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第四部 101



 手紙は二日かけてしっかり書いた。

 美里とも打ち合わせた。

「いいよ、貴史。これで行こう」

 一通り目を通した後、美里は自分の用意してきた手紙を貴史の目の前で破り捨てた。やたらと女子っぽい花飾り付きの封筒だというのに。

「私ね、何度も書き直したけどやっぱりピンとこなかったんだ。いくら書いても、あんたの言った通りのこと書いてみても、全然なんだよね」

 二つに破いた手紙はすぐに拾い上げて、ポケットにしまいこみ、

「けど、あんたの手紙読んで私の言いたいこと全部入ってるって思った。これでいいよ。余計なこと言わないで、貴史の手紙だけにしようよ。けど、ひとつだけお願いあるんだけど、この手紙、あんなぺらぺらなレポート用紙に書きなぐるなんてことはやめてよね」

「いや、もちろん俺なりに書き直すつもりだったがなあ」

 貴史なりの下書きのつもりでいたが。

「そう見えないよ。あんた、しっかり普通の便箋つかってちゃんと書いてよ。いい加減な手紙だったらいい加減に無視されて終わっちゃうかもしれないよ」

 美里の言い分も納得できるものがある。この機会だ。しっかりと筆使って書いてやろう。


「母ちゃん、俺の書道の道具どこ行ったっけ」

「なにいきなり変なこと言い出すのよ。貴史、あんたの部屋のどこかに埋もれてるわよ」

 美里と獅子舞の最終確認を終わらせた後、貴史は部屋に戻った。卒業式前日、羽飛家も清坂家もあたふたしている様子だが、今日はたまたま美里の母さんも揃い「母ちゃんず」同士の盛り上がりを見せている。今夜はかなり遅くまで居座るらしい。イベントが多い我が家、いつものことだ。

「じゃあおばさん、ちょっと美里と明日の卒業式の打ち合わせあるから、俺の部屋に連れてっていいかなあ」

 小学校時代と違い一対一で美里とふたりきりになることを、互いの両親が気にしている嫌いがある。嫌がるわけではないけれども、何かとお茶を持ってきたり話に割り込んできたりといろいろうるさい。それが面倒で美里と話をする時はできるだけ外で打ち合わせるようにしてきた。だが今日はさすがに、部屋で最終確認しないとまずい内容だ。「母ちゃんず」にも割り込まれたくない。外で筆を使う根性はない。

「あら、おふたり仲良く何するの?」

 からかうように美里の母が呼びかける。もちろん冗談めかしている。

「ちょっと、先生たちへの手紙を書いたりいろいろ準備があるんだ。な、美里?」

 すぐに美里も頷いて、

「そうよ。母さんたち知ってるじゃない。卒業式が終わったら生徒たちだけで卒業パーティーやるんだって。その打ち合わせよ。内緒の仕込みもあるのよ。菱本先生をびっくりさせたいから」

 「母ちゃんず」は面白そうに乗ってきた。貴史と美里のふたりがやらかすことは、中学時代において特段問題を起こしたことなどなく、唯一立村がらみの一件だけが「汚点」にはなっているもののきわめて優等生なさん年間を過ごしてきている。

「だからこればっかは、ふたりでの打ち合わせがどうしても必要ってわけ。もし心配だったら食い物の補給大歓迎だから、んじゃ、よろしく!」

「たあちゃんには負けるわねえ」

 先手を打って余計なかんぐりを防いでおくことには成功した。


 急な階段を昇ってふたり貴史の部屋にもぐりこんだ。相変わらずの散らかった部屋ではあるけれども、美里はいつものように足を伸ばして、たたんであるミニテーブルを引っ張り出した。

「とりあえずはこれよね。それと書道セットはどこよ」

「ああここにあった」

 本棚の上に挟まっていた黒い書道セットバックをとりだした。書道の授業はしばらくなく、最近使ったのも年賀状や書初めの時くらいのもの。墨汁も手紙を書く程度の分は残っていた。文鎮など習字に必要な道具は美里も手伝って並べ、半紙を取り出したが、

「やっぱり、半紙じゃないよね。ぺらぺら過ぎるし」

との意見によりシンプルな和紙の便箋を用意することにした。美里もその辺りは手抜かりなく準備済みだった。

「てなわけで、清書だな」

「あんた細い筆、これでいいの」

 美里が墨で真っ黒けの細筆を取り出して手渡した。

「俺はこれでも習字で余裕の花丸だったんだぞ。なめんなよ」

 嘘ではない証拠だ。美里と向かい合い、レポート用紙の手紙を持たせてそれを見ながら綴ることにした。ただ写し取るだけなんだから余裕ではある。

 墨をほんの少し付け、呼吸を整える。一気書きだ。


 立村へ


 お前がこの手紙を読むのはたぶん、家でだと思う。だから捨てたかったら捨てていいし、文句言いたかったら電話かけてきていい。どうでもよかったら忘れてもらっていい。こんなこっぱずかしい手紙を書くのは俺も、人生においてたぶん最後じゃないかと思うので、とにかく読んでもらうだけ読んでもらえればそれでいい。お前もこういうべたべたしたのりが嫌いなのはよく承知しているけれども、どうせ卒業するんだし、一回くらいはあっていいだろってことで、こう書いている。少し我慢して読んでくれ。


 まず最初に、俺は立村と友だちになれて、よかったと感謝している。

 こうやって書くと照れくさいけれども、本当だ。

 入学式の時、出席番号が続いただけだといえばそれまでだけども、本当に立村と話が出来て、お前と一緒にD組にいられて、よかったと思っている。

 何よりも、俺はお前から、信じられないほどたくさんのことを教わった。

 口で言っても嘘くさくなるだけなので、全部書く。



 目の前で美里が頷いている。ちろちろ貴史の綴る文字を覗き込み、

「あんたさ、高校の芸術科目選択絶対書道やりなよ」

 つぶやいている。返事はしないが答えはNOだ。すでに美術を選ぶと決めている。



 去年の秋から今日までの間、俺は美里と一緒に三年D組を仕切ることになった。

 最初は、立村が立ち直るまでの間だと思っていたわけなんだが、結局今日までこういうこととなってしまった。もちろん、予想もしてなかったことだったし、いったい何をやればいいのだか自分でもわけがわからなかったというのが本音だ。

 といっても、何をやったわけでもない。既に天羽はどんどん準備を進めていたし、生徒会との兼ね合いなど面倒なことはみんな片付けてくれた。俺はただD組のことだけ考えていればよかった。天羽や難波、更科には押し付けてしまって悪かったと思うが、しょうがないだろう。ただ、その分D組を見直すことはできたんじゃないかと思う。俺なりに毎日、このクラスに足りないものはなんだったのか、立村はこのポジションで何をしたかったのか、真面目に考えた。時には金沢や水口、その他いろいろな連中と話をして、確かめた。

 そこで得た結論なんだが、俺は今まで、立村に面倒なことを押し付けて、本来すべきことを放棄していたんじゃないかってことだ。

 

 立村、お前はよく言っていた。俺が一番評議にふさわしい人間なのではないかとか、しょっちゅう話していたのを覚えている。そのたびにいつも、俺は腹を立てていた。なんで自分の力に自信が持てないんだろうかと、何度かぶん殴ってやろうと思ったものだった。結局俺がお前をぶん殴ったのは二回くらいで、それで考え方を変えさせることができたかというとわからない。それはどうでもいい。 



「実際ぶんなぐっちゃったもんね」

「黙れ、集中させろっての。お前修学旅行の時、写経やらねかったのかよ」

 すぐに黙った。ここから先は美里もあまり読みたくない内容だろう。


 まず俺が最初に手をつけたのは、女子連中の分裂状態をなんとかすることだった。

 このあたりは菱本先生もかなり頭を悩ませていたらしい。

 ちょうど菱本先生に子どもが出来て結婚するとかなんとか話が出ていた時期だ。

 俺も時々、美里から話を聞かされていたけれども、そういうのは女子だけで片をつける問題だと思って無視してきた。美里も助けてほしいとは言わなかったし、もし助太刀するのならそれは彼氏であるお前しかいないと思っていた。

 しかし、よく考えるとこれは、見殺しにするのと同じ行為ではないかと思う。

 美里が言うには、お前がしょっちゅう気遣っていろいろと手を回してくれてたらしい。

 もちろん、お前にはそれが精一杯だったというのもわからなくはない。

 ただ、この問題に関しては、立村よりも俺の方が適任だったということも、関わってみてよくわかった。

 言っておくが、それはお前がだめだからではない。俺がただ、美里と幼稚園の頃からのつきあいであって、詳しい事情をよく知っているからというそれだけだ。

 詳しいことは省く。とりあえず問題は俺が間に入ってすぐ解決した。表向きは美里も女子たちとうまくいっている様子だし、これ以上は過保護なんで放置しておくつもりだ。

 この一件で理解したのは、今まで俺が見て見ぬふりをして、立村にすべて押し付けてきたつけが全部まわってきたという事実だった。しつこく書くが、決してお前が評議委員として適任でなかったというわけではない。ただ、サポートする相手を美里にまかせてしまい、俺ひとりのほほんとD組で温泉気分でいたのは、間違っていたということだ。

 俺はもっと、お前が口に出す前に、たくさんの手助けをするべきだった。

 一番後悔しているのはそこだ。

 せめて毎年、二回、評議委員なり規律委員なりなんなり、俺が代わってやるとか、そういう風にしてお前の負担を軽くしてやればよかったと思う。青大附中の委員会制度が特殊だから言うわけではないが、もう少し俺は友だちの立場ではなく、委員として積極的に参加すべきだったと反省している。

 俺が今まで部活にも委員会にも登録しなかったのは、とにかく面倒なことに巻き込まれたくなかったからだ。まず先輩ぶっている奴らに頭を下げるのが面倒だし、また小学校の友だちと遊ぶ暇がなくなるのも我慢できなかった。その他いろいろあるけれども、そのことについても今は、間違っていたのかもしれないと思っている。

 要するに、わずらわしいことをしたくなかっただけなんだなということだ。逃げてたということだ。だから、入学してすぐにお前を評議委員に推薦したわけだ。

 でも、今思えば、俺が最初の段階で美里と組んで、評議委員になって、それからお前にバトンタッチというやり方をしてもよかったと思う。いきなり俺から美里を押し付けられるような形になって、さぞ驚いたと思う。本当にあの時は、俺なりにうまくいったと思っていたが、こういう結末になってみて初めて気付いた。俺が自分なりにやってきたことは、すべて「逃げ」であって、それ以外の何者でもないってことだった。



 ──ほんとに美里、これでいいと思ってるのかよ。

 貴史なりに立村を評議に推薦した言い訳を綴ったわけだが、美里に読ませることを前提ではなく書いているわけだからむかついてもしょうがないんじゃないかとは思う。しかし美里はあっさりこの手紙を丸ごと使うように許可を出している。

 目の前の美里をちらと見ると、やはりそっぽを向いている。読みたくないところなんだろう。このままひたすら写し続けるのも正直しんどいので、ここから先は自分なりに勢いで書いてみようかと決めた。

 改めて美里の顔を見つめ直し、

「悪い、お前ちょっとあっち向いてろ」

「何よ」

「即興で書くからな。お前に文句言われたかねえんだよ」

「即興ってなによ! せっかく書いたのにまた書きなおすの?」

「お前の悪口なんて書かねえよ。安心しろ。書いた後にお前の許可もらえばそれでいいだろ。俺はやっぱ写経よりも美術を選ぶ人間なんだ」

「全く言ってる意味、わかんない」

 美里は持っていたレポート用紙を床に置いた。

「じゃあ、口出さないから私もあんたの書くの見てていいよね」

「それが邪魔だっての」

「いいじゃない、どうせ私があとで読み返すんだし。それにあんたもできたもの手写しするタイプじゃないよね」

 座る場所を貴史の隣りに切り替え、ぺたんと正座して覗き込もうとする。観念した。もうこうなったら思う存分書くしかなさそうだ。


 面倒なことをすべてお前に押し付けたせいで、美里もかなり神経が参ってしまったようだ。たぶん美里は表に出さないと思うし、聞いても絶対にそんなことないというに決まっている。だけど、美里の状態はかなりやばい。修学旅行のあたりから俺も変だとは思っていたが、このところだんだんエスカレートしている。もちろん、霧島や西月やその他いろいろなこともあって大変なのだろうとは傍目からも思っていたが、実際お前のスタンスに立ってみて初めて見えてきた。

 お前なりに、一生懸命努力してきたんだと思う。しつこすぎるようだが、責めてはいない。ただ、美里がしてほしいこととは違っていただけだ。

 俺が勝手にその様子を伺うのをやめて、お前に美里の面倒を見るようにさせたつけだ。

 評議委員に無理やりお前を推薦したのも俺だったし、いろいろ小細工して美里と付き合うようにさせたのも俺の仕業だ。美里もそう望んでいたし、俺もそれの方がお互いいいんじゃないかと考えていたのだが、肝心なお前の意志を考えていなかった。

 本当に悪かった。ごめん。


 俺は来月高校に進んだ段階で、まず部活動を始めるつもりだ。

 委員会活動というのはちょっとだけ首を突っ込んでみたけれども、俺にはやはり性に合わない。立村がきちんと最後までお膳立てしてくれたからなんとかやっていけたようなものだが、俺はむしろイベントがあればひっぱっていったりする方が向いているようだ。陰でこそこそと手回ししたりするのは、やっぱり苦手だ。

 かといって、今までのようにのらりくらりと帰宅部でいる気もない。

 先輩後輩のしち面倒くさい付き合いを考えると気が重いが、そろそろ俺もそのあたりを克服するチャレンジをする時期かと思っている。

 とりあえずはバスケ部と、あとは美術部に入ろうかと考えている。



「ちょっと待って、貴史、あんた本気で美術部入るつもりなの?」

 しばらく唇をかみ締めるようにして見下ろしていた美里が、すっとんきょうな声で叫んだ。

「私、そんなの聞いてないよ、それに、バスケもやるの? 新井林くんの先輩?」

「あのなあ邪魔すんな。これから理由も全部書く。美里も俺が美術部かバスケ部かどこかに入れってわめいてただろが」

「まあね、それは認める。じゃあ理由書いてよ。ちゃんと」



 お前には今まで話したことがなかった。正面切って話すのも面倒なので、ここで書いておく。

 修学旅行の時だ。金沢が有名な画家のお坊さんと会いたがっていたことがあっただろう。あの時に俺も一口乗せてもらってなんとか金沢の思いを遂げさせたんだが、あの頃から俺は、いわゆる画家とか美術とかそういうものに関心を持つようになった。

 夏休み以降、俺は金沢と一緒にいろんな美術館に通い、自分なりに勉強していた。つくづく、この時ほど、エレベーター式の附属中学に通っていてよかったと思ったものだ。受験のことなんて考えないで、好きなことに没頭できるのは幸せなんだなと感じていた。菱本先生にも修学旅行の時に言われたが、本当にやりたいものを見つけるというのは、楽しい。

 お前に話さなかったのは、単にもともと立村が美術関係に興味がないと思い込んでいたからであって、隠したわけではない。美里にもそのあたりはきちんと話してある。だが、そのあたりからお前と話がかみ合わなくなったのも事実だ。もっとこのあたりで、そういう話をしておけば、また違った展開になったのではとも思う。

 とにかく、俺は今までやるべきことから逃げていたということに気付いたわけだ。


「そっか、貴史、金沢くんにやたらと懐かれているから気が合うのかなとか思ってたけど、やっぱりそうだったんだ。夏休みも金沢くんと出かけてたって言ってたもんね」

「いい加減気づけ」

「悪かったわね」

 貴史は隣りでひとり納得している美里を横目で見やった。筆を走らせている間、途中墨に筆の先を浸している間、わけのわからないものに突き上げられているような気がしてならない。脇においてあるレポート用紙の下書きには書いていないけれどもこのままだととんでもないことを綴ってしまいそうだ。

「美里、悪い、お前少し離れろ」

「なによ、どうせ私も読ませてもらうんだから」

「離れろったら離れろ! その辺でひっくり返ってろ」

「わかったわよ。何よひとりでわめいてるんじゃないわよね」

 それでも目的はひとつだとわかっているのか、美里は貴史のベットに昇って文字通りひっくり返った。少なくとも中学三年の卒業式控えた女子がする行動ではない。

 ──もうひとつは美里のことだ。

 

 これだけはどんなことがあっても書かねばならない。

 できれば美里には読まれたくないのだが。 

 


 こればかりは女子のことなので、俺もよくわからない。ただ美里は俺にとってかけがえのない親友だ。この辺は以前からいろんな奴に話しているので照れる気はない。

 言い訳をさせてもらえば、俺が青大附中に入学した時、このままだと男子と女子同士でふつうの友だちとして付き合っていくのには無理があるのではという不安を持っていたというのがある。少しお前に話したこともあるが、小学校時代、俺と美里は担任やクラスメートの連中としょっちゅうバトルを繰り返し、そのたびにいろいろとトラブルに巻き込まれていた。面倒なことが多かったのと、これからふつうに話をしていくためには、告白して付き合うかなにかしないとだめなんじゃないかという雰囲気があったからだ。

 そんな面倒なことをしたら、お互いにまた別に好きな奴ができた時、つまらない別れ方をしてせっかくの友情がなくなってしまう。俺はそれが何よりもいやだった。それは美里も同じ考えだったようだ。誰と誰が付き合うとか、ねちねちした話とか、そういうのから離れたかったようだ。あいつも根本的には俺と同じ価値観を持っている。

 たまたま美里は立村のことを気に入ったようだし、俺もお前がすごくいい奴だとわかっていたので、三人で一緒につるんで遊べればそれでいいだろうと思っていた。そして最初はそのつもりでいた。たぶん、あのままの関係が一番俺たちには向いていたのだろう。

 このことは、美里から何度も相談を受けていた。また俺もそれなりに考えた。結局のところ、俺も美里も、周囲の「付き合う」という面倒な話に巻き込まれないようにしたあげく、お前ひとりを振り回していたのではないかという結論に達した。

 本当だったら、俺もお前も美里も、ちゃんと独立した付き合いができるはずだったにも関わらず、むりやり癒着させようとしていた。美里に関しては女子なんでよくわからないところもある。だが俺が仕組んだことによって、結局お前が苦しむはめになったのは、悪かったと思っている。もっと早い段階でどうして俺は気付かなかったのだろうかと、本当に悔やんでいる。悔やんでいるが、そんなこと振り返っていても、どうしようもない。そういうのは俺の流儀ではない。


 レポート用紙にはそこまで書かなかった。

 こっぱずかしい内容すぎたのと、理性がやはり邪魔していた。

 ボールペンだとそこまで入り込めなかった。

 貴史はもう一度筆先を硯の平らなところに載せた。

 ──ここまで書かないと、たぶんあいつには分からないだろうな。けど、結局これ美里に見せるんだぞ。ほんとにいいのかよ。

 自分に問いかけて見る。後ろのベットで面倒くさそうに漫画本を読みながら転がっている美里に面と向かって言う言葉では決してない。

 ──けど、立村には、そこまで伝えねえとだめなんだ。

 ──あいつは、普通のやり方じゃ、わかりあえねえんだ。

 ──だから。


 レポート用紙にまとめた結論を、思いついた言葉ですべて綴った。即興だ。


 そこで、ひとつ提案がある。

 一度、俺たち三人の関係を中学入学式当時に戻したらどうだろうか。

 美里から、お前の本心は聞かせてもらっている。いろいろぐちゃぐちゃ言っていたようだが、今ではあいつも、お前の気持ちを尊重したいと言っている。彼氏彼女の面倒な付き合いをしたくないならそれでいいと言っている。俺も、無理やり親友づきあいしたくないというお前の気持ちを尊重したい。これも本当の気持ちだ。

 だが、立村が俺や美里にとって友だちになりたい奴であることも、否定できない。

 お前は、お前自身が思っているよりも、心底いい奴だと思っている。

 評議委員だとか、三年D組のクラスメイトだとか、美里の元彼氏だとか、そういう面倒くさい繋がりをいったん断ち切って、その上でもう一度、やり直したい。

 そうする時期にきているのではないかと、俺は思っている。


 最後に、三年間、お前を責め続けてしまい悪かった。

 俺はいつもお前に、本音を話さないなどと責めたてていたが、本当のとこを言うと、俺の方が何もしゃべっていなかっただけなのだと気付いた。

 もう一度、きちんと、立村と向きあいたい。

 お前が考えていることをもう一度まっすぐ受け止めたい。

 もう一度、チャンスを与えてくれ。

 


 背中に両手が掛かった。誰かは言わずもがなだが、それでも驚く。

「やめろ、季節外れの幽霊みたいなことすんな。それとその手で首も絞めるな」

「ばか、何言ってるの」

 ゆっくり、肩を押すようにして美里が貴史の背中にしゃがみこむ。覗き込まれているのがわかる。

「貴史、好きなように書いていいよ。あんたに任せる」

 ──結局読まれてるのかよ。

 どうせふたりとも分かり合っていることしか書いていない。もう読まれているのならかまわない。貴史は締めの部分を一気に綴った。



 この手紙を書いているのは卒業式前夜で、美里にも一通り目を通してもらっている。誤字脱字はかなり混じっていると思うが、どうせ答辞でもないのだからその辺は大目に見ろ。

 それと、クラスの打ち上げのことだが、お前が出たくないことはよくよく承知している。

 美里とふたりで、そのあたりについては菱本先生に話をつけてある。

 俺は、三年D組から卒業したその後、あらためてお前と会いたい。


 もちろん美里も連れて行く。

 その上で、もう一度、本当の友だちとして、三人で付き合っていきたい。

 その時にはもちろん、面倒なこと抜きにしてだ。

 美里の方はまだひっかかるところがあるかもしれないが、もしそれが苦手なようだったら俺がうまく調節していく。あいつもお前のことを、人間として好きだと今は言っている。お前がうざったくならないような繋がりを、もう一度構築できるはずだ。

 あいつはそういう女子だ。俺が保証する。安心しろ。

 

 以上、俺の言いたいことはこれで終わる。


                               羽飛 貴史 



「どうした美里」

 背中に頭が押し当てられる気配がする。

「なんでもない」

 何度か震える気配がする。かすかなうめくような声もする。それが何を意味しているかわからないほど、貴史と美里の過ごした時間は短くなかった。手紙を乾かし、見えるように一度立てた。細い筆で書いたものだからすぐにたためるだろう。

「明日、あいつのコートのポケットに突っ込んどく」

「どういうこと」

 かすれた声で美里がつぶやいた。

「卒業証書授与でB組の難波が立村のコートを使いたがってるんだ。ここで無断借用を決め込むと」

「それ、ばれたら立村くんに縁切られるよ」

「大丈夫だろ。評議同士の付き合いなんだからなあ。んで、そん時に俺が持ち出す予定だから、そこでポケットに押し込む。難波が返す時に俺もあいつのポケットに入っているかどうか確認してロッカーに戻しとく。ま、ばれたらばれたでその時に直接渡してもいいだろ」

 要は成り行きだ。貴史は振り向かぬまま、封筒に改めて「立村へ 羽飛貴史」と表書きを記した。



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