エピローグ 船長は結婚したい
「毒が抜けてないのに、あまり無理しない方が良い」
リードの寝室から聞こえるタイプライターの音に、カインが彼女の部屋に顔を出したのは深夜のことだった。
無事敵の罠から逃げ切ったカイン達の魔法帆船は、砂の海を順調に滑り、朝には穏やかな大海へと入る予定だ。
彼らを襲ったのは、やはり以前彼らにこてんぱんにやられた近海の海賊だった。
勿論今回もこてんぱんにぶちのめした上に、彼らの持つ帆船の帆はカインがかぎ爪でズタズタにしてしまったので、追っ手の心配もないだろう。
「大丈夫です。もう終わりましたから」
タイプライターから紙を破り、それに目を落としたのはカインだった。
「まさか、お前さんが記事を書いていたとはね」
毎回毎回、どこで見ていたのかと思うほど、カイン達の行動は新聞社に筒抜けだった。新聞社なのでばれても問題はないが、割と正確な――、その上で知られたくない部分は巧妙に伏せられた記事に感心していたのだが、リードが書いていたとしたら納得だ。
「新聞社の編集長と、前の世界で縁があったんです。最初は三面記事に載せて貰うつもりで書いていたんですけど、何でも大海賊カインの記事が載ると、とぶように新聞が売れるそうで」
今や一面トップは必ずカインの記事だ。
元の世界と違ってメールやパソコンはないが、タイプライターと新聞社まで記事を運ぶ配達イルカがいれば事は足りる為、船に乗りながらでも執筆は可能だ。
それに元々新聞記者になりたいと思っていた口だ。こうして彼の記事を書くことが、実は唯一の楽しみになっていたりもする。認めたくはないが。
「なんだかんだ言って、私もあなたに依存しているんですね」
タイプライターをしまいながら言えば、なぜだかカインは照れた表情で頬をかぎ爪でかいている。
「私にはこれくらいしか、取り柄もありませんし」
「そんな事無い、航海術だって剣術だってリードは凄い」
「並ですよ。どちらもこちらに来てから学んだ物ですし、本当のプロには敵わない」
荒くれ者ばかりだが、カインを始め海賊達は皆強くてたくましい海の男だ。
それに比べて、リードは所詮もと女子高生である。
異世界での冒険譚の主人公と言えば、規格外のパワーや特殊能力を得ている物だが、そんな都合の良い奇跡はリードには起きなかった。
元々の勉強好きが幸いし、こちらの世界のことや航海術について知識を得ることは苦ではなかったが、全てを簡単にこなせたわけではもちろんない。
恩師から貰った航海に関する分厚い専門書、100冊にもなる書き取りノート、そして仕事の合間にこっそり作った暗記カード等、受験勉強で培ったノウハウと努力を駆使してようやく、今の彼女があるのだ。
だがそれだけで全てが足りるわけでは勿論ない。
やはり彼女がここにいられるのは、バルバトス号という安全な場所を作り出す大海賊カイン=モーガンとその部下がいるからだ。
そしてそれが分かっていたから、嫌だ嫌だと言いながらカインの世話をしていたのだ。
女が得意なこざかしい根回しや気配りだけが、他の船員になくて自分にあった唯一の物だったのだ。
馬鹿にしていたカインの強さを改めて再確認した今、改めて自分の非力と、それを認めもしないで彼の側をキープしていたこざかしい自分が嫌になる。
「そうだ、今日はありがとうございました」
その上、出てきた礼は素っ気ないその言葉だけだ。
「いや、こちらこそもっと早く気付くべきだった」
「余裕がないのは、わかっていましたから」
だからこそフォローするつもりで来たのに、何故だか自分が揺らいだ。
本当に情けないと呟けば、カインが違う、そうじゃないと喚き出す。
この人は本当にどこまでも人が良い。
それを再確認し、それに依存する自分がまた嫌になってきた。
リードの浮かない表情に、何を勘違いしたのかカインが彼女の肩を掴む。
「つ、次は頑張るから。だからあまり凹まないでくれ。あと、船を下りるとか、言わないで欲しい」
「言ったでしょう。私もあなたに依存しています。船を下りたら行くところも、出来ることもなくなってしまう」
「ならここにいればいい。俺はお前が必要だ」
嘘はいらないと言う言いかけた瞬間、目の前にカインの顔が迫っていた。
それを手で押し止めたのは反射だった。
「何してるんですか」
「き・きす……?」
「何でですか」
「どれくらい必要か、表現しようと思って」
その言葉に頭にかっと血が上った。
「考えが胆略的すぎます。そんなアホなことしなくても、ここにいるって言ったでしょう」
「あ、アホっておまえ! 俺はお前を真面目に」
「いくら童貞を卒業したいからって、身近な所で手を打とうとしないでください」
「違う、真面目に好きだ」
「開口一番におっぱい言ってたその口で、何を言われても信じられません」
怒鳴られ、追いやられ、気がつけばカインは廊下に出されていた。
「可愛いって思ってる! つれないところも好きだ! 正直メアリーちゃんよりタイプだ!」
と叫ぶカインの前でドアを思い切り閉めるリード。
その顔が赤くなっている事に、彼女自身も気付かない。
「初彼氏が15も年上のおっさんなんて絶対嫌だ」
それも童貞なんて嫌だ。
そう繰り返し、リードはベッドに飛び込み頭から毛布をかぶった。
嫌だ嫌だと繰り返すうちに、気がつけば自身への不満や苛立ちは消えていた。
それに気付き、やはりあの人には敵わないと、リードはほんの少しだけカインに感謝する。
一方カインは、ドアをかぎ爪でひっかきながらもう一度好きなんだと呟いていた。
勿論聞こえない。むしろ聞こえたら怒られる。
だけどそれでもやはり、何度確認してもこの気持ちに偽りはない。
「やっぱり、結婚するならリードがいい」
言葉に出して決意して、カインはかぎ爪に誓う。
「絶対、リードを幸せにする!」
ドア越しに五月蠅いと言われ、カインは慌てて部屋の前から退いた。
そうと決まれば、とりあえずパンを焼こう。
上質なフランスパンの中に指輪を入れて、食べたら口の中から指輪がぽろり作戦だ。
絶対いい。俺なら惚れる。驚いたリードにもう一度プロポーズすれば、絶対に勝てる。
翌日、部屋の前に置かれたパンをリードが海に投げ捨てるとは夢にも思わず、キャプテンカインは鼻歌を歌いながら厨房へと向かった。
【END】