第48話 :結びの後。――宰相の机、そして二人の朝。
結びの儀から、数日が過ぎた。
王国の宰相府。
私の執務室には、いつものように書類の山が築かれていた。
「……結婚したばかりだというのに、手加減なしか」
私は苦笑しながら、羽ペンを走らせる。
北の鉱山開発、西の港湾拡張、南の農業改革。
世界が平和になればなるほど、それを維持するための調整事は増えていく。
「旦那様。……そろそろよろしいのでは?」
セバスチャンが黒茶を注ぎながら言う。
私は窓の外を見た。
東の空が白み始めている。徹夜だ。
「ああ。……だが、あと少しだ」
私は最後の一枚――『次期宰相候補の育成計画書』に署名した。
いつまでも私が全てを抱え込むわけにはいかない。
権限を委譲し、仕組みを作る。
それが、私の「最後の仕事」だ。
「……よし、終わった」
ペンを置き、大きく伸びをする。
肩がバキバキと鳴った。
「お疲れ様でございます」
「ああ。……帰るよ。エリスが待っている」
私は執務室を出て、朝霧に包まれた王都の通りを歩いた。
まだ人影はまばらだが、パン屋からは香ばしい匂いが漂ってくる。
市場には荷車が並び、商いの準備が始まっている。
当たり前の、平和な朝だ。
屋敷に着くと、すでに台所から温かな湯気と、包丁を刻む音が聞こえてきた。
「……ただいま」
「おかえりなさい、アルバート様」
エリスが小走りで出迎えてくれる。
エプロン姿の彼女は、聖女の装束よりも輝いて見えた。
「お疲れですよね? すぐ朝ごはんにしますか? それともお風呂?」
「……朝ごはんにしよう。腹が減った」
食卓には、焼きたてのパンと、野菜のスープ、そして目玉焼きが並んでいた。
宮廷料理のような豪華さはない。
だが、私にとっては最高のご馳走だ。
「いただきます」
スープを一口すする。
野菜の甘みが、徹夜明けの身体に染み渡る。
「……うまい」
「よかった。……おかわり、ありますからね」
エリスが微笑み、私の向かいに座る。
私たちは窓から差し込む朝日の中で、ゆっくりと朝食をとった。
他愛のない話をして、笑い合う。
かつては想像もしなかった、穏やかな時間。
「ねえ、アルバート様」
「ん?」
「……幸せですね」
エリスがパンをちぎりながら、ぽつりと言う。
「ああ。……そうだな」
私はコーヒー――いや、黒茶を飲み干し、窓の外を見上げた。
青空を、一頭の竜が飛んでいくのが見えた。
その背には大きな荷箱が積まれている。
魔王とドレイクが話していた「空の商い」も、どうやら始まったらしい。
世界は動き続ける。
新しい問題が起き、新しい商機が生まれる。
私の仕事は終わらないだろう。
だが。
「……さて、行くか」
私は立ち上がった。
隣には、最愛の伴侶がいる。
背中には、頼れる部下たちがいる。
そして、守るべき世界がある。
「はい! いってらっしゃい、あなた」
エリスが背伸びをして、私の頬に口づけをする。
その温かさを胸に、私は扉を開けた。
今日もまた、野蛮で、騒がしく、愛おしい一日が始まる。
さあ――働きに行こうか。
(完)




