30-7.兄弟喧嘩
予約したレストランに、明成は時間丁度にやってきた。
「悪い、待たせたか」
「いや丁度だよ。久しぶりだな」
「すまんね、ミーティングも全然参加できてなくて」
「いいよ、忙しいんだろ?」
西生寺ホテルのミーティングは部下のみの参加の場面が増えた。けれどまあ、ちゃんと部下の人が現場担当としてすべて回してくれているので、困ってはいない。
昨日二人で飲みに行けるかと聞いたら、「明日なら」と送られてきたし、指定されたエリアもいつもの本社や家付近ではないから、何か出先に時間をねじ込んでくれたのだろう。
「じゃ、新しい役員様に」
「どーも」
ウェルカムドリンクを口にする。口の中にしゅわっと酸味と葡萄の香りが広がった。
「無理に飲まなくていいぞ」
「あー悪い。今日は軽いのだけにさせてくれ」
明成はそう言って肩をすくめた。
連日会食なんだろうなということは知っている。なぜなら連日父さんが家にいるから。
父さんが参加していない会合に、古株の役員が明成を連れて行っているはずだ。そんだけ飲んでると休みたい日もあるだろう。
「どうよ、役員仕事の方は」
「まー俺今役員って言っても現場仕事もしてる兼務役員だからなあ。今はまだ色んなとこに顔出ししてる段階だし」
「仕事詰めすぎんなよ。涌井のおっちゃんそれで倒れてんだろ」
「わーってるよ」
療養で外れた旧役員は現場からの叩き上げで、上層部と現場との緩衝役だった。今回明成が座るのもその席だ。
上と下両方から色々と言われる、胃を削る場所。涌井のおっちゃんは胃潰瘍で倒れて、療養が明けたら子会社の少し落ち着いた部署に座るらしい。
おっちゃんは、俺が会社を継がないと言ったことに賛成してくれた数少ない人だ。先日見舞いに行ったときも「私の仕事は理人君には向いていないから、明成君で良かったと思うよ」と笑っていた。
ちらちらと近況の話をしながらのんびりと食事をする。やはり仕事自体はかなり忙しそうだ。
様子を伺いつつ、食事が概ね済んだタイミングで切り出した。
「明成の方は人は足りてんの?」
「人ぉ?足りてると思うわけ?」
「思ってないから聞いてんだけど」
「足りてない。厳密には信頼できる人が足りてない」
「だよな」
やってくる人の中から、父さん側の息のかかった足を引っ張るための人間を弾かなければいけない。その見極めがかなりむずかしい。
いい加減、本当に、諦めてくれ。心の底から思うのだけど、あの人には本当に通じていない。
「俺から一人送りたいっつったら受け取るか?」
「使えるかどうかによる」
「LCホテルの、ウチで言う所の営業三課の課長相当。特に悪い噂は聞かない。仕事はできる。社内政治自体はできないけど、政治の空気は読めてる。家族関係も問題ない。西生寺グループ内の誰の紐もついてない」
「やべえ人持ってこようとすんじゃん。見返りは?」
「あの人に取られるな。絶対にだ。」
強めに言った言葉に、明成が流石に身構えた。
「お前の権限で、お前の下で拾ってくれ。他の誰にも渡すな。貸すな。それが約束できないなら、西生寺とは全く関係のないところに流すしかない」
「あんたの下じゃダメなわけ?」
「だめ……ではないんだけど、ちょっと厳しい」
「ふうん?」
鞄から封筒を出して渡す。
封筒の中身――履歴書と職務経歴書を覗き込んだ明成が、みるみる顔を歪ませた。
「これ、意味分かってんのか?」
「流石に分かってるよ」
履歴書の名前は、川内冬吾。セリスのお父さんだ。
口ぶりからして、明成は俺の周りも把握しているらしい。
「そういう意味?」
「そういう意味で取ってもらっていい」
将来的に俺のプライベートに口を出せる人を、明成の下に送る。俺が明成の下につくという宣言になる。
「ホントはもっと早くに誰かしら送ってやりたかったんだけどな。俺はあんまり直接人を育ててなかったもんで」
特別を作らないように生きてきた。いくつか作ってしまった特別は、手放せなかった。
ロイか、ドリアンか。どちらかを年に数回でも明成の下に送れば、俺が明成に完全に譲ったと知らせるには十分だったはずだ。だけどあの二人のどちらもそれを望まないし、俺もそれはやりたくなかった。
そもそも俺はそういう人売りがあまり好きになれない。
今回は特例だ。大切な人の大切な人が求めている転職条件に合っているから仲介している。
「まあ、お前側の条件に合わないなら弾いてくれ。そっちの都合をちゃんと知ってるわけじゃねえから」
明成はしばらく経歴書に視線を落として。
「ふざけてんのか?」
感情の乗らない声で、そう言った。
「ふざけてねーよ」
この人は本当に信頼できるやつにしか任せられない。
明成のことは、あの会社の中では一番信頼している。
「その……が、」
「ん?」
「その態度が、ふざけてるっつってんだよ!!!」
俺よりも父さんに似ている顔が、怒りをにじませて俺のネクタイを引っぱった。がしゃんとグラスの倒れる音。ワインがクロスに染みを作る。
「俺は、こんな形であんたの上に立ちたいんじゃねえんだよ!」
「別にどんな形でもいいだろ」
流石にちょっと痛いのでネクタイを握る手を解く。
袖にかかったワインをナプキンでそっと落とした。――白でよかった。赤ワインだったら大惨事だったな。
「あんたはいつもそうだ」
「何が?」
「何でもできて、何でも持ってて、全部一人で決めて、二歩も三歩も先にいる」
「買いかぶりすぎ。俺はそんなできた人間じゃねえよ」
そんなできた人間だったら、とっくに西生寺の役員に座って次期社長って呼ばれてたよ。
「だけどがんじがらめで、いつも名前に縛られてて」
「……」
「俺が……っ」
「うん」
「俺が!理人兄さんを!助けるはずだったのに!」
「…………うん?」
なんて?
「なんで、勝手に助かっちゃうんだよ!俺がいつか、上に立って、それで兄さんを助けるはずだったのに!」
「……何お前、そんなこと考えてたの?」
「ゎ……るいかよ」
「いやー」
悪い悪くないと全く別のところで、びっくりなんだけど。何言ってんだ。
「最初からずっと、お前には助けてもらいっぱなしだよ」
心からそう言ったら、じろりとこちらを睨みつけた。
「……何が」
「明成がいたから、西生寺の男児は俺だけじゃなかった。明成が会社に興味を持ったとき、たくさんの大人の視線がお前に移った。明成が会社に入って、しっかり社内の政治を握り始めて」
その事実にどれだけ救われてきたのか、本気で分かっていないんだろうか。
「生まれたときから、ずっとずっと、助けてもらいっぱなし。こっちとしてはいつか返そうと思ってたけど遅くなっちまったなーくらいの感じなんだよ。……なあ、明成」
個室の外に人の気配がする。ちょっと兄弟喧嘩をするとは事前に伝えてあったので、入っていいかあぐねているようだ。
「俺達、逆だったら良かったのにな」
俺が叔父さんのとこの子で、明成が本家の子だったら、こんなにこじれなかったんだよな。
しばらく肩を震わせていた明成が、先ほどとは少し違った目でもう一度こちらを睨む。
「じゃあ、返済足りてねえんじゃねえか?」
「いや、言うなよ思ってっけどさ」
「……俺がてっぺんに立ったら」
「おう?」
「役職についてもらうからな。こき使ってやる」
「いや閑職、閑職で頼むって言ったぞ?言ったからな?聞いてるか?」
「うるせえ、返済しろ」
「大分悪質な借金取りだな?!」
「うっせ、ばーかばーか。三〇年かけて返済しろ」
「定年過ぎても使う気か〜?」
「あたりめえだろ経営者に定年はねーんだよ」
明成は倒れたグラスを取り上げて、ワインを注いで、ぐいと飲み下す。俺のグラスなんだけどな。まあいいけど。
「……紬さん」
「ああ」
「彼女こそ取られんなよ」
「分かってるよ」
「俺のところに話が来たら、俺はもらっちまうからな」
「……もらってどうすんだよ」
「どっかの部署任せたら、おもしろそうじゃない?」
「やめとけやめとけ。再現性のない大成功はただの毒だ」
「大成功はするんだ?」
「最初の一回だけはする。まあ、あげないけど」
それはそれとしてグラスが帰ってこないので明成のグラスをとって飲みだす。テーブル片してもらわんとな。
「え、じゃあ一回だけ貸してよ」
「……そもそもモノ扱いすんな。あの子は駒じゃない」
「駒にしないんだ?」
「駒にしないために俺がどんだけ苦労してると思ってんだよ」
「どんだけ苦労してんの?」
「…………」
楽しむ姿勢になり始めた明成を一瞥して、個室の扉を開く。
「すみません、グラスを倒しました。一度下げてもらってもいいですか」
扉の外に心配顔で待機していたスタッフを一度部屋に入れて、会話をぶった切ることには成功
しなくて、人が出ていったら、さんざん根掘り葉掘り聞かれるはめになった。




