序章 ~新学期 目の前の課題~
夏休みが明けて、いつもの学校生活が帰ってきた。とはいえ、九月、十月には体育祭と文化祭が控えているので、いつもより忙しいのだけれど。
「はぁ……」
そんなある日の放課後、牧野さんが大きな溜息を吐いていた。理由は分かる。一つは、間近に迫った体育祭と文化祭の関係で、室長である僕らの仕事が増えているから。そしてもう一つは―――
「うぅ……持久走なんて無理だよぉ~……」
そう、それだ。さっきの時間、僕らのクラスでは体育祭の参加種目を決めたのだけど、彼女は女子の持久走にエントリーすることとなったのだ。まあ持久走なんて、余程のスポーツ馬鹿でもないと、中々走ろうとは思わないだろう。僕だって嫌だ。スタミナには自信がない。
「はぁ……」
またも溜息。溜息を吐いても決まったものは覆せないけど、それを突っ込むのも野暮というものだ。
「うぅ……」
けれども、ちょっと可哀想になってきた。ここまで来ると、五十メートル走を選んだ僕が悪者に思えてくるし。
「安心して下さい。牧野さんは体力あるほうですし、問題ないですよ」
「そう……?」
顔を上げて、今にも泣きそうな表情をしている牧野さん。今の言葉でこの態度ということは、単純に自信がなかっただけなのだろうか?
「ええ。第一、体力テストのときは完走出来ていましたよね? それなら何の問題もないです」
うん、僕なんて、制限時間内に走り終えられなかったから。男子は女子の一・五倍以上を走らなければならないという事情もあったけれど、それでも散々な結果だった。
「うん……ありがとう」
一瞬気の毒そうな目をされたけど、牧野さんはちゃんと安心してくれたみたいだった。良かった、これで恥を晒した甲斐があったというものだ。
という感じで、その日はそのまま別れたのだった。
◇
翌日、朝の教室にて。登校してきた牧野さんの様子が少し変だった。なんというか、昨日よりも雰囲気が暗い。影を衣にして身に纏っているようだった。
「牧野さん、どうかしましたか?」
「中田君……」
声を掛けてみると、牧野さんは今にも泣き出しそうな顔でこちらを振り返る。本当に、何があったのだろうか?
「どうしよう……持久走、1500mだったの」
持久走って、昨日言っていた話のことだろうか? でも、昨日は安心していたようだったけど……。
「女子は900mだと思ってたのに、二年生からは1500mだったの……」
「え、知らなかったんですか?」
昨日、参加種目を決めるときに言ってたはずのことだ。そのとき司会進行書記をしていたのは僕らだから、知ってると思ったのだけれど。
「だ、だってぇ~! 参加する気なんて全くなかったから、聞きそびれたんだもん!」
うん、凄く分かる、その気持ち。だけど、こればっかりは自業自得としか言いようがない。
「にしても、よく気づきましたね」
先生の話を聞いてなかったのなら、自分ではまず気づけないと思うんだけど。
「昨日、妹と話してて分かったの……」
なるほど。確か、牧野さんの妹は、この学校の一年生だと聞いたことがある。多分、「お姉ちゃんは二年だから、持久走が長くて大変だね」とか言われて気づいたんだろう。
「うぅ……どうしよう」
まあ、牧野さんの体力なら完走は出来るだろうけど……本人がこの調子では、そもそも走れるかどうか。
「そこまで不安なら、あやめにでも協力してもらえばどうです?」
「あやめさん……?」
その俯く姿があまりにも見ていられなかったので、思わずそう言ってしまった。すると彼女は、藁にも縋るような表情で顔を上げてくる。
「ええ。あやめは昔から運動が得意ですから、何かの役に立つのでは?」
そう、あやめは昔から無駄に運動神経が良かった。人に聞いてどうにかなる問題とは思えないけど、何もしないよりはましだろう。あれで結構面倒見がいいほうだし、もしかしたら実践的なことをしてくれるかも。
「あやめさん……うん、ありがとう。相談してみる」
どうやら牧野さんは、あやめに話すことにしたらしい。後は、あやめが何とかしてくれるのを祈るしかないか。