十章 ~夏祭り 食い倒れは大阪~
時間は流れて、八月中旬。私は、お花見のときに来た中央公園にいた。前来たときは綺麗な花を咲かせていた樹木も、今は青葉を纏って、すっかり様変わりしている。そしてその前方には、沢山の屋台が並んでいた。そう、今日は夏祭り。大分昔からあるお祭りだけど、来たのは今回が初めてだ。
「あ、桜さん。こっちこっち~!」
公園の入り口では、浴衣姿のあやめさんが、綿飴片手に手を振っていた。今日は彼女に誘われて、一緒にお祭りを回る予定なのだ。
「あやめさん……その浴衣、凄く似合ってるよ」
あやめさんの浴衣姿に、一瞬だけ見惚れてしまっていた。紫の生地に白ストライプ柄の浴衣と紅色の帯。髪型はいつも通りだし、全体的にシンプルな感じだけど、どこか、浴衣特有の艶やかさが漂っている。ほんと、同じ中学生とは思えない。
「えへへ、ありがと」
はにかむあやめさんの仕草は、雰囲気とは対照的に、どこか子供っぽくて可愛らしかった。そのギャップに、思わずドキッとしてしまう。……落ち着け私、相手は女の子だ。
「でも、桜さんは浴衣じゃないの?」
「あ、うん……。家に浴衣がなくて」
そう、家に浴衣がなくって、私は普段着で来た。もしあったとしても、慣れない服装だと盛大に転んでしまいそうだから、どの道着ないだろうけど。
「ふーん。それなら今度、私の浴衣を―――ごめん、やっぱ無理」
あやめさんは気前のいいことを言い出すけど、途中で言葉を翻した。多分、私のサイズに合う浴衣がないと気づいたのだろうけど、なんだか少し傷つく……。
「う、ううん、気にしないで……」
口でそう言うけれども、身長のことを再認識させられるのは、正直辛い。っていうか、私が着れるのは男物かオーダーメイドくらいなのでは?
「……そ、それじゃあ、れっつらごー!」
そんな気まずい空気を吹き飛ばすように、あやめさんは拳を振り上げる。お祭り巡り、スタートだ。
「あ、焼き蕎麦~! あ、こっちはりんご飴~!」
屋台を巡っていると、あやめさんがあちこちの屋台に気を取られて、食べ物を片っ端から買い込んでいる。綿飴、焼き蕎麦、りんご飴、人形焼、チョコバナナ、クレープ、etc。
「あ、あやめさん? それ、全部食べられるの……?」
「? 当然でしょ? 食べられないのに買わないよ」
食べられるんだ……中田君といい、あやめさんといい、私の周囲にいる人たちは、どういう胃袋の構造をしているんだろうか……? ブラックホールでも設置されてたりして。
「桜さんも食べる? このチョコバナナ、おいしいよ?」
「え、遠慮しておく……」
それ、さっきまであやめさんが咥えてた奴だし。しかも、先っぽのチョコが完全に取れているのに……。
「それにしても、今日は中田君たちと一緒じゃないの?」
「……」
ふと思ったことを訊いてみると、あやめさんは突然歩みを止め、俯いてしまった。
「あやめさん……?」
「―――桜さんは、さ」
彼女の口から漏れ出したのは、どこか冷めたような、無機質な声。そんな冷たい音を、あやめさんが出せるとは思ってなかった。
「桜さんは、優のこと……好きなの?」
「え……?」
唐突な問いかけに、私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「優は、桜さんのこと―――好きって、私より好きって、言ってた」
続くあやめさんの言葉で、彼女が何を言いたいのかが、ようやく分かった。つまりは―――
「あやめさん、海でのこと、まだ……」
「……なんてね」
言いかけた途端、あやめさんの声がいつもの調子に戻る。
「冗談だよ、冗談」
顔を上げたあやめさんは、いつもの笑顔にいつもの口調で、いつものように振舞っていた。けれど、それが却って、「いつもの彼女」らしくなかった。
「さ、行こ?」
「う、うん……」
だけど私は、そんなあやめさんに、一言も声を掛けて上げられなかった。
そんな会話をした、すぐ後だった。
「あれ? あやめじゃん。それに牧野ちゃんも」
後方から、不意に聞こえてきた声。それに振り返ってみると、私たちに向けて手を振っている男子の姿が。
「に、西崎君……」
そう、西崎君もお祭りに来ていたのだ。彼もこの辺に住んでいるのだろうから、ここにいること自体は別におかしくない。けれども、ここに西崎君がいるということは―――
「どうかしましたか、西崎君?」
案の定というべきか、彼の後ろから、藍色の浴衣を身に纏った中田君が姿を見せた。西洋人のような風貌だけど、その辺にいる日本人より浴衣が似合っているのは、一体どういうことなんだろうか……?
「優……」
「あやめ……」
あやめさんと中田君が顔を合わせて、なんだか気まずい雰囲気に……。この状況を作ってしまった西崎君も、「しまった……!」と言いたげな表情をしている。
「……ふぅ」
すると、中田君は目を閉じて、浅く息を吐いた。そしてその目が開かれると、彼の瞳は、先程までの澄んだ蒼色から、トパーズのような黄色に変色していた。―――これって、中田君の人格が代わったってこと?
「二人ともおひさー! 半月振りくらい?」
発せられた言葉は、普段の中田君からは想像も出来ないほどにフレンドリーな口調。明るくはきはきと、はつらつとしたその様子は、いつものあやめさんにそっくりだった。
「あはっ。その人格と話すの、何年振りだろ?」
対するあやめさんは、それこそ旧友と数年振りの再会を果たしたかのように、大袈裟な態度をとった。それは気まずさを誤魔化すためなのか、それとも本心なのか。
「よーし! それじゃあ一緒にお祭りを制覇しよう!」
「あいあいさー!」
ハイタッチして、仲良く屋台巡りを始める二人。……なんか、あやめさんがもう一人現れたみたいだ。
◇
あの後、済し崩し的に四人(私、あやめさん、中田君、西崎君)で行動することになった私たちは、次々と屋台を強襲(としか言いようがない)していった。食べ物屋は全種類の料理を平らげ、遊技の屋台では欲しい景品を掻っ攫う。ほんと、的屋さんの天敵だよ、この二人は……。
「よぅし、次はこれ!」
そんな彼らが次なる標的に選んだのは、お祭り屋台の名物、射的だった。木製の棚にはお菓子やぬいぐるみが並べられていて、いかにも射的って感じがする。あやめさんと中田君はやる気満々だけど、私と西崎君は参加せず、一歩下がって二人を見守ることに。
「ゆーたちゃんは何か欲しいのあるー?」
お金を払って銃を受け取りながら、中田君が尋ねてきた。その「ゆーたちゃん」っていうのは、もしかして西崎君のこと?
「いや、特にないけど……」
「じゃあ、さくらちゃんはー?」
西崎君が首を横に振ると、今度は私に訊いてきた。っていうか、「さくらちゃん」って……。
「え、えっと、私も特には……」
「そう? じゃあ、あれでも狙おっと!」
すると彼は、棚の中央にあるゼリーの詰め合わせに狙いを定めた。銃口を獲物に向け、静かにトリガーを引くと、小さな破裂音と共に、ゼリーの箱が倒れる。
「やったー!」
あっさりと仕留めた割には大喜びの中田君。景品を受け取り、次なる標的を選んでいる。
「じゃあ、次は……あれ!」
引き金が引かれ、発射されたコルク弾が、小さな髪留めに命中する。紙の板に挟んだヘアピンだから、取るのは容易だったのだろう。
「さくらちゃん、これあげる~」
手に入れたのは、桜の花弁を象ったヘアピン。……もしかして、私のために取ってくれたの?
「い、いいの……?」
「うん。貰ってくれると嬉しいな」
屈託のない笑顔で、そう言ってくる中田君。その眩しい笑みを前にして、私の中に断るという選択肢は残らなかった。
「あ、ありがとう……」
「どう致しまして」
ヘアピン自体は安物っぽかったけど、私にとっては、初めて男の子から貰ったプレゼントだ。校則に触れるから学校にはつけて行けないけど、大切にしようっと。
「あぁん! 全っ然当たらない!」
一方、あやめさんはそんな声を上げながら嘆いていた。どうやら、欲しい景品が取れず、そのまま弾切れになってしまったらしい。
「どれどれ? 何が欲しいの?」
まだ弾が余っている中田君が、ウキウキしながらあやめさんの傍による。取ってあげるつもりなのだろうか?
「……あれ」
おずおずと指差したのは、大きな熊のぬいぐるみ。的自体は大きいけど……あやめさん、もしかして、こういうの苦手なのかな? 私も人のこと言えないけど。
「よぅし……えいっ!」
軽やかな挙動で銃を構え、弾を発射する中田君。コルクの弾が熊の額に当たり、ぐらぐらとバランスを崩す。
「あっ……!」
あやめさんが思わず声を上げた。熊は前後にゆったりと揺れた後、後方へ大きく倒れ込む。そうして巨大なぬいぐるみは、緩やかに棚から転げ落ちたのだった。
「はい」
獲得した景品をあやめさんに差し出す中田君。っていうか、彼って殆ど他人のために取ってない? ゼリーだって、多分家族で食べる用だろうし。
「……優。ありがと」
若干はにかみながら、ぬいぐるみを受け取るあやめさん。……あぁ、あやめさんが凄く嬉しそうだ。乙女っぽさが通常の二倍だよ。
「おっし、次は俺の分取ってくれよ」
「だーめ」
自分も便乗しようとした西崎君を尻目に、中田君は銃を置いてしまった。まだ弾はあるのに、どうして?
「もう十分楽しんだし。それに、こんなに大物ばかり取ったんだから、これ以上やったらお店の人が泣いちゃうよ?」
確かに、ヘアピンはともかく、あんなぬいぐるみを取っちゃったんだ。これ以上やったらお店の損害が大きくなる。実際、的屋のおじさんも、彼の言葉に苦笑しつつ安堵しているようだし。
「じゃあ、次行こっか?」
中田君って、ちゃんと色々、みんなのことを考えて行動しているんだなって、改めて思った。もしかして、さっきまでの襲撃も、お店の人たちに儲けを出すためにやってたのかな?
こうして私たちは、お祭りを存分に楽しんだのだった。




