船長は嘘に弱い
この世界にお通夜があるかどうかは知らないが、リードが今目にしているのはまさしくそのお通夜だった。
もしここが船の上ではなく陸の上で、なおかつ薄暗い食堂に無駄に並べられた料理がお寿司に代わったら、ここはお通夜の後の会食なのだとリードは信じてしまったに違いない。
「じゃあ、これからリードのお別れ会を始めたいと思います」
そして中でも、喪主のような顔で一際青白い顔をしているのは、船長のカインである。
涙と鼻水でグチャグチャになった顔からは想像つかないが、こう見えても彼、カイン=モーガンは伝説の名を欲しいがままにしている最強の海賊だ。
そんな彼がなぜこのような有様になっているかと言えば、原因は彼の右腕であるリードのちょっとした嘘だった。
「実は、元の世界に帰る方法が見つかったんです。だから本日付で、自分はこの船を下ります」
リードがカインに極上の微笑みと共にそう言い放ったのは今から3時間ほど前のこと。
そのときのリードは、最近やたらと馴れ馴れしい船長にお灸を据える事だけを考えていた。
しかし気がつけば船長どころが全船員達がそれを信じ、皆一様にカイン同様荒々しいその顔に似合わない涙をためている。
それを眺めながらリードは僅かな後悔と共に、この世界にエイプリルフールはないのだと言うことを今更のように思い出した。
【船長は嘘に弱い】
4月1日に嘘をつく。
そんなことを思いついたのは、リードがこの世界の住人ではないからだ。
もう2年以上リードはカインの右腕として船に乗っているが、そもそも彼は……いや彼女は、海賊ではない。
運悪く地球と呼ばれる異世界から、この世界からに転移させられた異邦の民なのである。
その後カインの船に拾われ、以来性別を偽りこの船で暮らしていたのだ。
そんなリードにとって今回の嘘はちょっとしたイタズラのつもりだった。
何せ今日はこちらの暦で4月の1日である。4月の1日。それはリードが生まれた世界では嘘をついてもかまわない日として有名だった。
だから日々の憂さ晴らしを込めて「船を下りる」と嘘をついたところがこの有様である。
のっけからお通夜状態だったお別れ会開始からすでに2時間ほどが経過しているが、酒が入った船員達は悲しみと涙の蓋をどこかに投げ捨ててしまったらしく、耳障りな男泣きをしながら代わる代わるリードに酒をつぎに来る有様である。
だがそれはまだ良い方だ。問題はそこにも加わらず、会が始まったきりただ泣くだけで顔を上げさえもしないカインである。
誰よりも大騒ぎしそうな彼が、料理にも酒にも手をつけずただ黙って泣いているのである。それもいつものような子供じみた泣き方ではなく、無言でポロポロ涙をこぼすという有様だ。
正直、リードにはそれが不気味だった。
「行くな帰るな」とカインが混乱する様を笑ってやろうと思っていた事もあり、その間逆を行くカインの反応を、リードはもてあましていたのである。
けれど無視するにはあまりにも異様すぎるその姿に、ついにリードは重い腰を上げる。
「船長、ちょっとお話が」
酒ビンを片手にカインの腕を引けば、カインはやっぱり無言のまま、心許ない足取りでリードに付き従った。
カインを連れてリードがやってきたのは、人気のない船倉だった。
甲板に出るつもりだったのだが、今にも身投げしてしまいそうなカインのありさまに、急遽場所を変更した次第である。
ひとまずカインを酒樽に座らせ、それからリードは単刀直入に言った。
「船長、あれは嘘です」
しかしどうもカインはピンと来ていない。
「あれって?」
「元の世界に戻るというお話です」
途端にそれまで意志のなかったカインの目に光が戻る。
だが喜ぶどころか、彼はむしろさらに落ち込んでいた。ついでに涙の量も増えていた。
「俺はそんなに情けないか? いや情けないか、涙も止められないくらいだからな……」
とブツブツ呟き出すカインはその顔立ちの恐ろしさと相まってかなり不気味だ。
けれどリードはそんな彼の顔をのぞき込み、その思惑を必死に読もうとした。
「船長、宜しければもう少しわかりやすく凹んで頂けますか?」
「俺が情けないから、帰るのを嘘にしようとしてるんだろう? でもそんな事しちゃ駄目だ、帰れるなら絶対帰った方が良い!」
と泣きながら肩を掴まれ、リードはようやく彼の言わんとしていることを理解した。
「違います船長、そもそもが嘘だったんです」
「そんな嘘はつかなくて良いんだ。お前は帰るべきだ」
「いや、ですから帰りたくても帰れないんですよ」
「それは俺が情けないからだろう? たしかに涙は止まらないけど、でもリードのことは引き留めたりしないし、リードがいなくても俺は……」
と言いつつ現在進行形で言葉が詰まってるじゃないですかと指摘しようとして、リードはやめた。
そんなことをしたら、これ以上意固地になりかねない。
だから代わりに、リードはハンカチを取り出しカインの涙を拭った。
「船長の気持ちは、ちゃんとわかってますから」
「ちゃんと帰るか?」
「帰りますよ」
帰れるならと心の中で付け加えて、リードはハンカチをカインに手渡す。
それからリードは、大混乱の船長を落ち着かせるため小さく笑った。
「それにしても、船長は本当に泣き虫ですね」
「泣き虫だって良いじゃないか」
「でもあなた、もう35でしょう。それに自分の顔を鏡でちゃんと見てください、涙が全く似合いませんよ」
「好きでこういう顔に生まれたんじゃない! それに俺が泣くのは恋とリードに関することだけだ」
言いながら人のハンカチで乱暴に鼻をかみ、それからカインはふとリードの顔と手に目を落とす。勿論それにリードが気付かぬわけがない。
「何ですかその目は」
「……いや、その、ちょっと」
「最後だからキスしろとか童貞卒業したいとか言い出したら殴りますよ」
「そんなこと言わない! ただ、手を繋ぎたいなって思っただけで!」
相変わらず思考回路がピュアすぎる純情派の大海賊に、リードは思わずため息をついた。
「そんな事じゃ、一生彼女出来ませんよ」
「良いんだ、俺は一生リード一筋だから」
躊躇いもない言葉に、リードはほんの一瞬だが戸惑ってしまった。
薄暗い場所であるのが幸いし、運良くリードの動揺と僅かに赤く染まった頬はカインに届かなかったようだが、リードは自分の戸惑いに正直焦る。
「あの、やっぱり駄目か? 俺に触りたくないなら、こっちのかぎ爪の方でも良いんだけど」
「そっち、毒入りじゃないですか」
「いつリードと手を繋いでも良いように、普段は抜いてるんだ!」
「そんな理由で抜かないでください」
本当に仕方がない人だと思いつつ、恐る恐る差し出されたかぎ爪をリードは握った。
たったそれだけのことなのに、カインは子供のように喜びを顔いっぱいにはり付ける。
「俺、もうこのかぎ爪洗わない」
「洗ってください」
「だって生まれて初めて女の子と手を繋げたんだぞ! それも大好きな子と!」
夢みたいだと微笑むカインにまたしても動揺しかけたが、何とかそこは女の意地で持ち直した。
「やっぱり、純情馬鹿すぎる」
「それは否定しないけど、ちゃんと帰らないとだめだぞ!」
「っていうか、さっきから矛盾してません?」
好きな割に、私のことを帰したがってるじゃないですかと指摘するリード。
その表情にカインはモジモジと女々しく動く。
「大好きな子には、一番幸せになって貰いたいって思うだろう普通」
「そこ、俺が幸せにするって言う方が女の子に受けますよ」
「俺は嘘はつきたくないんだよ。こんな顔だし、かぎ爪だし、海賊だし、俺の彼女になったら絶対苦労させる」
「それを私に強要させるつもりだったんですか?」
「だから、帰れるなら帰したいって思ったんだ」
思わず卑屈な考えを口にするリード。対するカインは、少し困ったように笑っていた。
「苦労させるってわかってるけど、たぶん俺は側にいたら一生リードのこと追っかけ回すと思うんだ。苦労させるってわかってても、やっぱり好きだし、結婚したいし、ダーリンって呼ばれたいし」
「ダーリンって呼ばれたいんですか?」
「そこ、恥ずかしいからあんまり突っ込まないでくれる?」
「その顔でダーリンって」
「ともかく、俺はリードじゃなきゃだめなんだ! そのためだったら、俺は今度こそ本当に悪い男になるかもって思うくらいに……」
だから、と声を詰まらせながら無理矢理微笑み、カインはリードの手からカギ爪を外した。
「リードの幸せが別の所にあるなら、俺はこのかぎ爪で我慢する。コレをリードだと思って毎晩だっこして寝る」
「なんか、かぎ爪に重ねられるのって複雑なんですけど」
「それくらい許してくれても良いじゃないか」
「そう言われても、なんかそれは嫌なんです」
自分で口にして、それからリードはほんの少し困惑した。
追いかけられるのも船長の苦労を押しつけられるのもまっぴらだが、ちょっと触れただけのかぎ爪で満足されるのも何故だか凄く嫌だと思う自分に彼女は気付いてしまったのだ。
そしてそれは多分抱くべきではない感情で、だからこそ彼女は困惑し、そして同時にその考えに無理矢理蓋をした。
「じゃあ、帰る前に俺のクマちゃんをぎゅっとしてってくれ。そしたら爪の代わりにクマちゃんをだっこするから」
まああえて蓋をせずとも、馬鹿な船長の馬鹿な発言のお陰で、リードはまたいつもの冷静さを取り戻せたのだが。
「船長、クマのぬいぐるみなんて持ってたんですか?」
「実はこう見えて俺はクマのぬいぐるみが大好きなんだ! だから実は部屋の隠し戸棚の奥にいっぱい……」
と言ってから、カインははっと口を噤む。
「にっ似合わないから捨てろとか言うなよ! クマちゃんは俺の大事な家族なんだぞ!」
「いやもう、呆れてそんな気も起きないので大丈夫です」
「っていうか、クマちゃんは好きか? 良かったら、おみやげに一匹もってくか?」
「それを俺だと思ってくれとかベタなこと言わないでくださいよ」
リードの言葉に目をそらしたところ、そのベタなことをカインは言うつもりだったらしい。
「でもまあクマちゃんに興味がないこともないです」
「あるって素直に言えばいいのに」
「焼いても良いんですよ」
「何でもありません! それより、クマちゃんの所に行こう、そうしよう」
言って立ち上がるカインは、やっぱりどこか元気がない。
そして多分クマと戯れている自分をみたら、また無駄に感動して泣き出すんだろうなとリードは思う。
それはそれでウザイが、種明かしはもう少し先にしようとリードは考えていた。
当初の予定通り、やっぱり「行くな帰るな」と騒ぐカインをどうしてもみたいとリードは思ったのだ。
それにどうせ今は何を言ったところで信じない。ならば別れという油断を大いに利用し、クマちゃんの他にも何か隠していることがあれば暴いてやるのも悪くない。
そんな腹黒いことをいくつもいくつも考えながら、リードは歩き出すカインのかぎ爪にそっと指を絡めた。
勿論カインは大喜びし、結果リードはカインがこっそり手乗りドラゴンを飼っていたという事実と彼のお気に入りのクマさんを得ることに成功する。
逆にカインが全ての嘘に気付き、色々な意味で泣き崩れるのはそれからきっかり20時間後のことだった。




