76.やがて彼女の口は開かれる(前編)
「「「…………」」」
ここは吸血王アーデルセンが住まう邸宅の一室、客をもてなす客間の一間である。
客を目で楽しませる調度品の数々、客と主を迎えいれる豪奢な椅子の数々は、今その役目を果たしていない。そこにいる者は皆立ち、それぞれの視線を相対する者へと向けていた。
『何故戻って来た、ルイナよ』―――そう問われ、あるいは問いかけてしばし、沈黙が交わされる。
ルイナとカリーナ、そして2人にとって浅はかならぬ因縁のあるグーネル公爵。その三者の間で視線は絡み合い、しかし誰もが語らず、誰もが動かず。
この場においてもう1人、ハヴァラはグーネルの背に控え、閉ざした瞳によって会話に加わらない意思を示している。何かを語らん、何かを聞かんと示しているのは、やはり前述の三者のみであった。
……沈黙の時間が、ただ流れる。その沈黙を良しとしなかったのは、やはりというべきか、問いかけた方の者であった。
「―――何故何も答えぬ。ルイナよ」
「…………」
その声音は落ち着き払い、怒りも苛立ちも滲み出ない。しかし、重ねて問うても答えぬ者に、彼の表情は更に感情を失くしていく。
背よりルイナを見守る形となったカリーナからは、彼女の表情は定かに見えない。確と顔を上げ、グーネル公爵の眼差しを見返していると思われるのだが―――何故お嬢様は何も答えない?
口も動いているようには見えず、言葉が見つからないというよりは―――そもそも何も語ろうとしていないように見える。
「っ、宜しいでしょうか、グーネル公爵閣下」
ここへ来て、カリーナはアリスにこの場を任せることは危ういと考え、前へ出る。
招かれたのが自分でないことは承知しているが、ここへ共にいることを許された以上口を挟むことも許されているはずである。そう考え、彼女はグーネル公爵の前で給仕服の裾を摘まみ上げ、首を垂れる。
拒絶されてしまえば、そこまでである。
対して、彼の返答は許諾でも不承でもなかった。
「―――ふむ。まさか貴様の方から私へ語りかけてくるなど思いもしなかったぞ、親殺しの娘よ」
「っ―――」
それは蔑み―――昔、彼女を『異端』として処刑すべきと糾弾した時と同様、冷え切った眼差しでもって見下ろしてくるのであった。
彼女は親を殺した罪人であった。そして、目の前にいる彼はそんな彼女を『異端』とすべきと裁定下した公爵である。その罪は、当時王子であったアーデルセンが哀れな少女を救った美談として昇華され有耶無耶となったが、犯した罪は罪である。
その罪を贖えきれたかと問われれば、赦せぬ者がいる限り否であると彼女は考えている。そしてグーネル公爵の視線と言葉に乗った蔑みから、彼が未だ赦していないことを彼女は悟るのである。
久しく感じる胸の内の冷たさに、彼女はぐっと息を呑み、言葉を吐き出す。
「―――失礼を致しました。その度は、私の行ないによって民へ不安を煽り、グーネル公爵閣下におかれましては―――」
「『その度は』だと? ふむ、貴様は私の呆れの由縁を大きく誤解しているようだ」
しかし、20年越しとなるカリーナの謝罪はグーネルの冷淡な言葉でもって遮られる。
「―――『今』だ。貴様は今、民へ不安を煽る行ないをしている。その自覚がないとは言わせぬぞ?」
彼は外套を翻し歩き、部屋の奥に備えられた椅子へと座りなおす。その口からは、やり場のない呆れがため息となって吐き出される。
「何故ルイナを―――いや、ここは言葉を変えよう。何故『アリス姫』を連れて戻った。『それ』がこの街に姿を再び現すことがどういう意味を持つのか、分からぬはずがなかろう」
彼はそこに立つ無言の姫を指し、問いただす。
それに対してカリーナは、答えるのを躊躇う。道理ある答えが、1つも見つからなかったからである。
アリスを街へ連れて帰る―――その行動が内包する危険性は、1つの事柄に集約される。
『民に、恐怖の権化が生きていることを知られてしまう』―――自分達より強く、自分達の血を吸ってより強くなっていく化け物―――ヒトにとっての吸血鬼がそうであるように、吸血鬼にとっての吸血鬼。それがアリスである。
ヒトにとっての『輝ける陽光』のような、吸血鬼にとっての救いは一切ない。化け物へ対抗する手段は存在しない。弱点は無く、その強さは天を知らず―――あるいは、地上で最強の魔族であると謳われてもおかしくない存在である。
そんな化け物が生きていたなどと民に知られでもしたら―――誰にとっても想像したくない事態が起きる。
暴動である。あるいは、裏切り。
吸血鬼達はナトラサが安寧の街でないことを知るだろう。化け物にとってこの街は食料庫と同義であり、自分達はそこで飼われている家畜と同義であることを知ってしまう。化け物の気紛れによって蹂躙され、血は奪われ、そして命が奪われる。
それに抗う手段は、一切無いのである。
このまま街にいたら殺されてしまう―――そう恐怖に駆られたら、この国はおしまいである。
いち早く抜け出したい、安全な場所へ逃げ延びたい。そう思った民達は我先にとナトラサを捨て、地上へ繰り出していく。そして昼の陽光から逃げきれず砂となる者もいれば、前世の縁を頼って人間種に取り入ろうとする者も出てくるだろう。
しかし、彼らはその瞬間、忘れているのである。自分の身可愛さ故に、そして圧倒的化け物を目の前にした恐怖故に、彼ら自身が人間種より化け物と恐れられていることを。
彼らが地上の生活に馴染めるわけがない。ヒトの血を飲み、陽光より嫌われた彼らが地上の民と共に暮らせるわけがない。彼らは恐れられ、あるいは疎まれ、やがて陽光の前に引き摺りだされる。
彼ら吸血鬼が、前世の縁を頼ったところで決して交われぬ運命なのである。時を待たずして地上へ出た吸血鬼は死に絶え、そしてナトラサの情報すらも人間種の手に渡り、およそ短期間の間に吸血鬼は駆逐される。
それは決して、可能性の低い話ではない。
そしてそれが分かるからこそ、糾弾の声を上げるグーネル公爵に対してカリーナは言葉を返せない。相手の理に適った言い分に応えられる真っ当な道理はなく、残された言い分は情のみなのである。
「―――お嬢様をお連れしたのは、アーデルセン様の為でございます」
それでも、問われて答えられるものはそれしかない。情けなさと恐れに声を震わせながらも、彼女は答える。
自身が情で動いたのは事実である。ただ主の為と動き、民を蔑ろにしたのも紛うことなく事実である。
ただ、主を蔑ろにする民など―――見捨てた。そう、掻き捨てた。
大事な者を救う為であれば、わたしは指を差され、刃を向けられることすら―――覚悟している。
わたしはただ、主を救いたいだけ―――彼女は揺ぎ無き信念を瞳に乗せ、グーネル公爵の視線をまっすぐに見つめ返す。
「アーデルセン様の為だと? ―――その言葉、甚だ不愉快である!」
―――しかし、それを受け取った彼は苛立たし気に語気を荒くするのであった。




