか知らないはずだ。
美里は家族と一緒に車で来ると言っていた。まあそれほど時間がかかるわけではないし、昨夜も丹念に打ち合わせしたのでなんとかなるだろう。あとは美里を肩車するだけの貴史の体力が問題なだけだ。ちゃんとダイエットしているとか言っていたが本当だろうか。
風呂敷に獅子頭およびラジカセ、その他一式をくるみ、背負って学校に駆け込んだ。まだ朝早いうちに隠しておきた。急いで事務室から鍵を借り、体育準備室に荷物をまとめた後、なんともなしに体育館へ足を運んだ。卒業式会場はそこだ。流れだけ確認しておきたい。椅子もすでに在校生のみなさまが用意してくれているし卒業生たちのすることは実をいうとほとんどない。
──あとで難波と例のコートのこと打ち合わせとくか。
まだ八時を過ぎたばかり、もう少し全員集合にはかかるだろう。
戸が空いたままの体育館に向かい、貴史は一歩覗き込んでみた。まだ暖房が効いていないせいか寒々としている。右に男子左に女子、それぞれ両翼となる形で席が分かれていて、壇上から降りた場合は真ん中の赤絨毯を渡り席に着く流れとなる。
卒業式予行練習でその流れは確認していた。幅も問題なさそうだ。多少貴史が美里の全体重にふらついて尻餅ついても笑いを取るだけですみそうだ。けが人だけは出したくない。
卒業式に参加できるのは場所のスペース上当事者の三年と二年のみ。一年は不参加と定められている。そのためわりと通路はゆったりとこしらえられている。真上を見上げるとそこには父母席で上から見下ろせる仕様となっている。それだったらなぜ一年を参加させないのかが貴史には謎だった。確かに父母席には大量に人が溢れるのでしかたないのかもしれないが。
ふと、目を留めた。
──立村?
立村が、二年と一年の境となる通路の十字路で立ち止まったまま、壇上を見つめていた。貴史がすぐ側にいるのも気づかずにただ、じっと身動きせずにいる。
そのまま今度は鞄から封筒らしきものを取り出しぐるりと周囲を見渡した。貴史の姿は視界にないらしく、気づかぬまま鞄にしまい直した。
──ああそっか、英語答辞か。
あいつも自分なりにリハーサルをしているのだろう。予行演習では壇上に上がり降りるまでの流れのみであり実際の読み上げは一切行わなかった。大学の教授たちに指導を受けて自分なりに練習をしているようではあるが細かい事情は知らない。
一度だけ、体育の更衣室でさりげなく、
「英語答辞どうよ」
と声をかけたのだがその時にはなんとか、
「余計な掛け声かけるなよ」
と返事が返ってきた。あれからほとんどなかった立村との会話でなんとか自然にできたやり取りだった。
──去年がすごすぎたからなあ。本条先輩の卒業答辞めちゃかっこよかったし、あれと同じ状況を避けたいってことなのかもなあ。
まずそれはありえないけれども。心配ご無用と言ってやりたかったが、やはりあの立村だから言葉も遠慮がちになる。
貴史はしばらく十字路の立村を見つめていた。今なら普通に話せるかもしれない。近づいた。体温が伝わりそうな距離まできた。
「立村、おはよ」
さりげなく声をかけた。
立村は少し驚いたように貴史を見つめたが、ぎこちなく笑顔を見せた。返事は戻って来ないが予想通りなので気にしなかった。
「お前、今日終わったら、打ち上げ出るだろ」
やはり予想通り、笑顔のまま首を振った。無理だとはわかっていても最後のお誘いくらいさせてもらいたい。
「いいだろ、三年D組これで最後だろ、三年連続評議のお前が出ないとしまらねえよ」
「両親が来るからそちらに付き合うことになってるんだ」
「お前なあ、なんでそんなに意地張るわけ?」
「そういうわけじゃないよ」
最初からどうせそう言われるもんだと貴史は割り切ったつもりだった。でも実際そう返されるとむっとくるのもある。やはり気持ちは変わらないままなのだろう。春休みにこの氷の気持ちを溶かすしかなさそうだ。あっさり切り替えた後、貴史は続けた。」
「あーあ、けどさ、これで卒業かよ。まじかよ、すっげえおもしれかったよなあ。最高のクラスだったぜって、そう思わねえか?」
「どうせ校舎が変わるだけだろ」
ごくごく当然の真理を立村は答える。
「まあなあ。あっそだ、立村、お前、英語で答辞読むんだろ。どうだ、自信の程は」
「準備はしてきた」
「お前さ、うちのクラスふくめてみな注目されてるぞ。目立つしなあ」
「羽飛の方が目立つだろう」
ちらと立村は貴史を見やった。からかい口調が混じっている。かつての気兼ねなく語ることのできた頃に似た言い方だった。貴史は自分の顎を撫でた。
「せっかくだ、これはとことん、やることやらねばな。最後だし、目立つしかねえしな」
「お前、何やるつもり」
食いついてくる。だいぶ良好な関係に戻れそうな気配がある。思わず笑った。
「去年がなあ、いわゆる受け狙いの一発ギャグばっかだろ。同じことやっちまったら結局は二番煎じだし、このあたりは美里を始め、他の卒業証書授与チームの連中と相談中。今のところ、正統派、青年の主張でいくかってのが濃厚」
「好きだな、みな」
「天羽にギャグ勝とうって根性が、まず間違ってるだろが」
「いえなくもないな
本来であればクラス評議の立村が担当すべきイベントだが、英語答辞を担当するという表向きの理由およびクラスの総意が貴史を選んでいるという裏理由それぞれがからみ、獅子頭の準備へとつながる。立村も受け入れてくれているのはわかっている。気にはなっているのかもしれないが、このことはもう少し時間が経ってから立村にじっくりと説明したい。その機会がまずはほしい。この卒業式が終わってからであっても、いや高校校舎に移動したあとであっても。できれば美里も含めて。今貴史が願っているのはその点のみだった。
「羽飛、どうしてここ来たんだ」
しばらく軽い話を続けた後、立村は不思議そうに貴史を見つめた。
「立村、ここにいるんじゃねえかってな」
──厳密に言うと偶然だけどな。
理由は言わなかった。たぶん、自分のどっかしらない部分が、立村に話しかけやすい場所を教えてくれたんだと思うことにした。貴史はそのまま立村をおいて体育館を出た。
背中にこれから背負う美里の体重もここで立村のもとで下ろせたような気がした。
──軽い、軽い。
体育館を出てすぐ、すれ違いざまに新井林と顔を合わせた。
「羽飛先輩、卒業おめでとうございます」
「ああ、どうもな。お前も次期評議委員長とあと」
「今年こそバスケ部の地区大会突破を目指します!」
──悪い、そっちか。
新井林はすっかり男前に髪型を整えている。気合が入っている。
「バスケ部ったって評議委員長との両立大変だろ。えらいぞお前」
褒めてやると新井林はすっかり照れたように頭をかいた。こいつは次期評議委員長の肩書き以上に青大附中のバスケ部たるプライドの方が高いらしい。
「羽飛先輩は高校以降、バスケ部には」
「さあな」
あえてこの件には触れなかった。まだ美里にしか話していないことだ。
「先輩、どうか俺が附高に進学する前にあの軟弱バスケ部を復活させてください! 俺はもちろん進学したらそれなりの勝負をするつもりですが、やはり羽飛先輩がいないと」
「新井林もずいぶんバスケ部スカウトに燃えてるよなあ」
貴史の持つ運動能力にべた惚れされているのはありがたいことなのだが、三年間飽きもせずラブコールを送る新井林の思い込みの激しさにも呆れる。そのエネルギーを別のところに費やせ、と言いたいところなのだが実際評議委員会なり自分の公認彼女への愛も相当なものなのだから何も言えないところがある。
「お前も下見か?」
尋ねてみると、
「はい。会場確認したいんで。念のために」
「立村がいるけど、いいのか」
あまりよい関係とはいえないことを貴史は知っている。注意しておいた。
「立村さんですか?」
「ああ、あいつ、英語答辞読むだろ。そのリハーサルしてるんだよきっと」
「そうですか。ありがとうございます。それでは」
新井林はためらわず、一礼した後すぐに体育館へと向かっていった。また余計などんぱち起こさないでほしいと願うのみだが、そこまで面倒見るほど貴史も過保護ではない。
教室に戻り、幾人かの早朝到着組と挨拶をした後、貴史は急いでB組の教室へと向かった。これは立村に気づかれないように打ち合わせするしかない。それにすぐ報告すべきことがある。
思った通り難波が机に座り他の男子たちとだべっていた。すぐにクラス女子の轟が、
「羽飛くん、おはよ、難波くんほら」
声をかけてくれたのですぐ近づいてきた。
「羽飛、悪いな。例のぶつだが」
「ああ、さっき体育館で立村と会った。例のコート着てた」
「でかしたぞ」
万が一とんびのマント以外のものを立村が着てきた場合には茶色いシンプルなコートでごまかす予定だったが、とりあえずは難波のホームズ美学を崩さないようにして組めそうだ。
「なら打ち合わせだがどうする」
難波は両腕を組み、また指先でパイプを加える真似をした。
「そうだな。立村には事後承諾で行くとしてだ。まず俺たちが卒業証書授与の前にいったん教室に出るだろ。そうしたらダッシュで三年D組に戻ってあいつのコートを抱えてくる。その上で俺が体育器具室で着替えると、そういうわけだ」
「立村怒るかもな」
「大丈夫だ。俺たち評議の絆はそんなちゃちなもんではない」
難波が断言した。その根拠なし自信とはなんなのだろう。貴史からしたらD組の大混乱状態を知るに、そのきっかけをつくったのがもしかしたら評議委員会なんじゃないかとすら思える。
「羽飛には協力頼むことになるがいいか」
「結局俺かよ」
「そういうことだ」
一歩間違ったら窃盗扱いされそうだが、貴史も立村のとんびのコートを利用してやりたいことがひとつある。しかたない共犯だ。
「難波、ひとつ注意してもらいたいんだがいいか」
貴史は念を押した。
「ちょこっと俺もあいつのコートに仕掛けをしておきたいんだ」
「仕掛けとはなんだ。花でも飛び出すようにしたいのか」
「いや手品じゃないがポケットに仕込みたいもんがあるんだ。あとであいつを驚かせるためにな」
難波は首をひねった。
「どちらにせよどっきりだな」
「そうなんだが、その仕込みの品をどちらにせよ入れておきたいんで、いったんあのコートを美里に渡してもらえないか?」
「清坂も共犯か」
貴史は頷いた。
「お前らやっぱり何か企んでいると思ったが」
「お互い様よってことで」
にやりと笑ってごまかした。たぶん青大附中のシャーロック・ホームズにもわからない秘密を仕込んでいるはずだ。難波はふっと廊下をみやりつつ、
「ちょっと、更科のとこに行ってくる。悪いな、羽飛」
無理やり話を中断して、廊下へと飛び出していった。仕事が忙しいんだろうきっと。
D組に戻り、今度はサイン帳攻めに遭ってしまった。
小学校の卒業式でも同様だったのだが、大抵の場合女子中心でサイン帳というものを用意して、カラーペンでいろいろ書き込みあう。仲良し同士で行うことが多い。どうやら青大附中も例外ではないようで、奈良岡彰子、古川こずえ、そしていつのまにか教室に到着していた美里もあちらこちらにサインを求めて走っていた。
「羽飛、どうもね」
玉城がめいっぱいの笑顔でノートを差し出す。
「ほんっと、羽飛がいてくれたおかげで最高の卒業クラスになったよ。ありがとう!」
「お前もよくやったよ」
正直に答えると玉城はまた明るい声で続けた。
「私、羽飛のおかげで本当にやりたいこと見つけられたんだ。それがどんなすごいことかってこと、気づいてないよね」
「気づいてねえけど、そのあれか、外部のいじめ撲滅運動かなんかの」
「かなり誤解してるかもしれないけどさ、私、中学卒業したら部活よかそっちの活動でがんばろうと思うんだ。そのきっかけくれたのが羽飛だよ」
「よっくわからねえけど、俺が役立ったんだったらそれはそれで嬉しいよな」
「じゃ、今度鈴蘭優のサイン色紙プレゼントしてあげるね」
「おおまじか!」
冗談とわかっていてもつい真に受けてしまう。玉城とよい関係を築けるようになったのも、思えば三学期の嵐に伴うプラス事項なのかもしれない。美里との関係は今ひとつ変わったようには見えないにしても、自分なりのことはできたんじゃないかと思う。
いつの間にか菱本先生が来ている。最後の号令だ。全員自席についた。
「起立・礼・着席」
貴史が声を張り上げ、ふと気づく。椅子がない。
「お前らとりあえず机に座ってろ。それはともかく」
まさに男前、完全フォーマルファッション。女子にきゃあきゃあ言われそうなルックス。中学教師という職業間違えたんではないかと突っ込みたくなる格好。ひげも綺麗にそっている。奥さんにきっと全部整えられたのだろう。
「菱本先生、男前!」
やはり声をかけるのはこずえだった。男子連中一同よりひゅうひゅうのお見舞いを受ける。
「お前らの卒業式だぞ、礼儀尽くすのは当たり前だろ?」
「先生、これこそ規律委員会の『青大附中ファッションブック』特別号のグラビアに載せたいっすよ」
南雲が脳天気な声をかける。
「そう褒めるな。俺の言いたいことをまずは聞け!」
菱本先生は机をばんと叩き、怒鳴った。
「お前ら、全員、卒業、おめでとう! ひとりも欠けることなく卒業できた、それが俺は、もうたまらなく、嬉しいんだ!」
ちょびっとだけ目が潤んでいるように見えたが、武士の情け、見逃してやることにした。まだまだ卒業式始まってないんだから、こんなところで号泣されても困る。まだまだ、仕掛けはたっぷりなのだから。