08. 曲水の宴 2
「――ふぁ。……ちょっと、眠くなってきちゃったな」
無駄に霊力を消費したせいか、それともほどよい陽気のせいか、まぶたが重い。
これでは、集中力が必要な式神の使役に支障が出てしまうかもしれない。真日流ちゃんの能力のこともあるし、今回は攻略キャラたちから離れた場所に豆千世を置いて、慎重に望遠で撮影しよう。
ぼんやりと計画を立てているさなか、やけに賑やかな声が豆千世を通して私の耳に届いた。
「まさか、あのお方……」
「……巫女装束を……」
「平民の生まれで……」
これには木の上でうとうとしていた豆千世も、驚いて飛び起きる。
この物腰柔らかながら、冷ややかな言葉遣い……間違いなく、いけすかない貴族の言動だ。
都に住む貴族の中には、「下賤な庶民なぞ、同じ人間とは思えない」という発想の者が、少なからず存在している。
まさにテンプレ。今回、彼らは「庶民である真日流ちゃんが気に食わないから邪魔をする」という、わかりやすい悪役を担っている。
「きっと歌会の参加者か、その家族か……」
私の予想どおり、絵に描いたような若い貴族の女性たちが数人、横並びになって、小川のほうへゆっくりと歩いて行った。
世が世なら、彼女らは悪役令嬢とその取り巻き、といった感じだろうか。
先の展開を知る私からすれば、彼女らも『恋かし』――大いなる「天命」を回す歯車に過ぎず、断罪されたところで些細な出来事だ。なんなら、原作ゲーム本編に参入できることを、光栄に思っていただきたい。
修祓の儀では、歌会の参加者たちに対してもお清めを行う。彼女らは、そこで巫女役として仕事をする真日流ちゃんを目撃したか、あるいは元々、あらぬ噂や情報が飛び交っていたのか。
これは、歌会での波乱を予感させる……というか、波乱が起きるからこそ、撮影に来たんだけどさ。
徐々に庭園を歩く人の姿が増えて、雅楽のような音も聞こえてきた。曲水の宴での主要な催しである歌会が、まもなく始まろうとしている。
ここは用心のためにも、あえてタイミングを外すとしよう。私は歌会が開始されたあとに、こっそりと豆千世を会場のそばへと移動させることにする。
一番おいしい場面――波乱の渦が発生する頃合いを見計らって、ね。
「――おお……ずいぶんと雅になってる!」
再び舞い戻った会場の周辺は、真日流ちゃんがお清めをしていたときよりも、華やかで賑やかになっていた。
小川の両岸には、歌をしたためる貴族たち。歌人の他にもその親族が後方に控えていて、予想よりも人が多い印象を受ける。なんというか……圧倒的雅感!
今回は神事ということもあって、参加者たちは格式の高い正装を着ている。音楽も相まって、ここ一帯は庭園の花にも負けない優美な雰囲気を醸し出している。
肝心の真日流ちゃんは奥のほうに控えていて、ただ静かに歌会の様子を眺めている。
豆千世の居場所からもかなり離れているので、あの愛らしいお声を拾うことはできなさそう。安全のためとはいえ、少し残念。
きょろきょろと豆千世の視点を動かすと、歌人として座る東雲の姿を捉えた。よし、舞台は整っているみたい。
「派手な貴族が……たくさんいるなぁ」
そう呟いてから、自分も貴族の娘であることを思い出す。
もしも、父が過保護でなければ。もしも、社交的な性格であれば。私もあの場にいたのだろうか。
……って、今さらそんなことを考えても意味がない。歌詠みなんて苦手だし、参加できるわけがない。
背中に小さな盃を乗せた色鮮やかな水鳥が、穏やかな水面を気持ちよさそうに泳いでいる。それを童子が長い棒を使って、ゆっくりと下流へ誘導していく。
羽觴と呼ばれるこの水鳥たちは、ご神木の木屑を固めたもので、陰陽師が霊力を吹き込んだ簡易的な式神だ。
川辺に座る歌人たちは題に沿った和歌を短冊に書き、その完成の合図として羽觴から盃を取り上げ、注がれた液体――「甘露」と呼ばれる、神聖で甘いお茶を飲み干す。
甘露はアルコール成分を含んでいないので、お子様でも飲める……が、飲みすぎは禁物。一時的に霊力を活性化させる効果があり、過剰に摂取すると中毒を引き起こしてしまうのだとか。
一応、お茶には分類されるものの、嗜好品というよりかは希少品。その茶葉は神域とされる霊山にのみ自生する、「月雫草」という植物の葉を加工したものだ。
たしか、月雫草は夜間だけ美しい花を咲かせる、と屋敷で読みあさった図鑑に書いてあった。
まったく、和歌や歌会の知識が乏しいせいで、関心が向くものが飲食物か植物ぐらいしかないなんて。
引きこもりといえど、貴族の娘としてどうなのかな? ……うーん、呪われ姫が気にすることでもないか!
私がそわそわしているうちに、続々と歌人たちが歌を完成させていく。
彼らはひと仕事を終えたといった調子で甘露を飲み干し、ゆったりとくつろいだり、近くにいる親族や友人と言葉を交わしたりしている。
「あら。あの子、さっきの……」
先ほど、庭園を歩きながら真日流ちゃんをけなしていた女子たち、そのうちの一人の姿を見つけた。
歌人の席である赤い敷物に座っているということは、彼女には歌の才があるのだろう。
私は貴族社会について不勉強な身、という自覚はある。ただし、原作ゲーム知識があるので、彼女の名前がわかってしまう。端役なのに名前付きキャラなのが、嫉妬しちゃう。
彼女の名前は紋子姫。彼女は後方から近寄ってきた父親らしき人物と言葉を交わしている。二人の表情から察するに、朗らかな話題ではなさそうだ。
それもそのはず。彼女はこれから嵐を引き起こす。正確には、彼女の父親の命令によって。
「――皆様。ご歓談中、失礼いたしますわ。わたくしから一つ、素敵なご提案がありますの。どうか、お耳を貸してくださいまし」
その場ですっくと立ち上がった紋子姫は、豆千世にも届くような、堂々とした声で言った。
不謹慎だけど、ほくそ笑んでしまった。その言い回し、原作ゲームの完全再現だね。
「すでに、お気づきの方もいらっしゃるでしょう。本日の歌会は、特に清らかで強固な守りが張られている、ということを」
そこまで言い終えてから、紋子姫は檜扇で口元を隠した。そして、目立たぬように木陰で座っていた真日流ちゃんを、まっすぐに見つめた。
「聞けば、あの巫女役の少女は、将来有望な浄化の力の使い手なんだとか。市井の生まれでありながら巫女役に抜擢されたのは、東雲の若宮様から格別のご配慮を賜ったから、とも。……で、あれば。ここはぜひとも、身分という垣根を越えた親善の証として、彼女にも和歌を詠んでいただきたいのです」
すらすらと流れるように喋るものだから、つい聞き入ってしまった人も多いようだ。首肯したり、感心して手を叩く者もいる。
綺麗な言葉で取り繕ってみても、たいした意味はない。紋子姫は真日流ちゃんを陥れようとしている。その真意をすぐに理解できた者もいるようだが、誰も表立って反対はしない。
体よく引き合いに出された東雲は、憤りを隠せないといった様子で抗議の声を上げようとするも、それを察知した衛士や貴族に遮られてしまう。先手を打って、彼らは懐柔済みってわけね。
歌人以外が曲水の宴で和歌を詠むなんて前代未聞だ。
ある程度は天照学府で教わっているとはいえ、真日流ちゃんは和歌に関しては素人同然。だからこそ、そこを突いたのだろう。
ざわつきが収まらない中、してやったりという表情で紋子姫が腰を下ろす。司会役である読師は、あたふたしながらも紋子姫……の、後ろにいる父親と目配せをしている。
……はぁ。神事とは名ばかりの、とんだ茶番ね。
やがて、読師がその場を収めようと、手を打ち鳴らして声を張り上げた。
「それでは、こうしましょう。まずは、すでに集まった歌人たちの歌を詠み上げます。そのあと、巫女役の者に……本日の締めくくりとなる歌を、自ら詠んでもらいます」
身分がどうこう言っていたくせに、真日流ちゃんに拒否権はない。どうしても、彼女に恥をかかせる流れにしたいらしい。
私は咳払いをして、物申したい気持ちを抑え込む。
予定調和な展開に腹を立てる必要はない。焦らず、動じず、悠然と構えていればいい。これから状況は好転するのだから。




