五章 ~練習 意外な成果~
明くる日の朝。今日の中田君は、昨日にも増してやつれていた。というか、精気が完全に消え失せていた。まるで、ジャングルの猛獣と壮絶な争いを繰り広げた後のようだった。
「な、中田君……? 大丈夫?」
心配になって声を掛けるけど、反応はない。昨日と同じ―――いや、もっと酷いかもしれない。
「優、生きてるか?」
「大丈夫?」
西崎君とあやめさんも集まってくるけど、中田君の反応は相変わらず皆無。生ける屍のようだ。
「今日も保健室に行くか?」
続く西崎君の問いかけに、中田君は微かに首を横へ振った。
「……大丈夫、です」
蚊の鳴くような声だったけど、確かにしっかりと、彼はそう言った。
「なら、いいんだけどさ……」
その様子を見て、西崎君は渋々といった感じで引き下がるけれど、それでも不安は消えてないみたい。だって、中田君は今にも倒れてしまいそうなくらいに憔悴していたのだから。正直、今すぐにでも救急車を呼びたいくらいに。
◇
結局中田君は、早退することなく全ての授業を受けた。そして放課後、合唱の練習になったのだけれども―――
「ほんとに大丈夫……?」
「……ええ」
中田君は、今日こそ練習をすると言っていたのだ。見るからにボロボロなのに、それでもやると言って聞かない。
「止めとけって」
「……大丈夫です」
西崎君に止められても、頑なに主張を通そうとする。一体、何が彼をそこまでさせるのだろうか? 今まで、練習なんてまともに出来なかったというのに。
「……ったく、分かったよ。みんなー! とっとと練習始めるぞー!」
西崎君は諦めたのか、中田君をサポートする役に回ったみたい。声を掛けて、みんなを集めている。
「えー?」
「めんどいー!」
けれども、クラスメイトたちの反応は冷たい。昨日が休みだったせいか、もうすっかり練習なしの方向になってしまったみたいだ。
「……」
「中田君……?」
けれど中田君は、それに構わずにCDプレーヤー(練習用に用意してあったもの)の電源を入れる。再生ボタンを押すと、スピーカーから音楽が流れ出した。
「―――すぅ」
伴奏が始まって、大きく息を吸い込む中田君。次に聞こえてくるのは、音の外れた歌声―――
「~~~♪」
―――ではなく、とても美しいアルトボイス。今までに聞いたことがないほどに綺麗なその声は、未だ騒がしい教室にも、大きく響き渡っていた。
「~~~♪ ~~~♪」
思わず聞き入っていたからなのか、それが中田君の声だと気づくのにはかなりの時間を要した。そのときには、もう歌は中盤に差し掛かっていて、中田君の声も徐々に高音へと変わっていく。
「~~~~~~♪ ~~~♪ ~~~~~~♪」
サビの部分に入ると、その声はもう、女の子すら出すのが難しい音域に達していた。アルトとソプラノが入り混じった歌声は、男の子が―――同年代の子が出せるものとは到底思えないくらいに素敵だった。
「……ふぅ~」
曲が終わり、中田君が緩やかに息を漏らす。しかし、教室は暫く静まり返ったままだった。
「……あれ? 皆さん、どうかしました?」
呼吸を整えていた中田君が、きょとんとしながら辺りを見回している。それが引き金となったかのように、突然教室が歓喜に沸いた。
「すげー!」
「何今の!?」
「音痴じゃなかったの!?」
帰ろうとしていたクラスメイトと、歌声を聴きつけて来た他クラスの人たちが、中田君に殺到する。そして吹き荒れるアンコールの嵐と、興奮気味な生徒たちの声。
「中田、君……?」
結局その日は練習どころではなく、騒ぎを聞きつけてきた先生たちによって強制解散させられたのだった。
◇
「ふぅ……えらい目に遭いましたね」
騒ぎが収拾された後、中田君は深い溜息を吐いていた。それもそのはず、彼はあの膨大な数の生徒に揉みくちゃにされて、肉体的・精神的に疲弊しきっているのだから。
「それにしても、中田君、どうしたの? あんなに凄い歌」
そう、一番の疑問はそれだ。中田君は相当な音痴だったはずなのに、どうしてあそこまで素晴らしく歌えたのか。いくらなんでも様変わりしすぎだと思う。
「ああ、それですか。―――実は昨日、姉さんが特訓してくれたんです」
「特訓?」
あの、とっても怖いお姉さんが? しかも、たった一晩だけで、あそこまで……?
「姉さん、音楽には滅法強いですから」
いや、滅法強いとかのレベルじゃない気がする。ていうか、中田君のお姉さんって、ほんとはとっても凄い人なんじゃあ……?
「全く……珍しく、というか初めてですよ。姉さんが僕のために何かをしてくれたのは」
「中田君……」
いつもはポーカーフェイスな中田君が、このときだけは優しく微笑んだような気がした。




