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75.波乱の幕開け、ふたつ

 




「っ―――何なのですか、貴方達はっ!」


 王の住まう邸宅、長年住み込み主の為に働いた家へ帰って来たカリーナを迎えたのは、見慣れた物と見慣れない者達であった。


 来訪者を初めに迎え入れる大広間、そこに変わりはない。天に吊るされたシャンデリアは曇りなく黄金色に輝き、金糸で装飾された深紅の絨毯に汚れはない。半年前、彼女が旅立ったあの日と変わりなく物はあり、変わりなく清掃が行き届いている。住まう者があり、それを整える者がいる証である。


 しかし、そこを歩く者が解せない。ここはナトラサの王たるアーデルセンの住まう邸宅である。招かれた者以外で歩くことが許されるのは住まう者か家の者達だけである。


 それなのに―――そこを行く者達は見慣れない。客であるはずがない、その者達はカリーナの着ているものとは別の給仕服を纏い、各々勝手に動いている。客であるなら家の者が付くはずである。新しい家の者であれば同じ給仕服を着るはずである。


「答えなさい! 貴方達は何者なのですかっ!」

「きゃっ……え、な、なんなんですか、いきなり―――」


 他家の給仕が己が領分を侵している。カリーナは声を荒げ、行き交う給仕の1人を捉まえる―――その動きは俊敏。


 腕を掴まれた給仕は、唐突に怒気を孕んだ声を浴びせかけられ、困惑と怯えの表情を浮かべるのであった。


「おめ下さい、カリーナ嬢」

「っ……」


 そんな彼女を助けるように、カリーナに向かって伸びてくる手がある。

 暗殺者ハヴァラ、彼はカリーナの腕に優しく触れ、微笑でもって懇願するのであった。


「彼女達はアーデルセン様の為に閣下が手配した者達でございます。どうか、矛を収めて頂きたく」

「……っ!」


 ―――ひやりと冷たい、手であった。彼の表情からは困惑と歎願の色しか見て取れない。目は細く閉ざされ、その奥にある色は杳として見えない。ただ、その顔、その腕から、不気味な気色悪さをカリーナは確かに感じ取る。


 分かる、圧倒的力量差を前にしてこれは、要望ではない―――命令であると。


「―――失礼、致しました…っ」


 カリーナは言われ、己が非を認めるように謝罪した。収める矛はない、元々力に訴えかけるつもりもない。

 ―――抗ったとして、矛を刺されたのは間違いなく彼女の方であったのだから。


「有難うございます―――さて、ご案内を続けましょう。こちらでございます」


 それが証拠に、ハヴァラはさして気にする様子もなくそう告げると、アリスの方を振り向いて邸宅の中を先導し始めるのだった。


 カリーナも、彼に続く。その道は邸宅の奥へと続く―――このまま、あるいは主のもとへ案内でもされるのだろうか。疑問に思いながらも、彼女はハヴァラとルイナ、2人の背を追うのであった。













 ―――そして案内の先、開け放たれた扉の向こうに、彼はいた。


「待っていたぞ、アリス姫よ」


 扉を開け、入室を促すハヴァラの案内の手の先―――客間の一室より、その声はかけられる。

 そこで待つ者は、アーデルセンではない。豪奢な椅子へ深く腰掛け、切れ長の眼差しをグラスの紅に注ぎ、愁いの表情を浮かべた銀髪の青年。彼はルイナにとって、そしてカリーナにとっても、忘れがたき相手であった。


 呼ばれたルイナは語らず、応えず、しかし部屋へ歩み入る。その様に恐れも戸惑いも感じられない。


 一方、邸宅へ入ってより終始、戸惑ってばかりであったカリーナは、その背を見て更に戸惑う。最早、事態は彼女の想像を遥かに超えている。ここで出会う者、それに立ち向かう者、それぞれの思惑も感情も、何も彼女には読み取れない。


 何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、分からない彼女は僅かに逡巡の時を過ごす。

 しかし、そこに竦み、立つばかりでは知りたいことを知る機を逃すことになる。彼女は奮い立ち、扉を閉めようとしているハヴァラの脇をすり抜け、客間へ押し入る。


 ―――バタンッ……


 扉の閉まる音が背より聞こえる。振り返ると、強引に部屋へ入った彼女へ視線もくれず、ハヴァラが粛々と部屋の奥へと歩み行くところであった。

 ―――彼にとって、彼女が部屋へ入ろうが入らまいがどちらでも良かったに違いない。ここに来て、この場へ招かれたのは自分達ではなく、アリスだけであったということを彼女は悟ったのであった。


「……いや、その言葉は偽りに溢れている。この国の誰もが貴様の帰りなぞ望んでおらず、今の貴様はアリスでもなければ姫でもなかった」


 部屋の奥に座る彼の手のひらの上で、ワイングラスが踊る。中に注がれている『赤ワイン』がどろりと波打ち、空気に触れ―――次第に濁りを増していく。

 やがて紅が朱殷しゅあんの色味を帯びてきた頃、それはの者の口に含まれ、喉の奥へと流されていく。


「―――であれば、然るべき言葉に直そう」


 空となったグラスを置き、彼の者は立つ。外套を翻し、訪れたルイナの前へ歩み寄り、見下ろす。

 その紺碧こんぺきの瞳には、冷徹無比なる糾弾の感情が宿る。


「―――何故戻って来た、ルイナよ。既にここは、貴様の帰ってきて良い場所ではない」


 彼の者は語る。アリスを『異端ディパイア』へと追い込んだ時と同様、理知的な怒りを声音に表し、アリスの所業を責め立てる。


 ―――グーネル公爵。アーデルセン王が衰勢の今、ナトラサにおいて最強の吸血鬼。彼の者は、しかしこの世で最強の吸血鬼を前にして、怖気もなく、媚もなく、ただ厳粛に弾劾の声を上げるのであった。






















「…………」


 処は変わり、地上。一夜を寝て明かし、起きて早々やることがなく暇を持て余してしまったミチは今、胡坐をかき眼を閉じている。


 眠っているわけではない。腕は弛緩しきったように垂れて地に付き、鼻先から静かな吐息が規則正しく漏れてくるが、その背筋は芯が通ったように凛と伸びたまま微動だにしない。


 かといって、起きているかと問われるとそれも正しくはない。彼女の思考は全て内を向き、外界に向けての活動を何ら行なっていない。寝てもいなければ覚めてもいないという状態である。


 彼女は肉体を現実へ置いていき、己の精神世界へと籠っているのであった。その状態のことを、ヒトは『瞑想』と呼ぶ。


 ―――瞑想。それは他人間種族より力で大きく劣るヒト族に与えられた、数少ない武器の1つである。


 瞑想を行なうことによってヒトは血を魔素へと変え、魔素許容量の器たる魂へと魔素を納める。そうすることによって限界以上に膨れ上がった魂がかさを増し、魔素許容量が増える。魔素許容量が増えれば新たなスキル習得や魔術行使の限界を上げることが出来る。

 瞑想とはヒト族にのみ許された、己の力を底上げするすべであった。


 その術は、他人間種族には使えない。瞑想しようとも、彼らは自分の血を魔素へと変換することが出来ないのである。


 飲食を通じての経口摂取でしか魔素を吸収できない彼らは、その僅かな魔素を頼りに許容量を増やしていくしかないのだが、彼らが生まれ持つ許容量からすると微々たる成長にしかならない。

 エルフ族ほどの長寿であれば効果があるかもしれないが、ヒト族と寿命の変わらないドワーフ族や、より短命なエンター族からすると、許容量の増えを実感するよりも先に老衰が来てしまうだろう。


 であるからこそ、瞑想による『成長』。それがヒト族に与えられた、他種族にない武器であり、故にヒト族の冒険者達は空いた時間を瞑想に充てるのである。特に、肉体の鍛錬を必要としない魔術師は積極的に瞑想の時間を取り、日がな一日瞑想にふけるということもざらにある。


 ―――ただ、気を付けなければならない。瞑想は長く続けるほどに己の心中深くまで潜ってしまい、自力で浮かび上がれなくなってしまう。そして留まることなく魂へ供給されていく魔素はヒトへの悪影響を及ぼす。


 ヒト族の魂は脆い。過剰に魔素を収めてしまえば罅が入り、果ては壊れてしまう危険性がある。軽度であれば錯乱で済むが、重度になれば自我消失を経て廃人となってしまいかねない。


 そうならないように瞑想する者を気遣い、様子を見守り、いざとなれば身体を揺さぶって意識を現実に浮かび上がらせてあげられる他者が必要なのである―――これは、冒険者の間で一般常識であるし、冒険者学校でも口酸っぱく言われることである。


 ……しかし今、ミチの周りには誰もいない。愛馬たるテトがいるが、彼にミチの瞑想を止める気はない。むしろ集中している主の邪魔をしないでおこうと、鼻息も抑えて静かに佇んでいる。


 彼女は今、深く瞑想に入り込んでいる。血は魔素へと換えられ、どんどん魂へと送り込まれていく。それを止められる者はいない。


 このままでは入りきらない程の魔素が押し込められれば、魂が壊れてしまう―――()()()()()()


 だが、実際にはそうはならない。何故か?


 ――――彼女が『特別』だからである。


「…………」


 彼女は空が紅に染まり始めても瞑想し続ける。彼女の魂は押し込められた魔素により膨張し、しかし壊れることはない。

 彼女の瞑想は集中力が疲労に負け、意識を乱された時に終わる。それが何時になるのか分からないが、恐らく深夜の遅くになるであろう。それが常の彼女の瞑想であった。









 ―――しかし、それよりも早く、彼女の意識は現実に帰ってくることになる。

 それは一陣の風。彼女が仕掛けた結界が告げる、来訪者の知らせが原因であった。








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