第4話 元・勇者(無職)、今日から弊社の「警備部門」で再出発です。
聖剣と装備を差し押さえられ、文字通り「身一つ」となったルーカスは、私の屋敷の応接室で小さくなっていた。
出された紅茶にも手を付けず、ただ俯いている。
無理もない。数時間前まで「未来の英雄」として肩で風を切っていた少年が、今は無一文の債務者だ。
「さて、ルーカス君。君の現状を整理しよう」
私は手元の羊皮紙を指先で弾いた。
「まず、君には店主への賠償金――金貨50枚の借金がある。これは確定事項だ」
「……ああ」
「君には返済能力がない。武器も防具もない状態で、どうやって魔物を狩り、金を稼ぐつもりだね?」
「…………わかんねぇよ」
ルーカスが掠れた声で答える。
武器がなければ稼げない。稼げなければ返せない。返せなければ、契約違反で罰則を受ける。
完全な詰みだ。
「そこでだ。先ほども言った通り、君には私の元で働いてもらう」
私は新しい羊皮紙をテーブルに広げた。
『雇用契約書』。
そこには、私が夜なべして作成した労働条件が記されている。
「仕事内容は『領内の見回り』および『ダンジョンでの魔石回収』だ。君の身体能力なら、装備がなくともゴブリン程度は素手でも十分に戦えるだろう?」
「……まあ、それくらいなら」
「よろしい。では条件の説明だ」
私はペンで条文をなぞりながら読み上げる。
「役目は『警備部隊長(候補)』。契約期間は借金完済まで。住み込みでの勤務とし、屋敷の空き部屋を一室貸与する。食事は一日三食、当家のシェフが作ったものを提供する」
ルーカスの肩がピクリと震えた。
「……飯が出るのか?」
「当然だ。腹が減っては戦はできんからな」
「……三食?」
「そうだ。あと風呂も毎日入れる。制服(装備)も、当家の予備を貸そう」
ルーカスが顔を上げ、信じられないものを見る目で私を見た。
「な、なんでだよ。俺は借金まみれの下働きみたいなもんだろ? なんでそんな……」
「『下働き』? 言葉を慎みたまえ」
私はわざとらしく眉をひそめた。
「我がアインホルン領では、人を使い潰すなどという非効率なシステムは採用しない。君は『働き手(従業員)』だ。働き手の健康管理は、雇い主の務めだろう?」
酷使して潰せば、また新しい人材を探すコストがかかる。
強制労働させれば反乱のリスクが高まるし、病気になれば治療費がかさむ。
ならば、適正な環境を与えて「やる気」を出させた方が、長期的には黒字になる。それが私の経営哲学だ。
「次に給金だ。基本となる給金は月、金貨5枚。そこから借金の返済分として金貨2枚を差し引く。残りの3枚は君の手元に残る金だ。好きに使っていい」
「……はあ!? 手元に金が残るのかよ!?」
ルーカスが椅子から転げ落ちそうになった。
「当たり前だ。ただ働きをさせたら、君はいつ息抜きをするんだ? 疲れで働きが悪くなれば、私の損になる」
「い、いや、でも……全額返済に回したほうが……」
「君が過労死したら、貸し倒れになるだろうが。それに、ダンジョンでの成果に応じて手当も出す。頑張ればもっと早く返せるぞ」
私はペンを差し出した。
ルーカスは震える手でペンを受け取り、契約書を食い入るように見つめ、それから私を見た。
「……あんた、悪党じゃなかったのか?」
「悪党だよ。君を借金漬けにして、安月給でこき使う悪徳領主だ」
私はニヤリと笑った。
ルーカスはしばらく何かを考えていたが、やがて決心したように署名し、拇印を押した。
――契約は成立した。
「ようこそ、アインホルン家へ。セバスチャン、彼を部屋へ案内してやれ。それと、早めの夕食を用意してやってくれ」
「かしこまりました」
◇
その日の夜。
食堂に案内されたルーカスの前には、湯気を立てるシチューと、焼きたてのパン、そして山盛りのサラダが並べられていた。
「……これ、本当に食っていいのか?」
ルーカスが恐る恐る尋ねる。
私は自分の皿の肉を切り分けながら、面倒くさそうに答えた。
「冷めるぞ。さっさと食え」
「……いただきます」
ルーカスがスプーンを口に運ぶ。
一口食べた瞬間、彼の動きが止まった。
「……うめぇ」
次からは早かった。
彼は獣のようにガツガツとシチューをかき込み、パンを頬張り、サラダを口に押し込んでいく。
王都での彼は、高い装備の支払いに追われて食費を切り詰め、固い黒パンと水だけで過ごしていたらしい。成長期の少年には酷な生活だったはずだ。
「うっ、ううっ……」
不意に、ルーカスの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼はパンを握りしめたまま、ボロボロと泣き出した。
「うめぇよ……あったけぇよ……」
「汚いな。泣くか食うか、どっちかにしろ」
「だって、こんなもん食ったの、久しぶりで……」
私はため息をつき、グラスのワインを傾けた。
(チョロいな、勇者)
だが、これでいい。
衣食住足りて礼節を知る。
腹が満たされ、安心して眠れる場所があれば、人は裏切らない。
彼にはこれから、馬車馬のように働いてもらわなければならないのだ。この程度の初期の出費は安すぎるくらいだ。
翌日。
支給された警備隊の制服に袖を通したルーカスは、憑き物が落ちたような顔をしていた。
「おはようございます、アルバート様!」
「声がでかい。……行くぞ。初仕事だ」
私は彼を連れて、街の視察に出た。
街の人々は、私が連れているのが昨日の「乱暴者の勇者」だと気づくと警戒したが、ルーカスはすれ違う人々に自分から頭を下げていた。
「昨日はすいませんでした! これからは警備兵として、街を守ります!」
その姿に、住民たちの表情が少しずつ和らいでいく。
酒場の前を通ると、修繕工事をしていた店主が手を止めた。
「よう、若いの。真面目に働いてるみたいだな」
「おっちゃん……昨日は本当にごめんなさい。必ず、借金は返しますから」
「おう、期待してるぜ。……領主様も、ありがとよ。おかげで店を畳まずに済みそうだ」
店主が私に頭を下げる。
それを見た他の住民たちも、ひそひそと話し始めた。
「あのアインホルン様が、店主を助けたって?」
「勇者を更生させたのも、領主様らしいぞ」
「案外、話の分かる方なのかもしれねぇな……」
領民たちの視線から、刺すような敵意が薄れているのを感じる。
近くの路地から顔を出した子供が、恐る恐るルーカスに手を振った。ルーカスが振り返すと、子供はパッと笑顔になって駆け出していく。
恐怖による支配は脆い。だが、利益と信頼による支配は強固だ。
私の領地経営は、まだ始まったばかりだ。
「よし、次はダンジョンだ。冒険者ギルドへ向かうぞ」
「はいっ!」
元気よく返事をする「元・勇者」を見ながら、私は次の改革案を練っていた。
この世界にはびこる、もう一つの非効率――「冒険者ギルド」の運営システムにメスを入れる時が来たのだ。




