31. 先触れ 1
朱い夕日が沈む、黄昏時。
小刻みに手足が震えているのは、吹き付ける寒風のせいではない。どうしようもなく、緊張しているからだ。
「――どうぞ、お入りください。すでに皆、集まっています」
穏やかな声に促され、私は引き戸に手をかけた。相変わらず立て付けが悪く、ガタガタと不機嫌に揺れる。
ここは回霊祭のときにも訪れた、古ぼけた道場だ。
袿を頭にかぶって、首から懸守を下げた私は、やっとの思いで自分を奮い立たせながらその敷居をまたいだ。足の裏に冷気が伝わり、傷んだ床がきしんで静寂を破る。
近くで誰かが息をのんだような気配がした。うつむいている私には、それが誰のものだったのかわからない。わざわざ確認する気も起きない。
私は体をちぢこませて壁に寄りかかり、この気まずい空気に慣れようと深呼吸を繰り返した。
ほどなくすると、出入り口の戸が閉まった。そんな些細な物音にも驚いて、私は思わず目を閉じた。
「東雲様、未明様、曉さん。新嘗祭の準備で忙しいなか、お集まりいただき、ありがとうございます」
これは真日流ちゃんの声だ。私は視線だけをちらりと向けて、彼女の様子をうかがう。
「それで? こんな場所に俺たちを詰めて、どういう用件だ」
少し苛立ったような口調……曉の発言だ。この顔ぶれのなかでは、曉が最も気を揉んでいることだろう。
「そこの娘は……星祭りの大禍刻でも見かけたな。なぜここに?」
未明の発言に、私は胸の奥がきゅっと締まる。とはいえ、至極まっとうな、予想どおりの反応だ。
質問ばかり投げかけられる真日流ちゃんに向かって近づきながら、私はこう言った。
「急ぎ、貴方たちを集めてほしいと、私から彼女にお願いしたのです。すべての疑問には、私がお答えします」
顔を覆っていた袿を外すと、内側から豆千世が飛び出した。豆千世は私の肩に乗って、「チュリチュリ」と元気よく鳴いた。
首をかしげる東雲、表情を崩さない未明、眉をひそめる曉。私の顔を見た彼らの反応は、まさに三者三様だった。
「……仮にも貴族の娘ということであれば、まずは身元を明かすべきではないか」
これまで沈黙していた東雲が冷静に、しかし有無を言わせぬ調子で言葉を紡いだ。
それもそうだ。私が彼らを一方的に知っているだけで、実際には初対面に近い。私はうやうやしく一礼した。
「申し遅れました。私は永原基光の娘、靜子。――巷では『呪われた姫』と呼ばれている者にございます」
この名乗りには、さすがに彼らも驚いたらしい。きょとんと目を丸くしたり、動揺で身じろいでいる。
そこで珍しく、真日流ちゃんが語気を強めて言った。
「靜子様の『呪い』は隠れ蓑のようなもの。私が祓うべき呪術――本物ではありません。彼女は正常で、善き人です」
咄嗟のフォローはありがたいけど、こういう状況には慣れてないので気恥ずかしい……! 私はわざとらしい咳払いをした。
「ご存じのとおり、まもなく『新嘗祭』が始まります。都の安寧を祈る最も神聖な大祭……この日を待ち望んでいたのは、善良な民だけではありません」
どうやら私の言葉選びは慎重すぎたようだ。未明が怪訝な表情を作った。
「何が言いたい。早く本題に移ってくれ」
そうだった。真日流ちゃんが特別なだけで、本来の未明は冷淡な人物なのだ。ひぃ!
「……わかりました。それでは、単刀直入に申します。此度の新嘗祭では星祭りと同様、人為的に大禍刻が引き起こされます。敵勢力である反体制組織は、禁忌の術を用いて境界の歪みを作り出し、都中に妖異を解き放とうとしています。間違いなく、その規模は星祭りを超えるでしょう」
突拍子もない話だと一蹴されそうだけど、誠意を持って正直に伝えるしかない。案の定、曉が首を左右に振って苦笑する。
「なんだそれ。そんな話を信じろっていうのかよ」
「はい、そのとおりです。貴方たちだけが頼りなのです」
私の真剣な表情を見て、曉が億劫そうに視線をそらした。当然のことながら、あからさまに警戒されている。
東雲は深く考え込んでいるのかうつむきがちで、未明は手にした扇子を開いたり閉じたりしている。
「たしかに、僕が先日行った星読みでも凶兆が現れていた。しかし、それが『大禍刻』だと断言できるものではない。君には、そんなにはっきりと未来が見えるのか」
天才陰陽師の未明であれば、先々の吉凶を占うのは当たり前のことだ。もちろん、私にはそんなことはできないし、「この世界は前世でプレイ済みの乙女ゲームだから次の展開がわかる」なんて、珍回答もできない。……事実なんだけど。
「私はそこまで精密な星読みはできません。……ただ、私を信じてください、とだけ」
私の返事を聞いて、曉はこれ見よがしに大きな溜息をつき、未明は肩をすくめた。それを真日流ちゃんがとがめる。
やや間を置いてから、静かに思案していた東雲が口を開いた。
「宮中でも不審な輩を見かけたという話は聞いている。しかし、まだ特定には至っていない。そもそも、そこまで計画がわかっているのなら、もっと戦力を集めるべきではないか。どうして、私たちだけに声をかけたんだ?」
ここでうまく受け答えができなければ、見限られてしまうかもしれない。私はあえて強気に笑みを作り、力強くうなずいた。
「ほとんどの人員は、すでに新嘗祭に割かれています。そして、敵も同じように準備を進めています。ここで確かな実力を持つ貴方たちが先手を打って、計画を狂わせる。要は、少数精鋭で奇襲をしかけるのです。……無論、壊滅とまではいかないでしょう。ですが、わずかでも敵の勢力を削ぐべきなのです。もしも、無策のまま新嘗祭を迎えた場合、どれほどの被害が出るか計り知れませんから」
私の提案を受けて、東雲は再び口をつぐんでしまった。……やっぱり、一筋縄ではいかないよね。
重苦しい淀んだ雰囲気のなかで、曉がぶっきらぼうに言い放つ。
「少数精鋭と言えば聞こえはいいが、この顔ぶれで勝算はあるのか」
「……おそらく」
「話にならねぇな。誰が好き好んで負け戦に出るってんだ」
なんとも手厳しい反応だ。話を進展させるためにも、どうにかして彼らを説得しなくては。
……そう思ったところで、私には信用がない。交渉の手札がない。焦りと弱気がこみ上げて、うまく言葉にならない。
二の句が継げずにいた私をかばうように、真日流ちゃんが前に進み出た。
「負け戦になんてなりません。私がさせません」
強い意志を宿した、凜とした声だった。
その効果はてきめん。一斉に三人の視線が真日流ちゃんに集まる。
「星祭りのとき、靜子様は危険を顧みずに、私たちを助けてくださいました。だから、私は彼女を信じます」
「真日流さん……!」
真日流ちゃんの堂々たる宣言に、心も体も震える。目頭が熱くなって、鼻の奥がツンと痛んだ。
身に余る光栄、恐悦至極! ……と、感動の余韻に浸っている私を尻目に、未明がやれやれと首を振った。
「君はずいぶんと『呪われた姫』を買っているようだが、どういう関係なんだ? 貴族と庶民の交友なんぞ、金でももらって雇われたのか?」
無意識とはいえ、さすがにちょっと傷つく言い草だ。私と真日流ちゃんは目を見合わせた。すると、私の肩から豆千世が勢いよく飛び立ち、未明の頭上でせわしなく鳴いた。どうやら、必死に抗議活動をしているようだ。
「なんだ、この式神は……」
未明に軽くあしらわれながらも、懸命に飛び回る豆千世。その姿は愛らしくも勇敢……だけど、相手が相手なので心配になる。危ないから戻っておいで~!
真日流ちゃんの心優しいフォローや、豆千世の身を挺したガードもありがたい。かといって、いつまでも誰かの後ろに隠れていては、ここに来た意味がない。
私は大きく息を吸い込んで、大げさに吐き出した。そして、前のめりになっている真日流ちゃんの肩に手を置いて、目線だけで制止を促した。




