八章 ~洗濯 選択~
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文化祭が終わって最初の週末、私は家で家事をこなしていた。現在ここ中田家では、私とその兄弟、計四名が暮らしている。その上、全員が学生なのだから、週末にしか出来ないことも多い。特に、洗濯が厄介だ。四人分の衣類を全部洗わなければならず、干す時間も考えると、とても平日には全部やっていられない。汗を沢山かく夏場なら無理をしてでもするのだけど、肌寒くなってきた最近では、休みの日まで溜めてしまいがちになる。厚着するようになって洗濯物も増えるので、一回の洗濯では追いつかないというのもあるが。
「おーい、優。悪いんだけどこれも洗濯してくれー」
「兄さん……洗濯物は週一で全部出すように言ってるじゃないですか。それ、どう見ても一ヶ月は溜め込んでますよね?」
そうしていたら、兄さんが大量の洗濯物を持ってきた。珍しく休日に起きていると思ったら、これだから困る。
「いや、だって……色々と忙しかったし」
がっちりとした体型と、家族共通の西洋風な容姿も相まって、見た目はとても迫力のある兄だけど、現在は家庭内ヒエラルキーの最底辺にいる。その原因は間違いなく、このずぼらなところだろう。
「兄さんの服はサイズが大きい上に油塗れなんですから、洗うのがとても大変なんです。だから小まめに出すようにと何度も言っているのに、どうしてそうしてくれないんですか?」
「はい、すいません……」
私に怒られて、しゅんとなる兄さん。少々きつく言わないとこの人は反省しないから、どうしても厳しい口調で説教してしまう。尤も、この件に関しては未だに態度を正してくれないが。
「もぅ……その辺にでも置いておいてください」
その原因は多分、何だかんだで私がちゃんと洗濯してしまうからではないかと思う。
兄さんの洗濯物(一か月分)をどうにか洗濯機に放り込むと、お昼ご飯の用意をすることにした。今日は弓と冷が友達と一緒に遊びに出ているから、食べるのは私と兄さんだけだ。
「最近どうだ? 学校のほうは」
台所で昼食を作っている途中、リビングにいる兄さんがそんなことを聞いてきた。前にも、姉さんに同じことを聞かれた気がする。
「どうって、順調ですよ」
作業に集中したいので、適当にそう返答する私。実際、前ほど困っていることはないし。厄介払いが出来たので、寧ろ順調なくらいだ。
「西崎君とは相変わらずかい?」
「ええ」
彼は何度かうちに来てるので、兄さんとも面識がある。姉さんとも会っているはずだけど、姉さんのほうは彼を覚えていないかもしれない。
「じゃあ、あやめちゃんとはどうなったの?」
……! まさか、そこであやめの話を振られるとは思わなかった。兄さんには、中学に入ってからは彼女と疎遠になったと伝えている。勿論、その理由も。だけど、その障害(川村)が排除され、距離を取る必要がなくなったことはまだ話していなかった。ここのところずっと忙しくて、こうやって話をする暇がなかったのだ。
「? どうかしたのか?」
「……い、いえ、なんでもないです」
驚きのあまり、どうやら手が止まっていたらしく、兄さんが疑問に思ったみたいだった。けれど、鈍感な兄さんはこうやって返しておけば気に留めない。
「で、やっぱりまだ他人の振りしてるのか?」
「……」
言えない。今の私とあやめの状態を兄さんに話せば、取り返しがつかなくなる。さっきも言った通り、兄さんは鈍感だ。おまけに、自己判断で勝手に進んでしまう癖がある。つまり、状況を話してしまえば、兄さんは必ず(本人は良かれと思って)余計なお節介を焼いてくる。そうなれば、最悪、私とあやめの関係は修復不可能に陥る可能性が高い。
「大丈夫ですよ。その内、昔みたいになりますから」
兄さんは、いざというときにはとても頼りになる人だ。けれど、今は頼るべきときじゃない。これはデリケートな問題だから、自分で何とかする他ないのだ。だから、兄さんには何も話さない。それが、現状では最善だろう。
今思えば、川村君を排除したのは、間違いだったのかもしれない。けれども、あの時はああするしかなかったのだし、いつかは解決しなければならないのだろうから、寧ろ良かったのかもしれない。複雑な思いを抱えつつ、私は二人分の昼食を作り終えた。
昼食を食べ後片付けを終えると、兄さんは昼寝をすると言って自室へ戻っていった。……さてと、午後からは掃除でもしようか。
「―――っと」
と思ったら、突然電話が鳴り出した。誰からだろう? いつもはこの時間に電話なんて掛かってこないんだけど……。
「もしもし、中田です」
《……》
受話器を取って名前を告げるけれど、向こう側からは何も聞こえてこない。悪戯電話だろうか?
《……綾小路あやめと、牧野桜を預かった》
「……!?」
かと思えば、くぐもった男の声で、とんでもない台詞が飛び出してきた。あやめと牧野さんが―――誘拐された!?
「ど、どういうことですか……!?」
問い質そうとするも、既に電話は切られていた。受話器からは、ツーツーという音だけが虚しく響いている。
「くっ……!」
唐突な電話。普通に考えて、これは誘拐事件だろう。けれど、不審な点が多すぎる。直感的にそう思い、とりあえずおかしな箇所を挙げてみた。
まず、何故犯人は二人を狙ったのか。これは恐らく、二人とも一緒に行動していたからだろう。牧野さんはあやめと出掛けると言っていたので、捕まったのはそのときでほぼ間違いない。けれど、狙われる節があるのはあやめだけだ。あの子の家はとても裕福だから、これまでも金銭目的で誘拐されかかったことが何度かある。だからといって、何も二人を一度に攫う必要はない。どちらかが離れた隙に捕まえればいいし、そっちのほうが簡単なはずだ。
次に、何故犯人は私の家に電話を掛けてきたか。あやめを攫ったのならお金目当てでまず間違いないだろうけれど、それなら彼女の家に掛ければいい。もし仮に、「金銭目的以外」が原因だったとしても同じことだ。なのに、犯人は私の家に掛けてきた。つまり―――私個人への恨みがある者の犯行である可能性もある。
ともかく、考えていても仕方がない。電話の着信履歴を確認したところ、携帯ではなく固定電話、しかも市内から掛けていることが分かった。つまり、まだ遠くには行っていないはず。恐らく、近くに潜伏しているのだろう。だったら―――
「あの手しか、ありませんね……」
私は目を瞑り、体の主導権を移した。「私」から、「僕」へと。
「正直使いたくないんですが……緊急事態です。やむを得ません」
僕は目を閉じたまま、全身の神経を集中させる。普段は閉じている感覚―――第六感を開くためだ。
「……っ!」
僕ら魔女の能力には、第六感が多数ある。その中でも、「僕」が使えるのは思考の読み取り。普段は、プライバシーの保護と、制御の難しさから使用していない力だけど、今回はそれを解放することにした。これなら、誘拐された二人か、犯人の思考をキャッチできるはず。
「ぐっ……!」
封印していた感覚が、徐々に元に戻っていくのが分かる。それと同時に、大量の情報が頭の中に流れ込んできた。―――この能力は、半径数百メートル以内にいる全ての人の思考を読み取る。つまり、その範囲にいる人たちの、全部の思考を一度に処理しなければならないのだ。例えるなら、大勢の人達が一度に話しかけてきたとして、その中から一人の声を聞き分け分ければならない状態だ。まるで聖徳太子のようなスキルを要求されるわけである。
「……あっ」
そんな騒音にも似た思考の嵐に、見覚えのあるパターンを見つけた。これは―――
「あやめ……?」
それは確かにあやめの思考だった。けれど、最初はそうだと分からなかった。……分かりたく、なかったのだ。
「あやめが、どうして……?」
ともあれ、お陰で居場所も特定できた。僕は家を飛び出すと、あやめのいる方向へ走り出すのだった。
辿り着いたのは薄汚い倉庫だった。ここを使っていた会社はこの前倒産したので、誰も近づかないはず。つまり、潜伏するには打ってつけというわけだ。
錆び付いた扉を開くと、埃と鉄錆、それからカビの匂いが漏れ出してきた。倒産してからそれほど日が経っていないのにこの状態ということは、案外使用頻度が低かったのだろう。
「―――あ?」
倉庫の中には、若い男が十数名ほどいた。その内の一人は、扉が開いたのに気づき、こちらを振り返っている。―――芸が細かいな、まったく。
「誰だてめぇ?」
僕が倉庫に入ると、他の男たちも一斉にこちらを向いてガンを飛ばしてくる。けれど、そんな「形ばかり」の脅しは、これっぽっちも怖くはない。
「あなたたちも大変ですね。こんな茶番に付き合うだなんて」
尊敬半分、同情半分で言ってみると、最初に振り返った男―――多分、彼らのリーダー格―――が肩を竦めてこう答える。
「……ふっ、噂通りかよ。全く、俺に言わせれば、そこまで分かってて、どうしてあの人の―――お嬢の気持ちを踏みにじれるのか。そっちのほうが不思議でならない」
やっぱり。あの人たちは、あやめのボディーガードだ。あやめは過去にも何度か誘拐されそうになった。けれど、それは全て未遂に終わっている。何故なら、彼らがあやめを守っていたからだ。そんな彼女が誘拐されたとなれば、考えられる理由は限られてくる。
「正直、こんなことしても無意味だと思うんだが……お嬢のご意向だからな。とっとと選びな」
彼がそう言うと、他の男たちが一挙に動き出して、列を四本作った。それぞれ二つの列で一組となっていて、お互いに向かい合って、合計二本の道を作るようになっていた。
「左と右、どっちでも好きなほうへ行くといい。左にはお嬢が、右にはそのご学友がいらっしゃる。―――てめぇがお嬢を大切に思ってるならお嬢のほうへ、振るっていうんならもう一人のほうへ行きな。それが、お嬢の望みだ」
そう、これは狂言。あやめが僕を試すために―――僕があやめの気持ちを、好意を受け入れるか試すために起こした、狂言誘拐だったのだ。だからこそ、牧野さんを巻き込んだんだ。そうすれば、僕は答えを告げずには―――今までのように遠まわしな断り方ではなく、明確な返答をせずにはいられなくなるから。
「……ふぅ。もう少し、態度をはっきりとさせておくべきでしたね」
けれど、この件に関してはとっくに結論が出ている。後ろめたい気持ちがないわけではないが、迷うことなどないのだ。
「言われるまでもないでしょうけど。……彼女のこと、頼みましたよ」
僕はそう言い残して、ボディーガードたちが作った道―――右の道へと歩みを進める。
「……お嬢。何故あなたは、こんな奴のことが―――」
去り際に聞こえてきた声が、胸をちくりと突き刺す。けれど立ち止まることなく、僕は牧野さんの下へ向かった。




