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77.やがて彼女の口は開かれる(後編)







「私はアーデルセン様を真に想うていた。ご自身を顧みず、国と民の為に心身を砕き、王道を歩まれたかの御方の力強さを、気高さを―――私は真に敬った。そしてそれが無くなり、真に悔やんだ」


 彼は語る。在りし日のかの御方(アーデルセン)の姿を夢想し、興奮に息巻き、あるいは失意に低く唸りながら、彼は語る。


「かの御方がこもられ、我らは痛感した。アーデルセン様は、まさしくこの国に無くてはならぬ王であった。

 多くの民が王の再起を望んだ―――それも当然である。かの御方ほどこの国の王にふさわしい者はいなかった。そして臣下ですら心病まれる王のもとへ駆けつけ、再起の願いを口にした。王不在による不安は、誰にも分かる形で発露してしまったのだ」


 一方、彼の言を聞きながら、カリーナは唇を噛む。

 彼が語る出来事は、彼女にとっても記憶に新しい。民や臣下(それ)とどめ、抗っていたのは彼女自身であった。

 彼らはただ王の再起を願った。王の心を蔑ろにし、無責任にも立ち上がれと騒ぎ立てた―――愚かしい、害悪の声であった。


「だが、それは真にアーデルセン様を想う心があれば、決して望むはずのないものであった!

 我ら臣下が真に望むべきは、かの御方の御自愛であるはずだ。王である前に一人の個として再起を願い、それを待つことであるはずだ―――そのような道理さえ分からぬ愚物の多さに、当時は反吐の出る想いであった」


 だからこそ、彼が苦々しくそう語るのを聞き、彼女は自然と首肯する。

 それは同調―――彼女にも共通する思いだったからである。王として火急の再起を望むのではなく、まず彼個人としての快復を願い、待つべきであると彼女も等しく思っていた。そしてそれを認めぬ輩の多さに、彼女もまた憤りを感じていたのだった。

 

「―――だが、それも内より変えていった。アーデルセン様には時間が必要であり、その間、国への憂いを持たせぬことが我ら臣下の責であると訴え―――結果、我らは大きな決断を下した。

 アーデルセン様が復するまでの当座の王位を私が継ぎ、かの御方無しで国と種を守る―――未だ苦悩と労苦の続く日々であるが、それでも着実に国を良き方向に導けていると確信している」


 そして彼の口から語られた衝撃的な事実―――主が王でなくなっていることに対して、しかし彼女はすんなりと受け入れることが出来たのであった。


 驚きはあった。だが、それよりも納得の思いが大きかった。主の為を思えば、今や心を締め付けるだけの王位は無い方が良いのかもしれない―――そう、思っていた。


「アーデルセン様に御自愛頂く体制は整えた。あとは待つだけである―――いつまでかかるか分からぬが、それでも我らはかの御方を信じ、快復を祈るだけである―――そう、考えていた。

 ……その者が現れるまでは!」


 静かに語っていた彼は、しかし突然に声を荒げルイナを指さす。


「私は忘れぬ。力に罪は無くとも、人格に罪はなくとも、存在に罪がある! その娘の存在はアーデルセン様の在り方を侵し、王を王でなくした! 同情の余地はあるが、それでも決して交わってはならぬ外敵である! この街に入れること、かの御方に合わせること―――甚だ、論外である!」


 ダンッと音を立て、彼の拳が椅子の肘掛けに叩きつけられる。彼の表情は、憎さのあまりに醜悪に歪む。


「それを貴様は、この娘をかの御方に引き合わせるだと? あまつさえ、それが救いになればだと? 甚だ、不愉快である!

 何故その者が救いになり得る? 決して交われぬ敵である。それを生み育て、愛してしまったあの御方の苦悩、それを追放し野に放たねばならなかったあの御方の苦渋―――身を裂かれる程の痛みであっただろう。しかしそれは、王として負わねばならぬ痛みであったのだ。

 それを―――その痛みを、貴様は再びアーデルセン様に負わせようというのか!? そのような妄言、真にかの御方を想いすれば決して出てこぬ!

 ―――何故待てなかった!? 何故その者を連れて来た!? 貴様は……アーデルセン様を想っているのではなかったのかっ?!」


 ―――メリメリメリッ……


 拳を叩きつけられたままの肘掛けが音を立てて罅割れる。

 スキルの発動はない。純然たる怒りを突きつけられ、木が圧力に負けたのである。

 

 ―――溢れんばかりの怒気であった。言葉に、行動に表された怒りの感情に、彼女は『それは―――』と声を上げ、しかし言葉を無くす。


 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな疑問が、ふと彼女の脳裏に過ぎったのである。


 自身も、元々彼と同じ考えを持ってはいなかっただろうか。王である前に一人の彼である。傷つき、倒れた彼を王として無理やり立ち上がらせようとする者達に苛立ち、立ち向かっていなかっただろうか。何故待てないのか、憤りを感じていなかっただろうか。


 ―――それが何時より、彼の心を治す為の特効薬アリスに縋る様になってしまったのだろうか。


 考える―――きっかけは確かに、ライドン男爵の訪問であった。奥方リリスフィーの死の真相を聞き、原因たる魔道具『結びの指輪』を譲り受け、王を救えるのは姫の存在でしかありえないと語る彼の言葉を聞いて、彼女は旅立ちを決意したのであった。

 その時より彼女は主の病を治すのに、ただ待つのではなく行動をすることを決めたのであった。


 ……ああ、分かってしまった。彼女は項垂れ、己の心情を悟った表情を誰からも隠した。


 分かった。分かってしまった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 ひたりと、頬に一筋の泪が流れる。それは情けなさから来る、感情の発露であった。


 王の再起を待てぬ民達と同様、彼女もまた、彼個人の再起を待てなかったのだ。来る日も来る日も騒ぎ立てる来客を追い返し、来客が途絶えれば家や街の暗さに胸を締め付けられ、幸せであった頃の記憶を思い出し、そして現状に嘆く。

 彼女の心もまた擦り切れ、待つのに疲れ果て、そうして突然目の前に吊り下げられた特効薬アリスという存在に思わず縋ってしまったのだ。


 早く治って欲しいと思うばかり―――それが真に意味あることだと思い込み、縋ってしまった。


 自身と、あの騒ぎ立てる輩―――主にとって、いったい何の差があるというのだろうか。

 害悪、害悪、害悪―――ああ、害悪。わたしは、害悪。


 濡れる。彼女の直下にある絨毯は染みを作り、それは広さを増していく。

 漏れ出る嗚咽は止め処なく、意味ある言葉を発せない。


 ―――ああ、分かる。今なら、分かる。彼が何故怒り、彼が何故わたしの言葉を不愉快だと罵るのか。


「―――分かったであろう。貴様は真にアーデルセン様を想ってアリス姫を連れて来たのではない。

 自分の為に、ただ無責任に行動したに過ぎないのだ」


 そう語り終えた彼の声音は、遣る瀬無い。

 嗚咽を漏らし、泣き腫らす相手に多少の憐憫を感じてのことか。その感情は、彼にしか分からない。


 ただ彼女は泣く―――ただ、主を想って。主への申し訳なさを感じて、彼女は涙を流し続けた。

















「―――はぁ……」


 そしてその口は、唐突に開いた。


「それで、私はいつまでこの茶番を見ていればいいのかしら?」


 溜め息交じり。不快感に溢れたその声音は、今まで頑なに閉ざされていた少女の口より漏れ出てくるのであった。








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